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朝日記241028 その5 「翻訳  意識のハードプロブレム」

2024-10-28 11:42:50 | 研究論説

 

朝日記241028 その5 「翻訳  意識のハードプロブレム」

朝日記241028 その2 目次 「翻訳  意識のハードプロブレム」

 

 

9-8 強い帰納主義者 Strong reductionism

 

多くの哲学者は、Chalmersが意識のeasy problems問題とよぶものとを区別する意識のhard problem問題があるということについて論議している。

彼らのなかのある者たちは、つよい帰納主義者 strong reductionistsとときによばれているが、かれらは現象的意識 phenomenal consciousness(すなわち意識的経験)は存在するが、脳へ帰納において十分に理解できるものfully understood as reducible to the brain.[42]

という立場をとっている。[42]

 広い意味で、つよい帰納主義者としては意識経験とは現実リアルであるが、それは物質としての脳での発現としての機能的意味において十分に理解できると論じるのである。[42]

上述したようによわい帰納主義者weak reductionistsに対して、つよい機能主義者strong reductionistsはhard problem問題の存在を支持することに使われる観念ideasを拒絶する(それは同じ機能組織が意識なしでも存在できるからであり、もしくは教科書をつうじてみるvisionということを理解した盲目のひとは視覚sightについてすべては知らないであろうということであり)、hard problem問題とは単純なる誤てる洞察mistaken intuitionsであると見るのである。

つよい帰納主義者の言い分をもつ顕著な一派は意識の高次元論 者higher-order theories of consciousness.[61][42]である。

2005年に哲学者 Peter Carruthersは経験の認知概念"recognitional concepts of experience"について著述した、すなわちそれは、そのひと自身のメンタルライフmental lifeにて遭遇する経験experienceがおきるときにその経験のタイプを認知するちから(capacity容量)のことであり、そしてそのようなちから(容量)はqualiaをともなわない現象的意識phenomenal consciousnessを説明することができると論じる。.[62]

 

高次元視点the higher-order viewについて、意識はひとつの代表a representationであり、そして代表は十分に解析的analyzableであるので、意識のhard problem問題は存在しない。[42] 

哲学者Glenn Carruthers and Elizabeth Schierは2012年につぎの様に述べる;hard problem問題の存在についての中心となる論議は―philosophical zombies,  Mary's room, そしてNagel's bats―であり、これらはひとoneとしての「意識consciousnessというものがメンタル状態mental statesの構造と機能the structure and functionとは独立でなければならないという仮定がすでにあるときにのみ、説得性がある、すなわちhard problem問題があるということである。」

斯くして、その論議は設問への要請、論点先取 beg the question となる。

その著者たちは示唆する;「思考実験thought experimentsでのわれわれの結論をして意識理論theories of consciousnessをすすめていく代わりに、われわれの意識理論theories of consciousnessをして思考実験thought experimentsからのわれわれの結論をすすめていくべきである」[63] 

哲学者Massimo Pigliucciは2013年にhard problem問題が誤って扱われていること、それはカテゴリー誤謬"category mistake" からもたらされるものであると論じた。[17]

彼は言う;「もちろん、ひとつの説明explanationがひとつの経験experienceとは同じではない、だがそれは二つのものは完全にカテゴリーとして独立であることによる、それは色彩と三角形のようにである。 

つぎのことは自明である、すなわち、君であるとすればそれが何に似ているかwhat it is like to be youを僕は経験experienceできないが、君であることが如何howにして、そして何ゆえwhyにして可能となるかを完全に説明explanationできる。」[17]

 

 

 2017年に 哲学者Marco Stango はJohn Deweyの意識の問題(これはhard problem問題の形式化に先行すること半世紀を超えるのである)へのアプローチにおいて、Deweyのアプローチが評価としてさだまっていない仮説unjustified assumptionへの帰着としてhard problemを見ていると注釈した、その仮説とは感覚feelingsと機能的行為functional behaviorsとは同じ物理的プロセスではないという仮説である: 

「意識の'hard problem問題’というものがDeweyan派の哲学者のために、「哲学的誤謬philosophical mistakeのもとでの意向senseにおいてでのみの概念事実'conceptual fact'なのである:物理的なものはその場immediateでの感覚事態sentiency episodeとしてみるseeことに失敗したことによる誤りである」[64]

 

哲学者 Thomas Metzingerは意識のhard problem問題を vitalismに落とし込むことを好んでいる、それは以前に生物学において人口に膾炙した見解であるがそれが、これまでそう多くを解決していないということで廃れているものである。

Brian Jonathan Garrettもまた、hard problem問題というものが vitalismのそれに類似した欠陥による困難に遭遇していると論じたのである。[66]

 

哲学者Peter Hacker が論ずるのはhard problem問題というのは意識consciousnessというものがどの様に、ものごとmatterから発生するかを問うという点において誤った教えであり、事実は、感覚性sentienceというのは生体組織living organismsの進化evolutionから発生するのであると。[67] 

彼は言う:「hard problems問題というのはまったくhard problem問題ではない。実際のhard problem問題というのは科学者が相互にやり取りする問題である。(中略)その哲学問題というのは、哲学的問題がすべてそうであるように、概念的試案conceptual schemeのなかでの混乱にすぎないのである」[67] 

Hackerの批判はChalmers とそのhard problem問題を越えて浸透していく、それは現代哲学のこころmindと神経科学mind and neuroscienceに対してより広く向かわしめるものである。 

神経学者 Max Bennettに言わしめれば、彼は現代の神経科学のほとんどは、陰示的概念化において二元論的 dualisticにとどまっており、心理学的概念をその脳に帰するにおいて、その脳は全体としてのひとりとして代表的ひと固有に帰するというメレオロジー[1]的誤謬 mereological [2]fallacy  として」論述される。 

Hacker はさらに言う、意識研究 は今日取り流行されてはいるが、文字通り全体として時間の無駄であり、それらはなんら帰結性をもたないstrong reductionistsな意識概念であると。」[67]

 

 

9-9 エリミナティヴ物質主義/幻想主義   Eliminative materialism / Illusionism

 

Main article: Eliminative materialism

 

エリミナティズムは大衆心理folk psychology(すなわちこころの論じ方での共通の感覚common-sense ways of discussing the mind)のようなメンタル状態mental states のほとんすべては科学的試験においてのリアルな脳機構brain mechanismsには対応correspondしないという観方である。[58]

2020 PhilPapers調査によれば4.51%%の哲学者たちがeliminativism.[25]を支持している。

 Patricia Churchland と Paul Churchlandはエリミナティヴ物質主義eliminative materialismを積極的態度propositional attitudesとして応用したのである、一方、哲学者としてはDaniel Dennett,  Georges Rey, および Keith Frankishであり、かれらはそれをクオリアや現象的意識 qualia or phenomenal consciousnessとして位置付けたのであった(すなわち意識的経験conscious experience)[58]

かれらの観方に立てば、意識のhard problem問題があると信じいることは誤りを冒しているということになるばかりでなく、現象的意識phenomenal consciousnessがすべてで存在すると信じることも誤りとなる。[19][60]

この立ち位置は最近では幻想主義 illusionismの名称を附与している:つまり現象的意識phenomenal consciousnessは幻想であるというのである。

哲学者Keith Frankishがこの名称を広めたのであった。[59]

Frankishは論じる、"illusionism"は"eliminativism"よりも名称として相応しいとし、この見解としては現象的意識phenomenal consciousnessは幻想illusionであるというラベル表示することになるからである。

Frankishは論じる、さらに実質的には現象的意識phenomenal consciousnessについての幻想主義illusionismは現象的意識phenomenal consciousnessのリアリズムrealismというよりも適切な名前付与であると。

彼はいう:「意識の理論が典型的にhard problem問題を意味する。

それらは現象的意識がリアルとし、かつそれが如何様にして存在に至るかを説明することをねらう。

しかしながら、別のアプローチがある、それは現象的意識が幻想であること主張し、そしてそれが何故存在するようにみえるかの説明意図アプローチである。」[19] 

 

Frankishは結論付ける、幻想主義illusionismは「hard problem問題を幻想的問題illusion problemで置き換えたものである―現象の幻想illusion of phenomenalityが如何にして起こり、そしてそれが何故に斯くも力あるものになっているかを説明する問題なのである。」[19]

 

哲学者Daniel Dennettは幻想主義illusionismに関わるもうひとりの顕著な人物である。

かれの経歴の早期から意識の幻想的地位ということを論議してきたのである。

たとえば、1979年に彼は論文On the Absence of Phenomenology を著した(ここで彼は現象的意識についての非存在性のための論議をしている)。[69]

同様の観念は彼の1991年の著 Consciousness Explained.[70] において説明してきた。[70]

Dennettはいわゆる"hard problem"はChalmersが"easy problems"と称するものを解くプロセスにおいて解かれるであろうと論じる。[16] 

彼は意識というものを手品ショーと、そして通常のモノから特別な幻想を産みだす能力と比較する。[71] 

ひとびとをしてかれらの内的能力の精確さへの過信を公開の場で貶めることを如何に証明するために、彼はchange blindnessとよぶ現象を記述した、これは別途のイメージシリーズの情景変化を検出することの失敗をみせしめる視覚プロセスであるとした。[72][page needed

さらに彼が論じるのは意識consciousnessというものは内的視覚introspectionに元づいているように見えるものではある必要なないとした。

hard problem問題についての質問として、もしくは物理的過程が経験を起こすのは如何様にして、また何故にこの質問に帰するのかについて、Dennettは述べる、現象phenomenonが経験experienceを擁しているということは機能遂行performance of functionsや行為から産まれたproduction of behaviorものであり、それは意識のhard problem問題として参照されることもできるがそれ以上のなにものでもない。.[16] 

かくしてDennettは論じるのは経験experienceのhard problem問題はeasy problems問題の中に消化―分離されるのではなくーされるのであり、したがってそれらは必然的つながり単位cohesive unit.でのみ説明されうるのである。

エリミナティズム論者Eliminativistsはかれらが信じる役割りのうえで違いがおきる、その違いとはかれらが信じている洞察的判断 intuitive judgementは見かけ意識apparent reality of consciousness を生じさせるがその役割演じにおいてである。

哲学者Jacy Reese Anthisはこの件については洞察性intuitionについての過剰な信頼からの生まれである位置付けについて語る、意識のトピックについての哲学的論議を"intuition jousting"洞察的果し合いの方式と呼んでいる。[73]

しかしこの懸案が形式的論説"formal argumentation"と厳密な意味論"precise semantics" にそった取り組みがなされることによりhard problem問題は解消するであろう。

 

 

哲学者Elizabeth Irvineは逆に、反対方向からの視点のものとして読まれる、それは彼女が論じるは現象的特性phenomenal properties(すなわち、意識の特性properties of consciousness)がわれわれの世界共通的センス視点common-sense view of the world.のなかに存在していないと論じるからである。

彼女は言明する、「意識のhard problem問題は哲学者でないものにとって真なるgenuine問題ではないようだ(哲学者にとっては圧倒的に自明にあるにもかかわらずである)」[74]

意識の完全なる幻想主義理論illusionist theory of consciousnessは機構 mechanismの記述をふくむべきであり、それによって主観的経験subjective experienceの幻想illusionが所有され、そして人々がそれらを語ることになるのである。 

さまざまな哲学者と科学者が可能な理論を提案してきた。[75]

たとえば、かれの著Consciousness and the Social Brain でMichael Grazianoは注意試案理論attention schema theory,とよぶ理論を打ち上げた、そこでは意識している我々の感受perceptionは単なる感受perceptionの誤りであり、それが脳brainsによって保持されている、脳の方といえばかれらの自身の内的作業internal workingsの誤ったしかも不完全なモデルを保持して進化していく、丁度かれらが自身の体、ならびに外的世界について間違えたそして不完全なモデルをもつようにである。[76][77]

 

9-10 批判主義 Criticisms

 

エリミナティズム物質主義と幻想主義eliminative materialism and illusionismについての批判の主なものはその見解の逆方向の洞察性につながっている。この形式の論議をMoorean Arguments と呼んでいる。

 Moorean論争はつぎのことの主張によって論争の結論に終着させることを探すものである、すなわちその結論の否定 negationはその論争の前提premises以上に確かであるというものである。

幻想主義illusionismに対するMoorean Argument論争[3]の根源は聖オーガスチンAugustine of Hippoにまで遡る、その聖人は言明する、彼自身の存在について彼は騙され得ない、なぜなら騙される行為はまさにその騙しの受け手である「a beingするもの」の存在性を確かにするからである。[note 1][79]

 

 

Wikisourceのこの項目説明のオリジナル版は:

9-11 メソッド/パート4 デカルトの論述

 

Wikisource has original text related to this article: 

Descartes' Discourse on the Method/Part 4

 

 

近代の初期にRené Descartesによってこれら論議が人口に膾炙したのである、かれは「私は考える、ゆえに私は存在する」"Je pense, donc je suis" ("I think, therefore I am").[80] という有名なことばを編み出したのである。

Descartesが論じたのは以下である、それは彼が如何に騙されたとしても(たとえば、悪しきデーモンがかれの感覚 すべてを操作していても、かれが依然として確かであることを知っているのは、騙されているかれのこころmindの存在が前提であるからこそである、騙されているという状態のためには前提としてこころmindの存在が要求されるからである。[80] 

この論旨の同じ構造は今日においてもなおいきている。

たとえば、2002年に David Chalmersが 幻想主義illusionismに対する明示的なMoorean argumentを発表している。

この論旨は以下のようなものである:意識の事実性reality of consciousnessは幻想論者illusionistをして意識の存在性を否定せしめる動機となる如何なる(たとえば物理主義への)理論的関与にも勝って確かなものである。 

この理由はわれわれが意識consciousnessということに直接知悉"acquaintance"しているからであるが、しかしわれわれは他のいかなるものについてはなんら直接知悉"acquaintance"していないからである(これはわれわれが意識consciousnessを信じることもillusionであると教えこむものを含むのである)

換言すれば以下である:意識consciousnessは直接に知ることが出来る、そうして意識consciousnessの現実性realityは、いかなる哲学的もしくは科学的理論以上に確かである。[82]

Chalmersはつぎのように結論づける;「Moorean論議のようなものが理性的あることになんら疑いを抱くようなものはない、理性的にあるとはほとんどのひとが幻想illusionismを拒否し、かつそれが狂ったものであるとみているということにある。」[83]

エリミナティヴ物質主義および幻想主義Eliminative materialism and illusionismというは一般向け出版界での批判主義課題subject of criticismとして続いてきたのである。

 

高度に注目される例として哲学者 Galen Strawson が書いた"The Consciousness Deniers"という報文をあげられよう。

そのなかで、Strawsonはillusionismを「かつてあらわれたもっとも馬鹿げたもの」とし、つづいて「われわれが馴染んできた宗教的信仰すべてが草があおいという程度でものという位置づけにしてしまっている」記述している[84]

もうひとり著名な例として Christof Kochをあげる、(かれは神経科学者でありIntegrated Information Theoryの指導的推進者のひとりである)彼の一般向け科学著書The Feeling of Life Itselfがある。

この本の若いページで、Kochは「eliminativismはCotard症候群の形而上学的仲間metaphysical counterpartであり、これは精神治療状態にある患者が生きていることに自らが否定deny being aliveするようなものである」と記述する。 

Kochはeliminativismの優位性について「二十世紀の分析哲学analytic philosophyが犬になり下がった」証拠としてみたのである。[86]

 

 

9-12 タイプB物質主義 Type-B Materialism

 

Further information: Phenomenal concept strategy and A posteriori physicalism

 

Type-B Materialismは、よわい帰納主義Weak Reductionism もしくは後天的物理主義A Posteriori Physicalismとしても知られているが、これは人間心理学human psychologyからの筋をひくhard problem問題であり、したがって意識consciousnessとその物理的世界physical worldとの間の真性オントロジーギャップgenuine ontological gapを示唆しうるものではないという見解になる。[42] 

Type-B Materialists はType-A Materialistsと同様に、物理主義 physicalismに関与(committed)している。

Type-B Materialists は、Type-A Materialistsとはちがいhard problem問題の支持に当たってしばしば記述される非認知性inconceivability の論議を受け入れるdo acceptのである、ただしつぎの鍵留意点を置くことを(条件と)している:

非認知性inconceivability論議はわれわれにつぎの洞察insightをあたえるのみである、その論議はhuman mind が如何howに,こころmindと物質 matter間の関係性についての概念化に向かうしめるかtends to conceptualize ということの洞察insightにある、しかしこの関係性(とは何であるのかという意味で)の真性true natureが何であるかというwhatには向かわしめない。[42][51] 

この見解にしたがうと、知る(内的視座introspectionと神経科学neuroscience)の二つの筋道の間のギャップがあるということであり、それは神経生物学が目下取り掛かっていることでの理解活動すべてによってでさえ解消resolvedされないというギャップであり、しかも意識consciousnessと神経物理学 neurobiologyが事実realityとして単一かつ同じone and the sameであるということを信じているということでのギャップである。[42]  

Type-B Materialistsすべてはつぎのことに同意はしている、すなわちhard problem問題は原点においてはオントロジカルontologicalというよりも心理学的psychologicalであるということの洞察に同意はしているが、彼らはhard problem問題についてのわれわれの洞察が内的innateもしくは文化的条件制約culturally conditionedのものかについて意見を異にしている。

これは「固い筋/軟かい筋区分」"hard-wired/soft-wired distinction."という概念でこれまで重複してきたのであった。[87][88]

Type-B Materialismとの関係では、かれらはhard problem問題の洞察が「固い筋」視点"hard-wired view"という内的innate(人間すべて共通という意味で)な立ち位置に与することを信じるひとたちということになる。[88] 

われわれの洞察intuitionsを信じるひとたちは文化的制約culturally conditioned subscribeに与する「軟かい筋視点」"soft-wired view"という人たちとなる。[88]

他にとくに特定しないなら、Type-B Materialism という用語はhard-wired 視点を意味することになる。[88]

Type-B Materialism支持する著名な学者としてDavid Papineau,[89] Joseph Levine,[90] そして Janet Levine[54]を上げることができる。

 

 

9-13 「固い筋視点」 The "hard-wired view"

[edit]

 

Joseph Levine(説明ギャップ explanatory gap[4]の概念を形式化した人であるが)は述べる:「説明ギャップ論議は本質natureでのギャップを表示していないが、本質natureについてのわれわれの理解understandingにおけるギャップを表示しているのだ」[90] 

それでもなお彼はつぎのように付け加える、十分なる科学的理解があってもこのギャップは埋まらないであろうこと[42]、そしてたとえば水waterとH2Oとの間のそれのような自然natureにおける別な同定性 identitiesのための類似的ギャップanalogous gapsが存在しないことである。

哲学者 Ned Block とRobert Stalnakerつぎのように同意する、すなわち或る意識的経験conscious experienceはひとがそれを経験したものthe one experiencing itと似ているという事実factsは目下取り扱っている生理学での事実the factsすべてを知ってもなお演繹be deducedできないこと、

しかしながら、対照的に知識knowledge のそのようなギャップもまた、丁度水とH2Oとの区別のように、他の沢山の本質in natureでのケースでも遭遇することについてである。.[92][12]

知ることknowing(たとえば第三者の科学的観測scientific observationと第一者の内的視座introspection についてのこれらふたつの筋が何故に意識consciousnessについての異なる理解understandingsをあたえるかを説明するために、弱帰納主義者系weak reductionistsではしばしば現象的概念戦略phenomenal concepts strategyをもちこむ。 

それはつぎの違いを論じることである、ひとつは正確でない現象概念phenomenal concepts (すなわち、われわれが意識について如何に考えるかということ)からのものからくるものであって、意識の本質nature of consciousness自体から来るものではない。[93][94] 

この観方によると意識のhard problem問題は概念二元論dualism of conceptsからくるものであり、物性や物質二元論dualism of properties or substancesからのものではない。[42] 

 

 

 

9-14 「軟かい筋視点」"soft-wired view"    The "soft-wired view"

[edit]

 

ある意識研究者たちはhard problem問題は或る文化的人工物cultural artifact、現代の西側文化特有uniqueのものと論じてきた。

これはType-B Materialismと似ているが、それはさらなる要求をつきつける、それは心理的事実psychological factsとしてわれわれにhard problem問題を洞察せしめるということであるが、しかしそれは文化的条件culturally conditionedなのである。 

この見解をもつ著名な研究者としてAnna Wierzbicka,[95] Hakwan Lau および Matthias Michel.[96]を上げておく。

Wierzbicka (彼は言語学者である)は論じる、意識研究者が使う語彙(ここには経験と意識のような語も含むが)は普遍的に翻訳できないものである、しかも英語という方言"parochially English."的[95]なものである。

WeirzbickaはDavid Chalmersを交差的翻訳単語crosstranslatable wordsで汎人間概念panhuman conceptsを使うというひとと呼ぶ、hard problem問題はそこでは解消dissolve.[95]するであろうからである。

David Chalmersはこの批判に答えていう「言い訳はしない、これは学術的著述のなかでの技術的用語technical termsである。   それはWierzbicka’sもふくめてそれぞれの専門において効率的意思疎通の重要な役わりを担っているからである。」.[88]

 

 

 

9-15 Type-C  Materialism

 (執筆公募中)

 

 

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