皇太子ご一家のニュースレポートです。詳細はコメント欄をご覧ください。
■新元号が「令和」に決定、典拠は万葉集
▲新元号「令和」の名を掲げる菅官房長官
▲令和の大嘗祭に納められる特別な織物の原料となる麻の種まき式が行われた(徳島県美馬市)
■皇太子さまの歌碑が甲府市に贈呈、雅子さまゆかりのお酒を村上市の酒造が販売
▲皇太子さまが金峰山を詠んだ和歌の記念碑が中央森林組合から甲府市役所に贈呈された
▲新潟県村上市の酒造が雅子さまのお印であるハマナスの花の酵母を使った日本酒を販売
■皇太子ご夫妻が両陛下を祝う音楽会にご出席
▲音楽会に出席された皇太子ご夫妻と両陛下(2019年4月2日、皇居・東御苑の「桃華楽堂」)
■両陛下の祝賀行事に皇太子ご夫妻ら出席、愛子さまも皇居へ
▲両陛下に挨拶される皇太子ご夫妻(4月10日、皇居・宮殿「松の間」)
▲両陛下に挨拶される佳子さまと常陸宮ご夫妻(4月10日、皇居・宮殿「松の間」)
▲両陛下に挨拶される百合子妃(4月10日、皇居・宮殿「松の間」)
▲皇居に入られる愛子さま(4月10日、皇居・半蔵門、)
■新元号が「令和」に決定、典拠は万葉集
▲新元号「令和」の名を掲げる菅官房長官
▲令和の大嘗祭に納められる特別な織物の原料となる麻の種まき式が行われた(徳島県美馬市)
■皇太子さまの歌碑が甲府市に贈呈、雅子さまゆかりのお酒を村上市の酒造が販売
▲皇太子さまが金峰山を詠んだ和歌の記念碑が中央森林組合から甲府市役所に贈呈された
▲新潟県村上市の酒造が雅子さまのお印であるハマナスの花の酵母を使った日本酒を販売
■皇太子ご夫妻が両陛下を祝う音楽会にご出席
▲音楽会に出席された皇太子ご夫妻と両陛下(2019年4月2日、皇居・東御苑の「桃華楽堂」)
■両陛下の祝賀行事に皇太子ご夫妻ら出席、愛子さまも皇居へ
▲両陛下に挨拶される皇太子ご夫妻(4月10日、皇居・宮殿「松の間」)
▲両陛下に挨拶される佳子さまと常陸宮ご夫妻(4月10日、皇居・宮殿「松の間」)
▲両陛下に挨拶される百合子妃(4月10日、皇居・宮殿「松の間」)
▲皇居に入られる愛子さま(4月10日、皇居・半蔵門、)
TBS
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3663048.html
新天皇皇后両陛下が、皇居・宮殿で、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方からお祝いを受けられました。
皇居・宮殿「松の間」では午後3時半から、皇族方が新両陛下に即位を祝う挨拶をされました。皇嗣となった秋篠宮さまは、紀子さまと共に両陛下のもとに進み、「天皇陛下におかれましては、ご即位されましたこと、心よりお喜び申し上げます」とお祝いの気持ちを示されました。これに対し、陛下はにこやかに「どうもありがとう」と応じられました。
このあと両陛下は、未成年皇族である長女の愛子さまや秋篠宮家の長男・悠仁さま、宮内庁の幹部や元側近などからも祝賀を受けられました。
これに先立ち、両陛下は午後3時ごろ、上皇ご夫妻のお住まいである吹上仙洞御所を訪れて、代替わり後初めて上皇ご夫妻に挨拶されました。
◎祝福受け 新両陛下の表情は、宮内庁担当記者報告
5/1(水) 16:42配信 TBS
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190501-00000050-jnn-soci
(動画あります)
両陛下が皇族方からお祝いを受けられる様子を取材していた宮内庁担当の小曽記者に、両陛下の表情などを伝えてもらいます。
現在も両陛下への祝賀の行事続いておりまして、あちらにもこれから祝賀をしようという出席者の方々が集まっていらっしゃいます。午後3時半ごろから、新両陛下が皇居・宮殿「松の間」で皇族方からお祝いを受けられました。
(中略)
挨拶をお受けになっている間、天皇陛下も皇后・雅子さまもとてもにこやかなご表情で、終始臨まれていました。さらに、皇族方から挨拶をすべての方々からお受けになって退室される際、陛下が歩みを進められて少したってから途中、後ろを振り返られまして、雅子さまの方をご覧になりました。これは、距離があき過ぎていないかどうか、雅子さまの方を気遣いになられていたのかなと拝察しました。
引き続き、両陛下は、宮殿内の部屋を移動しながら、未成年皇族である長女の愛子さまや秋篠宮家の長男・悠仁さま、宮内庁の幹部や元側近などからも順に祝賀を受けられていますが、こちらは非公開となっています。
また、これらの祝賀行事に先立ち、両陛下は午後3時ごろ、吹上仙洞御所を訪れ、天皇皇后となってから初めて、上皇ご夫妻に挨拶されました。このあと、両陛下はお住まいの赤坂御所に戻り、そちらでも側近として仕える職員らから祝賀を受けられるなど、夜まで行事が続きます。
◎ご即位祝賀行事に臨まれる新天皇、皇后両陛下=皇居・宮殿「松の間」で2019年5月1日午後3時33分(代表撮影)
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/011000g/1
◎ご即位祝賀行事を終え、退出される新天皇、皇后両陛下=皇居・宮殿「松の間」で2019年5月1日午後3時38分(代表撮影)
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/011000g/5
◎上皇ご夫妻へのあいさつのため、皇居に車で入られる新天皇、皇后両陛下=皇居・半蔵門で2019年5月1日午後2時54分、北山夏帆撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/012000g/1
◎皇居を出られる愛子さま=皇居・半蔵門で2019年5月1日午後4時1分、北山夏帆撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/012000g/2
◎未成年皇族祝賀を終えて皇居から赤坂御所に戻られる愛子さま=東京都港区で2019年5月1日午後4時13分、丸山博撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/012000g/3
◎皇居を出られる新天皇、皇后両陛下=皇居・半蔵門で2019年5月1日午後5時3分、梅村直承撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/012000g/4
2019年5月1日13時04分 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASM5133HSM51UTIL005.html
新天皇陛下が1日、「即位後朝見の儀」で語った「おことば」は次の通り。
日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心(こころ)を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(けんさん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします。
2019年5月1日 水曜 午前10:51 FNN
https://www.fnn.jp/posts/00417005CX/201905011051_CX_CX
(動画あります)
1日午前10時半、皇居正殿の中で最も広い「松の間」で、「剣璽等承継の儀」が執り行われた。
◎新天皇陛下が「剣璽等承継の儀」
2019年5月1日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190501/k00/00m/040/041000c
新天皇陛下は1日午前10時半ごろから、皇居・宮殿「松の間」で、国事行為の儀式「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」に臨まれた。皇位の証しとされる剣と璽(まが玉)や天皇が国事行為で使う印章の「御璽」と「国璽」が、新陛下の前に用意された台の上に侍従によって安置された。おことばはなく、新陛下が剣璽などを持った侍従らを伴って退出し、儀式は5分程度で終了した。
◎新天皇皇后両陛下「即位後朝見の儀」
2019年5月1日11:25 日テレ
http://www.news24.jp/articles/2019/05/01/07432439.html
(動画あります)
◎新天皇陛下「国民に寄り添い、象徴の責務果たす」 初のおことば
2019/05/01 11:19 毎日新聞
新天皇陛下(59)は1日午前、皇居・宮殿「松の間」で、「即位後朝見の儀」に臨まれた。天皇として国民に向けた初めてのおことばで「自己の研鑽(けんさん)に励むとともに、常に国民を思い、寄り添いながら、憲法にのっとり、象徴としての責務を果たす」と述べた。同日午前0時、元号は「令和」に改まった。
朝見の儀には、安倍晋三首相ら三権の長や都道府県の知事、議長の代表ら約290人が参列。皇位継承順位1位で皇嗣(こうし)となった秋篠宮さまら男女の成年皇族も同席した。
儀式に臨んだ新陛下はえんび服で、新皇后雅子さまはロングドレス姿。午前11時10分ごろに入室し、特設の台の上に立った。
新陛下は「この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします」と述べたうえで、上皇となった前の天皇陛下が即位時に「皆さんとともに」守り、従うと誓った憲法に言及した。続いて安倍首相が国民を代表して即位を祝福した。
朝見の儀に先立ち、松の間では午前10時半ごろから、皇位の証しとされる三種の神器のうち剣と璽(じ)(まが玉)などを受け継ぐ儀式「剣璽等承継の儀」が行われた。
新陛下の前に用意された台の上に、侍従が剣璽と天皇が国事行為で使う印章の御璽と国璽を安置。おことばはなく、新陛下が侍従らを伴って退出して終了した。
参列皇族は、皇位継承資格のある男性成年皇族に限る前例が踏襲され、秋篠宮さまと皇位継承順位3位の常陸宮さまの2人のみだった。安倍首相ら三権の長や閣僚ら26人が参列。前回は女性の該当者がいなかったが、今回は片山さつき地方創生担当相が出席した。
憲法や皇室典範には即位に伴う儀式の詳細な規定はない。政府は同日、いずれの儀式も国事行為とすることを閣議決定したが、即位後朝見の儀は、天皇のあいさつに首相が応える形が君主と臣下の関係を思わせ、国民主権にふさわしくないとの指摘がある。剣璽等承継の儀も神話に基づく調度品が使われる批判があったが、十分には議論されず、平成への代替わりの例が踏襲された。一方で、前回は「奉答」としていた首相のあいさつの名称は「国民代表の辞」に変更した。
両儀式とも公務から退いた前の天皇、皇后両陛下は参列せず、未成年の皇族も慣例で出席しなかった。
新天皇、皇后両陛下は1日午後、前の天皇ご夫妻の住まいとして名称が変更された皇居・吹上仙洞(ふきあげせんとう)御所を訪ね、即位のあいさつをする。その後、宮殿や東宮御所から名称が変更された赤坂御所(東京都港区)で皇族や宮内庁職員から祝賀を受ける行事が午後6時ごろまで続く。
4日には即位を祝う一般参賀が宮殿である。国内外に即位を宣言する「即位礼正殿の儀」と都内をパレードする「祝賀御列(おんれつ)の儀」は10月22日に予定されている。
◎赤坂御所から皇居に向かわれる新天皇陛下。奥は迎賓館=東京都港区で2019年5月1日午前9時53分、丸山博撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/003000g/1
◎「剣璽等承継の儀」のため、皇居に車で入られる新天皇陛下=皇居・半蔵門で2019年5月1日午前9時57分、宮武祐希撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/003000g/2
◎皇居に入られる新天皇陛下=皇居・半蔵門で2019年5月1日午前9時57分、山崎一輝撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/003000g/4
◎「朝見の儀」のため、皇居に車で入られる新皇后雅子さま=皇居・半蔵門で2019年5月1日午前10時48分、宮武祐希撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/003000g/5
◎赤坂御所から出られる新皇后雅子さま=東京都港区で2019年5月1日午前10時41分、宮間俊樹撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/003000g/6
◎赤坂御所から皇居に向かわれる新皇后雅子さま=東京都港区で2019年5月1日午前10時43分、丸山博撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/003000g/7
◎沿道の人たちに手を振りながら赤坂御所に戻られる新皇后雅子さま=東京都港区で2019年5月1日午前11時43分、宮間俊樹撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/003000g/11
◎「即位後朝見の儀」でおことばを述べられる新天皇陛下=皇居・宮殿「松の間」で2019年5月1日午前11時14分、佐々木順一撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/007000g/2
◎「即位後朝見の儀」でおことばを述べられる新天皇陛下=皇居・宮殿「松の間」で2019年5月1日午前11時15分、佐々木順一撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/007000g/1
◎「即位後朝見の儀」でおことばを述べられる新天皇陛下=皇居・宮殿「松の間」で2019年5月1日午前11時14分、佐々木順一撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/007000g/3
◎「即位後朝見の儀」で初めてのお言葉を述べられる新天皇陛下。右は新皇后雅子さま=皇居・宮殿「松の間」で2019年5月1日午前11時14分(代表撮影)
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/007000g/4
◎「即位後朝見の儀」を終え「松の間」を出られる新天皇、皇后両陛下=皇居・宮殿で2019年5月1日午前11時19分(代表撮影)
https://mainichi.jp/graphs/20190501/hpj/00m/040/007000g/5
2019.5.1 00:00 産経新聞
https://www.sankei.com/life/news/190501/lif1905010008-n1.html
皇太子さまは1日、第126代天皇に即位された。30年余り続いた「平成」が終わり、「令和」に同日改元された。平成時代の天皇陛下は4月30日で譲位し、上皇となられた。天皇の譲位は江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。天皇陛下は59歳で、戦後生まれの初の天皇となられた。陛下は5月1日、皇居・宮殿で皇位継承に伴う国事行為「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」と「即位後朝見(ちょうけん)の儀」に臨まれる。
(中略)
剣と勾玉などは5月1日午前0時をもって陛下に引き継がれた。陛下は1日午前に宮殿で行われる「剣璽等承継の儀」に臨み、続く「即位後朝見の儀」で、三権の長らと面会して天皇として最初のお言葉を述べ、即位を告げられる。
今回の譲位は、平成29年6月に成立した、上皇さま一代限りで認める皇室典範特例法に基づいて行われた。
◎新天皇陛下 即位 令和時代幕開け
2019年5月1日 00時00分 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190430/k00/00m/040/214000c
天皇陛下(85)は4月30日に退位され、憲法と皇室典範特例法に基づき、皇太子徳仁(なるひと)さま(59)が1日午前0時、皇位を継承し、新しい天皇に即位された。戦後生まれの初めての天皇で、憲法に規定された3人目の「象徴天皇」となった。1989年1月8日に始まった「平成」は幕を閉じ、新元号「令和」が始まった。
退位による代替わりは、皇位が江戸時代後期の光格天皇から仁孝(にんこう)天皇に移って以来202年ぶり。皇位継承に伴い、皇太子妃雅子さま(55)は新皇后になった。前の陛下は上皇、前の皇后美智子さま(84)は上皇后となった。
新天皇陛下は1日、即位に伴う国事行為の儀式に臨む。午前10時半から皇居・宮殿「松の間」で「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」があり、皇位の証しとされる剣と璽(じ)(まが玉)、天皇が国事行為に使う印章「御璽(ぎょじ)」と「国璽(こくじ)」を受け継ぐ。
午前11時10分からは、松の間で行われる「即位後朝見の儀」で、国民に向けて初めてのおことばを述べる。いずれの儀式も10分程度を予定する。
宮内庁によると、新陛下は126代目の天皇。皇太子となるまでの称号は「浩宮(ひろのみや)」。幼稚園から大学院まで学習院で学んだ。大学院在学中に英オックスフォード大で学び、留学経験のある初めての天皇となる。93年6月に新皇后さまと結婚し、2001年12月に長女愛子さま(17)が誕生した。
(中略)
新天皇ご一家は当面、「東宮御所」(東京都港区)にそのまま暮らす。前の天皇、皇后両陛下が皇居・御所から仮住まいの「高輪皇族邸」(同)に引っ越した後、御所に入る。前の天皇ご夫妻は最終的に改修後の東宮御所に移り、名称は上皇の住まいを指す「仙洞(せんとう)御所」に変更される。
◎新天皇陛下が即位「令和」に改元
2019年5月1日 0時42分 共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/16396541/
新天皇陛下が1日午前0時、皇太子から即位された。30年余り続いた「平成」が終わり、「令和」に改元。新陛下は59歳で、戦後生まれの初めての天皇になった。前天皇陛下は4月30日限りで退位し、上皇となった。
天皇の退位は、江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。今回は2017年6月に成立した、前陛下一代限りの退位を認める皇室典範特例法に基づき行われた。
新陛下は1日午前、宮殿で国事行為の「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」に臨む。皇太子妃だった雅子さまは新皇后に、前皇后美智子さまは上皇后となった。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190430002275.html
◎皇居から東宮御所に戻った皇太子さま=2019年4月30日午後5時47分、東京都港区、江口和貴撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190430002458.html
◎皇居から東宮御所に戻った皇太子ご夫妻=2019年4月30日午後5時47分、東京都港区、江口和貴撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190430002480.html
◎東宮御所から皇居へ向かう愛子さま=2019年4月30日午後5時8分、東京都港区、江口和貴撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190430002251.html
◎皇居に入る皇太子ご夫妻=2019年4月30日午後4時34分、皇居・半蔵門、山本裕之撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190430002073.html
◎東宮御所から皇居へ向かう皇太子ご夫妻=2019年4月30日午後4時29分、東京都港区、江口和貴撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190430002036.html
◎皇太子ご夫妻 皇居に到着 午後5時から退位礼正殿の儀
2019年4月30日 16時38分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011901901000.html
(お車の動画あります)
皇太子ご夫妻は天皇陛下の退位の儀式「退位礼正殿の儀(たいいれい せいでんのぎ)」に出席するため、午後4時半すぎ、半蔵門から車で皇居に入られました。午後5時から、皇居 宮殿の「松の間」で「退位礼正殿の儀」が行われ、天皇陛下が国民への最後のおことばを述べられます。
◎天皇陛下 最後のおことば
2019年4月30日 17時10分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011901961000.html
(動画冒頭に次代天皇皇后両陛下が少し映られます)
◎愛子さま 皇居を後に
2019年4月30日 18:54 日テレ
http://www.news24.jp/articles/2019/04/30/07432323.html
(愛子様のお車動画です!)
4/30(火) 17:36配信 BBC News
(英語記事 The prince taking Japan into a new era)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190430-48103998-bbc-int
BBCモニタリング
日本では4月30日夕、皇居での退位礼正殿の儀を終え、天皇陛下が退位した。5月1日午前0時をもって皇太子徳仁親王(59)が新天皇に即位し、元号が令和に変わる。
新天皇は、これまでの伝統にのっとった天皇とはさまざまな面で異なったアプローチをするとみられている。
徳仁親王は皇太子時代、家族や学業を優先することで、常に周囲の期待に挑戦してきた。
皇太子さまが天皇という立場を、新時代の要請に合わせてどう変えていくのか注目されているが、実際には歴代天皇の伝統の上に、自分なりの天皇としてのあり方を築いていく必要があるかもしれない。
学問に注力
新天皇は、以前とは大きく異なる日本と日本の皇室を代表することになる。
天皇陛下と異なり、徳仁親王は若いころ、自分自身の夢や学問を追求する機会があった。
学習院大学文学部史学科を卒業した後には、1983~1985年に英オックスフォード大学のマートン・コレッジへ留学した。
オックスフォード大学ではテムズ川の水運史を学び、その後、学習院で博士課程の研究を続けた。
オックスフォードでの生活は、徳仁親王に大きな影響を与えた。1993年に発行された回顧録「テムズとともに 英国の二年間」では、この時代を人生で「もっとも幸福な時間」だったと振り返っている。
1991年に皇太子となり、皇族としての責務が重くなった後も、徳仁親王は学問と世界の水運問題への情熱を絶やさなかった。2007~2015年には、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁を務めている。
家族への献身
徳仁親王は30歳まで家族と同居していた。それまでの皇室では、未来の天皇は侍従によって育てられるのが伝統だったが、当時皇太子ご夫妻だったご両親の強い意向で、ご両親に育てられた。
かつては皇位継承者の教育において、皇族としての立場を自覚し、自分よりも国民を優先する姿勢を身につけることが重視されたが、徳仁親王が生まれた時代には、家族との生活も同様に大事だと考えられるようになっていた。
徳仁親王にとっての家族の重要性は、後に皇太子妃雅子さまがストレスによる「適応障害」に苦しんだ時にも表面化した。
元外交官の雅子さまは、皇室での生活や、男子の後継者を生まなくてはいけないという圧力から、2004年に適応障害と診断された。
そのため、徳仁親王は一人娘の愛子さまの子育てで積極的な役割を担い、公務を怠っているという批判から雅子さまを守り、強力に擁護した。
娘の愛子さまも、天皇継承をめぐる議論の的になっている。1947年に制定された皇室典範では、男子だけが天皇の位を継ぐことができる。
2004年、小泉純一郎首相(当時)は、この法律を改正して女性天皇を認め、愛子さまが未来の天皇になる可能性を作り出そうとした。
この計画は2006年、愛子さまのいとこに当たる悠仁さまが生まれたことで中断され、男性後継者がいないという危険は回避された。
令和を迎えて5月1日をもって徳仁親王は新天皇となり、日本は令和の時代を迎える。
令和は「うつくしい調和」を意味し、古代の歌集「万葉集」から引用された。
中国の漢詩などから元号の名前を取る1300年来の伝統も、ここで終わりを告げた。
世論調査によると、日本人の7割以上が令和という新元号を気に入っており、新天皇に対しても好意的だ。
こうした高評価がある一方、変化の激しい日本において新天皇が持つ役割については疑問点が残る。
天皇の任務は象徴的なものがほとんどで、各地をめぐっての国民とのふれあいや、他国の元首や政府高官との会談が主だ。
しかし、第2次世界大戦後に生まれた最初の天皇は、それ以上の変化を期待されているかもしれない。
日本経済新聞は社説で、世界が移り変わる中、この新しい時代に新天皇がどのようにご自身の立場と責任を捉えるのか注視していると述べた。
娘が天皇になれないと定める法律には、特に関心があるだろう。
新天皇が法改正を望むのかどうかに注目がある待っているが、これまでのところ、徳仁親王はこの話題を避けている。
学問びいきの皇太子はその代わり、まずは歴代天皇に学び、公務を続けたいと述べている。
(終わり)
週刊女性PRIME 2019/4/29
https://www.jprime.jp/articles/-/15064
いよいよ間近に迫った新しい天皇陛下のご即位と、新時代令和。
新しい時代の象徴となる新天皇陛下はどんな方なのだろうか。
名は徳仁さま。称号は浩宮。昭和35年(1960年)2月23日生まれ。学歴は学習院幼稚園入園後、学習院初等科、中等科、高等科、学習院大学(文学部史学科)と歩まれてきた。
’83年から’85年にかけ、オックスフォード大学マートン・カレッジにご留学。’88年には学習院大学大学院人文科学研究科の博士前期課程をご修了。専攻は歴史学。
ご趣味は登山、ヴィオラ演奏、ジョギングなど。またお酒も嗜(たしな)まれ、たいそう“お強い”との評判も。
言うまでもなく、皇太子として公務と国際親善に努められてきた。また、'03年よりご病気の療養に入っている妻の雅子さまを支え、聡明と評判の長女・愛子さまの教育にも力を入れられてきた。
仕事と家庭両面にベストを尽くす誠実さはまさしくご両親譲りのもの。ここでは、そんな新天皇陛下のさらなる内面や成長過程がうかがえる文章をご紹介したい。
学習院初等科の卒業文集。徳仁さまの徳を取った『徳桜集』という文集で卒業生らが2つのテーマで文章を寄せている。1つは『思い出』、もう1つは『二十一世紀からこんにちは-二〇〇一年〇月〇日の手紙-』。
つまり、学校生活の思い出と、将来の自分についての作文ということ。殿下の“12歳の地図”まずはご一読を。
<テーマ:思い出>
思い出の修学旅行 徳仁親王
長い長いと思われた初等科時代も、あとわずかになった。ここで、今までの六年間をふり返ってみる時、ぱっとぼくの心の中に浮かび上がるのは、なんといっても、六年生の春に行った福島への修学旅行だ。
福島駅で列車を降りると、出発した上野駅とは変わった東北地方特有のひんやりした風が吹いていた。ぼくたちをむかえてくれる風のような気がした。長い間の列車の中の退屈した気分を吹き飛ばしてくれたのだ。スモッグがひどく、空気のよごれた東京よりも、すがすがしい空気の中で暮らせる福島の人たちはしあわせだと思った。
車窓から見えた安達太良山・磐梯山などは、古い古い過去を物語ってくれるようだ。そう、安達太良山といえば、高村光太郎作の(あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川)という詩を思い出す。しかし、実際にはそのとき、ぼくは、この詩を部分的にしか知っていなかった。この詩の全容に出会ったのは、その夏である。磐梯山についていえば、(会津磐梯山は宝の山よ)という、あの有名な歌……。
翌日行った中で、いちばん印象深かったのは飯盛山だった。ここは白虎隊十九士の墓のある所だ。墓の前に立つと、ぷうんと線香のにおいが鼻を突く。昔の人はここを通るとき、きっと墓石に涙を注いだことだろう。ぼくもここに、自分の家の花をささげたいような気がした。戸の口原で戦って負け、飯盛山に逃げて、鶴が城が焼けているのを見、自殺した。ほんとうは、城は焼けていなかった。あわれな最期であった。死にさいして、彼らの心の中にあった思いは、どんなものであっただろうか、ぼくはその後も折々考える。
修学旅行は、ぼくたちにすばらしい思い出を与えてくれた。風景の美しさ、集団生活の楽しさ。さらにこの思い出は、後の歴史の勉強などにも大いに役立つことだろう。福島県下の旅行と初等科時代の思い出は、ぼくの心の中で、切っても切りはなせない思い出となり、いつまでも残ることだろう。
<テーマ:「二十一世紀からこんにちは-二〇〇一年〇月〇日の手紙-」> 徳仁親王
みなさん、お元気ですか。わたくしは、今、大学で、日本史を教えています。
この間、学生たちに美しい平城京の姿を知ってもらいたいと思い、奈良に行ってきました。初めに東大寺などの寺院を見ました。ふり返ってみれば、わたくしがこの東大寺を訪れたのは、今から三十数年前、たぶん初等科四年生のころだったと思います。幸いに、大仏も四天王も当時と変わらず大切に保存されています。ふくうけんじゃくの美しい姿も変わっていません。ほっとして外へ出れば、若草山・春日山・三笠山などがなつかしい姿を見せています。それを望んでいると、どこからともなく、(天の原、ふりさけ見ればかすがなる、三笠の山に出でし月かも)という歌がわたくしの耳をかすめ、再び永遠の彼方に消え去っていくような気がしました。空を見上げれば、雲一つありません。この晴れ渡った空を、昔の人はどう思ったでしょうか。わたくしは、あれやこれやのことを、「奈良見物記」という題で本にまとめました。
これは余談になりますが、旅先の旅館におりますと、山鳥の声が微妙に悲しげに響いてきます。夜は、マッチぼうを散りばめたように星が光っておりました。自然はいいなあと、何度思ったか知れません。
そうしている間に、ついに帰京する日が来ました。古い歴史を語る奈良に、わたしは、いつまでもいつまでも自然や遺跡が保存されることを願ってやみません。
ではみなさま、くれぐれもおからだを大切に、さようなら。
いかがだろうか。まず美しい自然と文学を愛(め)で、歴史と文化を学ぼうとする素直な心が伝わってくる。
「趣味が登山ということからもわかりますが、殿下は自然と美しい景色を愛するロマンチストですね。そこは少年時代から今も変わっていないといえるでしょう」(全国紙宮内庁担当記者)
また、白虎隊の悲劇に思いを寄せたのは、高祖父(ひいひいおじいさん)の明治天皇を押し立てた官軍と会津藩の戦いの歴史の因縁を感じてのことなのかもしれない。
また、「二十一世紀から」のほうは皇太子、天皇となる定められた将来を知りながら、愛する歴史に携わる未来にも思いを馳せる健気な文章だ。
(中略)
やがて関心は道から海上交通につながり、大学の卒業論文は瀬戸内海の海上交通史、オックスフォード大学での論文はテムズ川の交通史について。
「海上交通から関心は水全般に移り、かつて国連の『水と衛生に関する諮問委員会』の名誉総裁を務められるなど、水は殿下のライフワークになっています。少年時代の歴史愛がライフワークにつながっていったということですね」(渡邉(みどり)さん)
殿下は間もなく天皇としての“道”が始まるわけだが、その誠実なお心で国民とともに歩んでいかれることは間違いない。
(終わり)
4/28(日) 6:23配信 テレ朝
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190428-00000002-ann-soci
(動画あります)
三笠宮家の彬子さまは26日、都内で皇室文化の継承について講演し、「代々伝えられてきた重みを感じながら御代替わりの儀式に臨みたい」と話されました。
彬子さまは午後、時代とともに女性皇族の衣装が変遷していることを例に「皇室文化の継承」について講演されました。そのなかで、祖母の百合子さまが大正天皇の妻の貞明皇后から受け継いたブローチを最近、譲り受けたことも明かされました。彬子さまは「代々伝えられてきた重みをしっかり感じながら、ブローチを身に着け、御代替わりの儀式に臨みたい」と話されました。会場には即位を控えた皇太子さまもプライベートで訪れていて客席から拍手を送られていました。
◎皇太子さま、彬子さまの講演聴講=「お忍び」で学習院大に
4/27(土) 19:04配信 時事通信社
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190427-00000088-jij-soci
皇太子さまは27日午後、東京・目白の学習院創立百周年記念会館で行われた「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美-」展関連シンポジウムを「お忍び」で聴講された。
三笠宮家の彬子さまが「伝えるもの、伝わるもの-明治から平成をつなぐ皇室文化-」と題し基調講演。
新天皇即位を4日後に控えた皇太子さまの出席について「大変ありがたく幸せに思っています」と述べた。皇太子さまは客席で熱心に聞き、拍手を送った。
◎皇太子さま 彬子さまの講演をお忍びで聴講
2019年4月27日 21:05 日テレ
http://www.news24.jp/articles/2019/04/27/07431830.html?fbclid=IwAR3PMcmVbV-bs4XobcZ9ra7z3v2asPKpMdbH5qbqvzq6qK8uL2xaik20E5o
(動画あります)
彬子女王のおことば
「本日は皇太子殿下もお成りいただいております。お話し申し上げます内容をきっと一番ご存じなのは殿下なので…」
4/25(木) 18:23配信 時事
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190425-00000114-jij-soci
(お車のお写真あります)
皇太子ご夫妻は25日午後、皇居・宮殿を訪れ、5月1日に行われる即位関連儀式のリハーサルに臨まれた。
新天皇が皇位の象徴である剣や勾玉(まがたま)などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」や、初めて三権の長らに会う「即位後朝見の儀」の手順などを確認したとみられる。
ご夫妻を乗せた車は午後4時ごろ、半蔵門から皇居内へ。皇太子さまは白のちょうネクタイ、雅子さまは薄い水色の洋装で、集まった人たちに笑顔で手を振って応えていた。皇居内には1時間20分ほど滞在。再び半蔵門を出て皇居を後にした。
◎皇太子ご夫妻 即位当日の儀式をリハーサル
2019年4月25日 18:23 日テレ
http://www.news24.jp/articles/2019/04/25/07431275.html
(動画あります)
4/24(水) 23:33配信 日テレ
http://www.news24.jp/articles/2019/04/24/07431107.html
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190424-00000271-nnn-soci
皇太子ご夫妻は24日、東京・上野の博物館で、天皇皇后両陛下の文化交流に関する特別展を鑑賞された。
皇太子ご夫妻は東京国立博物館を訪れ、特別展「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」を鑑賞された。天皇陛下の即位30年を記念したこの特別展では、両陛下が海外訪問の際に紹介された皇室ゆかりの美術品などを展示し、日本の文化と両陛下の足跡を紹介している。
ご夫妻は、1990年、陛下の即位に伴う「大饗の儀」で飾られた大和絵の屏風(びょうぶ)などを時折、顔を寄せてのぞき込みながら熱心に鑑賞された。皇太子さまが新天皇に即位後、今年11月に行われる行事でも、新しい屏風が作られることになる。
今月29日まで開催されている。
2019年4月24日 午後8時03分 福井新聞
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/842216
(お写真あります)
皇太子ご夫妻は24日、東京・上野の東京国立博物館を訪れ、天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―日本美を伝える」を鑑賞された。天皇代替わりを前に、住まいの東宮御所や皇居以外で行う最後の公務となる見通し。
特別展では、陛下の即位に伴う皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」の儀式に用いられた、日本画家・高山辰雄作のびょうぶのほか、天皇、皇后両陛下が外国訪問時に持参した宮内庁所蔵の美術品などを展示。両陛下も3月に鑑賞した。
ご夫妻は展示品を熱心に見て回り、時折顔を近づけて言葉を交わしていた。
19日 11時14分 TBS
https://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye3652156.htm
(動画の中に新ルートの地図あります)
今年10月に行われる新天皇の即位を祝うパレードのルートについてです。政府が、「平成の代替わり」のルートではなく、国会図書館や自民党本部前を通過するルートで調整していることが分かりました。
皇太子さまは10月22日に即位礼正殿の儀で自らの即位を国の内外に宣言し、その後の祝賀御列の儀で皇居から現在の東宮御所まで車列によるパレードを行います。政府はパレードのルートについて検討を重ねてきましたが、前回の「平成の代替わり」の際とは異なるルートを採用する方向で調整していることが、政府関係者への取材で分かりました。
「分かれ道となるのは、こちらの交差点です。直進すれば前回と同じルートですが、左折して自民党本部前を通過する案で調整が進んでいます」(記者)
政府関係者によりますと、新しいルートは、国会正門前を右折するところまでは前回と同じですが、その後まもなく左折して、国会図書館や自民党本部前を通過します。この場合、日差しを遮る首都高速の高架下を通る距離が短くなるほか、皇居を取り囲む内堀通りの交通規制の範囲が狭められるということです。
現在、このルートを採用する方向で調整が進んでいて、新天皇の即位後に正式に決定される見通しです。
2018.4.6 18:01 産経
https://www.sankei.com/life/news/180406/lif1804060033-n1.html
宮内庁東宮職は6日、皇太子ご一家が3月26~30日にかけて長野県の奥志賀高原でご静養された際、長女の敬宮(としのみや)愛子さまがスキーを楽しまれている姿を収めた写真と映像を公開した。
東宮職によると、愛子さまは奥志賀高原や焼額山のゲレンデに足を運び、周囲の山の景色を楽しみながら滑られた。愛子さまは毎年春のご静養でスキーをしており、今回も傾斜の急なコースに挑戦されたという。
今年は1月にも友人らとスキー合宿に参加するため奥志賀高原を訪れたが、インフルエンザに感染し、スキーをせずに帰京された。
◎愛子さま 軽やかに滑走 長野でのスキー映像公開
2019.4.19 21:43 共同通信
https://www.47news.jp/3488077.html
◎愛子さまの春休みのスキー映像公開 宮内庁
20日 1時08分 TBS
https://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye3652813.htm
皇太子ご夫妻の長女・愛子さまの春休みのスキー映像が公開されました。
急な斜面を軽やかに滑走される愛子さま。宮内庁は、現在、学習院女子高等科3年の愛子さまが、春休みに長野県の志賀高原でスキーを楽しまれる様子を公開しました。先月下旬のご一家での静養の際に撮影されたもので、愛子さまはご夫妻とともに周囲の自然を楽しみながら斜面の急なコースや眺めのよいコースを滑られたということです。
また、愛子さまはさらにスキーが上手くなりたいと希望して、春休み中に再び長野県を訪れ、3日間にわたってスキースクールに参加する機会をもたれたということです。
◎愛子さま、長野でスキーを楽しむ 宮内庁が写真公開
2019年4月19日19時08分 朝日
https://www.asahi.com/articles/ASM4M624JM4MUTIL04Q.html
宮内庁は19日、皇太子ご夫妻の長女・愛子さま(17)がスキーを楽しむ様子の写真と動画を公開した。
だ平成
皇太子ご一家は3月25~29日、長野県内で静養。宮内庁によると、愛子さまは今年も奥志賀高原や焼額山のスキー場で、ご夫妻とエキスパートコースなどでスキーを楽しんだという。
時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/d4?p=kou701&d=d4_sta
◎「令和」発表後 初の外出 皇太子ご夫妻 音楽会へ 4/2(火) 17:42配信 FNN
https://www.fnn.jp/posts/00415511CX/201904021742_CX_CX
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20190402-00415511-fnn-soci
皇太子ご夫妻は2日午後、音楽会に出席するため、皇居に到着された。新たな元号「令和」の発表後、皇太子ご夫妻が外出されるのは初めて。2日午後5時前、皇太子ご夫妻は皇居・半蔵門に到着された。1日、お住まいの東宮御所で、宮内庁幹部から新たな元号「令和」について報告を受け、にこやかに「わかりました」と述べられた皇太子さまは、雅子さまと共に元号発表後、初めて外出し、車の窓を開け、笑顔で手を振られた。
皇居では、午後5時から、天皇皇后両陛下の結婚60年と陛下の即位30年を祝う音楽会が行われ、ご夫妻は両陛下や秋篠宮ご夫妻と共に出席されている。
◎天皇皇后両陛下、即位30周年音楽会に TBS
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3637510.html
新たな元号発表後初めて、天皇皇后両陛下と皇太子ご夫妻が、メディアの前に姿を見せられました。皇居では2日、天皇陛下の即位30年と両陛下の結婚60年を祝う音楽会が開かれ、両陛下が皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻、長女の黒田清子さんと共に鑑賞されました。新たな元号が決まってから、両陛下と皇太子ご夫妻が、メディアの前に姿を見せられるのは初めてです。音楽会では、歌手の由紀さおりさんが、陛下が2012年に心臓の手術を受けた後、リハビリの際に聴かれていたという「夜明けのスキャット」などを披露しました。ご一家はさかんに拍手を送り、最後の「故郷」合唱では、一緒に口ずさまれていました。
◎両陛下、新元号決定後初の姿 皇太子さまらと音楽鑑賞 2019/4/2 19:06 共同通信
https://this.kiji.is/485747349923349601?c=388701204576175201
天皇、皇后両陛下の結婚60年と、陛下の即位30年を祝う宮内庁幹部ら主催の音楽会が2日、皇居・東御苑の音楽堂「桃華楽堂」で開かれ、両陛下が鑑賞された。皇太子、秋篠宮両ご夫妻や、両陛下の長女黒田清子さんも同席。新元号が「令和」と決まって以降、ご一家でメディアの前に姿を見せる初の機会となった。
両陛下と親交のある作詞家阿木燿子さんと、夫のロック歌手宇崎竜童さんが前半の進行役を務めた。宇崎さんが舞台上から「昨日、新元号が決定いたしました。30年間ありがとうございました」と述べると、陛下は笑顔を見せた。
◎両陛下、皇居で音楽会ご臨席 2019.4.2 19:01 産経
https://www.sankei.com/life/news/190402/lif1904020050-n1.html
天皇、皇后両陛下は2日、皇居内で、天皇陛下の即位30年と結婚60年を祝う音楽会に臨席された。宮内庁幹部らが主催し、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻がご陪席。新元号決定後、ご一家で公の前に初めて姿を見せられた。音楽会には歌手の由紀さおりさんらが出演。陛下が詠んだ琉歌(りゅうか)に皇后さまが曲をつけた「歌声の響」や、陛下が平成24年に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた後、皇后さまがリハビリのBGMとして病室でかけた由紀さんの「夜明けのスキャット」も披露され、両陛下は盛んに拍手を送られていた。
■4月10日の両陛下結婚60年祝賀における東宮ご一家のお写真。
◎天皇、皇后両陛下の結婚60年の祝賀行事にのぞむ皇太子ご夫妻=2019年4月10日午前11時1分、皇居・宮殿「松の間」、嶋田達也撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190410001520.html
◎結婚60年の祝賀行事で、皇太子ご夫妻からあいさつを受ける天皇、皇后両陛下=2019年4月10日午前11時、皇居・宮殿「松の間」、嶋田達也撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190410001249.html
◎皇居に入る愛子さま=2019年4月10日午後5時21分、皇居・半蔵門、山本裕之撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190410003457.html
◎皇居に入る愛子さま=2019年4月10日午後5時21分、皇居・半蔵門、山本裕之撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190410003464.html
◎皇居に入る皇太子ご夫妻=2019年4月10日午後6時54分、皇居・半蔵門、山本裕之撮影
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190410003701.html
◎甲府市最高峰、金峰山を詠む 皇太子さまの和歌 記念碑を贈呈 2019.03.27 19:20 UTYテレビ山梨
http://www.uty.co.jp/news/20190327/5591/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
皇太子さまが甲府市の最高峰、金峰山を詠んだ和歌の記念碑が3月27日、山梨県甲府市に贈られました。皇太子さまの和歌を記念した木製の碑を作ったのは、甲府市などの山の管理を行っている中央森林組合で市役所に贈呈し披露されました。
皇太子さまは今年1月の歌会始の儀で「雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰の峰に」と詠まれました。これは皇太子さまが高校1年生の時に甲府市最高峰の金峰山を登った思い出を詠んだものです。
和歌は高さ2メートルの県産の杉に彫られています。
この碑は市役所の1階、展示スペースに飾られています。
■新潟村上市で、雅子様のおしるし「ハマナス」のお酒が販売
◎雅子さまの「お印」ハマナスの酵母で日本酒 新潟 村上 2019年4月10日 15時12分 NHKhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20190410/k10011879321000.html
来月1日に元号が「令和」に改められるのを前に、新潟県村上市で、皇太子妃の雅子さまの「お印」、ハマナスの花の酵母を使った日本酒が販売されることになりました。
新潟県村上市は雅子さまの実家 小和田家の先祖が代々、旧村上藩の藩士だったゆかりの深い地域で、市内の酒造会社「大洋酒造」は、来月、雅子さまが皇后になられることを祝って新しい日本酒を造っています。
この酒は雅子さまの「お印」、ハマナスの花の酵母を原料に使っているのが特徴で、現在、瓶にラベルを貼るなど出荷に向けた作業が進められ、今月19日から「大洋盛 雪華光」という名前で販売される予定です。
ハマナスを原料にした理由について酒造会社は、雅子さまの「お印」であるとともに村上市の市の花でもあり、ほのかで上品な香りが雅子さまにふさわしいと考えたということです。
大洋酒造の村山智社長は「村上の人にとって、雅子さまが皇后になられるのは大変光栄です。2年がかりで酒造りをしてきました。できるだけたくさんの人に味わってもらいたいです」と話していました。
◎令和は「Beautiful Harmony」外務省が英語の趣旨説明 2019年4月3日 18時18分 毎日
https://mainichi.jp/articles/20190403/k00/00m/010/247000c
外務省は、平成に代わる新元号「令和」について外国政府に英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示した。今月1日の新元号発表後、「令」を「order=命令、秩序など」と訳す外国メディアがあったのを受けた措置で、外国メディアにも個別に説明している。
「令和」の発表後、国際的に影響力が大きい英BBC放送が「order and harmony」と表すと報道。「令」については「Command=指令」を意味すると報じる欧米メディアもあった。外務省の担当者は「令和の意味を正確に訳すのは難しいが、全く異なる解釈をされるのを避けるため、趣旨を伝えることにした」と述べた。
外務省内では「令」が律令など法律の意味で使われることがあることから、「『令和』は『法の支配に基づく平和』とも解釈でき、日本の外交姿勢になじむ」といった声も出ている。
■「令和」の手話は「つぼみが開いて花が咲く」を表現するものに決定。
◎“つぼみ開いて花咲くように”「令和」手話表現 決まる 2019年4月2日 18時46分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/k10011870881000.html
新しい元号「令和」について、手話の表現を作成する団体は、つぼみが開いて花が咲くように指先をゆっくりと開く動きを手話の表現として採用することを決めました。
新しい表現を考案したのは手話の団体の一つで国から手話表現の作成や普及を委託されている京都市右京区の「全国手話研修センター」で2日、京都府庁で開いた記者会見で発表しました。
手話作成部門の責任者高田英一さんが披露した「令和」の手話表現には「5本の指先をゆっくりと開きながら前に出す動き」が採用されています。選考にあたっては出典となった万葉集の歌が花の美しさをたたえていることを踏まえ、指先をゆっくりと開く動きには、春先につぼみが開いて花が咲く様子を、その手を前に押し出す動きには「未来へ進んでいく」という意味を込めたということです。
全国手話研修センターは、令和を手話で表現する動画を2日からホームページで公開し、今後、普及に努めていくことにしています。高田さんは「日本だけでなく世界に広がって、障害のあるなしにかかわらずコミュニケーションに使われることを期待しています」と話しています。
・「令和」の手話が決まるまで
京都市右京区の「日本手話研究所」は、厚生労働省から手話の普及などの事業を委託されている「全国手話研修センター」の部門の一つで、新たなことばに対応する手話の作成を担っています。
1日はテレビで新しい元号が発表されると、職員たちが早速手話づくりに取りかかり、全国の9つの地区から集まった案をもとに手話で議論を交わしました。
この中では「令和」にふさわしいのは「未来へ進んでいく」という意味を込めた、手をそっと前へ押し出す動きや、「和」などを表す手で円を描く動き、それにつぼみが咲き開くようなイメージで指先をそっと開く動きといったさまざまな意見が出ました。
その結果、日常生活で使いやすいようできるだけ動きを簡単にすべきだとして、全会一致で「花のつぼみのように閉じた片手の5本の指をゆっくりと開きながら前に出す動き」に決まりました。
日本手話研究所の高田英一所長は「『今は寒いけれど、春になって花が咲くこと』を表しています。平和で和やかな、気持ちの明るい日本を作ろうという気持ちを込めました。誰でも使いやすい、楽しく意味のある手話を作ったと思っているので、ぜひ皆さんに使ってほしいです」と話していました。
■「令和」の慶祝カラーが選定されました!(梅・菫・桜)
◎「令和 慶祝カラー」は梅・菫・桜の3色、日本流行色協会が発表 2019年4月3日 14時55分 ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/16260568/
日本流行色協会が、「令和 慶祝カラー」として「梅」「菫」「桜」を選定したことを発表した。「令和 慶祝カラー」は、令和が「万葉集」の梅花の歌32首の序文をもとに選ばれたことから、春の訪れを知らせる日本の代表的な花にちなんで選定。「自然の美しさを愛でる穏やかな日々が未来永劫続くように」という願いが込められている。
・令和 慶祝カラー
<梅(うめ)>系統色名:モデレート・パープリッシュ・ピンク。マンセル値:3.4RP7.4/6.8
<菫(すみれ)>系統色名:ダーク・パープル。マンセル値:7.1P2.9/3
<桜(さくら)>系統色名:ペール・パープリッシュ・ピンク。マンセル値:2.8RP8.8/2.7
※系統色名:色相、トーンなどにより系統的に分類した色名
※マンセル値:マンセル・カラーシステムによる色の数値表現。マンセル・カラーシステムは色を数値的に表すための表色系のひとつで、色を「色相」「明度」「彩度」の3つの属性で表現している。
■大嘗祭に納められる織物の原料となる麻の種まき式が徳島で行われました。
◎令和の大嘗祭に納められる特別な織物 原料の麻の種まき式 徳島 2019年4月9日 16時19分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190409/k10011878141000.html
皇太子さまの即位に伴ってことし11月に行われる伝統儀式「大嘗祭」(だいじょうさい)に納められる特別な麻の織物、「麁服(あらたえ)」の制作に向け、原料となる麻の種まき式が徳島県美馬市で行われました。
「麁服」は、新たな天皇の即位に伴って行われる一連の儀式の中でも「一世に一度」の重要な儀式とされる「大嘗祭」に「神の衣」としてまつられる特別な麻の織物です。
徳島県の「阿波忌部氏」(あわいんべし)と呼ばれる一族が、代々、皇室に納めてきました。
美馬市木屋平地区では、ことし11月の「令和の大嘗祭」に納められる「麁服」の原料となる麻の栽培が大正、昭和、平成に続いて行われることになり、9日種まき式が行われました。
式には「阿波忌部氏」の子孫にあたる三木信夫さんをはじめ、地元の関係者などおよそ70人が参列しました。
白い衣装を身にまとった三木さんたちは、麻を育てるために設けられた畑に入り、まず塩や酒で畑を清めたあと、地面に掘られた溝に麻の種をまき、丁寧に土をかぶせました。
このあと地元の子どもたちによる獅子舞の奉納などが行われ、麻が無事に育つよう祈りました。
三木さんは「豊作への思いをこめて種をまきました。無事に麁服ができあがることを願っています」と話していました。
9日まかれた麻の種は10日ほどで芽を出し、7月に収穫されるということです。
◆麁服は大嘗祭にまつられる麻の織物
麁服の歴史は、大嘗祭が始まったとされる7世紀、新元号「令和」の出典として今、注目を集めている万葉集が詠まれたころまでさかのぼり、代々、徳島県の「阿波忌部氏」と呼ばれる一族が皇室に納めることとされてきました。
しかし、戦乱などの影響で、南北朝時代から明治時代にかけて、徳島からの麁服はいったん途絶え、大正天皇の即位に伴う大嘗祭でその伝統が復活しました。
大正時代から麁服の原料となる麻を栽培してきた徳島県西部の山間部にある美馬市木屋平地区では、天皇陛下の退位が決まったおととし、地元の有志がNPOを設立して、準備を進めてきました。
去年10月には、麻を栽培する畑の地鎮祭が行われ、1年余りに及ぶ麁服づくりが始まりました。9日の種まきでいよいよ栽培が始まり、7月には3メートルほどの高さにまで成長した麻の収穫が行われます。刈り取った麻は2か月ほどかけて糸にされ、古代に阿波忌部氏が拠点を置いたとされる吉野川市の神社で布に織られます。
そして、ことし10月には東京の皇居に納められ、11月14日から15日にかけて行われる大嘗祭で新しい天皇によってまつられることになります。
■5月4日の新天皇陛下即位の一般参賀は6回!併せて記帳も行われます!
◎新天皇即位の一般参賀は6回=5月4日皇居で-宮内庁 4/10(水) 17:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190410-00000107-jij-soci
宮内庁は10日、皇太子さまの新天皇即位に伴い5月4日に皇居・宮殿で行われる一般参賀の要領を発表した。参賀は午前10時ごろから午後3時ごろまで、1時間おきに計6回予定されている。
同庁によると、1回目から3回目は新天皇、皇后両陛下のほか、皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまと同妃紀子さま、他の成年皇族方が宮殿・長和殿のベランダに立たれる。4回目以降は新両陛下と秋篠宮ご夫妻、ご夫妻の長女眞子さま、次女佳子さまが出席する予定。退位し、上皇、上皇后となる天皇、皇后両陛下は参加しない。
参賀者は午前9時半~午後2時半に皇居正門(二重橋)から入り、宮殿東庭の参賀会場を経て、坂下門、桔梗門、大手門、平川門、北桔橋門、乾門のいずれかから退出する。
また、5月4、5両日は同庁の正倉院事務所(奈良市)、御料牧場(栃木県)、京都事務所(京都市)などでお祝いの記帳を受け付ける。時間は午前9時から午後4時まで。
◎新元号は「令和」(れいわ) 万葉集典拠、国書由来は初 2019年4月1日11時58分 朝日
https://www.asahi.com/articles/ASM3Z4V6QM3ZUTFK007.html?iref=comtop_8_01?iref=pc_extlink
菅義偉官房長官は1日午前11時40分ごろ、首相官邸で記者会見し、新しい元号は「令和(れいわ)」と発表した。典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万葉集」。日本で記された国書に由来する元号は確認できる限り初めてとなる。元号を改める政令は即日公布され、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に施行される。
天皇退位に伴う改元は憲政史上初めて。1989年1月に始まった「平成」は、残り1カ月で幕を閉じる。
万葉集にある歌の序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」(書き下し文)から二文字をとった。
新元号は645年の「大化」から数えて、248番目。「大化」から「平成」までは、確認されている限り中国の儒教の経典「四書五経」など漢籍を典拠としており、安倍政権の支持基盤である保守派の間には国書由来の元号を期待する声があった。安倍晋三首相は記者会見して典拠を万葉集とした理由について「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と説明した。
元号の選定手続きは1日午前9時ごろから始まった。政府の要領に沿って、菅氏は横畠裕介・内閣法制局長官の意見を聴いたうえで、元号の原案として数案を選定した。午前9時半すぎから、ノーベル賞受賞者の山中伸弥京大教授ら、各界の有識者9人による「元号に関する懇談会」に原案を提示。元号候補とその典拠、意味などについて説明し、メンバーそれぞれから意見を聴いた。
菅氏は午前10時20分ごろから衆院議長公邸で、大島理森衆院議長ら衆参両院の正副議長の意見を聴取。その後、全閣僚会議を開き、新元号を記した元号を改める政令を臨時閣議で決定した。元号を改める政令は天皇陛下の署名・押印、官報掲載を経て、1日中に公布される。憲法は政令の公布について、天皇が内閣の助言と承認の下で行う国事行為の一つと定めている。
新元号の公表に先立ち首相官邸は、宮内庁を通じて天皇陛下と皇太子さまに閣議決定後に新元号を伝達した。政府は前回の改元でも、即位直後の天皇に「平成」を事前伝達している。
新しい元号をめぐって政府は、「平成」が始まって間もない時期から、国文、漢文、日本史、東洋史などの学者に元号の考案を水面下で依頼。今年3月14日付で正式な委嘱手続きをとった。政府は「元号に関する懇談会」に示した原案すべてについて、考案者を記した記録を公文書として残すが、当面は明らかにしない方針だ。
政府は元号について、国民の理想としてふさわしいようなよい意味▽漢字2字▽書きやすい▽読みやすい▽これまでに元号またはおくり名として用いられたものでない▽俗用されているものでない(広く一般に使われていない)――の六つの要件を定めている。
天皇陛下は4月30日に退位。5月1日に皇太子さまが即位し、新元号が始まる。天皇退位に伴う改元は、光格天皇の退位で「文化」から「文政」に改元された1818年以来、約200年ぶり。
◎令和、発表前に皇太子さまへ 「わかりました」にこやか 2019年4月1日19時04分 朝日
https://www.asahi.com/articles/ASM415DCQM41UTIL03H.html
新元号とともに天皇に即位する皇太子さまや、現在の天皇陛下に新元号が伝えられたのは、菅義偉官房長官が発表する直前の1日午前11時半過ぎだった。
新元号は官邸での臨時閣議で正式決定した後、杉田和博官房副長官から宮内庁の山本信一郎長官に電話で伝えられた。その後、山本長官が赤坂御用地の東宮御所で待機していた西村泰彦次長に電話。西村氏はメモを取り、一対一で皇太子さまに見せた。万葉集からの出典とも伝えた。皇太子さまはにこやかな表情で「わかりました」とこたえたという。
天皇陛下にも同じ頃、皇居・御所で山本長官から一対一で伝えられた。「いつものような表情でお聞きいただいた」という。陛下はその後、官邸から届けられた新元号に関する政令に署名・押印した。安倍晋三首相はこの日、陛下や皇太子さまに面会しなかった。
◎【新元号】皇太子さま「にこやかにお聞き届けいただいた」 西村宮内庁次長
2019.4.1 12:07 産経
https://www.sankei.com/life/news/190401/lif1904010029-n1.html
宮内庁の西村泰彦次長は1日、新元号について天皇陛下には山本信一郎長官から、皇太子さまには西村次長から、それぞれ報告されたと明らかにした。
皇太子さまは「にこやかにお聞き届けいただいた」(西村次長)という。
■新元号「令和」に込められた意味とは
◎“神様のお告げ”新元号「令和」に込められた意味とは? 日本語学者・金田一秀穂氏らが解説 2019年4月1日 月曜 午後2:20 FNN
https://www.fnn.jp/posts/00044460HDK
・「平成」の次の元号が「令和」に決定。出典は「万葉集」梅花の歌
・「令」の字が元号に使われるのは初めて。金田一氏「古くは”神様のお告げ”という意味」
・「和」が使われるのは20回目。的場氏「争わないで和を保つという、よい意味」
4月1日午前11時40分すぎ、菅官房長官が平成に代わる次の元号を「令和」と発表した。
その直後、日本語学者の金田一秀穂氏は、新しい元号「令和」の第一印象を次のように語った。
金田一秀穂氏:「令」というのは、古い意味では“神様のお告げ”という意味。そして、“皆が仲良く“ということなんだろうと思います。いい言葉なのではないでしょうか。悪くないですよ。ただ、「和」は昭和の「和」だったから、そういうのは選ばれないのかなと思っていましたけれど。
新元号の「令和」は、8世紀に完成し、さまざまな身分の人が詠んだ4500首以上を収録している日本最古の和歌集『万葉集』の梅花の歌を出典としている。
初春の令月にして
気淑く風和らぎ
梅は鏡前の粉を披き
蘭は珮後の香を薫らす
(『万葉集』梅花の歌)
安倍首相の会見を前に、この歌から引用された新元号に込められた意味を、金田一氏と元官房副長官の的場順三氏が解説した。
金田一秀穂氏:冬から春にかけての気持ちがいい、新しい1年が始まっていく期待感ですよね。新鮮さというんですかね。その表れだろうと思います。引き締まるような神様の言葉が含まれる季節、ということなんだろうと思います。
的場順三氏:前回も実は、国文学の先生にお願いをしたんです。ところが結局、「源氏物語」と「枕草子」と「古今和歌集」みたいな話になってしまって、どうも適当なものがなかったという話なんです。それで、とうとう「万葉集」から選べるようになったかということが1つ。それから、2文字目の昭和の「和」には、それぞれが自己主張してバランスがとれていない現在の世界情勢についてでしょうか。「神様のお告げで、これから春になって和を保っていこう」という意味合いではないかと。だから、ものすごく時代に即したものではないでしょうか。元号は、これまで中国の古典から引用されることが続いていたが、今回の「令和」は日本の古典からの出典となった。
金田一秀穂氏:「和漢朗詠集」とか「万葉集」とかにそういうのがあるわけで。いま調べたら、令月というのはおめでたい月だと。全ての物事を行うのによい月だと。だから、始まりのとってもいい月なんだよということですね。
「和」という字が元号に使用されるのは今回で20回目となるが、「令」という字は初めてだ。
金田一秀穂氏:ちょっと神様っぽいから、あまり…ということはあったんだろうとは思います。「神のお告げ」というようなことがありますからね。神様に代わって自分たちが命令、法令を下すということですね。だから、いい月、とてもおめでたいのです。風が穏やかで和やかであると。とても季節感あふれる言葉とでも言えばいいでしょうか。
的場順三氏:古来から日本の神様は争わないじゃないですか。それぞれすみ分けて。世界の神様は争っているでしょう。
金田一秀穂氏:日本にも争う神様はいますけれどね。
的場順三氏:争わないで和を保つという意味で、非常にいい意味だと僕は思いますね。それから、国文学から出たというのが1つのエポックだと思いますね。