朝日記180121 共通1次国語を読書する その3 (2016年)「『キャラ化する/される子供たち』を読むこと
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徒然ごと 2016年 大学入試センター試験 「国語」をながめること[1]
ことしも 終日たのしませていただきました。
受ける身になれば、嫌いな科目も ただながめるだけなら面白いのが国語科目です。そのときどきの時代の息を見出すおもいがあります。さて、書きます
2016年 大学入試センター試験 「国語」をながめること
土井隆義 『キャラ化する/される子供たち』 リカちゃんを設定した多様な人間関係状況の行動を見て、そのどれか(複数)を選好し、自分のアイデンティティとすることについて。
佐多稲子 『三等車』 戦後間もない生活情景を東京発鹿児島行き列車にて描いた短編。
今昔物語集から ある男、鬼に唾をかけられ透明人間になって困ったはなし。
漢文 蘆 文弨 『抱経堂文集』 母を思う一念の息子のこと
このうち、土井隆義 『キャラ化する/される子供たち』を触れます。
人形キャラクター リカちゃんがいまも人気です。現在は第3世代で、これまで5千万の数にのぼるそうです。このキャラクターを主人公にして人間関係の様々、多様な状況環境、つまりドラマのなかに置きます。そのときにキャラクターがとる思考や行動を可能なかぎり発生させるとします。 いわばシミュレーションです。 そして、その結果はリカちゃんとキャラクター群の集合として用意されたとします。
こういう作品群を「次創作」とよんでいて、 現場では「やおい」とよんでいるらしいです。 子供たちは、(たぶん若い人たちは) その「やおい」で顕れたリカちゃんのキャラクターを選好して 「外キャラ」として自分の同定(アイデンティファイ)し、仲間への了解を求めるものらしい。選好した「外キャラ」が相互に矛盾していても、とくに問題をしない。その移行を「キャラリング」と呼んでいるらしいです。「外キャラ」というのがあるから当然「内キャラ」が想定されるわけですが、ここでの文章では深く触れません。
原文のなかで「人間関係の外キャラの提示は、それぞれの価値観を根底から異にしてしまった人間どうしが、予想もつかないほど多様に変化し続けるなかで…コミュニケーションさせていく技法」として位置づけます。 たとえば、トランプゲームで配られたカードですきな何枚かを残し、これを表示して合コンするようなものかなとおもいました。
この話は、いろいろ考えさせられます。 あくまでも用意された「やおい」のきわめて感覚的な選好であること。 手元に残したカード群をデータ(あるいは現象)として それがなにを意味をしているか、自分の内面(「内キャラ」)とのつながる目線はこの文からは語られないことが印象的でした。そういう面では そういうことを考えさせる良い問題であったのかもしれません。 各設問については、本能的に、読まないことにしています。多分、筆者の「内キャラ」からくるものですが、お赦しください。
以上
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