朝日記210510 「ワクチン三銃士」を晒せるかのお話
今日の絵は(THE 3 VACCINEERS)と(On T-shirts display)の二つです;
先回の朝日記は、社会知性として社会的懸案問題を「晒す」ということについてでしたが、私のこの後の展開に貴重なコメントをいくつかいただきました。順次なんらかの形でそれらに反応させていただく所存です。今回はそのうちのひとつ
友人OMさんとの交信をご紹介いたします。どうも、この話の括りとしては、偶然に出会った以下の一口漫画「ワクチン三銃士」“THE THREE VACCINEERS”を掲載し、ます第一ラウンドとします。 漫画だけでも見てください。
三銃士のひとりが「すべてはひとりのために・・・!」、つぎの銃士は「ひとりはすべてのために・・・“」と銃を掲げます。そして?第三の三銃士は、「いやだね!!」といってさっさと背をむけて、去っていく。そういう一口漫画です。
( Cartoon of the Day, THE 3 VACCINEERS, The Japan News, May 1, 2021)
~~~先回の朝日記
朝日記210505 「J.ガウアンロック著公開討議と社会的知性」と今日の絵
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徒然こと 結果として「ワクチン三銃士」を晒せるかのお話
*(arai)から
OM様
こんばんは。あたらしい朝日記をお送り申し上げます。
よろしければお目通しください。
今回は、内容がすこし固いですが、けんかしないで
むずかしいことを一緒にとりくむことが可能かという問題です。
きょうは第1回で、米国の哲学者J. Gouanlockをとりあげます。
次回以降では、このテーマの延長でつぎのふたりに焦点をあてます。
Alexius Meinong とMichell Foucaltです。
前者はObjective論で 非存在性を考えることは意味あるか、
後者はSubjective論で 言説(発言)することは社会にとって意味あるか
の二つです。
小生の枠テーマである「システム論思考における目的論構造と社会倫理」で
この十年 総合知学会に論文等の投稿を十数編してきましたが、
そろそろ まとめに入っていますが、ここにきても大した
提言にはいたりそうもないです。身体的タイムリミットなので
なにかを書く所存です。天よ、われに集中力ぞ保たれかしです。。
絵もふたつほどいれました。ご覧ください。 お大事に。
Aria より
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(OM)から
荒井様
このような形而上学的議論にはあまりなじみがありませんが、コロナ騒ぎで目に見える形ではっきり気づいたことがあります。日本の国際的地位、あるいは国力、がいつの間にか二流国以下に成り下がっていたことです。さらに言えば、もともと一流国ではなかったのかもしれない、と。
原因はいろいろあろうかと思いますが、自分で考え、問題を解決する力を育てる教育をしてこなかったツケがここにきて一挙にあふれ出てきたため、とは考えられないでしょうか。真偽入れ混じった大量の情報から取捨選択して正しい判断を下し、弱者を温かく包み込む情感を持つ人間を育てることより、施政者に都合の良い人間を育てることに重点を置いてきた教育が社会的知性の劣化を招いたと思うのです。異論を排除し、うそを平気でつく政治家、そういう政治家を批判もなく選ぶ選挙民。
でも、日本社会の底流には、ひっそりと、しかし脈々と 伝統的知性が流れ続けていることを私たちは知っています。それに栄養を与え、再び大きく育て上げて、社会の主流にすることさえできれば、日本はわれわれ国民が心から誇りうる国になる、そんな気がしています。
OMより
*(arai)から
OM様
気持ちの良い季節で、朝の体操のときが少々大げさですが至福のときです。
早速のコメントをおおくりいただきありがとうございます。
「二級の国家」となったかどうか、さまざまな指標で雑誌メディアを賑わいますが、
この世界的な閉塞感のなかで、自分たちの社会や国が活力を喪失しているという実感は
私にもあります。とはいえ、自らの生存に社会全体が必死に戦っているその関心へ社会意識が集中することはまた当然でもあります。
お説のように、この世界的困難(Pandemic)のなかで、この国,日本全体に漂うのは、ひとびとの自らの思考や判断力の芯の薄さです。どこからかの風潮にメディア等が流され、開かれた議論もなく、気が付くとその過程でそっと仕組まれたお仕着せのノルム(規律)に支配されています。この段階では、そのノルムの不具合があらわれるまで、問答無用に進みます。
ノルムそのものが悪いのではなく、閉塞した(社会)知性空間が空っぽになっていることが問題です。
その代表的な現象はオリンピックに対する世論(風潮)に表れているように思います。
自ら熱心に招へいしたのは、何のためであったか、単に日本の名誉や利得だけであったのか、国際社会においての自らに科した使命は何であったのか、これらに対して語ることがない。(安倍総理がたしか格調高い誘致プレゼンをしたが誰も思い起こさないようだ)思考の空白ゆえにて、語ることや問い掛けができないのかもしれません。自ら練り、共有する理念が欠落していれば無理からぬことかもしれません。 ご指摘のように教育は基本です。ただ、いまの延長線では、専ら、都合のよい風潮にただ乗りするひとを増殖することになって、先に光が見えてこないような気がします。
では、絶望的かといえば、そうですが、日本国民特に、若い人たちの内的活力の大きさに期待したい。
終戦時国民学校2年生だったか、OMさんと同年代です。その私の限られた経験と記憶のなかで、いちばん開かれて活力に満ちていたのは、敗戦焦土からの新制民主社会の導入・創生の時機のそれが一番鮮明です。あのインド以下と、世界最貧国といわれて、日々の衣食住に事欠きましたが、自給自律して生きていく、飢餓で、なおエログロで品性低俗性はみとめるものの、旧きを蔑して、あたらしい社会を築くという必死にして、なお精神の高揚があったように思います。虱を抱えた児童も威張った大人に向かってその過ちを糺して道徳正義を問う気概を見たことも覚えています。
ということで、OMさんの言説に付け加えるものは大してありません。
添付したCartoon“The 3 Vaccineers”は、いまの米国の苦悩のフェーズを表して余りありそうです。日本のそれとは現象的に意味の異なるものですがなにか示唆的です。話題の共有素材してつかえればと思いあえて置かせていただきました。
失礼しました。
ご体調に十二分に気を付けられますよう祈念します。
Aria より
(On T-shirts display)
OMさんの意見を読みました。楽観的で日本人の特性を生かす可能性を感じる内容でした。来週ワクチンを受ける事になりました。貴殿も受けたら人形町で、食事をしましょう。
araiから鎌田さんへ
鎌田様
お元気ですか。
夏日でしたね。
朝日記をお送りします。
この連休を中心に自分の資料や本の整理に入っています。
紐でくくって、否、括るまえに立ち読みの場として決め込み、さわりをを読んだりしています。おもえば本屋の立ち読みというのは
偉い集中力を発揮しているんだと逆に関心しています。
お借りした「商船大学」の名簿をなるべく早めにお返ししなければならないと 思っています。ご同期のエンジンには、小生がお世話になった青野正巳氏(三光汽船)、小林卓也氏(飯野海運→川崎汽船→川崎重工)の二氏の名前を確認しました。特に小林氏は飯野海運から東大機械大学院学生として入学派遣され卒業されています。この人の先導が、小生の人生進路に深い影響を与えました。東大の同窓会にてよく顔を合わせましたが、いまは音信が絶えています。
また、思えば、明学出身で商船大学同窓とは、鎌田さんと小生はまことに稀有であり、またいまご一緒にあるといいことはさらに奇しきご縁ですね。 人生快なり、主への感謝の念篤いものがあります。
明学の地区役員の更新手続きの問い合わせが畑さんからきて、役員辞退としておくりました。
鎌田さんと新年会でお会いできなくなったことを少々悔いています。何かの時はお誘いください。
故高橋和義君の存念もあらんや、よろしくご指導ください。