四万十凸凹隊 ごぞまる絵日記

四万十川水系を中心に沈下橋を見て回りました

木屋ケ内橋

2012年07月06日 | 四万十町の沈下橋
木屋ケ内橋を紹介しちゃいます(^O^)/

木屋ケ内(こやがうち)沈下橋を紹介する上で抜きに話せないのが、津賀ダムです。
これ前回使ったフレーズです。(^◇^)

四万十川本流には、ダムがないといわれますが、1次支流の梼原川には、ちゃんとしたダムがあります。
以前紹介した家地川ダム(佐賀取水堰)は、高さが8.0mであるため、正式にはダムでありませんが、津賀ダムは、高さ45mありますのでれっきとしたダムとなります。
梼原川の水は、ここより導入トンネルを経て四万十町十和にある津賀発電所に送られ、本流である四万十川に放流されます。
よって取水された水は、二度と梼原川には戻りません。

津賀発電所 四万十川放流部 冬

津賀ダムは、第2次世界大戦末期である昭和19年に本土決戦のための電源確保のため作られました。
今作るとなると反対運動とか起こるわけですが、当時はそんなこと言う人などいるわけもなく急ピッチで作られました。

梼原川は、ダム建設前の水量から大幅に減少していることになります。
木屋ケ内沈下橋のあるところは、以前は渡し船が使用されていましたが、水量が減ったため渡し船を使用できなくなりました。
そこで沈下橋が作られることとなりました。
前回紹介した向弘瀬沈下橋と同様に水面にすごく近い沈下橋となりました。
他の沈下橋と異なり、ダムに一番近い沈下橋ですのでダムの放流時は、短時間で水位が増えることになります。
沈下橋の入口には、鉄製のゲートが設けられています。
「入ったらいかんぜよ!!」となります。

これは、四万十川水系では、ここだけだと思います。
徳島県の勝浦川や吉野川は、増水時バリケードやチェーンが設置されるようですが、「しまんとびと」には、あまりそういう感覚はないのかもしれません。
「渡りよって、流れてもおんしが悪い」となるわけです・・・・お国柄ですかね~

話を戻しまして、水量が減ることにより川が荒れるという現象が起きます。
一番顕著に表れるのは、鮎ではないかと思います。
よく言われるのは、「昔は、尺鮎がいた」とか、「天然の鮎がいなくなった」
         「わしらの子供のころは、ナマズやら鯉はおらんかった。」
         「水中メガネつけて潜ったら遠いの方まで見えよった」(水平方向のことです)

ずいぶん水量が減ったことにより水質が悪くなったようですが、都市部から来られる方にはまだまだ清流に見えるようです。
ごぞまる的には本流や梼原川より小さな1・2次支流がず~と好きなんですがね!!


初夏

初夏

初夏
【木屋ケ内橋のデータ】
所在地:四万十町木屋ケ内(旧大正町)
建設年:昭和28年 1953年
路線名:町道木屋ケ内2号線
長さ27.4m 幅3.0m
橋脚:3本(3本中2本自然の岩が利用されている)
車通行可
駐車場なし
町道・橋のたもとに2台程度可

晩秋
紅葉の時期に来たかったんですが・・・・

晩秋

晩秋


津賀ダム 初夏

津賀ダム 初夏

【津賀ダムデータ】
建設年:昭和19年 1944年 太平洋戦争末期
発電出力:最大18650kw
使用水量:最大23.91m3/s
有効落差:最大1,2号 96.0m
          3号 37.1m
堤長:145m
堤高:45.5m

津賀ダム 冬


津賀ダムと木屋ケ内沈下橋の間にある古味野々橋 初夏
橋から川まで30m位あるでしょうか ものすごく高く感じます

古味野々橋 上流(津賀ダム方向)
これからは、集落がほとんどなくなっていきます(グネグネ道が、ダムまで続きます)

古味野々橋下流(木屋ケ内沈下橋方向)

下流の集落

晩秋 下流

晩秋 上流

<行き方>
窪川の街から国道381号線を大正方面に向かいます。約30分位で大正田野々に到着です。
大正田野々の街を過ぎ、すぐに分岐に差し掛かります。宇和島方面に左折せず梼原方向にまっすぐ進んでください。
大正ウエル花夢キャンプ場→中の島公園と梼原川に沿って国道439号線を遡ります。
中の島公園を過ぎるとすぐに木屋ケ内集落に到着です。
建設会社の横の茶堂のところを下に降りて行きます。車は、手前に1台止められます。
津賀ダムまでは、一本道グネグネの道をしばらく行きますと小さな集落古味野々に到着です。
携帯の中継アンテナ横に車を置いて歩いて古味野々橋へ行きます。
古味野々を過ぎるとダムは目の前に見えてきます。
ダムの横は、相当広くなっているので車をがゆっくり止められます。


ダムまでにあるちっこいちっこい滝(こんなのが好きです!!)

では、(^O^)/



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