要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

時系列の記録。

2023-10-20 17:14:00 | 日記
10月14日(土)18:30ごろ面会

・夕食に間に合わなかったが、どの程度食べたか、残飯を見てわかった。
→柔らかく炊いたお米に梅干しで半分弱
→ぶどうのゼリー完食
→副菜には一切手をつけない
→栄養価の高い苺味のゼリーは丸々残していたので、母が半分ほど食べさせた

・一昨日12日に言えなかった名前や誕生日、孫の名前をスラスラと言える。
→びっくり。嬉しい。

・祖母、母、私でガールズトーク(girlという年齢ではないけれど)シュールなやりとりを繰り広げる。
→そのネタは、きょうだい3人(私には妹と弟がいる)で私だけ独身であること。病室で母から半分冗談で、ひどい言葉を笑いながら言われたので祖母に筆談で伝えた。


結婚や孫などの話は、母と大喧嘩になる話題なので、本当は母と私には禁忌である😛というか、私が話したくない。
→祖母「そんなことないよね〜。」母に対してパンチする素振りを見せ、とにかく私の味方になってくれる。
→私は筆談で「私は死ぬ時、一人で死んでいくんだ。」と書く。
→祖母「ないない。」と励ましてくれる😂
→何が嬉しいかと言うと、頭がしっかりしていて、たわいもない話ができたこと!!


10月15日(日)18時ごろ

・夜ごはんに合わせて面会
→体位を起こしてもらう際、ものすごく大きな声で「痛い」と言うのでびっくり
→入院生活でのストレスを声にしているように思う
→看護師に申し訳ないので、何度も謝った

・夜ごはん
→好物のカボチャの煮物を作っていったものの、2口が限界
→塩分を摂らなければならないため梅干しが出されるが、食べない(元々は梅干し好き)
→副菜には一切手をつけない
→ぶどうゼリーもほんの少し
→提供される食事の1割も食べられず。

・何かの賞をもらったとこの前から言っている。いずれ見せるとのこと。
→意味不明。

・看護師とのやりとりの後から不貞腐れ気味
→帰りたいと毎日言われるのが少々辛い。


感想
先日、祖母が自分の名前や誕生日を言えなかったことにショックを受けたが、あの日は相当頭が混乱していたのかもしれない。一喜一憂するのは、やめようと決意した。
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見ているのが辛い。

2023-10-18 12:35:00 | 日記
見ているのが辛い、毎日こんな気持ちを抱えています。


飲み物を飲んだあと、オエっとひどくしんどそうになります。

連れて帰って、と何度も言います。

ほとんど食べられていません。

発語が激減しました。昨日は、孫の名前も言えませんでした。

今日は、下肢切断したところの抜糸です。朝6時に採血検査も行われているはずです。



苦しそうなとき、下肢切断したこと含めよく分からなくなりながら病室で横になっている時間、連れて帰ってと何度も言われるとき、そのすべてが見ている家族として辛くなってきました。
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祖母の認知機能。

2023-10-13 18:40:00 | 日記
10/12(木)

祖母:あみちゃん

病室に入っていくと、マスク越しの顔で少々誰だか分からなそうにするので、一瞬マスクをとって顔を見せると、祖母に認識してもらえる。名前もはっきりと覚えていてくれる。


しかし、手術後から私は祖母の異変にショックを受けた。祖母が急に認知症になったのか、色々と分からなくなってしまった。

そのなかでも特にショックを受けたのは、祖母が自分の名前、誕生日を言えなくなったことである。祖母の異変に気がついていたので、昨日、ホワイトボードに

私:おばあの名前は何ですか?

祖母:・・・。

私:ホワイトボードに苗字を書いた。

祖母:◯◯

私の心の声:苗字を書いたら言えた。少しホッとした。

私:誕生日はいつ?

祖母:・・・。

私:同じく書いて12月

祖母:◯日

私の心の声:言えた。


ほんの少し前までは、しっかりとしていたけれど、住所も昔住んでいた香川県の住所、一部の孫の名前など色々と忘れてしまったようだ。そして手術をしたことについて聞いてくるようになった。

祖母:何の手術をしたの?

私:脚の手術だよ。生きられるように(切断とは言えないから)足を切ったよ。成功したよ。大成功。

祖母:へぇーー!

こんな感じ。血栓が詰まっていたから手術をしてもらったよと何度も伝えているけれど、理解できていない。右脚の太もも半分から下を切断したことも気がついていない。しかし、祖母の方から「手術」という言葉が出てきたのは12日が初めてだった。この質問には母が内心ハラハラしたようだ。それは、脚を切断したことに気がついていないなら、ショックを受けるよりそのままの方がいいと思っているから。


メモ
ミトンがはずされていた。
・皮下輸液、栄養が1000→500に。
・酸素は0.5リットル
・安静時、車椅子可能、軟便でお尻がただれているなどのメモがあった。

帰り際
看護師にオムツの買い足しと、祖母の好物を持ってきて少しでも食べられたらとのお話があった。食事制限はないので、実行してみよう。ただ、手術後、何かを飲むと、その後激しく咳き込むようになった。


10/13(金)

あみちゃん、(お見舞いに来てくれて)嬉しい。

今日は私が一番乗り。祖母にゼリーを持ってきたよ、一緒に食べようと書いた。ゼリーは誤嚥を防ぐため果肉なしで緩く固めてあるもの。食べる時は上体を起こしたいので、祖母の脚の様子や痛み方を見ながら少しずつベッドを上げる。

祖母:ゼリーって何?

食いしん坊だった祖母がゼリーを忘れてしまったようだ。上体を起こして、ゼリーをスプーンで少し口に入れてみるが、食べ物が口に入って驚いていた。噛んで食べるということを少し忘れてしまったのだろうか。嚥下機能も落ちたのだろうか。食事の時間に合わせて面会に行ってみようと思う。



今、感じていること

ブロック注射と静脈麻酔でも手術すると、高齢だから認知機能に問題が生じるのだろうか。初めて知った。血栓が詰まって痛みに苦しんでいた時は、その兆候はなかった。ほぼ毎日、会いに行っているから、祖母の異変は誰よりもわかる。そして、今、私はまだショックを受けている渦中にいる。

特にこのケースでは、徐々にではなく、急に認知機能が悪化してしまったことが辛く、とても寂しい。手芸が得意で、何でもよく食べて、クイズ番組を楽しみに見ていた祖母はどこに。。。ダメだ、考えると涙で視界が悪くなる。


ちなみに、今朝、整形外科の執刀医から電話があった。脚の傷口の回復は良好とのこと。来週18日に抜糸をするそうだ。


*認知機能についてはまだ頭が追いつかずショックを受けていますが、激痛から解放するために全身状態が悪いなかでも手術を引き受けてくださったこと、感謝しています。
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毎日が闘い。

2023-10-10 17:45:00 | 日記
晴れていたと思ったら突然の雨に打たれています。安定しないなぁ、大気☀️☁️☔️祖母は小康状態とでもいうのか、そのような状態だと私は感じています。しかし、確実に手術後、認知機能が落ちた気がします。それから飲み物を少し飲んだだけで激しい咳と呼吸の荒さが目立つようになりました。


祖母は、まだ脚の切断も認識していません。今日も車椅子に乗ったそうですが、それも本当かわかりません。好物だったヤクルトも分からなくなっている様子。これには涙が出てきそうになるくらいです。また訳のわからないことを言うかと思えば、マウイ島の火事については覚えている様子でした。


昨日は幻肢痛だと思われる痛みで、相当衰弱していました。声もほとんど出なくて、かすれた声。幻肢痛のときは、それはものすごい痛がりようで、見ていると辛くなります。


毎日こんな状況のなか、今日はソーシャルワーカーさんから電話がありました。時間を合わせて行きましたが、正直、祖母の全身状態の様子を医師から聞いていないのでまだ話せる段階にはなく・・・。医師から経過報告をお願いします、とだけお伝えしました。


あまり書きたくないのですが、私自身、結構疲れていたのか、10日前くらいに一度、倒れました。昨日も朝9時に起きて、頭痛薬を服用するために「胃に何かを入れなければ」と温かいカフェオレとシャインマスカットを食べて13時ごろまで寝ていました。そして、13時ごろ一度起きた際、好きな固いお菓子を食べていたら初めて歯が欠けました。タイミングが悪い。。。そして、その後、また眠りについて16時ごろようやく起きて、お見舞いに行き、枯渇していた食料を買いにスーパーにだけ寄って帰りました。


病院からの電話が鳴ると、悪い知らせを思ってしまい心臓に悪いですし、急に都合を整えて指定された時間に行かなければならないのもハードだなと思います。眠る時も病院からの電話に備えて音が鳴る設定にしています。今はとにかくゆっくり眠りたいです。



写真:イチョウの木。


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ショックを受けたこと。

2023-10-08 18:57:00 | 日記
今日は、祖母の調子が悪くて元気がありませんでした。雨だからか、余計に痛むのかもしれません。ホワイトボードに私が大きく書いた字を読んで、反応はできるけれど、虚ろでした。好物のヤクルトも1本も飲めませんでした。


そんな今日は、祖母の脚の骨を葬儀屋さんで受け取ってきました。骨の入った壺が三寸なのですが、想像以上に小さくて驚きました。


手術中に病院から渡されていたPHSが2回鳴り、2回目の用事は脚についての同意書へのサインでした。そして、手術中、たまたま切断した脚(段ボールのような茶色の箱に入っていたので中身は見えません)を運ぶ葬儀屋さんと出くわし、私はその時、そのサイズ感の生々しさからショックを受けてしまいました。その光景が、今も頭から離れません。


*葬儀屋の担当の方はいい方でした。


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