1999年
ゴールデンウィークが終わった。
遊んでばかりはいられない。そろそろ貯金も尽きそうだし、親もうるさい。
3月に専門学校を卒業したものの、一向に就職が決まらず、毎日就職活動の日々だ。
でも、どこに履歴書を出しても、なんとか面接にこぎつけても「採用」にはならない。
つらい現実から逃れるように、ゴールデンウィークは遊びまくった。
いよいよ、親が話を持ってきた。
東京グリーントラベル(㈱)
旅行会社?
詳しいことは聞かされず面接にいけとのこと。
原宿の竹下通りの入口のどでかいビルにその会社はあった。
「東京商事」
なんでも、話によればリゾート開発をしている会社で、現地へ出向という形で働くとのこと
22歳のバカな私は意味が解らない。
出向?
「それで、どんな業務なんですか?」
と聞くのが精いっぱいであった。
面接が終わると10日後に二次面接に来てくださいとのこと。
僕はうなだれるように竹下通りを歩いた。
家に帰るなり、親父には猛烈に抗議した。
聞いてない!! 長野の山奥に就職なんて!!しかも、寮に住み込み?遊園地?
全くやりたくない!!
「じゃあ出て行け。東京に住みたいのなら、自分で家賃稼いで自分でやっていけ。 もう22歳なら大人だろ」
ごもっとも・・・である。
僕は仕方がなくそこへ就職することにした。
二次面接とは名ばかりで、
「では1週間後にこちらへ来てください」
との案内だけでその「二次面接」は終わった。ハメられた感が強い。
もっと東京で遊びたかった。
東京で就職するつもりだった。
東京で彼女を作るつもりだった。
むしろ、生涯東京を出るつもりもなかった。
学校を卒業したら、下町から出て、世田谷とか新宿方面のマスコミ系に就職して、職場の近くで一人暮らしをして・・・・とお洒落な計画が一気に崩れた。
5月の晴れの日
僕は着慣れないダブルのスーツに大きなバックを背負って実家を出た。