朝日記130523 ちいさなことからの予兆 と今日の絵をお送りします。
おはようございます。
けさもきのうとおなじような夏の朝です。
これからラジオ体操です。
徒然こと
知人から地下鉄銀座線で電車の行先表示が上下逆に間違えていたことの話がありました。
一見小さなことですが、管理システムがコンピュータネットでブラッボックス化(巨大複雑化)していった状態での管理の盲点として示唆的ととらえます。
*以前同じ知人から、3・11のほぼ一年前に、定期点検中の福島原発のプラントの集中制御室で 外注の作業員のからだがプラント補助電源スイッチに接触してプラントが停電したこと、これを経産省のネットで事実確認したことを思いだします。
*私見では、1995年あたりを境として 日本の国内の仕事の質が低下したとみています。本来この国のひとたちは ものごとを大切に、丁寧に扱っていくよき資質に恵まれ それで世界的な経済国家を形成してきました。 これがリ・ストラクチュア またはリ・エンジニアリングと称して、経済効率が先行して、いま「リストラ自壊」となってきているとみます。
*わがくに社会の「大自壊」の前兆を予感せしめるのような事件や事象が頻発しているようにおもえます。 そのようなことばを使ってパニックを煽るのは如何かという もうひとつの声が自分のなかにもありますが、やはり これを受け止めるべきであるとおもいなおします。問題はふたつ;ひとつは 科学実証論的なデータを予測を根拠の基盤としますが、 統計確率的なデータによる予測信頼度は まだ低いといわざるを得ない。 そもそも統計的データというのはそういうもので、危険と安全という概念は主観的判断に属し、その判断のための線引きのための客観的数値が統計的信頼限度値であります。 ふたつめは データの信頼度というよりもデータを解析判断する人間側の質の問題です。 科学的判断素養の低いひとたちが この国のリーダーの主流であることです。 ある信頼のおける筋ですが、日本は先進国中で最下位グループです。 このような状況で、どう取り組むかです。
哲学者カントのいう「直観的経験にもとづく 反省的判断力」という次元となります。つまり功利主義以上に、人間社会・コモンウエルズとしての日本国への道徳観をつよめることが必要になります。
やはり、やるべきと思っていることはしっかり、やることが最大の防御であり、「日本大点検」のときが来ている そのための国民的意識の共有をはかることが 第一歩であると考えます。
地下鉄の行先表示のミスの ちいさなことから はなしが大きくなりました。
~なにか 辻説法めいてきましたね。
徒然ことおわり
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