島根 出雲大社 神迎祭に 行ってきました
旧暦10月のことを「神無月」(かんなづき)といいますが、出雲周辺では
全国から出雲大社に御座す大國主大神さま(御縁を結ばれる神さま)のお側に
八百万の神々が集い 「神議」(かむはかり、神さまの大会議)をされるという伝承から
「神在月」(かみありづき)と いわれています。
《十月という文字を一文字にまとめて書くと【十月有】の文字になることから
『在(あり)』を『有(あり)』に代えて 『神有月』と表記することもあります。》
その伝承をもとに出雲に八百万の神々をお迎えし お発ちになるまでの神事が
旧暦の十月十日(今年は11月5日)の夜 稲佐の浜で行われる
神迎祭(かみむかえさい)神迎神事から始まり
神在祭(かみありさい)6・10・12日、へ続き、
八百万の神々が 神職の「おたち~!」の声で 出雲大社をお発ちになる
神等去出祭(からさでさい)【出雲大社を お立ちになる日】旧暦10月17日(今年は11月12日)、そして
第二神等去出祭【出雲国を お立ちになる日】(今年は11月21日)まで 厳かに執り行われます。
午後7時、稲佐の浜で 最初の神事、神迎神事(テントの中)が行われました(
フラッシュ撮影
)
不思議なことに 神迎神事の間 がピタリと止み
不要になりました。
御神火が焚かれ、龍蛇(海蛇)を神々の使者(御使神)としてお迎えしています (が海側)
そして 全国から来られた八百万の神々が 御幣をつけた神籬(ひもろぎ、大きな榊)に宿られます。
約30分の神事が終了した後、八百万の神々(神籬)は御使神「龍蛇(りゅうじゃ)神」さまをご先導に
両側を白幕で囲われて 大国主の大神が待たれる出雲大社まで 御神幸なされます。
神迎神事が終わる辺りから また降り出しました
今年の御神幸は 稲佐の浜から大社までの1.5kmを歩くことなく
龍蛇神さまと八百万の神々は で移動されました。
例年 御神幸が行われる神迎の道
私たちはましたが、
は渋滞のため進まず、参拝者が先に大社へ着き、しばし到着を待つことに・・・。
【例年の神迎神事、御神幸の様子が 大社町のHPで見れます(こちらで)】
神事に先立ち 稲佐の浜で「神迎御幣」を お授けくださいました。
大社へ到着された後 今度は神楽殿で神迎祭が 始まります
到着され神楽殿にお入りになる時は すべて消灯されます。
ひと足違いで 神楽殿がに なりました。でも まだ前列のうち、
階段上だったので 神事を見ることはできませんでしたが 音だけは耳にすることができました
(神迎祭が始まる前の神楽殿の。ここでも
フラッシュ
)
やがて神事が終了し 八百万の神々が 神楽殿を後にされます。その直前 白幕を整えています
八百万の神々が去られるときも 消灯されます
暗闇の中、提灯の明かりと神職の足音を頼りに 八百万の神々が前をお通りになる時は 静かに拝礼しました
無事 神事終了後、神在餅とお神酒が 振る舞われました。(杯は持ち帰ります)
この「神在餅(じんざいもち)」が 出雲弁で「ずんざい」といい
京都に伝わり 「ぜんざい」と なったそうです
というわけで「ぜんざい」の発祥は 出雲だそうです。
大社界隈で ぜんざいをいただけるお店が
たくさんありました。
残念ながら、時間の都合で 今回はパスしました。
翌日9時からの 神在祭へ つづきます・・・
神様が
ぜんざいが出雲発祥だったなんて
そうそう
「神様より先に 歩かないでください」とマイクで流れましたが
浜から出て 人の流れに乗って 道なりに
大社に
きっと 神々は追い越してしまったことをお許しくださると
2日間、大社での滞在時間は7~8時間もいました
こんなに長時間のお参りは 生まれて初めてでした
でも 自然に時が流れていた…という感じです
わぁ、神様がバスにのられるのですね。
齢を重ねられた神様だから、たまには、のんびりしていただいて、その分、今年たいへんだった方たちに、福をさずけてくださるといいなぁ、と思いました(笑)。
神様にふさわしい、厳かな時間がながれていたのですね。
「神迎の道」が人で 埋まると聞きました
これほどの人が集うのに
警官の姿を全く見なかったことにも
今年は自然が荒れ狂ったので 神様も大忙しだったのでしょうね
「フラッシュ撮影禁止を守っていただければいいです」と言われ
撮影しました
いつも心に感謝の念を抱くこと事が 神々の側にいることだと
思いますので この地に来なくともみなさんのお側にも
居てくださると 信じています
真っ暗闇の中を神様と神職の方が進む様子は「神秘的」そのものですね。「神在餅」が訛って「ぜんざい」になった話は初耳です。有り難うございました。
日本の始まりの神話の大部分に出雲大社が登場し、
伝説も多くあるこの地で 厳かな神事に参拝でき
伝承の大切さを改めて実感しました