
入館料と


防寒服を着て




もちろん 回りの


ここで 7分間



でも 覆っていない




今年 4月に届いた



最後に ブリザードが











氷の温度は 0℃からー1℃前後です。 そこに塩を入れると 一気に下がって -10℃前後になりました



より早く凍るようにするには 【キッカケ】を与えるといいそうです。
カンの中の液体を 温度計で 軽くまわして【キッカケ】を作ってみました
すると ドンドン凍りだして シャーベット状になり 完成です 。
館内2Fの ほとんどの部分が 日本人冒険家たち自身を描いた大きな大きな絵画(50~60号?)49点で埋まっていました
歴代トップの肖像画を並べてある企業を連想していまい 興醒めです。 これらの肖像画は きっと 相当高額でしょう?・・・
この施設に 肖像画は必要かな? (絵の大部分が肖像であるので あえて肖像画と記します) ギモン ギモン。
果たして49点の肖像画を子供達が見て 「探検」を イメージするだろうか? 肖像画を見た大人たちは
どう捉えるのだろう?
肖像画よりは 探検家本人たちの写真に「どんな探検を成し得たか」を解説するのが 妥当と思えてなりません
せっかく ー25℃を体験できる大規模な装置があるのに 館内が南極や地球に関する展示や説明で 満たされていません
皮肉にも ようやく施設名【探検の殿堂】 の意味を 理解することができる絵画でもありました。
オーロラが発生する装置が小さすぎて 原理がわかりにくかったり 作動せず がっかりもしました
子供達が喜ぶスターダストを再現する体験などもあるので より充実するように 税金を上手く回せないものだろうか・・・
この歌の作詞が 西堀栄三郎氏だったので
すっかり忘れていたけれど 小学生の頃 歌った記憶が甦りました
ウランとピノコは知らない世代だろうと 口ずさんでみたら
年上のウランは 知らないと・・・・・
しかし ピノコは途中から歌いだしました
まだまだ歌い継がれているのですね
最後に つまらないことだけど 気になったことを 質問・・・・・
「あのぅ ここ(東近江)と 西堀栄三郎氏のつながりは 何ですか?」
「・・・『それはぁ・・・西堀氏の両親が 西堀氏が生まれる前に この地に住んでいたことがある』からです」
「えっーーー
生誕地でも無く 暮らしたことも無いの?」
この質問が 一番つらいようでした。 タロウと
ジロウの先に 探検の殿堂が見えます
閉館に至る詳細は不知ですが、まだまだ 充実するためのヒントや手段が読み取れるので 閉館が決定する前に講じて欲しかった・・・
がっかりした事を書き並べましたが 改良すれば いい施設だと実感できたので 閉館はとても残念です
幅広い対象者の知識へ結びつく 有意義な施設になって 戻ってきて欲しいと願います
今は赤字の施設はどんどん閉館していますが
仕方ないとはいえ 寂しい気もしますね、
2Fの肖像画は 誰もが冷めてしまうでしょう、
場所が余ってしまったのでしょね、
「雪山賛歌」懐かしいです私の父が昔よく歌っていました(まだ生きてるけど
山男だったらしいです
どこどこ??
気になるぞ。。。
体験した事 って 後で
思い出せるんやろなぁ。。
仕事の都合で出かけず仕舞いでした
こういう真面目な体験施設はもっともっと
PRして皆に広めれば来場者も増えて
尚、研ぎ澄まされた施設になったであろうに残念です
北海道にある-41度体験できる施設では
ダイヤモンドダストもありクリオネがピコピコお見送り
出口を出れば暖かいお茶のサービスなどありました
南極つながりで言えば名古屋港の南極観測船
なんかも面白いと思いますよ
窮屈になって 圧迫感を感じました
もうひとひねりすれば…と残念でなりません
お父様は 多分今でも 間違えずに歌えるでしょうね
山男なら きっと 大モテだったのでは?
氷点下・・・すごいですね。
一気に涼しさが?寒さが伝わってきました。
体験施設って 最近ですから
私の子供の頃は どこに行っても ただ見るだけで つまんなかったです
北海道の施設は いろいろ知恵を絞って
来る人を楽しませてくれますね
いつか 行ってみたいです
娘が小さい頃に 水族館の特別展示でクリオネを見ました
とってもかわいくて
名古屋の施設が充実したのも 閉館の一因になったようです
当日は 酷暑日だったので
マイナスの響きだけで 一息つけました
ずーっと あの温度に居続けるのは…
隊員の方は さぞかしご苦労をされたことでしょうね