四万十凸凹隊 ごぞまる絵日記

四万十川水系を中心に沈下橋を見て回りました

冬の天狗高原 その2 封鎖してますよ

2014年01月31日 | 本流の沈下橋
2014年1月15日(水)曇り
四国カルストの2基の風車の雪景色が、見たくて天狗高原まで上がってみました

秋の天狗高原
雪景色きっといいだろうなあ~って
「冬の天狗高原」のその2
天狗荘の方に聞いてみました
ごぞ「風力発電の所までいけますかね」って(間違いなく行けると思っていました)
天狗荘の兄さん「封鎖してますよ!歩いてならいけますが・・・」
ごぞ「およっ!(^v^)」
天狗荘の兄さん「冬季は危険なんでここを出たところで封鎖しています」

天狗荘のすぐ横
県道303号線?方向に下りる道、封鎖されていました
ローダーで押されて作った雪の壁が・・・

雪の壁、高さ1m以上


遠くに鳥形山が見えました

あきらめきれなかったんで風力発電の方に車を進めてみました
天狗荘を出てわずか100m位で雪の壁が・・・
あの山の向こうに風力発電の2基の風車があるんだが
そういえば、ガードレールがなかったような・・・

天狗高原から下りて梼原町を通って帰ることにしました

梼原町上本村付近の沈下橋
橋脚の上に角材を乗せただけの簡単な沈下橋(流れ橋?)

梼原町後別当地区の沈下橋
石藪沈下橋

梼原町中古屋沈下橋
石藪沈下橋の下流

梼原町北川川の橋跡
マヤの神殿風


梼原町八百とどろ
抜水橋から見る八百とどろ
水がないんで普通の谷となってます
水が多い時は、迫力がある景色なんですが・・・・




2014 家地川ダムの珍事

2014年01月25日 | 川岸の風景
2014年1月 家地川ダム(正式名称:佐賀取水堰)が大変なことになっています。
四万十川本流には、ダムがありません。
高さ15m以上をダムといい、それ以下を堰堤(えんてい)といいます。
佐賀取水堰が、高さが8.0mであるためダムでないといわれます。
まあ、言いにくいので「家地川ダム」と呼びます

普段の家地川ダム
家地川ダムは、昭和12年に戦争中の電力確保のため、
四万十町(旧窪川町)家地川に作られました。
四万十川の水は、ここより導入トンネルを経て黒潮町にある佐賀発電所に送られ、
別水系伊予木川に放流されます。よって取水された水は、二度と四万十川には戻りません。
このため、四万十川最大の1次支流梼原川が、合流する大正まで
水が少ない「瀬切れ」状態になっていました。
現在は、四万十川の生態系を守るため、河川維持流量を決めて
「瀬切れ」などが起こらないように四万十川に放流されています。

2014年1月(家地川ダム湖底に立つ)
ゲートのワイヤーロープ交換のため4つのゲート全てが上がっています。
このため、ダム湖が干上がった状態となっています。
20年ぶりの珍事だそうです(^O^)/

ダムが干上がって初めて知ったんですが、ここ浅いんですよね
深くても5m位でしょうか?

ゲートが開けられた家地川ダム

ダムがなかったらこんな流れなんでしょうね
川としてはこちらの方がいいなあ

ダムより上流を望む
対岸には、広い河原が広がっています

どこにでもある四万十川の風景

家地川ダム下流の向弘瀬沈下橋
いつもより水量が多い

野地橋上流の沈下橋跡
抜水橋ができる前、野地沈下橋がありました


家地川ダムの春 桜がきれいに咲きます 桜祭りが開かれます

初夏 大雨の後

初夏 200m位下流の抜水橋より見た全景



【佐賀発電所のデータ】
発電所
  発電出力:最大17220kw 使用水量:最大12.52m3/S
  有効落差:147.3m
取水堰(家地川ダム)
  長さ:112.5m  高さ:8m

佐賀発電所 (黒潮町)

<家地川ダムへの行き方>
窪川の街から大正方面に家地川ダムを目指して行ってください。
15分位で四万十川にダムがあるぞ~という雰囲気になります。
野地橋を渡れば6~7分位でダムに到着です。
もし、橋を渡らずに弘瀬トンネルをぬけちゃってもあわてない!!
四万十川沿いに遡れば2分位で沈下橋が見えます。
沈下橋からは、2~3分位です。

ぜひ行ってみてください(^O^)/





冬の天狗高原 その1 長沢の滝編

2014年01月17日 | 峠の風景
2014年1月15日(水)曇り
四国カルストの2基の風車の雪景色が、見たくて天狗高原まで上がってみました

秋の天狗高原
雪景色きっといいだろうなあ~って
すごく楽しみにして行きました

四万十町七々子より中土佐町大股へ
大股の沈下橋(高樋沈下橋)
左側の竹藪が刈り取られすっかりさみしくなっていた・・・(;一_一)
憩いの場所でも作るんやろうか?
竹ボーボーになったき、切っただけやろうか?
春になればわかるじゃろうか?

今日は曇りじゃき、寂しい風景

大股から津野町へ
右の山手にクマが・・・・ガオ~!

車から降りてよく見れば黒牛さんが日向ぼっこしていた
マジで一瞬、クマかと思った

津野町より四国カルストを望む
山頂部分に雪が・・・・

早瀬の流れ橋
早瀬の流れ橋を過ぎて10分位で
国道439号線から分かれて長沢の滝方向から四国カルストへ上がった
前回通っているんでここから上がった方が割と楽に行ける


長沢の滝


長沢の滝の特徴
2つの穴から水が流れ落ちる
あの先がどうなっているか非常に興味がある


滝の近くの石の上
ドングリが数個置いてありました

リスが忘れたんだろうか?それとも偶然集まっただけだろうか?

天狗高原まで上がってきました
途中日陰は、凍っていましたが、ゴトゴト上がってきました

国民宿舎「天狗荘」
13:30 駐車場には車3台・・・・・

天狗荘の軒下の氷柱
ゆっくり1.5m位はありました

少し遅い昼食
味噌カツラーメン 850円

甘辛スープでお腹満タン
さあ!2基の風車まで行くぞ~
その2へ続く


メランジュ?・・・・・土佐市五色の浜

2014年01月13日 | 

年末よりこの本を読んでいる  なかなか面白いが、ほとんどよくわからん
高校の地学は、赤点だったような気がする
角閃石・・・「かくもんいし」って読んでいた
国語もずっと×だったような気がする
なんせ30年以上前のこと・・・・(;一_一)

高知県土佐市の横浪スカイラインに入ってすぐに左手に「五色の浜」の案内板が見える
四国霊場八十八か所三十六番札所青龍寺から歩いて15分位
歩行者は、要注意・・・・バリバリ族が常に行ったり来たりの練習している

五色の浜ノ降り口に見えるバカでかい看板
「国指定 天然記念物 五色の浜の横浪メランジュ」と書いてあった

階段から見える五色の浜
バカでかい看板から五色の浜までは、ゆっくり50mはありそうだった
ワクワクしながら階段を下りて行く

海がきれいだ 海底の様子が手に取るようにわかる

階段を下り切った所にあった案内板
上のバカでかい看板にお金を全部使ってなくなったんだろうか
ちっちゃな看板がお出迎え・・・
左に行けばメランジュ  右は、チャートの壁

右のチャートの壁方向

左のメランジュ方向
どちらも一筋縄ではいかない感じがアリアリとしている
まあ、メランジュに行ってみようか・・・(;一_一)

ちょっと、これどう行くん? ここを登れと?
運動音痴のブ―さんにこれはきつい
それに周りには誰もおらん・・・

およっ!ここを行くんか? 幅30cm位の道 こけたらタダではすみそうにない
高さは、5m位か  でも尖った岩で・・・・
チャン、チャン、チャー♪ 火曜サスペンス劇場みたいに崖から

幅30cmのとこを抜けたらちくと通りやすいが、それでも幅35cm位・・・

決死の覚悟で行った伊坂の鼻の案内板

その先を見ればメランジュが一望できました
ってどこにあるんや! 
たぶんこのままいくと「118」のお世話にならないかんようになるんであきらめました
きっとあの先に見たかった風景が広がっているように思う・・・(;一_一)
メランジュ保護のために行かせたくないのは、わかる
が、もうちっと巡検ルートの整備せんとけが人が出るよ・・・・知らんぞ土佐市&高知県

しょうがないんで五色の浜でお弁当を食べてくつろいできました

浜で拾った餌木(えぎ)
もうけたような気がする・・・・・
カヤックでも買うかと思うこの頃・・・・・(;一_一)

黒田郡(くろだごおり)伝承に迫る

2014年01月05日 | 

1月3日高知新聞朝刊 「本県沖 海底遺構調査へ」

志和の沖
684年の白凰年間に大地震(南海地震)がありました。
東海・東南海・南海連動型地震だったと言われます。

沖合にあった黒田郡(くろだごおり)って広大な地域(約12平方km)が、沈んだと言われています。
黒田郡は、須崎市野見から四万十町興津沖まで続く大きなものでした。
戸島千件、野見千件などといい、黒田郡にあった千件近い大集落が、一瞬にして沈んでしまいました。
黒田郡の陥没の音は、遠く京都まで聞こえたといいます。
道後温泉では、一時期温泉が出なくなったといいます。
以来伝承として語り継がれた黒田郡ですが、今回本格的な調査が、高知大と海洋機構の合同グループで行われます。
また、四万十町志和の諏訪神社は、黒田郡に鎮座していた諏訪大明神のご神体が、志和の浜に漂着したので海辺の丘陵港山に奉祀したのが始まりと言われています。
その祭日に奉納される踊り古い調べの舞楽「志和おんや踊り」は、もともと黒田郡で踊られていたものであるといいます。
大祭は、陰暦8月18日で志和礁神社祭と同日であるそうです。
志和礁神社とは、志和沖約4kmにある暗礁に鎮座する神社です。
志和礁(しわし)は、沈んだ黒田郡の山頂だそうです
黒田郡と共に沈んだ5神社を祭っていると言われ、大祭の日志和の浜辺に五色の旗を立て、沈んだ黒田郡の総霊を祭ります。
昔は、おんや踊りは、志和礁の上で踊られたといいます。

下に地図を乗っけましたんで見てください

500年~1000年に一度昭和の南海地震をはるかにしのぐ巨大地震に見舞われるそうです。
・・・(;一_一)
そんなことがあった海でありますが、
海面下では着々と第二の黒田郡となる準備がされているかもしれません??

【参考文献】
窪川町史
志和物語 諏訪将人著