さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)

2024年12月26日 17時50分55秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
※『うみねこのなく頃に』はこちらから→ ■うみねこ推理 目次■


FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)
 筆者-Townmemory 初稿-2024年12月26日


『Fate/Grand Order』(FGO)の黒幕とクライマックス予測に関する記事です。

■関連記事
●魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか
●FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)
●FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)

Fate/Grand Orderランキング「いいね」はこちらをクリック

■マリスビリーあいつなんかやってます

 FGOにはマリスビリーという人物がいます。この人は主人公側の組織のボスだったのですが(故人)、どうやら何らかの悪だくみをしていたようで、そのために世界が大変なことになっているというのが、現在(現実時間2024年12月)のFGOの状況です。

 世界全体が白紙のページのようにまっさらになってしまった! という「白紙化地球」の現象も、どうやらマリスビリーの悪だくみの一環だったようです。
 彼はカルデアスという、地球の精巧なミニチュアを作っていました。これも悪だくみに大いに関係しているようです。

 なんでまた彼は地球を白紙化したかったのか(それによって何を得ようとしていたのか)というのは、断片的なヒントがいくらかちりばめられてはいますが、はっきりとしません。

 どうも彼の計画では、「カルデアの生き残りが地球の白紙化をなんとかしようとする」という行動も織り込み済みっぽいのですが、どうして彼は「自分の計画を邪魔しようとするヤツ」を必要とするのか、これもはっきりしません。

 が、これに関して、ちょっと思いついたことがあるので以下に書き留めておきます。まずは長い長い前置きを書きます。

 お品書きとしては、

・マリスビリーがやろうとしていたことは何か(前提条件の設定)
・それで彼は何を得られるのか(本論1)
・それに対してノウム・カルデアはどうするのか(本論2)


 の三本です。


■デイビット・ゼム・ヴォイドは何を語ったのか

 デイビット・ゼム・ヴォイドという敵方の人物がいます。この人はマリスビリーのやろうとしたことを全部知っていて、これを阻止しようとした人物です。

 彼がいうには、マリスビリーの悪だくみは、現在進行形で成立しようとしている。
 これを阻止するには、地球をまるごとぶっこわすしかない。
 だからオレが地球をぶっこわす。

 という、えらい極端な行動方針を持っていました(主人公たちに阻止されました)。

 はっきりいってちょっとわけがわからないのですが、デイビットが言ったことややったことについてきれいに説明がついて、「だから地球をぶっこわすんだ」という結論に納得がいくようなストーリーが思いつけば、それはつまりマリスビリーの悪事を見抜けたことになりそうだ。

 なので、まずはデイビットの来歴や言動をまとめてみます。


1:デイビットは地球外の何らかの意思を代弁している(推定)

 デイビットは10歳のときに、地球外から来た非人類のアイテム「天使の遺物」の光を浴びて、それ以降、人間離れした思考をするようになったとされます。

 また彼は、140億光年の外宇宙から戦力を呼び出す能力を持っています。

 彼はおそらく地球外の何らかの意思の端末と化しており、地球の情報を送信したり、宇宙側の利害を代弁するような存在ではないかと推定できます。


2:「マリスビリーの悪事は地球の恥となる」

 宇宙的規模の思考の枠組みをもっているデイビットは、「地球人類が汚名を着ることを避けたい」と言っています。これがデイビットの目的で、「地球を破壊する」はその手段です。

(デイビット)
七つの異聞帯が切除された時、
ヤツの人理保障は完成する。

そうなれば地球人類は138億光年に亘る汚名を被るだろう。
“この宇宙に生まれた、最低の知的生命体”と。
『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 19節


(デイビット)
カルデアス……いや、マリスビリーは
『人類の敵』ではない。

ヤツは『宇宙の敵・・・・』だ。
それに関知できたのがオレだけなら――

この惑星を破壊する事で、
人類が負うであろう汚名を無くそう。

君は世界を救う。
オレは宇宙を救う。
『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 23節


     *

 まとめると、宇宙的意思(みたいなもの)と接続しているデイビットは、「宇宙人から見て、地球人はどう見えるか」という視点を持っている。

 マリスビリーの計画が成就した場合、宇宙人たちは、「地球人類、サイテー」という感想を持つだろう。

 地球人類の名誉を守るためには、マリスビリーの計画を成就させてはならない。

 マリスビリーの計画を失敗させるためには、地球を破壊するしかない。

 さて、以上の「デイビットのストーリー」にうまくあてはまるような、マリスビリーの計画とは何だろう。


■また置換魔術の話

 デイビットが退場した直後、「オーディール・コール 序」というストーリーが発表されました。
 ここで、「置換魔術」というものについての説明が出てきました。「よく似た二つのものは、距離をまったく無視して入れ替えが可能である」という魔術理論でした。
 以前の記事でも引用しましたが、もっかい引用します。

(ダ・ヴィンチ)
だろうね。
魔術世界には置換魔術というものがある。

たとえば、ここにゴルドルフくんAと
ゴルドルフくんBがいたとして、

彼らがまったく同じ構成・情報量である場合、
どんなに離れた場所でも入れ替える事ができる。

なぜか? それはもちろん、第三者から見て
『なんの違いもない』事だからだ。

置換された者にしか『入れ替わった』事は分からない。
いや、場合によっては本人たちでさえ分からない。

超常的な事が起きたというのに世界に異常はないんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう条件の時、魔術はとてもよく働く。
『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序



 この理論に基づいて、
「地球の白紙化とは、カルデアスの表面と地球の表面が入れ替えられたために起きたのではないか」
 ということが語られていました。

 カルデアスは地球のものっすごい精巧なミニチュアコピーです。カルデアスは、構成および情報量が地球と同一といえますので、置換が可能そうです。

 おそらくこういうことだと思います。
 まずはカルデアスの表面からすべての事物をとりのぞいてまっさらにする。
 続いて、地球表面とカルデアス表面を置換する。
 すると、地球の表面はまっさらの白紙状態になり、もともと地球にあったものはカルデアスに移る。

 ダ・ヴィンチちゃんがこの推論をOKとしているということは、構成と情報量が同一であれば、質量が異なっていても置換は可能っぽいですね。

 で、マリスビリーのやろうとしていたこととは、地球とカルデアスの置換よりもさらに大規模の置換魔術なんじゃないか、というのが、私の話の前提(仮定)条件です。


■空想樹は銀河である■

 空想樹の幹のひび割れの中には銀河が見えます。

『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』で、初めて空想樹を目にしたテペウ氏は、意味深で興味深い考察をしています。

(カドック)
ああいや、空想樹に本物も偽物もないんだが……

(テペウ)
本物も偽物もない……
大小はともかく、形さえ合っていればいい……

木の中にある銀河など本物である筈がないというのに、
我々はあれを銀河と認識している……

……『大樹の中に銀河がある』まではいい。
しかし、それが異聞帯の定礎になるものでしょうか。

事実、空想樹であるORTが休止していたにも拘らず、
ミクトランは存続していた。

『銀河のエネルギーを利用している』のではない?
それはあくまで二次的なもので――

本筋として『銀河がなくてはいけない』のか?
あの木々は、銀河である事に意味があると……?

『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 21節



 私なりに翻訳するとこうなります。

1)異聞帯には必ず空想樹が存在している。
2)空想樹の中には銀河があり、私たちは空想樹と銀河を同一視している。
3)一見すると、「空想樹は異聞帯を維持するためのエネルギー源であり、そのエネルギーは銀河からくみ出されている」ように見える。
4)でも、実はそうではない。
5)なぜなら、ミクトランの空想樹は長年にわたって機能停止していたのに、ミクトラン異聞帯は平気で存在し続けていたからだ。
6)空想樹が、異聞帯を維持するためのエネルギー源で「ない」としたら、空想樹は何のためにあるのか。
7)空想樹を建造した黒幕マリスビリーは、彼の悪だくみにおいて、「ここに銀河がなければならない」という条件を必要としたのだろう。
8)「ここに銀河がなければ成り立たない」という悪だくみとは何だろう?


 ここまでがテペウの考察で、ここからが私の付け足し。

 地球を白紙化したのはマリスビリーで、空想樹をブッ立てたのもマリスビリーだ(たぶん)。

 マリスビリーは、「まっさらな地表に、銀河と同一視できるものが7本立っている」という状態を必要とした。

 なにもない空間に、ときおり銀河に似たものが少数散らばっている、というモデルにおいて連想されるものはなんだろう。

 それは「宇宙」ではないか。

 宇宙とは、138億光年の範囲(FGOの定義)におよぶ、ほとんど何もない虚空に、ほんの時々、天体の集団(銀河)が浮かんでいるというモデルで説明できるものです。

 ほとんど何もない空間に、ときおり銀河がある。

 それは、
「ほとんど何もない平面(白紙化した地球)に、ときおり銀河と同一視できるもの(空想樹)がある」
 という白紙化地球と、モデルとして酷似するものといえるのではないか。

 そしてもし、白紙化地球と宇宙が極めて類似したものといえるのなら。
 白紙化地球と138億光年の既知宇宙すべては、置換魔術で置換可能なのではあるまいか。


■宇宙的に最低

 小さなカルデアスに、オリジナル地球の表面がまるまる転写可能だったのですから(推定)、小さな地球に、広大な宇宙そのものを転写することも理論上可能だと推定することができます。

 かつて宇宙と呼ばれていた場所は、すべてを地球に奪い取られ、そのかわりに白紙化地球というものを押しつけられることになります。

 この想像の場合、マリスビリーは全宇宙史上最悪の強盗犯であり、この事件は「全宇宙強奪事件」だということができます。

 デイビットはマリスビリーのことを(人類の敵ではなく)「宇宙の敵」であり、この計画が成就してしまえば、地球人類が“この宇宙に生まれた最低の知的生命体”という汚名をひっかぶるだろうと言っています。

 私欲でもって全宇宙を盗み取ろうという行為は、ほとんど議論の余地もなく宇宙的に最低ということができそうです。

 そして、地球をぶっこわせば地球と宇宙の置換は成り立たなくなりますので、マリスビリーの悪だくみは不成立に終わります。「地球人類は宇宙を盗まなかった」ことになるので、地球人の名誉はギリ守られます。「デイビットは地球人類の名誉を守るために地球をぶっこわす」が成立しそうです。

 マリスビリーは魔術協会天体科(天体魔術の専門セクション)のトップでした。マリスビリーの天体魔術は、地動説ではなく天動説に基づいているという情報がありました。

 地球は宇宙の中心などではなく、たんなる周辺にすぎない。太陽系の中心は太陽であるし、その太陽すらも、宇宙の中心などではないというのが我々の地動説の考えです。

 しかしマリスビリーは、地球こそが宇宙の中心であり、それ以外のすべての宇宙は、地球のまわりをめぐる周縁にすぎないという考え方でやってきている。

 言い換えれば彼は、地球が主であり、それ以外の全宇宙は従であるという世界観を持っていそうです。

 もっと言い換えるなら、地球が王であり、宇宙は国土と臣民である。
 王が国土と臣民から搾取するのは当然の権利である。
 彼はそのようなメンタリティを持っている可能性があります。そういうメンタリティを持っていれば、「最初から宇宙は地球人類のものだ、回収して何が悪い」くらいの態度でいるかもしれません。

 さて、ここまでが前置きです。
 以上のことを「前提条件」として仮置きできるとしたら、どんなことが言えそうか。この物語はどんなふうになっていきそうか、というのをこれから書きます。ここからが本論。


■マリスビリーは宇宙を強奪して何がしたいか

 しかしなんでまた、こんな大がかりな仕掛けを駆使して、命を捨ててまで、マリスビリーは宇宙を盗みたいのでしょうか。
 それについてはこんなふうに想像することもできます。

 マリスビリーは魔術師です。
 魔術師は原則的に、例外なく「根源」到達を目標としています。

 根源がどこにあるのかは誰も知りません。
 でも、もし宇宙のどこかに根源があるのなら、宇宙のすべてを自分の手元に置いてしまえば、それは根源に到達したのと同じことになる。

 だけどもし、138億光年範囲の既知宇宙に根源がなかったのならどうするか。
 138億光年先の宇宙外縁のそのまた先にある別の宇宙に対して同じことをすればいい。デイビットは140億光年先の暗黒星から戦力を召喚することができました。宇宙の外に別の宇宙があることは示唆されている。

 そうして、すべての宇宙に対して置換を行い、それでも根源がなかったのなら、すべての宇宙を包含するメタ宇宙に対して同じことをすれば……。

 ようするに、人間が想像可能なすべての宇宙を強奪すれば、それは根源を手に入れたのと同じことになる。

 マリスビリーは根源を手に入れれば人理は永久に安泰だと考えていそうです。根源があれば、少なくともエネルギー問題とマナ枯渇問題は一挙に解決するし、エネルギー源が無限であれば、人類の問題は大半が解決します。

 ところで、根源を手に入れる手段に関して、もうひとつ別解がありますのでそれも披露しておきます。次のが本命


■世界卵と事象収納

 当ブログでいちばん閲覧された記事のひとつに、「魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか」というのがあります。

 まずはその記事を読んでいただきたいです。

 この記事の中に、固有結界を大規模展開すれば根源に到達できる、という試論があります。ちょっと長いですがまるごと引用します。(意味がわからなかったら元記事を通読して下さい)

 人間のガワを卵の殻に見立てて、外的世界と心象世界を入れ替えることが可能だということは……。

 一方では「自分の外部に心象世界を展開する」ということになるが、
 他方では、
「私の内部に世界の全てがある、私が世界である」

「宇宙の中に地球があり、地球の中に私がいる」という包含関係のモデルがあるとしよう。

 でも、内と外とは相対的な概念であり、入れ替えが可能であるとするのなら。

 私と地球の包含関係を入れ替えることができる。
 地球の中に私がいるのではなく、私の中に地球があるのである。

 地球と宇宙の包含関係も入れ替える。
 宇宙の中に地球があるのではなく、地球の中に宇宙があるのだ。

「私の中に地球があり、私の中の地球の中に宇宙があるのだ」。

 すなわち私こそが宇宙だ。

「内と外とは相対的な関係にすぎない」というマジカルワードは、「今ここ」と「宇宙の最深部」を、概念の操作ひとつでまったく同一のアドレスに置くことを可能とする。

 宇宙の果てに存在する私という人間と、宇宙の最深部に存在する宇宙の中心は、内と外の関係を入れ替えることによって、重なることになる。入れ替えたら、私のいる今ここが、宇宙の中心となる。

 ここは向こうである。彼岸は此岸である。宇宙の果ては宇宙の中心である。

 そして、もし宇宙の中心に「根源」があるのなら。

 私の中心に根源がある。ここが根源である。

 現状、「固有結界」の魔術は、自分の周囲のかなり限定された領域にしか展開できません。
 でも、もし仮に、「人間の内と外を入れ替える」を文字通り宇宙規模で行うことができたら。

 それは根源をまるごと手に入れたことになる。
「魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか」



 ここで書いてあることは、「マリスビリーは宇宙を盗みにかかっている」というアイデアとほとんど同一です。世界卵でも同じことができそう……という話も面白そうなのですが、今回はそれは置いときます。

 ここで注目したいのは、自分の周りにある世界や宇宙が、どんどん、どんどん、自分のところに向けてたぐり寄せられていくという構造です。

 マリスビリーが狙っているのは、この動き、この構造なんじゃないか、という考えも魅力的で、こっちが本命かもしれません。

 どういうことかといいますと……。

 まず、空想樹銀河が散らばった白紙の地球と、銀河が散らばった虚空の宇宙を入れ替えます。
 地球は宇宙と同一視できるものとなります。

 次に、なにもない広大な虚空に、いくつもの宇宙が浮かんでいるという、メタ宇宙というものがあるとします。

 何もない虚空に銀河が散らばっている宇宙と、何もない虚空に宇宙が散らばっているメタ宇宙は置換がききそうなので(たぶん)、これを入れ替えます。

 地球と宇宙は同一視できるものとなったので、地球とメタ宇宙は同一視できるものとなり、地球はメタ宇宙となります。

 何もない虚空にメタ宇宙が散らばっているメタメタ宇宙というものがあるのなら、それと地球(メタメタ宇宙と同一視可能)は置換が可能なので、地球はメタメタ宇宙になります。

 メタメタメタ宇宙が存在するのなら、地球はこれも回収してメタメタメタ宇宙となります。

 さて、地球はメタメタメタ宇宙となりました。カルデアスと地球は同一視できるものなので置換が可能です。カルデアスはメタメタメタ宇宙となります。
(この場合、地球の地表はカルデアスから再転写され、元に戻ります)

 つまりはカルデアスの所有者が、宇宙と、宇宙を含む大きな宇宙と、大きな宇宙をさらに含む極大宇宙を所有することになるのですが、所有権については実はどうでもよくて。

 地球と、地球を含む宇宙と、宇宙を含む大宇宙と、大宇宙を含む極大宇宙が、ひとつの小さな点に向けて、しゅううっと収納されていくかたちになります。このかたちに注目したいのです。

 根源とは何でしたっけ。万物万象が流れ出す大もとだ、ということでした。宇宙のすべて、宇宙を含んださらなる宇宙を含んだ、すべてのものは、根源というひとつの点から発散したものであり、いまも発散しつづけている。
(わたしはビッグバンのイメージでみているのですがみなさんはどうでしょう?)

 その根源から出てきたものをすべて、ひとつもあますところなく巻き取り、たぐり寄せ、カルデアスという一つの点の中に収納する。するとどうなるか。

 カルデアスはもはや根源そのものだ。

 根源から発したものすべてがここに収まっているのだから、これは根源である。

 マリスビリーの目的は、どこかにある根源に到達することではない。
 そうではなくて、目的は自らここに根源を作りだすことである……。

 こっちのアイデアのほうが、構えが大きく誇大的なので、こっちのほうがいいかなって思っています。

 この世に存在するすべての空間・非空間のあらゆる事象が、カルデアスの中にするするしまわれていっちゃうっていうこのイメージに、もし名前を付けるとしたら、

「事象収納」

 という言葉が、ぴったりあてはまるのではないでしょうか。

 月姫リメイクで、アルクェイド女史が光体になったとき、建築やら人間やらを含めた地表上のすべてのものが、一点に向けてするするとしまわれていっちゃうという現象が発生していました。これは「事象収納」と呼ばれていました。あれはなんというか、地球から発生したすべてのものが、地球に返済されていくみたいなイメージにみえました。

 これと同様に、根源から発したすべてのものが、根源に返済されていくという大掛かりな「事象収納」も、考えることができるのではないか、ということだと思って下さい。

 そういう「根源の事象収納」を、人為的にしかも自分の手の内で行うことができるなら、それはもはや自分が根源になったのと同じだ、というのが本稿のアイデアです。


■そうだとしたらノウム・カルデアのドラマは

 もう一回引用しますが、

(デイビット)
七つの異聞帯が切除された時、
ヤツの人理保障は完成する。
『Fate/Grand Order』黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン 19節



 異聞帯が切除されると、悪だくみが成功する。

 マリスビリーは、カルデアの生き残りが白紙化を解消しようとして、異聞帯のすべてを攻略するだろうということを、計画のうちに含めていたとみることができます。
 というか、カルデアの生き残りノウム・カルデアが、七つの異聞帯を切除してくれないと、悪だくみが成功しないのでマリスビリー困っちゃう、くらいのことを言っているように見えます。

 第二部の事件をマリスビリーの儀式魔術だと考えるなら、カルデアとぐだが必死で戦って異聞帯を消しまくることも、儀式の一部だぜってことになります。

 マリスビリーはなんで異聞帯攻略を必要とするのだろう? この話の流れでは、マリスビリーは、「ノウム・カルデアによって切除されるために」異聞帯を復活させたことになります。なぜそんなことを?

 それについての私のアイデアはこうです。

「地球と宇宙を置換してもよい」という全人類の同意を必要としたから。
(みたいな方向性のこと)

 異聞帯とは、これ以上この世界が続いても発展がない、と見なされて打ち切りエンドとなった並行世界です。
 マリスビリー(推定)は、異聞帯を七つ選んで、敗者復活権を与え、これらを地球上に配置しました。

 これらの異聞帯が育てば、地球を乗っ取って正史となります(でしたよね?)。
 ノウム・カルデアは、自分が属していた世界(歴史)を取り戻したいので、異聞帯の成長を阻止しなければなりません。

 しかし異聞帯には異聞帯の文明と、そこに住む人々がいるのであって、ノウム・カルデアが異聞帯を切除するということは、これは彼らを世界ごと消滅させるという意味です。

 異聞帯探検のあいだに、友となった人々はたくさんいるのに、カルデアは最終的に、「彼らを消去し、自分たちのみ存続する」という選択をしなければなりません。そういう体験をおおむね7回くりかえしました。

 ノウム・カルデアは、
「おまえの世界とオレの世界、どっちが生き延びるのかと問うなら、それはオレの世界だ」
 という選択を、つごう七回してきたことになる。

 ノウム・カルデアは現在生き残った全人類です。
 そういう選択を全人類に何回でもさせること、が、マリスビリーのもくろみなんじゃないかという気がするのです。


■投げかけられる問い

 オレの世界と、おまえの世界がある。オレは生き延び、おまえは消えろ。

 という選択を、全人類の意思として、七回繰り返してきた。
 その選択は、全人類の意志として、何かに(アラヤとか何らかのそういうものに)刻み込まれたと考えることにします。

 そしてここに、
「私の地球と、君たちの宇宙がある。私の地球が生き延び、君たちの宇宙は消えよ」
 という選択を実行するマリスビリーがいる、と考える。

 この場合、アラヤの抑止力(など)は、マリスビリーを攻撃しない可能性がある。

 マリスビリーのもくろみとしては、そんなところで(適当で)いいかなって感じなのですが、それよりも重大なことがある。

「自分の世界が優先で、他人の世界は消えてやむなし、という選択を繰り返してきたノウム・カルデアの君たちは、私の計画を否定できる立場なのかね?」

 という問いに、主人公たちは答えなければならない。

 他者を踏みつけにして、自分が生存することが許されるのなら、宇宙を踏みつけにして、地球だけが生存する選択も許されるはずである。
 それはまさに君たちがしてきた選択じゃないか。

 このドラマを主人公とユーザーにつきつけることが、FGO第二部のメインギミックだったらすごいんだけどな、と思うのです。

 もし、FGO第二部のクライマックスで、こういう問いを投げかけられたら、どう答えます?


■汎人類史というあつかましい言葉

 第二部から登場した「汎人類史」という言葉に、わたしはずっと違和感をおぼえつづけてきました。あつかましいからです。

 自分たちの歴史(汎人類史)が人類史のであり、異聞帯の歴史は枝葉である。枝葉は茂り過ぎると幹が弱るので、適度に剪定する。すると汎人類史の幹にエネルギーがまわってきて、我々は安泰である。

 という、「我々は幹であり、あなた方は枝である」という認知それ自体が、すげー居心地悪いです。
 物語上では、「あなたたちの異聞帯もすばらしく価値があるものなのに、私は私の世界を選ばなくてはならなくて」というエモーションになってはいます。なってはいますが、「私の世界」が「汎人類史」と呼ばれているせいで、どうしても「汎人類史が存続し、異聞帯は切除されよ」という価値観が重なってきちゃう。

 ですが私はなにも、「奈須きのこさんの言語感覚ってあつかましいよね」的なことを言うつもりはなくて、これは意図されたあつかましさなんじゃないかと思っているのです。

「あなたたちが受け入れて使ってきた汎人類史って言葉、その自己認知、それってすごくあつかましくないか?」

 ということを最終的につきつけてくるために使われてきた語であるような気がしています。


■われらガリレオ・ガリレイ

 というのも、
「汎人類史が存続し、異聞帯は切除されよという価値観」
 は、ものすごくマリスビリー的というか、天動説的だと、私には見えるのです。

 天動説のマリスビリーは、地球が中心であり、それ以外は周辺であると思っているでしょう(推定)。
 それって、
「汎人類史が中心であり、異聞帯は周辺である」
 という、第二部で語られてきた世界観と酷似しています。

 汎人類史という概念は、それ自体が自己中心的であり、天動説的だ。

 この物語は、そこに対して異を唱えるべきではないのか、というのが私の思想です。

 地球が中心であり、それ以外は周辺だから、宇宙が丸ごと消え去っても地球さえ存続すればよいという価値観は、汎人類史が中心であり、それ以外は周辺だから、汎人類史が残ればいいという価値観と同質である。

 だとしたら、
 わたしたちが「地球が富むなら宇宙はどうなってもよい」という価値観をもし否定したいのなら、「私たちの歴史が汎人類史である」という私たち自身の認知を咎めなければならない。

 そこで。

 私たちが汎人類史である、という自己中心的で天動説的な認知がガンなら、それを撃退する言葉はこうである。

「人類は地動説を採用します」

 根源から発した宇宙のすべてを地球上のカルデアスに収納するという本稿のマリスビリーのアイデアは、地球が全宇宙の中心になるということであり、いってみれば、「地動説を否定し、天動説が正しい世界を再生成する」というのに等しい。
 マリスビリーのやろうとしていること(推定)は、言い換えれば、「全人類で天動説を採用しましょう」というご提案だ。

 それを咎めたいのなら、我々の選択は「天動説を否定し、地動説を取る」ことである。
(ここで切り札、英霊ガリレオ・ガリレイか英霊コペルニクスを召喚みたいな展開があったら高揚するよねぇ)

 地動説を採用するというのは、どういうことなのか。
「われわれは中心であり、幹であり、優先的に扱われるべきものだ」という認知を捨てることである。
 われわれは汎人類史である、という認知を拒否することである。

 われわれは宇宙の中心などではない。
 われわれは宇宙の周縁にある小さな岩にすぎない。

 われわれの歴史は、人類史の幹などではない。
 異聞帯とのあいだに、主従関係などない。
 パツシィのロシア異聞帯が勝利してもかまわなかった。
 北欧異聞帯が勝利してもかまわなかった。
 ブリテンとミクトランが勝利したらちょっとまずいけど、それ以外が勝っていたら、マリスビリーの計画はそこで止まってたかもしれなかった。
 すべての歴史は、上下関係なく等価である。

 人類が地動説を採用するということは、つまりはこういう認知を得ることだ。
 私たちの歴史は、ひとつの異聞帯である。


■私たちは何をするのか

 歴史とは時間の厚みのことです(たぶん)。宇宙にも時間が流れているのだから、宇宙史というものもある。
 宇宙の歴史をもし汎宇宙史と呼べるのなら、地球の歴史は異聞帯くらいのものだ。

 さて、その異聞帯(地球)が、全宇宙に対し、
「おまえらを乗っ取り、オレが全宇宙になる」
 といいだした状況があるとする(本稿の仮定)。

 汎人類史に対して異聞帯が反旗をひるがえし、「わが歴史を正史にする」と言い出したのと、構造的に同一だ。

 なので、「宇宙と地球の対立」においても、汎人類史と異聞帯で起こったのと同じ争いがおこると考える。

 異聞帯が汎人類史を乗っ取って正史になろうといいだしたとき、我々はそれを阻止して異聞帯を切除しなければならなかった。
 それと同様に、
 地球が宇宙を乗っ取ろうとするのなら、宇宙はそれを阻止して地球を切除しなければならないはずだ。

 この話の流れでは、宇宙側から、当然そういうアクションが発生しそうだ。

 ここにきて、宇宙と地球は、汎人類史と異聞帯のような対立関係になる。われわれは今度は切除される側だ。もしそんな状況が発生したとしたら、「わたしたちはどうする?」

 より大きく、正当な立場として、異聞帯を退けてきたわたしたち。
 では、わたしたち自身よりも大きく正当な立場が、わたしたちを退けようとするのなら、おとなしく退くのが話の筋、となるだろうか。
 そうはならない。

 なぜなら、これまで出会ってきた、七つの異聞帯の人々が、自分の世界の値打ちを信じていたからだ。
 自分の世界は消え去るさだめであると聞かされて、それに抵抗した、戦った人たちがいた。
 世界の存続のために、あるいは自分自身のために、戦った人たちがいた。

 その姿を私たちは見てきた。
 それがわたしたちの行動の祖型となる。異聞帯の人々がそうしてきたように、異聞帯である我々は戦うのである。

 そのようにして、「異聞帯攻略のたびに我々の心に刻み込まれた傷」の価値がポジティブに反転する。その痛みが「自分の世界と歴史を守る戦い」の原動力となる。「異聞帯のすべてを見てきたから、異聞帯である自分がどうすべきか知っている」

 本稿の仮定に基づけば、そのような種類のドラマが発生しそうだ。

 マリスビリーに対しては、「無限に並列する並行世界のひとつにすぎない」自分の世界を取り戻す戦い。
 宇宙に対しては、「宇宙の辺境の極小にすぎない」自分の世界を守る戦い。

 そこでもし仮にマリスビリーが、

「宇宙をまるごと奪う宇宙的事象収納に賛同・協力してくれるなら、地球の表面を返してあげよう」

 という取引をもちかけてきたらどうなる?

 私たちはきっと、これに同意できない。
 なぜならこれ以上、別の世界を踏みつけにして、自分が生き残るという体験がまっぴらだからだ。

 マリスビリーは、自分の計画に必要だからという理由で、意図的に、「異聞帯を七つ切除させる」行為をノウム・カルデアに強いたのだが(推定)、ノウム・カルデアにとっては、「七つの異聞帯を切除した」という体験こそが、マリスビリーを許さない動機となっていく。


 ……というような具合に、私ならFGOの続きをこう書くけど、奈須きのこさんはどう書くでしょうね、楽しみですねというお話。おあとがよろしいようで。



●追記

 些細なことですがひとつ書き忘れてました。デイビットは、一日のうち、自分が選んだ5分だけしか記憶を翌日に持ち越せないという特殊な体質でした。

 これはまあ、記憶の大部分を宇宙のかなたに送信しているとか、そんな具合のことかなと思いますが、それはさておき、彼のメモリーは「24時間のうち記憶のほとんどが虚無であり、その中に、ところどころ断片的な記憶が散らばっている」という状態にあるといえます。

 大部分の虚無のなかに、ところどころ、意味あるものが散らばっている。

 というのは、「虚空にところどころ銀河がある」という宇宙のモデルと近似しています。

 もし宇宙そのものに意思があるのなら、宇宙のモデルに近似した脳をもっているデイビットには乗り移りやすいだろうなと思いました。以上です。


■この記事を気に入った方はX(旧Twitter)にてリポスト(リンク)をお願いします。

Fate/Grand Orderランキング「いいね」はこちらをクリック

※ご注意●本稿は現実に存在する筆者(Townmemory)の思想・信条・思考・研究結果を表現した著作物です。内容の転載・転用・改変等を禁じます。紹介ないし引用を行う際は必ず出典としてブログ名・記事名・筆者名・URLを明示しなければなりません。ネットで流布している噂ないし都市伝説の類としての紹介を固くお断りします。これに反する利用に対して法的手段をとる場合があります。

#TYPE-MOON #型月 #月姫 #月姫リメイク #FGO
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■TYPE-MOON関連記事・もくじ■

2024年12月26日 17時50分12秒 | ■TYPE-MOONもくじ■
『うみねこのなく頃に』についてはこちらへ
『ローズガンズデイズ』についてはこちらへ

■TYPE-MOON関連記事・もくじ■

 現在、■特集■ ■「月姫リメイク」■ ■TYPE-MOONの「魔法」■の3シリーズを掲載中です。


■特集■
 特集記事です。

●FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)
 投稿日:2024年12月26日
 現状の情報から推測するマリスビリーの計画について。
 事象収納をつきつめると根源に到達できる話。
 仮にこの通りだとすると、クライマックスの物語はどういうものになっていくだろうという想像。私だったらこの話、こう書くけど。


●[FGO]物語の力(1)サーヴァントユニヴァースって何やねん
 投稿日:2024年10月2日
 FGOには蒼輝銀河サーヴァントユニヴァースという別世界があり、そこから正体不明のサーヴァントが来訪しています。
 この世界の正体って、ひょっとしてこういうことでは?
 こういう成り立ち方になっていたら私は腑に落ちるけど、というお話。
 聖闘士星矢とドラゴンボールを例として。


●魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか
 投稿日:2023年7月15日
 固有結界を実現している魔術理論“世界卵”というものがあるとされています。
 それはいったいどういう理論なのか、どうして内と外の入れ替えが可能なのかについて、森博嗣を例として考えを説明します。


●FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)
 投稿日:2023年10月15日
「置換魔術」という理論が作中にあります。
 この理論でいちばん容易に置換可能なものは「主人公」と「プレイヤー」ではないか。
 作中でそれが意図されている場合、なぜこの二者を置換したいのか。
 そこから導かれる「私たちとは何か」。


●FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)
 投稿日:2023年12月24日
 前回の「無限残機・無限コンティニュー説」をちょっと修正・別案。
 レイシフトとコフィンに関する私の理解(解釈)。
 無数の「ぐだスペア」を量子論的重なり状態と解釈することで得られるもの。
 なぜぐだはレイシフト適性が100%なのか。
 「フレンドのサーヴァントを借りられる」という現象は作中の理屈ではどうなっているのか。



■「月姫リメイク」シリーズ■
 『月姫リメイク』についての考えをまとめた記事です。
 こちらも原則として、番号順にお読み下さい。


●月姫リメイク(1)原理血戒と大規定・上
 投稿日:2023年5月28日
「原理」と「原理血戒」は違うもの、というところから話がスタートします。
 原理血戒は何をどうするものか、それを地上にばらまいた者はだれか。
 それは何のためか、というところまで。


●月姫リメイク(2)原理血戒と大規定・下
 投稿日:2023年6月3日
 ロアがこっそり握っている裏テーマについて。
 この物語は何であるのか、それは、「この世界が何であるのかを私が決める」と思っている者たちの闘争の物語である、という話。
 奈須きのこさんが敷いた「大規定」とそれをめぐる闘争について。


●月姫リメイク(3)ロアの転生回数とヴローヴに与えた術式
 投稿日:2023年6月10日
 ロアの「800年/十五世紀」問題と転生回数について現状でのまとめ。
 また、ロアがヴローヴに与えた術式は祖の能力を奪う「ではない」んじゃないのという話。その場合想定されるバックグラウンドストーリー。


●月姫リメイク(4)ロアのイデア論・イデアブラッドって何よ
 投稿日:2023年6月17日
「原理血戒」はどうしてイデアブラッドって読むの? イデアって何?
 ロアの行動は「人間」や「世界」のイデアを見ること、という構図でだいたい説明できるのではないか。
 イデアがらみで説明する「フランス事変」の別解。


●月姫リメイク(5)マーリオゥ/ラウレンティス同一人物問題・逆行運河したいロア
 投稿日:2023年6月24日
(5)と(6)は前後編です。
『メルブラタイプルミナ』でロアが自白しているパンティオンの機能と計画について。
ラウレンティスは本当に死にたくないのか。
ロアとマーリオゥは何と何を取引する気なのか。
ロアはパンティオンを使って何を見に行くのか。


●月姫リメイク(6)天体の卵の正体・古い宇宙・続マリ/ラウ問題
 投稿日:2023年7月1日
(5)からの続き。後編です。
ロアは宇宙誕生の「そのまた前」に行きたいんじゃないか。
前回論じた「地球創生ビッグバン仮説」に基づく「天体の卵」の正体。
タイプルミナの謎の人物「???」とは何者か。


●月姫リメイク(7)すべてが阿良句博士のしわざ・ロアの転生回数再び
 投稿日:2023年7月8日
「阿良句博士を、犯人です」。総耶市の状況全部が彼女のプロデュース説。
フランス事変の祖、どれが誰なのか。
諸星大二郎との関連。
ロア転生17回問題の新説。



■TYPE-MOONの「魔法」シリーズ■
 TYPE-MOON世界観における六つの「魔法」の解析です。
 おおむねこういう方向性でいいだろうと考えています。

 !注意! このシリーズは(1)から順番に読まないと意味をなしません。


●TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
 投稿日:2022年02月14日
「第一魔法=根源観測説」です。第一魔法は特殊スキル的なものではなく、「あるかどうかわからなかった根源を、確かにあると確かめた」一連の事象につけられた名だとしています。
「第三魔法は第一魔法より先に存在していた」という条件から始める解き方です。


●TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
 投稿日:2022年02月14日
「初期三魔法循環説」です。第一から第三の魔法は、3→1→2→3→1というふうに循環構造になっていそうだという話です。
 また「ユミナとは何者か」「第三魔法の魔法使いの名前は」といった話につながります。


●TYPE-MOONの「魔法」(3):第四魔法はなぜ消失するのか
 投稿日:2022年02月21日
「第四魔法とその使い手はなぜ消失したのか」です。第一から第三までの流れからいって、第四魔法はこういう内容だと推定可能なはずだ、というお話。


●TYPE-MOONの「魔法」(4):第五の継承者はなぜ青子なのか
 投稿日:2022年03月16日
「歴代の魔法使いが、魔法を獲得するために何をしてきたか」ということを蒼崎青子にあてはめると第五魔法の内容がわかるはずだという試み。第五が橙子に継承されなかった理由もこれなら(私は)納得。


●TYPE-MOONの「魔法」(5):第六法という人類滅亡プログラム
 投稿日:2022年03月26日
「第六魔法」と「第六法」と「第六」をいっしょくた同じものと考えるから解けないのでは? と考えました。「ズェピアが挑んで破れたという第六法」とは何かについて論じます。
 ほか、「第一~第三魔法」と「第四~第六魔法」の対応関係について。


●TYPE-MOONの「魔法」(6):「第六法」と「第六魔法」という双子
 投稿日:2022年03月27日
 引き続きズェピアの苦闘のお話。彼が本当に目指していたものとその具体的な計画について。そこから導き出される「第六法」と「第六魔法」の関係について。


●TYPE-MOONの「魔法」(7):蒼崎青子は何を求めてどこへ行くのか
 投稿日:2022年04月02日
 第五魔法の内容に関して多少の修正。TYPE-MOON世界観と笠井潔「大量死理論」との類似点。そこから展開して久遠寺有珠は何を求めているのか。蒼崎青子はあちこちに出現して、いったい何をしているのか。


●TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))
 投稿日:2023年9月17日
『Fate/stay night』と『FGO』における、マイクル・ムアコックの影響を指摘します。
 ムアコック作品(特に『この人を見よ』)からの影響を前提とすると、「なぜ第三魔法は第一に先行するのか」がスマートに理解できるのではないか。
 また、『Fate/stay night』の結末にはこういうボツ案があったのではないか、など。



Fate/Grand Orderランキング「いいね」はこちらをクリック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[FGO]物語の力(1)サーヴァントユニヴァースって何やねん

2024年11月02日 12時07分39秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
※『うみねこのなく頃に』はこちらから→ ■うみねこ推理 目次■

[FGO]物語の力(1)サーヴァントユニヴァースって何やねん
 筆者-Townmemory 初稿-2024年10月2日



 本稿ではFGOにおける「サーヴァントユニヴァース」について取り上げます。

Fate/Grand Orderランキングクリックすると筆者が喜びます

■便利な箱としてのユニヴァース

 FGOには「サーヴァントユニヴァース出身」とされるサーヴァントが何人か存在していて、総じてトンチキな設定とトンチキな性格を与えられています。

「サーヴァントユニヴァースとは何なのか」について、FGOはほとんど何も説明していません。
 が、断片的な情報をよせあつめてみると、どうやら、『スター・ウォーズ』やらマーベル・コミックやらハリウッドSF映画のパロディのような世界があって、そこに、既存のサーヴァントたちをトンチキチューニングして配置してみました、というようなもののようです。

 何と言うか、まあつまり、FGO本来の世界観になじまないくらいトンチキなキャラを配置したいときとか、TYPE-MOONの他作品からキャラを持ってきたいけど設定の都合で持ってこられないときに、
「これはサーヴァントユニヴァース出身のよく似た別人です」
 というエクスキューズを使って強引に押し通してしまう。そういう便利なギミックとして利用されているようです。

 サーヴァントユニヴァースとは何か。それは目先の変わったキャラをFGOに配置するための便利な箱である。この説明で何の問題もないですし、ひょっとしたら、それ以上のことを追及しようというのはヤボなことかもしれません。

 が、しいてそこをつきつめてみようというのが本稿の目的です。以下、「サーヴァントユニヴァースって何やねん」に関するひとつの試案。


■ヘクトールとドゥリンダナ

 と、その話をする前に、セッティングとして、ヘクトールとドゥリンダナの話から始めたい。

 ヘクトールはギリシャ神話に出てくるトロイアの名将。トロイア戦争でアキレウスと死闘をくりひろげた。FGOのヘクトールは槍使いで、槍の宝具ドゥリンダナを持っている。

 しかし。
 ヘクトールという人物が史実上に仮に存在したとして。そのヘクトールがドゥリンダナという名槍を持っていた「わけがない」

 古代ギリシャ研究家の藤村シシン先生がYoutubeで語っておられて、「へえええー!」と思ったのですが、ギリシャ神話および古代ギリシャの伝承に、名剣・名槍のたぐいは存在しないそうです。
 古代ギリシャは、剣や槍に、強い意味を持たせるということをしない文化だったそうです。とくに槍なんてのは、たくさん用意しといてぶんぶん投げまくるような使い方をしていた。

 シシン先生のおっしゃるには、古代ギリシャにおいて重視されたのは剣や槍ではなく、だった。古代ギリシャの軍隊はファランクス(密集陣形)を組むので、左手で持つ盾は、自分だけでなく左側に立つ味方の兵士を守るためのものでもあった。だから盾を失うというのは味方を危険にさらすということであり、重大なミステイクだとされた。槍を失うことはあっても盾を失うなという価値観だった。「戦場で倒れたら盾に載せられた死体として帰ってくる」という言い回しもあった。

 だから、伝説的な盾というのは、ひょっとしてありえたかもしれないが、伝説の剣や伝説の槍というものは、古代ギリシャにおいては考えづらいということでした。

 加えてシシン先生はこういう意味のことをおっしゃっていた。「FGOのヘクトルがドゥリンダナという槍を持っているというのは、後世のフランスで創作されたシャルルマーニュ伝説とか、そういうところから持ってきた設定ではないか」。

 そうとしか考えられないので、そうだと思います。後世のフランス、騎士物語がつくられ、語られた時代には、ロマンを喚起するアイテムとして名剣が必要とされた。
『ローランの歌』のローランは名剣ドゥリンダナ(デュランダル)を持っている、という設定が生まれた。
 その名剣にハクをつけるために、「この剣はかつて、トロイアのヘクトールが持っていたものだ」という説明が開発された。

 その「後世の設定」がヘクトールにフィードバックされて、「FGOのヘクトールは宝具の槍ドゥリンダナを持っている」という表現になった。

 FGOには、「サーヴァントは生前の英雄本人がそのまま召喚されるわけではなく、後世になって創作された伝説などが継ぎ足された状態で出てくる」という興味深い設定があります。

 生前のヘクトールは、ドゥリンダナなんてものは絶対に持っていなかったけれど、FGOで召喚されるヘクトールは後世の伝説が継ぎ足されているので、のちにローランが持つことになるドゥリンダナを持った状態で出てくる。

 これを恣意的に言い換えるとこうなる。

「FGOにおいて召喚されるヘクトールは、ヘクトール本人ではなく、『ローランの歌』以降に人々がイメージした《物語上のヘクトール》である」

 FGOにおいては、史実上絶対に実在したはずがないシャーロック・ホームズやモリアーティ教授(物語の中にしかいない人物たち)を召喚可能ですから、これは、がぜん飲み込みやすい話ではないでしょうか。
 つまり、シャーロックやモリアーティが特殊なサーヴァントなのではなくて、サーヴァントというのは本来的に物語の中から出てきているものなんじゃないかと言いたいのです。

 少なくとも、「後世つけられた伝説が継ぎ足されて出てくる」という説明がある以上、「ほんとうに、本人に後世の物語が足されて出てきている」のか「後世の物語の中からキャラが出てきている」のかは、出てきたサーヴァントをどんなにくまなく調べたところで判別不能の状態にあります。カルデアの人々は、前者の理屈でサーヴァントが成り立っていると考えているけれど、じつのところ後者だったというのは考えられる話だと思うのです。

 これをもう一段階、恣意的に言い換えるとこうなるのです。

「FGOにおいて召喚されるヘクトールは、史実上のヘクトールというより、後世の人々が書いた同人誌に出てくるヘクトールである」


■未来のシェアード・ワールド

「FGOに出てくる英霊は、史実上の本人というよりむしろ、後世の人々が書いた同人誌のキャラに近いものである」

 というテーゼを、仮にOKということにして下さい。

 FGOで召喚される英霊・サーヴァントは、史実上の本人をモデルにして書かれた物語の中から出てきているものである。

 さて。

 ジャストナウ、現在、ぐだちゃんと善きカルデアの人々と愉快なサーヴァントの皆さんの必死の戦いが繰り広げられています。

 地球上の人類史がまるごと燃えてなくなるという汎世界的な怪事件を解決し、地球白紙化というさらなる危機をいままさに乗り越えつつあるところ。たぶんもう一個くらい世界の危機があって、それもきっと克服する予定。

 このままだと世界がまるごとなくなる、という危機を、2個ないし3個、たてつづけに解決したとなったら、これはもう人類史第一等の英雄だ。

 そんな人類史第一等の英雄の活躍が、何らかの記録に残らないとは考えられない。

 いや、さすがに、ぐだの活躍が全世界の全人類の知るところとなって祝勝パレードが開かれるとか、そういうことは起こらないかもしれない。でも、魔術協会とかアトラス院とか彷徨海とかが確実に何らかの記録に残す。

 あるいは日常に戻ったぐだが、手記を書くかもしれない。

 ぐだが手記を書かなくても、子供か孫に、「そういえばゆうべこんな夢を見てね」なんてことを語るかもしれない。聞いた子供や孫は、それを覚えていて、日記に書きつけるかもしれない。

 そういったことが一切起こらなかったとしても、世界がそれを覚えている。地球がそれを覚えている。宇宙がそれを覚えている。

 そういった記録が、いつしか時の流れのなかですっかり見失われたあとで、1000年か1万年か100万年かあとになって、ぽろっと「発見」される。
 するとどうなるか。

 これはすごい「物語」だ!
 こんなことが実際にあったのか、それとも誰かの突飛な夢想なのかは、もはやさだかではないが、とにかく構えが大きくてすさまじい物語だ。はるかな過去に、こんなすごいお話が書かれていたなんて!

 命を削って戦い続ける一般の若者ぐだちゃんの姿も心を打つが、周りで協力するサーヴァントのみなさんのトンチキ加減も最高だ。
 チェイテピラミッド姫路城? 何をキメたらそんなことを思いつくんだ!?

 そんなわけで、再発見されたFGOの物語が、はるか未来で大センセーションを巻き起こす……といったことを想像してみて下さい。

 紀元前19世紀に成立したギルガメシュ叙事詩が、いったん忘れさられたあと19世紀に解読されて、世界中に衝撃を与えた……というのと同じことがFGOの物語に関して起こる。

 世界中に衝撃を与えたギルガメシュ叙事詩の内容は、さっそく、近現代の物語に取り入れられていったわけですね。
 我々になじみ深いところでは、ギルガメシュ叙事詩の内容にインスパイアされて『ドルアーガの塔』が作られたり、アトラスの『女神転生』シリーズに組み込まれたり、『Fate/stay night』の魅力的な敵役となったり。ようするに自由奔放に改変されて二次創作のおかずになっていった。

 はるか未来で再発見された『FGOの物語』についても、同じことが起こる、と考える。

『FGOの物語』の魅力はなんといっても、美しくかわいらしく勇敢で、なおかつおもしろおかしいサーヴァントたちが大量に登場するところだ。こいつがもう、未来の人々の想像力をギンギンに刺激する。

 このサーヴァントとあのサーヴァントを組み合わせたらこんな面白いお話が作れるぞ、といった、同人誌的な二次創作が作られていく。

 そのうち、もとの世界観がしりぞいていって、キャラクターだけが残っていく。『ドルアーガの塔』の主人公はギルガメス(ギルガメシュ)だけど、世界設定にバビロニア要素はほとんど残っていません、みたいな作品が生まれていき、そっちのほうが主流になる。

 舞台設定は今の時代(未来)だけれど、サーヴァントたちは普通に登場します、みたいな『Fate/hollow ataraxia』的な作品も出てくる。未来世界がどんな様相になっているか知らないけれど、とにかくその時代における日常生活にサーヴァントがしれっと存在していてカフェでナンパしてるような作品が書かれたりする。

 サーヴァントというキャラクター群が、すっかり人類の共有財産になってしまうと、「自分の書いてる小説の世界に、サーヴァントを自由に出していい」という状態になっていく。

 各サーヴァントのイメージも、どんどん増殖・変形していって、原型をとどめないくらいになる。ようするにサーヴァント・オデュッセウスはトンチキ宇宙軍のトンチキ司令官に。サーヴァント・アルトリア・ペンドラゴンはトンチキ悪役商会のトンチキ鉄砲玉になっていく。

 そういう小説や映画を、いろんな人が(大量の人が)てんでばらばらに書いていって増殖しまくった結果、「それらの世界をぜんぶガッチャンコして、ぜんぶ同じ世界で起こってることにしたらいいじゃん」みたいなことになる。

 ようするに「サーヴァントもの」という作品群がひとつにまとまってシェアード・ワールド化する。
 いろんな作家がてんで勝手にクトゥルフ神話ものの小説を書いていて、それらの物語はなんとなく同じ世界で起こってるような気がしていて、多少つじつま合わなくてもまあ別にいいじゃんっていうような受容のしかたが発生する。

 そういう未来図が仮にあって、「サーヴァントたちのごった煮世界」みたいな作品群が発生していたとしたら、そのシェアード・ワールドはこんなふうに呼ばれそうです。「サーヴァントユニヴァース」


■物語から召喚されるもの

 上記のような、「サーヴァントユニヴァース成立仮説」をよしとするなら、サーヴァントユニヴァースは、これもまた、人類が持つに至った有力な「物語」です。

 物語……。

 本稿を始めるにあたって仮置きした大前提のテーゼによれば、
「FGOで召喚される英霊・サーヴァントは、史実上の本人をモデルにして書かれた物語の中から出てきているものである」

 サーヴァントは実はほとんど全て物語の中から出てきているものなので、物語の中にしかいないシャーロックやモリアーティも問題なく召喚できる。

 となれば。
 当然、はるか未来において成立予定のサーヴァントユニヴァースという物語の中から、ユニヴァース産のトンチキサーヴァントを召喚可能な道理なのです。

 こういうたとえ話がわかりやすいかもしれない。

 汎人類史の英雄を召喚しようとしたら、サーヴァントユニヴァースのサーヴァントが転がり出て来ちゃった。
 これっていったいどういうことなのか。

 それは例えるなら、
「ギリシャ神話の英雄を召喚しようとしたら、『聖闘士星矢』のペガサス星矢が召喚された」
 ようなもの。

『聖闘士星矢』という作品は、ギリシャ神話が人類共有の財産になって、どんなにいじくってもいいシロモノになり、魔改造につぐ魔改造をほどこされた結果出てきた極北のような物語ですものね。

 また、こうでもいいです。
「西遊記の孫悟空を召喚しようとしたら、『ドラゴンボール』の孫悟空が来た」
(これはガチャ大当たりだな)

 これは仮定の話なんですが、冬木の第一次聖杯戦争や第二次聖杯戦争は、『聖闘士星矢』『ドラゴンボール』が描かれるより前の時代に起こっていますよね。

 たとえば、第二次聖杯戦争で、アインツベルンが、英雄ペルセウスを召喚しようと思い立ち、触媒としてペガサスの羽根を用意したとする。

 ところが召喚陣から現れたのは、コスモを高める謎の踊りをゆらゆら踊る(アニメ版)ペガサス星矢だった。誰だお前

 そうこの場合、なんと、まだ『聖闘士星矢』なる作品はこの世に存在していないので、ほんとうにこの世の誰一人、この赤タイツ鎧少年が何者なのか知らないのです。

 カルデアの召喚システムから、ユニヴァース出身だとか名乗る、なんだかよくわからない誰も知らない謎のサーヴァントが召喚されるという現象は、つまるところそういう話なんじゃないか。

 現在においてまだ成立していない、未来世界の物語からサーヴァントを召喚可能なのか? という疑問もあるかと思いますが、輝星のハサンは「未来においてぐだと出会うことになる」という縁をたぐって、「これから起こる予定のイドの物語の記憶を持った状態で」召喚されていました。つまりイドの記憶を持つ輝星のハサンは「未来の物語において成立する予定のサーヴァント」なんです。そういうことを考えると、可能なのだと思います。

 あ、というか、「未来において成立する予定の英霊エミヤ」がまさに未来の物語から召喚されたサーヴァントでしたね。そういうことでOKだと思います。


■ここまでのまとめ

 はるか未来の時代、いったん人類社会から忘れ去られた「ぐだ戦記(FGOの物語)」が再発見され、古代神話として受容される。

 現実(現代)の我々が、「ギリシャ神話」を共有財産として持ち、それを想像力の中で好き勝手いじくって遊んでいるように、未来世界でも未来人が「ぐだ戦記(FGO)」の登場人物たちで好き勝手遊ぶようになる。

 各人がてんでばらばら書いたり作ったりした「サーヴァント物語」という作品群は、いつしかひとつの統一世界観のなかで行われる「シェアード・ワールドもの」としてゆるやかに統合されていく(サーヴァントユニヴァースの成立)。

 ギリシャ神話やギルメシュ叙事詩や古事記や旧約聖書などと同様に「人類が獲得した重要な神話物語」と化したサーヴァントユニヴァース創作群は、そこからサーヴァントを召喚できるほどになる。


■なぜ蒼輝銀河なのか

 サーヴァントユニヴァースは、「蒼輝銀河」という別名で呼ばれることがあります。

 一応、エーテルが満ちていてエーテルは青いから、みたいなことが言われているようですが(エーテルって青いの?)、まあ理由ははっきりとしません。

 はっきりしませんが、私は個人的にこう考えたいよね、という話をします。

 本稿の説では、蒼輝銀河と書いてサーヴァントユニヴァースは、未来において人類が書き上げる物語です。つまり未来の産物です。

 時間は未来に向かって流れており、私たちは絶えず未来に向けて進んでいます。逆にいえば、未来は絶えず我々のほうへ近づいてきています。

 光のドップラー効果というのがあります。自分から見て、遠ざかる光は赤く見え、近づいてくる光は青く見えます。
 つまり、現在進行形で我々のもとにぐんぐん近づいてくる未来の事物は、我々から見たら(もし目に見えるのなら)青く輝いているはずです。

 未来において成立する物語、未来の事物であるサーヴァントユニヴァースは、もし目に見えるものなら我々には蒼く光って見えるはずだ。だからこれは蒼輝銀河と呼ばれるのである……という説明があったとしたら私はきっとすごく腑に落ちるだろうなと思います。

 ヒロインXXオルタ(ユニヴァース産)と蒼崎青子が同時にカルデアに召喚されている場合、蒼崎青子は以下のようなメッセージを述べるようです。
(うちには蒼崎青子はいないので、神ゲー攻略さんから孫引きします)


「蒼輝銀河……どこまで行けばそんな未来に出逢えるんだろう。と言うか、先に宇宙アイドルやられてたわ。でもいいわよね、青い宇宙!よーし、俄然闘志湧いてきた!」

『Fate/Grand Order』



 私にはこのセリフは、「そこに向かって近づいていく以上、それは青く見えるだろう」という含みをもっているように読めます。


■物語の力(予告編)

「サーヴァントは物語の中からやって来ている」という命題は、実は、このFGOという作品全体を強力に支配している急所のようなポイントなんじゃないかと考えています。

 いまかいつまんで言うならば、FGOとは、
「物語の力に関する物語」
 なんじゃないか、というのが、私の読み方です。

 サーヴァントユニヴァースは未来の人類が編んだ物語である、というのも、実は「物語の力」なるもの、を示すためのギミックのひとつとしてとらえることが可能なんじゃないかと思っています。

 それについて、次回の投稿にて論じます。
 ということですので、この話は続きます


(続く)


■この記事を気に入った方はX(旧Twitter)にてリポスト(リンク)をお願いします。

Fate/Grand Orderランキング「いいね」はこちらをクリック

※ご注意●本稿は現実に存在する筆者(Townmemory)の思想・信条・思考・研究結果を表現した著作物です。内容の転載・転用・改変等を禁じます。紹介ないし引用を行う際は必ず出典としてブログ名・記事名・筆者名・URLを明示しなければなりません。ネットで流布している噂ないし都市伝説の類としての紹介を固くお断りします。これに反する利用に対して法的手段をとる場合があります。

#TYPE-MOON #型月 #FGO
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)

2023年12月24日 12時43分42秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
※『うみねこのなく頃に』はこちらから→ ■うみねこ推理 目次■

FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)
 筆者-Townmemory 初稿-2023年12月24日



Fate/Grand Orderランキングクリックすると筆者が喜びます


●前回のまとめ

 前回の内容を前提としたお話です。ので、前回をまずお読みください。こちらです。
●FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)

 さて。
 読んでくださいといいつつ、いちおう雑な要約をしておきますが、FGOの世界観には置換魔術というものがあって、それは、
「よく似たものは距離を全く無視して入れ替えが可能である」
 というもの。

 この理論を使って、面白いことを仕込もうとしたら、どういうことが考えられるかな、と私の頭が考えた結果、
「ぐだと我々プレイヤーは置換可能っぽいな」

 私たちは、ぐだと全く同じ経験を積んでおり、しかも、自分のことをぐだだと思い込んでいるのです。ひょいと入れ替えたところで、ぐだも入れ替えに気づかないし、我々も入れ替えに気づかないでしょう。

 おそらくこの物語には「ぐだが道半ばで死んだり倒れたりした場合、人理保証は失敗する」という条件がありそうだ。
 なので、ぐだが死にそうになったりリタイアしそうになったら、それを監視していた自動置換魔法システムみたいなものが、ぐだと私たちの一人を、ひょいと入れ替える。
 いわば「無限残機・無限コンティニュー」でゲームをしている状態になる。
 こういうシステムが組まれていれば、ぐだはほぼ絶対に物語を完遂するので、事実上、人理を「保証」できる。

 そしてこの置換魔術を運営しているのは、おそらくFGO冒頭で描かれた「資料館としてのカルデア」ではないか。つまり「資料館としてのカルデア」は未来の存在で、その実態はぐだの足跡を大勢の人間に疑似体験させるシミュレーターであり、目的は「ぐだのスペアを大量にストックする」ことではないか。私たちはそのストックではないのか。

 というようなお話で。
(くりかえすようですが、ご興味を持った方は先行の記事を読んでくださいね)

 私は、あーこれは意外性があっておもしろい、と自分の発想を自分でほめちぎったのですが、「この説は心につらい」と感じた方も少数いらっしゃるようで。


●ぐだの絶対性がゆらぐ

 一言でいうならば、「自分のところのぐだの絶対性がゆらぐ」といった方向性のことのようです。

 このゲームには多数のプレイヤーがいて、その一人一人の世界に各人のぐだちゃんがいる。それはわかっている。
 けれども、「私の世界」においては、「私の世界のぐだちゃん」がたった一人の、唯一の、絶対の存在なのである。

 自分には自分なりのぐだちゃん像があって、「私のカルデア」という箱庭の中で、自分のぐだ像を思い切り展開させて楽しんでいたのに、それを急に「よそのうちのぐだと取り替え可能な存在です」「唯一性なんてものはありません」「ほかのぐだとの差異なんてないし、かりにあったとしてもほんの誤差程度のことです」なんて言われたら困ってしまうし悲しくなるではないですか。

 というようなことだと私は読みました。

 なるほどというか、言われてみるともっともだ。そういう感覚があることは、よくわかります。

 ただ思うのですが、「もし仮に」私が提唱したような「置換魔術によるぐだ無限残機説」が、本当にこの物語に採用されていたとしたらですよ。
(繰り返しますが、「仮に」ですよ)

 このアイデアを思いついて採用した人は、「このアイデアを採用することでみんなを喜ばせよう」という気持ちだったはずだと思うのですね。

 それはなんでかというと……という話をごちゃごちゃ頭の中で揉んでいたらまたいろんなものが出てきたので、以下それをダラダラ書いていきます。よろしくどうぞ……。


●コフィンとレイシフト

 急に話は飛びますが、コフィンとレイシフトのことから始めたいのです。

 いわゆる考察界隈で、コフィンやレイシフトがどう解釈されているのか、よく知りません。でも、私の理解のしかたはこうですよというのをまずは語ります。

 ご存じのとおり、コフィンとは棺桶みたいな密閉された箱。ぐだがコフィンに入り、外でオペレーターがなんらかの操作をすると、ぐだは時間と空間をこえて特定の過去世界にワープする。

 これって私が思うに、「シュレディンガーの猫」の理屈を使っていると思うのです。

 説明不要かも、とも思うのですが、一応「量子力学? シュレディンガーの猫って何」という方もいると思うので、「SF小説を読むのにだいたい不都合がないくらいに」説明しておきますね。
(わりとふわっと述べるので、細部でおかしくても見逃してください)

 素粒子の分野では、電子や原子の位置ないし運動量は「確率的にしか把握できない」そうです。

 素粒子は、位置を「今ここにいるよね?」と決めようとすると、そのかわりに運動量が測定不能になってしまう。
 運動量を「今このくらいよね」と決めようとすると、そのかわり位置が測定不能になってしまう。

 大谷翔平が打ったホームランボールは、「位置はここで運動量はこれこれ」と数値で表すことができますが、素粒子ではそれができない。

 そして、「位置を観測すると運動量がわからなくなり、運動量を観測すると位置が分からなくなる」のですから、位置や運動量は、

「観測するという行為によって決まる」

 という、ちょっとびっくりするようなことを量子物理学者はいうわけです。

 このビックリな話をイメージとして理解するのにわかりやすいといわれているのが、「シュレディンガーの猫」というたとえ話。

 箱の中に猫を入れる。この箱は外部からの観測は一切不可能であるとする。
 この箱には二分の一の確率で内部に毒ガスが噴射されるボタンがついている。
 そのボタンを押す。

 毒ガスが噴射されたかされないかは、50%:50%の確率なので、二分の一の確率で猫は死んでおり、二分の一の確率で猫は生きている。でも、内部を観測することは不可能なので、生きているか死んでいるかは外からはわからない。

 これ、普通の考え方では、
「猫は死んでいる」(が、外からはそうとはわからない)
「猫は生きている」(が、外からはそうとはわからない)
 のどちらか片方ですよね。

 しかし、量子物理学の世界ではそうはならない。どうなるかというと、
「猫が死んでいる状態と、猫が生きている状態が、重なり合っていて、まだ決定されてない」
(両方が半々ずつ箱の中に入ってる)

 こういうのを、(猫が生きているか死んでいるかは)「確率的にしかとらえられない」(この場合は50%:50%)というのです。

 じゃあ、猫が生きているか死んでいるかはいつ決定されるのかというと、
「箱を開けて、中身を確かめた瞬間だ」

 つまり、猫が生きているか死んでいるかは、箱を開けて観測したときに決まる。

 さてそれをふまえて、コフィンとレイシフトの話に戻ります。


●観測できたものは存在する

 FGOにおけるコフィンは密閉された箱で、ようするに猫の入った箱のようなもの。中に入った人物のことは、外からは一切観測できなくなる。

 観測できないってことは、「コフィンの中に、ぐだがいるのか、いないのかはわからない。可能性は50%:50%だ」ということになる。
 つまり、この箱の中にぐだが入ったのだが、観測不能状態に陥ることで、「この中にぐだはいない」という可能性が50%発生したことになる。
(発生したことにして下さい)

「50%の確率で、コフィンの中にぐだはいない」のだとしたら、ぐだはいったいどこにいったのか。

 それは、「コフィン以外のこの世のどこか。時空のどこかに50%の確率で存在する」

 さて次に、カルデアのシステムとオペレータは、技術と魔術とエネルギーを使って、レイシフト先の特定の地域において、「ぐだの存在」をむりやり観測することにする。

 シュレディンガーの猫の理屈では、観測することによって、観測対象の存在や状態が「確定」します。
 FGOの世界には魔術がありますから、もし仮に、「絶対に猫の生存を観測する」という魔術が存在すれば、50%の確率で死んでるかもしれなかった猫の箱から「100%の確率で生きた猫を救出できる」。

 その魔術を応用して、「レイシフト先において絶対にぐだの存在を観測する」ということを実現すれば、「レイシフト先の地域にぐだがいるかも」という可能性は、単なる確率論ではなく真実となります。

 つまり、コフィンの中に入ったぐだを、レイシフト先に出現させることができます。

 魔術によって、「コフィンの中にぐだはいないかもしれない」を作り出す。
 魔術によって、「レイシフト先にぐだがいるにちがいない」を作り出す。

 すると、「コフィンの中にぐだはいません、レイシフト先にぐだがいます」ということが現実として確定します。これでレイシフト先にぐだを送り込んだことになります。

 細部で多少違っていたり、もっと細かい理論的な設定があるかもしれませんが(魂を情報化して云々みたいな設定があったよね)、大づかみにはこのようなことだ、これを考え出した人の発想の大もとはこのあたりだ、というのが私の考えです。

 本来の論理でいえば、そこに本当にぐだがいるからこそ、そこにいるぐだを観測できるのです。
 ぐだがいる、という現実が先に存在してから、ぐだを観測したという事象が発生する。これがふつうの論理です。
 ですが技術や魔術で、それを転倒させるわけです。

 まず、ぐだを観測した、という事象を先に発生させます。
 ぐだが観測できた以上、そこにぐだがいないというのはおかしい。
 だから、そこにぐだは存在しはじめる。

 ちょっとあやふやな話になりますが、この「むりやりに観測を先行させる」のを、カルデアは「存在証明」と呼んでいるんじゃないかな……。
 カルデアのオペレーターやマシュが、レイシフト直後に「存在証明を確立、維持に集中します」みたいなことをよく言います。
 ようは、カルデアのシステムやエネルギーを使って、「レイシフト先の地域にぐだがいます」という観測を維持しているかぎり、「レイシフト先にぐだがいる」という状態が現実となり、ぐだの存在がレイシフト先で確定する。(コフィン内にはいないことになる)

 しかし、もし仮に存在証明を維持できなくなった場合、「コフィンの中にぐだはいないかもしれないし、レイシフト先にもいないかもしれない」という状態になり、ぐだの存在はきわめてあやふやなものとなる。
 ようするにぐだはどっかに消え失せて、どこにも存在しない人になってしまう危険がある。
 だからカルデアは、ぐだの存在証明を最優先で維持しようとする。

 ちなみにこれ(存在と観測の転倒)は宝具ゲイボルグの能力に近しい。ゲイボルグは「まず対象に命中したという結果を発生させてから、槍を投げる」という転倒を可能としました。それと似ている。
 私独自の説にひきつけていえば、第五魔法の効果にも近しい(まず根源に到達したという結果を発生させてから、根源に向かう。原因と結果を入れ替える)。

 あ、今気づいたさらなる余談ですが、だとするとゲイボルグや第五魔法は、シュレディンガーの猫の理屈で成立している(発想の大もとはシュレ猫だ)のかもしれないですね。

 普通の考えでは、対象の状態が確定してから(原因)、対象の状態を観測することができる(結果)。
 でも量子力学の分野では、その逆のことが起こる。
 まず対象を観測する(原因)。すると、対象の状態が確定する(結果)。

 これをつづめると、「原因と結果の逆転」。

 つまり自然界でも、場合によっては、原因と結果は逆転しうるのである。これを恣意的にコントロールすることができるなら、因果というものは操作可能であるはずだ。

 というところから発想をすすめていき、これをエンターテインメントに落とし込むと、ゲイボルグみたいな必殺武器が出力されてくる。


●クラウド的な私たち

 なんで急にこんな話をしだしたか、という説明をいまからします。

「ぐだと無数のプレイヤーは置換可能である」「そして本当にときどき置換されている」という本稿の説が、もし仮に、実際にFGOに採用されているとした場合。

 それを実現している「ぐだ置換システム」も、実は大づかみ、シュレディンガーの猫ちゃんの理屈でフワッと(モフっと)包み込まれているんじゃないかと思ったのです。

 前回の「ぐだ無限残機説」では(しつこいですが前回をご覧くださいよ)、本物のぐだ一名に対して、予備のぐだが順番待ちのようなことをしていて、たまに一対一ですげかえる……というようなモデルで説明をしました。

 これはわかりやすいし、基本の発想としてはこれでいいとは思っています。
(つまり、これが思いつかれた瞬間の、最初の形はこうだっただろうということ)

 が、
 これをちょっと修正したくなりました。

 もっと、なんというか「クラウド的」なモデルで考えたほうが理にかないそうだ。

「ぐだのスペア」である私たち、大量のプレイヤーは、個々の人間というより、群体のようなものとしてとらえられている。……ような気がするのです。


●大量のぐだが入った鉄の箱

 どういうことかというと、こういうモデルです。

 巨大な鉄の箱がひとつあって、この中に、オリジナルぐだと、無数のぐだスペアが入っていると思って下さい。
 箱の中に、大量のぐだがうじゃうじゃうじゃうじゃうごめいている感じ。

 この鉄の箱は、中身の状態を外部から知ることは一切できないものとします。

 箱の中に、一か所だけ、ピンスポット(一人だけ照らし出すスポットライト)が当たっている場所がある。
 このピンスポットの中に、常に必ず一名のぐだが入っている(スポットがあたっている)ものとします。

 この「ピンスポットの中のぐだ」が、現在、「現実世界においてアクティブになっているぐだ」です。

 今、ちょうどスポットが当たっているぐだが、外の世界で「たったひとりしかいないぐだ」として、白紙化地球をなんとかしようと戦っていると思って下さい。
 一名のピンスポぐだが、現実世界で矢面に立って戦っている。

 そして、この巨大な鉄の箱は、わりと頻繁に、シャカシャカしゃかしゃかシェイクされるものとします。すると、「いまピンスポあたってるアクティブなぐだ」はランダムに入れ替わる。
 今までピンスポあたってたぐだは、ピンスポの外に出る。そのかわり、別のぐだがピンスポの中に入る。その「別のぐだ」が、現在アクティブになっているぐだとして、世界を救う大事業の矢面に立つ。

 現在のピンスポぐだになんか不都合が起こると、カルデアシステムは鉄の箱をシャカシャカして、別のぐだに交代させる。
 だけど、特に不都合が起きなくても、わりと定期的にこの箱はシャカシャカする。


 ……つまり、一機死んだら二機めが出現する残機型モデルではなくて、「いま戦っているのはこっちのぐだ、次の状況に対応しているのはあっちのぐだ」というように、かなりめまぐるしくとっかえひっかえが起こっている。

 そしてこれは置換魔術の話なので、一人一人のぐだの認識では、自分の物語を走り抜けているだけなのです。
 いま自分にピンスポ当たってるか当たってないかは、ぐだたち本人にはわからない。

 そして、この箱は、「外から中身を観測不可能」という条件があるので、「いまどのぐだがアクティブなのか」は外からもわからない。ようするに、誰一人としてそれを識別できない。

 以上のことを、一言でまとめるとこうなるのです。

「いま、どのぐだがアクティブになって現実に対応しているのかは、『確率的にしかとらえられない』
 ああ、なんて量子力学(奈須さん風の言い回し)。

 シュレディンガーの猫のたとえ話では、「生きた猫」と「死んだ猫」という、二種類の猫が、「確率的な重なり状態」にありました。

 これがぐだの例では、「何万人か、何十万人という大量のぐだが、確率的な重なり状態にある」ということになるのです。


●オリジナルとコピーの区別はもうない

 このように、「無数のぐだたちの誰がいまアクティブなのかは確率的にしかとらえられない」とする場合、こういうことがいえます。

「どのぐだがオリジナルのぐだなのか、という疑問はもはや無効である」

 その疑問が無効になるように、構造ができている。

 箱の中にはオリジナルぐだとスペアぐだが入っていて、もはやごちゃまぜになっている。箱の中の全員が「自分はオリジナルだ」と思っているし、ぐだ全員が同等の能力と記憶を持っているので、本人にも他人にも、区別はいっさいつかない。

 そして、それら大量のぐだは、確率的にピンスポの中に入るので、

「確率的にいって、ぐだ全員が、世界を救う唯一の戦いの矢面に立っている」

 オリジナルとコピーの差は何なのか、という問いはもはや無効である。全員に差がなく、全員が「世界を救う唯一の戦いの矢面に立っている」のだから、全員が本物であり、「全員で本物」なのである。

 一機死んだら二機めが出てくる残機説に比べて、こちらのモデルが明らかにすぐれている点がひとつある。
 それは、

「あなたの世界のぐだは、あなたの世界限定の単なるぐだコピーなのではなく、世界を救った本物のぐだなのである」

 という結論が発生するところだ。

 ここまで書いてきたようなモデルが、「もし仮に」この物語に採用されているのだとしたら、それは採用した人が、

「あなたのぐだが本物であり、あなたたち全員がひとまとまりで本物なのである」

 という形をプレゼントしてくれようとしたからだと思う。私はこの形を美しいと思うのだけど、でもまぁ、こういうの別に恩寵とは思わない、という考え方もよくわかるのだった。


●なぜ、ぐだはレイシフト適性が100%なのか

 与太話の先に与太話を接ぎ木するのが続いておりますが、さらにまた接ぎ木。

 なぜかはわからないが、ぐだはレイシフト適性を100%持っている、という話がありますね。

 この話を書いていてふと思ったのですが、「ぐだという人は、そもそも存在自体が確率的だから」という前提を置くと、腑に落ちる感じがするのです。

 本稿の話では、「確率的にいって、レイシフト先に存在する可能性がゼロではないぐだを、量子論的観測によって強制的に存在させる」のがレイシフトでした。
(そうではないといえそうな根拠もいっぱいあるけどまあ横に置いといて下さい)

 そしてまた本稿の話では、「ぐだという人は、一人の人間というより、無数のぐだが確率的に重なり状態になった存在である」ということでした。

 たとえるなら、ぐだは、ペットボトルに入った水のような存在ではなく、大気の中の水蒸気のような存在で、本質的には同じ水ではあるんだけど、後者は確率的にしかとらえられないようなもの。

 この世にはじつは大量のぐだが存在する、という話は、「この世にあまねく存在する」という言い換えが可能なんじゃないか。

 だとすると、カルデアのシステムが、レイシフト先の世界においてぐだを強制的に観測することがものすごく容易そうにみえる。ぐだが遍在的な存在なら、「そこ」に存在する確率は高くなるので、強制観測がしやすい。

 コフィンの中に、通常の人間が入り込んでフタを閉めた場合、「この人物がコフィンの中にいるかいないか」は「50%:50%」なのです。

 でも、ぐだは存在自体が確率的重なり状態の人間ですから、事情がかわってくる。

 わかりやすく、「ぐだは、1万人のぐだが重なった存在だ」としましょう。

「ぐだはコフィンの中にいない確率」は50%です。でも、「コフィンの中にいる確率」は、50%÷10000×10000なんです。

 つまり、50%÷10000=0.005%の確率で「ぐだ00001番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00002番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00003番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00004番」がいる。

 そういうのが一万回ずらっと続いて、最後に0.005%の確率で「ぐだ10000番」がいる。

 そういう計算になります。

 そして、「コフィンの中にぐだがいない確率が50%」ということは、「コフィン以外のこの世の全時空のどこかにぐだがいる確率」が50%ということです。

 これも同様に、
 コフィン以外の全時空のどこかに0.005%の確率で「ぐだ00001番」がいる。
(中略)
 コフィン以外の全時空のどこかに0.005%の確率で「ぐだ10000番」がいる。

 こんな感じで、ぐだは全世界の全時空に「遍在」しうる。

 全世界の全時空に遍在する存在は、単に「いる」か「いない」かの二択ではない捉え方をすることができる。

 そういう特性を持った人間は、「そこにいる」可能性をつまんでひっぱりあげることが、おそらく容易だろうと想像できます。

 通常の人間をコフィンに放り込んで観測不能にしたところで、その人間が「特定の特異点の特定の場所」で存在確認される可能性は限りなくゼロに近いでしょう。この場合はレイシフト適性はほぼゼロだということができる。

 ところがぐだは存在自体が確率的重なり状態で、この世にうっすらと無限に散らばることができそうなので、「特定の特異点の特定の場所」にたまたま存在確認できる可能性が爆発的にあがる。

 レイシフトの成功率が100%というのはそういうことなんじゃないか。


 例えばこういう言い方。
 個の唯一性(非・確率性)が高いほどレイシフト適性が低く、個の遍在性(確率性)が高いほどレイシフト適性が高い。
 くだいていうと存在があやふやな奴ほどレイシフトしやすい

 みたいなことを考えると、わりと心地よくつながるので、おもしろいかなっていう話でした。まあ、こんなん出てきましたので、ここにそっと置いておきますね……。


●余談・なぜフレンドのサーヴァントを借りられるの?

 このゲームでは、フレンドからサーヴァントをレンタルすることができます。自分がまだ召喚していないサーヴァントを、まるで自分ちのカルデアに召喚したサーヴァントのようにあやつることができます。

 自分が召喚していないサーヴァントをなぜ使えるのか。それは、自分のぐだとフレンドのぐだは重なり状態にあるからだ。
 箱の中で一匹の猫が「生きた猫」と「死んだ猫」という、二種類の状態に分岐しつつも、全体としては「一匹の猫」でありつづけるように、わたしたちぐだは、「何万人か何十万人か」という、ほとんど無数の状態に分岐していながら一人のぐだであるからです。
 わたしたちぐだは、ひとりのぐだでもあるのだから、別のぐだが召喚したサーヴァントを、自分のもののように使役できるのはそんなにおかしくないのです。


●余談2・廃棄孔

 ぐだの心の中(だったかな?)には廃棄孔という謎めいた場所があって、よくないものがうごめいていたり、世界のなんか怪しい場所とつながっていそうだったりする、というような設定があります。巌窟王エドモン・ダンテスが掃除してくださってる場所ね。

 ぐだにかぎってなんでそんな廃棄孔なるものがあるのか、の原因が「無数のぐだが確率的に重なり状態になった一人のぐだ」という構造にある……なんていうことがあっても面白いなあと考えたので、ここにメモっておきます。

 ようするに、一人の人間を人為的にここまで多重化した例なんて他にない。本稿の説では、ぐだという人間の唯一の特異な特徴とはこの重なり状態にあるのである。廃棄孔というのも、ぐだ個人に紐づけられた特異なポイントなので、その二つは結びついていると考えるのは自然な流れです。

 存在を多重化したことによるゆがみが出ているなど考えればよい。
 例えば、無数のぐだの中には、旅の途中で死んだり、動けなくなってリタイアしたぐだもいるわけですね。

 そういうぐだを、ぐだをストックしている鉄の箱の中にいつまでも入れておくとさしさわりがあるので、別のところに取り出してため込んでおく。
 その死にぐだ捨て場が煮詰まってああいう場所ができた、などでもいい。

 また、無数のぐだが、一人のぐだとして多重化状態になるためには、やはり、ぐだスペア各々の固有性みたいなものを振り捨てないといけないのかもしれない。
 そういう「振り捨てたもの」を置いておく場所がブラックホール化したなんていうかたちでもいい。


■ちょっと関係ある続きのようなものを書きました。
FGO:マリスビリーの目的と事象収納(置換魔術その3)

Fate/Grand Orderランキング「いいね」はこちらをクリック

■この記事を気に入った方はX(旧Twitter)にてリポスト(リンク)をお願いします。


※ご注意●本稿は現実に存在する筆者(Townmemory)の思想・信条・思考・研究結果を表現した著作物です。内容の転載・転用・改変等を禁じます。紹介ないし引用を行う際は必ず出典としてブログ名・記事名・筆者名・URLを明示しなければなりません。ネットで流布している噂ないし都市伝説の類としての紹介を固くお断りします。これに反する利用に対して法的手段をとる場合があります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)

2023年10月15日 12時15分44秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
※『うみねこのなく頃に』はこちらから→ ■うみねこ推理 目次■

FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)
 筆者-Townmemory 初稿-2023年10月15日


 FGO(Fate/Grand Order)に関する記事です。

Fate/Grand Orderランキングクリックすると筆者が喜びます


●置換魔術とは何か

「オーディール・コール 序」という場面に、「置換魔術」というものの説明があります。

 作中の説明によれば、置換魔術とは、「よく似た二つのものは、距離をまったく無視して入れ替えが可能である」という魔術理論。

ダ・ヴィンチ
「だろうね。
 魔術世界には置換魔術というものがある。」
ダ・ヴィンチ
「たとえば、ここにゴルドルフくんAと
 ゴルドルフくんBがいたとして、」
ダ・ヴィンチ
「彼らがまったく同じ構成・情報量である場合、
 どんなに離れた場所でも入れ替える事ができる。」
ダ・ヴィンチ
「なぜか? それはもちろん、第三者から見て
 『なんの違いもない』事だからだ。」
ダ・ヴィンチ
「置換された者にしか『入れ替わった』事は分からない。
 いや、場合によっては本人たちでさえ分からない。」
ダ・ヴィンチ
超常的な事が起きたというのに世界に異常はないんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 こういう条件の時、魔術はとてもよく働く。」
『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序



 作中では、この魔術理論を使って、
「カルデアス(地球のコピー)の表面と、真の地球の表面が入れ替えられたのではないか」
(地球表面が一瞬にして白紙化されたのはこのためではないか)
 という推測が語られていました。

 これはおもしろい理屈で、いろんなところに使えそうだと思いました。

 いや、使えそう、というか、「この理屈を使っておもしろい展開を導く」ということがプランされていて、その準備として説明されているのかなと感じます。

 なので、
「この物語上で、何と何を入れ替えたら、いちばんドラマチックになるだろうか」
 ということをボワーと考えていました。そしたら、ひとつ思いついたことがあります。

 それは、

「この物語の主人公(ぐだお/ぐだ子/藤丸立香)と、私たちプレイヤーは、入れ替えが可能そうだな」


●ぐだではない私たち

 わたしたちプレイヤーの大半は、自分のことを「ぐだ」だと思い込んでゲームをプレイしているものと思います(基本、私もです)。

(注:藤丸立香という名前をあんまり好まないので、以下、物語上の主人公のことを「ぐだ」と呼称します。ちなみに「ぐだ」とは、「グ」ランドオー「ダー」をつづめたもので、ユーザー内で自然発生したあだ名)

 だけど思い返してみると、この物語には、「プレイヤーとぐだは別人ですよ」ということをほのめかす情報がしっかり置かれています。

 それは、まさにFGOの冒頭。
 FGOは、私たちプレイヤー(らしき人物)が、カルデアの正面ゲートで自動化された検問を受けるところから始まります。

アナウンス
「―――塩基配列  ヒトゲノムと確認
 ―――霊器属性  善性・中立と確認」
アナウンス
「ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
 ここは人理継続保証機関 カルデア。」
アナウンス
「指紋認証 声紋認証 遺伝子認証 クリア。
 魔術回路の測定……完了しました。」
アナウンス
「登録名と一致します。
 貴方を霊長類の一員であることを認めます。」
アナウンス
「はじめまして。
 貴方は本日 最後の来館者です。」
アナウンス
「どうぞ、善き時間をお過ごしください。」
『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ ※下線部は引用者による



 どうやら、この時代のカルデアは、人理保証を達成したカルデアの事績を記念する資料館のようなものになっているもようです。
(引用部5行目にある通り、「ここは資料館でござい」とアナウンスで言っていますものね)

 ようは、物語がすべて終わったあと、「主人公と仲間たちはこんなにすごいことをしたんだ」ということを広く人類に伝える施設になっているっぽい。

 このあと、入館手続きの完了まで180秒の待ち時間が発生し、その間、「模擬戦闘でマスター体験をお楽しみください」ということになり、最初の戦闘シーンになる。

 その戦闘シーンがおわると、私たちの視点はぐだのものとなり、カルデアの廊下でぶったおれていたところをマシュに見つかる。

 そういう流れでした。

 なので、まずひとつめの大前提として。
 私たちプレイヤーの本当の立場は、人理保証が成立したずっと後の時代に、人理保証資料館をおとずれた無名の人物である。
 ということになる。
 少なくとも、そう強く推定されることになります。


●なぜ我々は自分をぐだだと思ったのか

 前述のとおり、カルデア資料館に入館した我々は、自分がぐだになって、人理焼却直前のカルデアでぶったおれているという状況にあることを発見します。

 この時点で、我々は自分をぐだだと思い込み始め、そのまま現在でも物語が続いて行っています。

 なぜこのような視点のすりかわりが発生したのか。
 それは、このカルデア資料館が、
「世界を救ったぐだの事績とまったく同じものをバーチャル体験できるという施設」
 だからだと思います。

 さきほどの(FGO冒頭の)引用部の続きはこうなっています。

アナウンス
「……申し訳ございません。
 入館手続き完了まであと180秒必要です。
アナウンス
「その間、模擬戦闘をお楽しみください。」
アナウンス
「レギュレーション:シニア
 契約サーヴァント:セイバー ランサー アーチャー」
アナウンス
「スコアの記録はいたしません。
 どうぞ気の向くまま、自由にお楽しみください。」
アナウンス
「英霊召喚システム フェイト 起動します。
 180秒の間、マスターとして善い経験ができますよう。」
『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ



 このように、英霊召喚シミュレーターが起動して、模擬戦闘体験ができるという仕掛けになっている。

「どうぞ気の向くまま、自由にお楽しみください」なんていうのは、およそマスター候補生に対して言う言葉ではないように思います。もっと気楽な立場の人への言葉、いうなれば観光客向けのような言葉です。

「スコアの記録はいたしません」とアナウンスが言っているところにも強く注目します。

 今回はスコアの記録をしない、ということなのですから、通常時にはスコアの記録をしているということになります。
 では通常時とは何か。
 それはこの資料館のメインコンテンツだろう。
 もっと複雑で難易度の高い模擬戦闘シミュレーターがあり、そちらではスコアを記録していて、リザルトを他人と比較できるようになっているのだろうと推測できます。

 そして、この施設のメインコンテンツは、単に戦闘を疑似体験できるというだけにはとどまらないだろう、とも推測できます。

 なぜなら、我々は、入館直後にはすでにぐだになりきっていたのだからです。
 これを、「ぐだシミュレーター」が提供している疑似体験だと考えることにするのです。
 単に戦闘を体験できるということにとどまらず、ぐだの境遇をまるごと全部追体験できる、というのがこの施設の趣向だと思います。

 単に戦闘がすごかったんだ、という側面を体験させるだけでなく、ぐだがどんな人間関係を築いたか、どんな場所にいって、どんな経験をしたか、そこでどんな思いをしたのか。
 そういうことを自分のことのように体験してまるごと知ってくれ、ということが、この資料館では意図されている。

 つまりこのFGOというゲームは、ぐだシミュレーターによって提供されている、英雄ぐだの足跡を、我々が疑似体験しているものだ……というふうに考えられるのです。


●カルデア資料館の真の目的

 さて。
 未来のカルデア資料館が、「ぐだの足跡を大勢の人に疑似体験させる」という性質のものである場合。

 ぐだと同等の能力を持ち、ぐだとまったく同じ経験を経ており、自分のことをぐだだと思い込んでいる人物、が、この世に大量に存在していることになります。

 そこで置換魔術の話になる。

 ぐだとまったく同等の能力と経験と記憶をそなえた人物は、ぐだ本人との入れ替えが可能そうだ。
 資料館の真の目的はそれではないのか。

 もっとはっきりいうと、ぐだシミュレーターを装備したカルデア資料館は、「ぐだのスペアを大量に確保する」という裏の目的をもって設置されてはいないか。


●無限残機による人理保証

 ここからは大きく推測が入ってきますが、おそらく、
「ぐだが死んだり、途中で心が折れてリタイアしたりして、物語を完走しない場合、人理保証は絶対に成功しない」
 という大条件があるのだと思います。

 そういう条件が、トリスメギストスなりシバなりの計算や、周りで見ていた人たちの実感として、完全に判明したと考える。

 でもこの物語はむちゃくちゃに過酷なので、ふつう、常人には完走は無理。ぐだは常人なので、よくがんばってはいるのだけど、ふつうに考えたら無理。

 そこで、ぐだとの間に置換魔術が成立しうる、ぐだと同等の存在を大量にストックしておく。
 ぐだの心がポッキリ折れたり、死んだりした場合、その直前のポイントで、ぐだ本人と、ぐだスペアを「置換」する

 私たちぐだスペアは、シミュレーターにかかっており、シミュレーターの中の体験を現実だと思っていて、自分のことをぐだ本人だと思い込んで一切疑っていない。
 なので、急に「現実のぐだ本人」と入れ替わったとしても、それに気づかない。置換されて以降は、私たちぐだスペアが「本人」として、物語を走っていくことになる。

 いっぽう、死んだぐだ本人は、ハッと目覚めるとシミュレーターの中にいて、
「ああ、夢か。死んだかと思った」
 そうして、人理保証がはるか過去のことになった未来世界で、「ぐだスペアの」日常に帰っていく。

 そのようなことが繰り返される。「本人」の立場に置き換わった元ぐだスペアがリタイアすると、また別のぐだスペアが送り込まれてくる。

 卑近な言い方をするならば、このアイデアは「無限残機・無限コンティニュー」で人理保証を完遂しようという方式なんですね。

 無限に残機があって、無限にコンティニュー可能なら、どんなに困難なゲームでも、いつかは絶対クリアできます。
 そのような形で、人理を「保証」している。

 資料館カルデアは、資料館となった後でも、「人理継続保証機関」を名乗っています。

アナウンス
「ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
 ここは人理継続保証機関 カルデア。」
『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ



 資料館カルデアは、人理の危機に対して「英雄の無限残機」を提供しており、これあるかぎりほぼ絶対に人理の継続は保証されますから、この施設が人理継続保証機関を名乗るのは納得なのです。


●いくつかの傍証

 プロローグ部分で、カルデアの検問は、訪れた我々に対していくつかのチェックを行っています。

 たとえば、ヒトゲノムを確認して人類であることを調べ、属性が善性・中立であることを確認しています(先の引用を参照のこと)。

 これは、「ぐだスペアになりえない個体の入館を阻んでいる」と考えるのも興味深い。

 ぐだは霊長類・人類なので、そうではない入館希望者を拒む。
 たとえば虞美人みたいな、高度な知的生命体ではあっても人類ではない存在をはじく(のかもしれない)。

 ぐだの属性は善性・中立なので、そうではない入館希望者を拒む。
 属性がちがうと、ぐだが選択しないような大きな選択をする可能性があるし、そもそも置換が成立しないのかもしれない。

 そしてカルデア入館検問は、性別を識別しない。ぐだは男性でも女性でもよいからだ。


 ……といったような、「置換魔術によるぐだ無限残機説」は可能かなと思っています。

 この説におけるいちばん大きなポイントは、
「この説では、我々プレイヤーとは何者か、が定義されうる」
 というところです。

 我々はぐだ本人ではないが、いつか何かの拍子に、ぐだ本人とすげかわる可能性のある存在のひとりだ。

 いや、ひょっとしたら、もうすげかわっているのかもしれない。すげかわっているかどうかは本人にもわからないそうですからね。


●追伸・別案

 ここまで書き終わった直後に、ふと思いついたことがもうひとつあったので、追記。

 もう少し大きく捉えて、こうでもいいですね。

・実は、現実世界は人理保証に失敗し(ぐだが敗れて)滅んでいる。
・この世界滅亡を撤回したいと思った何者かが、カルデアスなり並行世界なりに、資料館カルデアを作った。
・大量の人間をシミュレーターに放り込み、ぐだの事績をそのまんま体験させる。
・もしもその中に、冒険に成功して汎人類史の人理を回復する者が出てきたら、「シミュレーター内の世界」と「滅んだ現実世界」を置換する。

(了)

 ちょっとした続きを書きました。
 FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)

■この記事を気に入った方はX(旧Twitter)にてリポスト(リンク)をお願いします。


Fate/Grand Orderランキング「いいね」はこちらをクリック

※ご注意●本稿は現実に存在する筆者(Townmemory)の思想・信条・思考・研究結果を表現した著作物です。内容の転載・転用・改変等を禁じます。紹介ないし引用を行う際は必ず出典としてブログ名・記事名・筆者名・URLを明示しなければなりません。ネットで流布している噂ないし都市伝説の類としての紹介を固くお断りします。これに反する利用に対して法的手段をとる場合があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする