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TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))
筆者-Townmemory 初稿-2023年9月17日
こないだ寝てる間に思いついた(よくあることです)ちょっとした話を。
最終的には「第三魔法って、いつ、だれが実現したの?」という話につながる予定です。
これまでの記事は、こちら。
TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
TYPE-MOONの「魔法」(3):第四魔法はなぜ消失するのか
TYPE-MOONの「魔法」(4):第五の継承者はなぜ青子なのか
TYPE-MOONの「魔法」(5):第六法という人類滅亡プログラム
TYPE-MOONの「魔法」(6):「第六法」と「第六魔法」という双子
TYPE-MOONの「魔法」(7):蒼崎青子は何を求めてどこへ行くのか
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●マイクル・ムアコック
マイクル(マイケル)・ムアコックというイギリスのSF・ファンタジー作家がいます。作品に英国への憎悪が見られるので、ひょっとしたらルーツはスコットランドかアイルランドかもしれない。
日本のファンタジー・シーンに絶大な影響を与えた人だと言い切っていいと思います。堀井雄二も芝村裕吏も河津秋敏も、たぶん坂口博信も強い影響を受けている(栗本薫はたぶん受けてない)。
わかりやすい功績をひとつあげるとするならば、「異世界転生というアイデアを決定的な形でプレゼンテーションした人」。
初めて異世界転生を書いたというわけではないが、「これ以降のこのジャンルは彼の影響を検討せずに語ることはできないだろう」というような作品を書いたということです。私見では、日本の異世界転生もののルーツはナルニアよりはむしろムアコックであることが多いと思います。
(独自の意識を持つ魔剣、というアイデアも、決定的にしたのはムアコック)
さて。
80年代~90年代のファンタジーブーム&シーンを、若いころにバキバキに浴びまくっていたと推定されるTYPE-MOONの人たち。
彼らもムアコックからむちゃくちゃに影響を受けている。奈須きのこさんは間違いなく読んでいるといいきれる。
●英雄の介添人
TYPE-MOON作品を読んでいると、「あ、これはムアコックだな」と感じられるポイントが、けっこうあります。
ものすごく端的な例をひとつ挙げるならFGO、ブリュンヒルデのスキルに、
「英雄の介添 C++」
というのがある。
英雄の介添(英雄の介添人、英雄の介添役)というタームの初出はムアコックの翻訳なんです(最初にそう訳したのはたぶん斎藤好伯)。私はそれ以前の用例を知らない。
ムアコックバースにおける英雄の介添役は、「主人公の相棒になって、助力をしたりガイド役を務めたりすることをあらかじめ運命づけられた人」。ブリュンヒルデは設定的に「英雄の助力者」なので、ムアコックの設定に沿っている。
なお芝村裕吏さんも芝村バースにおいて、「英雄の介添人」「夜明けの船」なんていう、そのものずばりに近い用語をなんの屈折もなく採用されていますね(こういうそのまんまの使い方、私は大好き)。
●「指揮をとれ、ストームブリンガー!」
TYPE-MOON作品を読んでいて、私が最初に「おおお、なんてムアコックなんだ」と思ったのが、『Fate/stay night』で、ギルガメッシュが王の財宝を展開するシーン。
空中に無数の穴があき、そこから、古今東西ありとあらゆる英雄譚に登場する聖剣・魔剣のたぐいがぬうっと出現し、そのまま水平に浮かんで、主人公をねらう。
「おおお、なんて、これはなんて『指揮を取れストームブリンガー』なんだ!」
ムアコックの『エルリック・サーガ』には、持ってるだけでたいがい不幸になるストームブリンガーという魔剣が登場します。最終巻『ストームブリンガー』にて、主人公エルリックは、
「百万もの並行世界から無数のストームブリンガーを召喚し、敵に向かっていっせいに投射する」
という奥の手を披露するのです。
この百万もの魔剣は、いっせいに射出されて、敵をめった刺しにするという攻撃方法を見せます。
ギルガメッシュの王の財宝は、私には、エルリック・サーガの明確なオマージュにみえました。オマージュというか、「かっけえ! 俺もこれやりたい!」という感情が伝わってきた。
ムアコックのこの部分、「無数の並行世界から、同一存在を無数に召喚してくる」というアイデアになっているのも、興味深い。
なぜなら『Fate/stay night』に出てくる遠坂凛の宝石剣が、まさにそういうアイデアだからです。
凛が組み立てた宝石剣ゼルレッチは、「無数の並行世界から、同一現場に満ちている魔力を自分の手元に集める」という秘密兵器でした。その力でピンチを脱したのです。
●主人公は全員同一人物
『Fate/stay night』については、その重要な設定の大部分が、ムアコックの影響下にあると感じられます。
というか、「ムアコックから得た発想や気づきを、自分なりに再構成して、独自の世界をつくりたい」という欲求にもとづいて、『Fate/stay night』は作られている(そういう部分が多い)、というのが私の考えです。
ムアコックは、剣と魔法のファンタジー小説を量産してきたのですが、あるときから、「私の書いた主人公はすべて同一人物だ」と言い出しました(たぶんジョセフ・キャンベルを読んだんだと思う)。
いろんな並行世界に、さまざまな顔や出自を持った主人公が配置されているのだけど、それらはみな「同じ魂を持つ」という。
さまざまなヒーローが全部同一人物って、どういうことなのか。それが『エレコーゼ・サーガ』で語られます。
それぞれの並行世界には、主人公である英雄が、あらかじめ存在しています。
だけども、それはいってみれば、「まだ中身が入っていない英雄」と言ったような状態であるらしい(注:これは私の解釈コミです)。
運命(フェイト)が、「この英雄に重要な役割を果たさせたい」と考えたときに、ヨソの世界から「中身」(魂)が召喚されて、この英雄に入り込む。
(運命と書いてフェイトも、ムアコック作品でよく使われる言葉)
この「英雄の中身」は、現代人のジョン・デイカーという男なのですが、かれは突然、自分の世界から引きはがされ、異世界に転移させられ、気づくとその世界の英雄となっており、「英雄なんだからなにがしかのクエストを達成してこい」と強要されることになる。
このクエストを達成したからといって、かれには何のほうびもないし、メリットもない。でも、やらないといけない状況に追い込まれて、しかたなく、命がけで戦わされる。そして元の世界に帰るみこみはまったくない。
ムアコックの主人公のだいたい全員が、こういう成り立ちになっている、とムアコックは設定した。
主人公たちのなかには、ジョン・デイカーとしての意識を持っている者も(少数)いるし、大多数は持っていない。だから、自分が異世界転生者であるとは、ほとんどの主人公は気づいていない。
なので、「全員同一人物設定」を思いつく前に書かれた主人公も、問題なく、この設定に組み込むことができた。
●ガワが先行し、中身がついてくる
以上のようなムアコックバースの設定から、TYPE-MOONに話を戻すと、上記の話から、重要なポイントをふたつ(つきつめればひとつ)、取り出すことができます。
ひとつめ。ムアコックのヒロイックファンタジーは、「自分の意思とは関係なくどっかの世界に転移させられて、望んでもいない戦いに駆り出される」という悲哀がトーンになっているという点です。この悲哀がムアコックの魅力なんですね。
これはTYPE-MOONでいえば、英霊、とりわけエミヤのような守護者を想起させます。エミヤは自分の意思とは無関係に、とつぜんどっかの場所に現界させられ、虐殺にちかい戦いを強要される……という気の毒な境遇にありました。
そしてその延長上にあるふたつめの重要なポイントは、「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造です。
ムアコックの主人公(特にエレコーゼ)は、その世界にあらかじめ存在していた人物(ガワ)の中に、本体である魂が放り込まれて、はじめて「英雄」になるというしくみでした。
『Fate/stay night』の聖杯戦争では、ゲームの舞台に、セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーという、7種類のひな型(ガワ)があらかじめ先行して用意されています。
その7種のガワにちょうどよく入る「中身」が、英霊の座から送り込まれて、サーヴァントとして活動可能になるというしくみになっていました。
この「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造は、Fate系統の作品の設定におけるキモ(のひとつ)といってよく、佐々木小次郎みたいな「本人が実在したかどうかはっきりしない英霊」を召喚するときの理屈としても使用されます。
佐々木小次郎は、ほぼ伝承のみの存在で、実在しない。実在しない存在をサーヴァントとして召喚するとき、どんなメカニズムになっているのか。
まず「伝説上の佐々木小次郎のイメージ」が、ガワとして用意される。
次に、佐々木小次郎というガワに入る資格を持つ複数の(無名の)人物の中から、一人が選ばれてそこにスポっとおさまる。
『Fate/stay night』と『FGO』で召喚される佐々木小次郎は、「自分は生前、佐々木小次郎と名乗ったことはなく、ただ愚直に剣の修業をしたただの農民である」と言っていますよね。
おそらく「燕返しを得意とする佐々木小次郎」というガワがまず用意され、そのあとで、英霊の座に登録された剣士の中から「燕返しを習得した者」がリストアップされ、その中の一名がガワの中に入って「佐々木小次郎」として冬木市なりカルデアなりに出現した。
ここまでが前置き。
●『この人を見よ』
ムアコックに『この人を見よ』というSF小説があります。1968年にネビュラ賞をとってます。
あらすじを一言で言うと、「ノイローゼをわずらった精神科医が救いを求めてタイムマシンに乗り、キリストに会いに行く」というお話です。
(おっと、ジーザス・クライスト)
ちょっと面白い指摘を先にしておきます。主人公グロガウアーは、タイムマシンで西暦28年にタイムスリップし、気を失って、洗礼者ヨハネに助け出されます(ちなみにこのヨハネさんは、ほら、サロメが首を切りたがっている人、ヨカナーンさんと同一人物)。
ヨハネは主人公のことを、魔術師と書いて「メイガス」と呼ぶんです。
『Fate/stay night』に、印象的なシーンがありますね。セイバーと凛の初邂逅。凛が宝石魔術でセイバーを攻撃し、セイバーが対魔力スキルで無効化する。剣をつきつけ、セイバー、一言。
私のとぼしい読書体験の範囲内でいえば、魔術師と書いてメイガスとフリガナを振る作品は、『この人を見よ』と『Fate/stay night』しか知らない。たぶんこのへんは、奈須きのこさんがムアコックから直接的にひっぱってきた表現だと思います。
さて……。これ以降は『この人を見よ』のネタを全部割りますから各自ご対応下さい。
●「ガワが先行し、実体が後を追う」の元ネタ
主人公とガールフレンドのあいだに、こんな会話があります。
引用部はこういうことを言っています。設問は「キリストという存在はいかにして発生したのか」。
イエスという実在の人物がまず先行して存在し、実在のイエスのまわりにさまざまな伝説がくっついていって、現在キリスト教で語られるような救世主ジーザス・クライスト像が発生したのだろうか?(これが通常の考え方)
主人公グロガウアーは、そうじゃなくて、こうだ、と言うわけです。まず最初に、我々が知っているような救世主キリストのイメージが実体よりも先にあの時代に存在し(「概念」として「先行」し)、その概念にあてはまるような人物が後付けであてはめられたんだと。
概念が先行し、実体はそのあとでやってくる……。
奈須きのこさんは絶対に読んでいる、と強く推定できる『この人を見よ』に、Fateシリーズの設定の肝といえる「ガワが先行し、中身がついてくる」というアイデアが、そのものズバリ、直接的に書かれている。
『この人を見よ』に、なぜこういう会話(概念が先行し、実体が追い付く)が書かれているかというと、この作品がまさにそういう事件を書いた物語だからです。
主人公グロガウアーは、心を病み、キリストに会いたくなって、タイムマシンに飛び乗る。
洗礼者ヨハネと出会う。
洗礼者ヨハネは世界を変革する救世主を待ち望んでいる。
ヨハネだけでなく多くの人々がそれを待ち望んでいる。
主人公は、救い主であるナザレのイエスを探し求めて苦難の旅をする。
だが、「伝説で語られているようなナザレのイエスはいない」ということがはっきりと確かめられてしまった。
主人公は現代医学の知識があったので、傷病に苦しむ人々を助けてやることがあった。
悩める人々に助言を与えることもあった。
キリストの事績として語られていることが、自分の身の回りで起こりつつあることを、主人公は自覚し始める。そのあたりから、主人公も読者も、ある予感を胸に抱きながら、この物語を先に進めていくことになる……。
主人公グロガウアーは、最終的に、ピラト総督によってゴルゴダの丘で処刑されます。人生をなげうってでも会いたいと思ったイエス・キリストとは、自分自身だった……という思い切った真相がどんとのしかかってくるのです。
60年代という時代にキリスト教圏でこういう挑戦的な作品が書かれたのもけっこう驚きですし、『ゲド戦記』の一巻の内容を想起させる感じなのも興味深いですが(『影との戦い』と『この人を見よ』はともに1968年発表)、TYPE-MOON論的に注目したいポイントはふたつ。
ひとつは前述のとおり。
このお話は、「救い主というガワが先行しているところに、その中身として主人公が送り込まれる」物語だということです。
主人公は、「実際にどんな人かはわからないがとにかくイエスに会いたい」ということで会いに行く。
でもイエスはいない。
西暦28年のヨルダン川流域には、「救い主があらわれてほしい」という機運だけがひたすら高まっている。
でも救い主はいない。
実体はまだないけど「こういうものがほしい」という願望だけがまず先行している。
そこに、遠くから実体となるもの(主人公)が送り込まれてきて、救い主として、イエスとして機能しはじめるという仕掛けになっているのです。
先にのべたとおり、「ガワが先行し、実体が後を追う」は、Fateシリーズの重要な部分を担う設定です。TYPE-MOONが(奈須きのこさんが)この設定を獲得するにあたって決定的な影響を与えたのはこの作品にちがいない。
重要なポイントのもうひとつは、『この人を見よ』は「ジーザス・クライストはどこから来たのか」という問いに対して、これ以上ないくらい鮮烈な答案を出してきているということです。
●第三魔法タイムスリップ説
このブログを通読されている方はご存じでしょうが、私の説では第一魔法の魔法使いはジーザス・クライストです。
それに関しては以下の2記事を読んでいただくのが一番間違いありません。
TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
いちおう要約を書いておきます。
(でも繰り返しますけど元記事を読んだ方がよいです)
第一魔法の前に、まず第三魔法が存在したということになっています。
第三魔法の使い手が西暦1年前後に姿を消し、第一魔法の使い手が西暦1年ごろに誕生したという設定があります。
西暦1年というのはジーザス・クライストが誕生した年です。
だから、第一魔法の使い手とジーザス・クライストは同一人物だろう、という素直な理解をしています。
第三魔法は、魂の物質化……魂をむき身のままでこの世界に存在させるという魔法です。魂は無尽蔵のエネルギーを持っているので、だいたい望むことがなんでもできる。
第三魔法の魔法使いは、西暦1年に、「魂が物質化された人間」を生み出した。このとき生まれたのがジーザス・クライストで、この人は生まれながらに無尽蔵のエネルギーを持った超人だった。
ジーザスは、生まれ持ったエネルギーを使って、人類で初めて「根源の観測」に成功したので、人類は根源の力であるエーテル(真ではないほうのエーテル)を利用できるようになった。また、同様にエネルギーを使って「各地でまちまちだった地球全体の物理法則を一意に固定する」ということをした(この一連の事績が第一魔法)。
というような話なのですが。
私は基本、この理解でOKだと思っているので、これを前提に話を進めます。
TYPE-MOONの魔法関連の設定には、「第三魔法は第一魔法より先行して存在した」という、ちょっと不思議な設定があって、微妙にひっかかっていました。
ひっかかっていたので、「初期三魔法循環説」みたいなものを模索していたわけです。
(これは今もありだと思っています)
だけど、今ここに、「奈須きのこさんに決定的な影響を与えたと強く推定される『この人を見よ』」という強力な補助線があります。
『この人を見よ』は奈須きのこさんに強い影響を与えたと推定され、なおかつ、「ジーザス・クライスト誕生の秘密」を語る物語だ。
「ジーザス・クライストが第一魔法を実現した」という仮定をOKとする場合、この設定において『この人を見よ』の影響がなかったとは考えにくい。
・『この人を見よ』は、ジーザスの中身が未来からやってくる物語である(事実)。
・TYPE-MOONの第一魔法はジーザスが編み出した(推定)。
・ジーザスは第三魔法の産物である(推定)。
・第三魔法は第一魔法よりも先に存在していた(事実)。
・現代では、第三魔法は実現不能であり、再現のための研究が続けられている(事実)。
これらの条件を足し合わせると、自然にこういうストーリーが組み立てられそうなのです。
・第三魔法は(現代からみて)これから実現される。
・第三魔法の魔法使いは、紀元前にタイムスリップする。
・第三魔法の魔法使いは、西暦1年ごろ、第三魔法の産物としてジーザス・クライストを生む。
・ジーザスは第一魔法を実現する。
バリエーションとしては、こうでもいい。
・第三魔法は、神代の魔力がないと実現できないことがわかったので(などの理由で)、紀元前にタイムスリップする。
ようするに、今後、第三魔法が実現したら、その魔法使いは過去のイスラエル周辺にタイムスリップし、魔法使い本人かその後継者が、のちに聖母マリアになる。そしてジーザスを生む。
世界が第一魔法を実現する救世主を必要としたので、はるか未来という遠くから、それを実現しうる存在がその時代に送り込まれてくる。
(そういう存在の必要性が先行し、あてはまる者が後付けでやってくる)
このアイデアのメリットは、
・「第三魔法は第一魔法に先行する」という設定の理由が説明できる。
・第一から第三はサイクル構造になっており循環する、という「初期三魔法循環説」がよりスマートになる。
このアイデアを以後「第三魔法タイムスリップ説」と呼称することにします。
「第三魔法タイムスリップ説」の問題点……というか、ヒヤっとする点は、
「もし今後、第三魔法の開発が完全に途絶えたら、キリストの事績(第一魔法)が全部不成立になるので、世界はロジックエラーを起こして破綻する」
ということです。
でもたぶん、研究が続けられているかぎりは「それがいつかはわからないがそのうち成功するかもしれないので」ということで世界は存続しそうです。「いつかは必ず死ぬがそれは遠い先なのでまだ死なない」理論で静希草十郎が生き続けているのとおなじ。
●これってホントに採用されてる?
以上のようなことを考えたので、こうして皆さんにお知らせしているわけですが、ちょっと自分で首をかしげているのは、
「これって、実際にTYPE-MOONの設定に採用されてるかな?」
どうも感覚的に、採用されていない気がする。
ただし、採用されていないにしても、奈須きのこさんはこういうアイデアを思いついていて、採用するかどうか検討しただろう……というところまではありえると思っています。そうするつもりだったけど、やめた、くらいの感じはありそう。
第三魔法が第一魔法に先行するという設定は、「第三魔法タイムスリップ」を検討していたときのなごりだと考えると腑に落ちやすい。
関連してもうひとつ、「検討された結果採用されなかったのかな」と思えるアイデアがあるので、以下それについて。
●衛宮士郎という名のキリスト
『Fate/stay night』の衛宮士郎は、「人々を救おうとして自己犠牲のかぎりを尽くした結果、救おうとした人々によって死刑に処される」という未来が予言されている男です。
こちらで詳しく述べましたが、これは完全にイエス・キリスト伝説の語り直しです。
衛宮士郎は「おまえはやがてキリストのような死に方をするだろう」と、未来の自分から予言された男です。
そんな衛宮士郎、『Heaven's Feel』のラストで命を落としますが、イリヤの第三魔法(もどき)によって魂を保存され、のちに新しい身体を得て生き返ります。
キリスト伝説では、イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)は、ゴルゴダの丘で死刑になるものの、生き返るのです。
「死んだけど生き返った」は、キリスト伝説およびキリスト教の教義における神髄です。衛宮士郎はキリストのように生きて死ぬことを予言され、キリストのように生き返った男なのでした。
このことと「第三魔法タイムスリップ説」を足し合わせると、以下のようなストーリーもひょっとしてありえたんじゃないか。
イリヤ(か桜)は士郎の魂を持ったまま西暦前夜のヨルダン川流域にタイムスリップする。
そこで士郎を再生させる。
士郎はキリストになる……。
つまり、その時代、その土地において、キリストに相当するような救世主を「世界が」必要としている。
ところが、キリストに該当する実体はそこには存在しない。
そこで、遠い未来から、キリストという「ガワ」に入り込む資格を持つ人物の魂が召喚される……というようなイメージです。
セイバーというひな型にアーサーが送り込まれるように、佐々木小次郎というひな型に燕返しの農民が送り込まれるように、キリストというひな型に衛宮士郎が送り込まれる……といったようなアイデアですね。
だけど、実際には物語はそうはなっていません。だから、もし仮にこういうアイデアを奈須きのこさんが発想していたとしても、採用はされていません。
採用はされていませんが(私でも採用しない。話が飛躍しすぎるし、元ネタの形が残りすぎている)、『Fate/stay night』の結末をどのようにしめくくろうか、というとき、いくつも浮かんだはずのアイデアの中に、これはあったんじゃないかなあ……というようなお話でした。以上です。
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#TYPE-MOON #型月 #月姫 #月姫リメイク #FGO #メルブラ #MeltyBlood #Fate
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TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))
筆者-Townmemory 初稿-2023年9月17日
こないだ寝てる間に思いついた(よくあることです)ちょっとした話を。
最終的には「第三魔法って、いつ、だれが実現したの?」という話につながる予定です。
これまでの記事は、こちら。
TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
TYPE-MOONの「魔法」(3):第四魔法はなぜ消失するのか
TYPE-MOONの「魔法」(4):第五の継承者はなぜ青子なのか
TYPE-MOONの「魔法」(5):第六法という人類滅亡プログラム
TYPE-MOONの「魔法」(6):「第六法」と「第六魔法」という双子
TYPE-MOONの「魔法」(7):蒼崎青子は何を求めてどこへ行くのか
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●マイクル・ムアコック
マイクル(マイケル)・ムアコックというイギリスのSF・ファンタジー作家がいます。作品に英国への憎悪が見られるので、ひょっとしたらルーツはスコットランドかアイルランドかもしれない。
日本のファンタジー・シーンに絶大な影響を与えた人だと言い切っていいと思います。堀井雄二も芝村裕吏も河津秋敏も、たぶん坂口博信も強い影響を受けている(栗本薫はたぶん受けてない)。
わかりやすい功績をひとつあげるとするならば、「異世界転生というアイデアを決定的な形でプレゼンテーションした人」。
初めて異世界転生を書いたというわけではないが、「これ以降のこのジャンルは彼の影響を検討せずに語ることはできないだろう」というような作品を書いたということです。私見では、日本の異世界転生もののルーツはナルニアよりはむしろムアコックであることが多いと思います。
(独自の意識を持つ魔剣、というアイデアも、決定的にしたのはムアコック)
さて。
80年代~90年代のファンタジーブーム&シーンを、若いころにバキバキに浴びまくっていたと推定されるTYPE-MOONの人たち。
彼らもムアコックからむちゃくちゃに影響を受けている。奈須きのこさんは間違いなく読んでいるといいきれる。
●英雄の介添人
TYPE-MOON作品を読んでいると、「あ、これはムアコックだな」と感じられるポイントが、けっこうあります。
ものすごく端的な例をひとつ挙げるならFGO、ブリュンヒルデのスキルに、
「英雄の介添 C++」
というのがある。
英雄の介添(英雄の介添人、英雄の介添役)というタームの初出はムアコックの翻訳なんです(最初にそう訳したのはたぶん斎藤好伯)。私はそれ以前の用例を知らない。
ムアコックバースにおける英雄の介添役は、「主人公の相棒になって、助力をしたりガイド役を務めたりすることをあらかじめ運命づけられた人」。ブリュンヒルデは設定的に「英雄の助力者」なので、ムアコックの設定に沿っている。
なお芝村裕吏さんも芝村バースにおいて、「英雄の介添人」「夜明けの船」なんていう、そのものずばりに近い用語をなんの屈折もなく採用されていますね(こういうそのまんまの使い方、私は大好き)。
●「指揮をとれ、ストームブリンガー!」
TYPE-MOON作品を読んでいて、私が最初に「おおお、なんてムアコックなんだ」と思ったのが、『Fate/stay night』で、ギルガメッシュが王の財宝を展開するシーン。
空中に無数の穴があき、そこから、古今東西ありとあらゆる英雄譚に登場する聖剣・魔剣のたぐいがぬうっと出現し、そのまま水平に浮かんで、主人公をねらう。
「おおお、なんて、これはなんて『指揮を取れストームブリンガー』なんだ!」
ムアコックの『エルリック・サーガ』には、持ってるだけでたいがい不幸になるストームブリンガーという魔剣が登場します。最終巻『ストームブリンガー』にて、主人公エルリックは、
「百万もの並行世界から無数のストームブリンガーを召喚し、敵に向かっていっせいに投射する」
という奥の手を披露するのです。
「ストームブリンガー――」エルリックは言った。「いよいよおまえの兄弟たちの出番だな」マイクル・ムアコック『永遠の戦士 エルリック4 ストームブリンガー』早川書房 井辻朱美訳 P.328~329
(略)
やがてかれのまわりにいくつもの、半ばこの次元に、半ば〈混沌〉の次元に属している、影のような姿があらわれてきた。それらがうごめくとみるまに突然、あたりはびっしりと百万もの剣、ストームブリンガーと瓜二つの剣に満たされたのである!
(略)
「指揮をとれ、ストームブリンガー! 公爵らにかからせろ――さもないとおまえのあるじは滅びて、おまえも二度と人間の魂をのめなくなるぞ」
この百万もの魔剣は、いっせいに射出されて、敵をめった刺しにするという攻撃方法を見せます。
ギルガメッシュの王の財宝は、私には、エルリック・サーガの明確なオマージュにみえました。オマージュというか、「かっけえ! 俺もこれやりたい!」という感情が伝わってきた。
ムアコックのこの部分、「無数の並行世界から、同一存在を無数に召喚してくる」というアイデアになっているのも、興味深い。
なぜなら『Fate/stay night』に出てくる遠坂凛の宝石剣が、まさにそういうアイデアだからです。
凛が組み立てた宝石剣ゼルレッチは、「無数の並行世界から、同一現場に満ちている魔力を自分の手元に集める」という秘密兵器でした。その力でピンチを脱したのです。
●主人公は全員同一人物
『Fate/stay night』については、その重要な設定の大部分が、ムアコックの影響下にあると感じられます。
というか、「ムアコックから得た発想や気づきを、自分なりに再構成して、独自の世界をつくりたい」という欲求にもとづいて、『Fate/stay night』は作られている(そういう部分が多い)、というのが私の考えです。
ムアコックは、剣と魔法のファンタジー小説を量産してきたのですが、あるときから、「私の書いた主人公はすべて同一人物だ」と言い出しました(たぶんジョセフ・キャンベルを読んだんだと思う)。
いろんな並行世界に、さまざまな顔や出自を持った主人公が配置されているのだけど、それらはみな「同じ魂を持つ」という。
さまざまなヒーローが全部同一人物って、どういうことなのか。それが『エレコーゼ・サーガ』で語られます。
それぞれの並行世界には、主人公である英雄が、あらかじめ存在しています。
だけども、それはいってみれば、「まだ中身が入っていない英雄」と言ったような状態であるらしい(注:これは私の解釈コミです)。
運命(フェイト)が、「この英雄に重要な役割を果たさせたい」と考えたときに、ヨソの世界から「中身」(魂)が召喚されて、この英雄に入り込む。
(運命と書いてフェイトも、ムアコック作品でよく使われる言葉)
この「英雄の中身」は、現代人のジョン・デイカーという男なのですが、かれは突然、自分の世界から引きはがされ、異世界に転移させられ、気づくとその世界の英雄となっており、「英雄なんだからなにがしかのクエストを達成してこい」と強要されることになる。
このクエストを達成したからといって、かれには何のほうびもないし、メリットもない。でも、やらないといけない状況に追い込まれて、しかたなく、命がけで戦わされる。そして元の世界に帰るみこみはまったくない。
ムアコックの主人公のだいたい全員が、こういう成り立ちになっている、とムアコックは設定した。
主人公たちのなかには、ジョン・デイカーとしての意識を持っている者も(少数)いるし、大多数は持っていない。だから、自分が異世界転生者であるとは、ほとんどの主人公は気づいていない。
なので、「全員同一人物設定」を思いつく前に書かれた主人公も、問題なく、この設定に組み込むことができた。
●ガワが先行し、中身がついてくる
以上のようなムアコックバースの設定から、TYPE-MOONに話を戻すと、上記の話から、重要なポイントをふたつ(つきつめればひとつ)、取り出すことができます。
ひとつめ。ムアコックのヒロイックファンタジーは、「自分の意思とは関係なくどっかの世界に転移させられて、望んでもいない戦いに駆り出される」という悲哀がトーンになっているという点です。この悲哀がムアコックの魅力なんですね。
これはTYPE-MOONでいえば、英霊、とりわけエミヤのような守護者を想起させます。エミヤは自分の意思とは無関係に、とつぜんどっかの場所に現界させられ、虐殺にちかい戦いを強要される……という気の毒な境遇にありました。
そしてその延長上にあるふたつめの重要なポイントは、「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造です。
ムアコックの主人公(特にエレコーゼ)は、その世界にあらかじめ存在していた人物(ガワ)の中に、本体である魂が放り込まれて、はじめて「英雄」になるというしくみでした。
『Fate/stay night』の聖杯戦争では、ゲームの舞台に、セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーという、7種類のひな型(ガワ)があらかじめ先行して用意されています。
その7種のガワにちょうどよく入る「中身」が、英霊の座から送り込まれて、サーヴァントとして活動可能になるというしくみになっていました。
この「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造は、Fate系統の作品の設定におけるキモ(のひとつ)といってよく、佐々木小次郎みたいな「本人が実在したかどうかはっきりしない英霊」を召喚するときの理屈としても使用されます。
佐々木小次郎は、ほぼ伝承のみの存在で、実在しない。実在しない存在をサーヴァントとして召喚するとき、どんなメカニズムになっているのか。
まず「伝説上の佐々木小次郎のイメージ」が、ガワとして用意される。
次に、佐々木小次郎というガワに入る資格を持つ複数の(無名の)人物の中から、一人が選ばれてそこにスポっとおさまる。
『Fate/stay night』と『FGO』で召喚される佐々木小次郎は、「自分は生前、佐々木小次郎と名乗ったことはなく、ただ愚直に剣の修業をしたただの農民である」と言っていますよね。
おそらく「燕返しを得意とする佐々木小次郎」というガワがまず用意され、そのあとで、英霊の座に登録された剣士の中から「燕返しを習得した者」がリストアップされ、その中の一名がガワの中に入って「佐々木小次郎」として冬木市なりカルデアなりに出現した。
ここまでが前置き。
●『この人を見よ』
ムアコックに『この人を見よ』というSF小説があります。1968年にネビュラ賞をとってます。
あらすじを一言で言うと、「ノイローゼをわずらった精神科医が救いを求めてタイムマシンに乗り、キリストに会いに行く」というお話です。
(おっと、ジーザス・クライスト)
ちょっと面白い指摘を先にしておきます。主人公グロガウアーは、タイムマシンで西暦28年にタイムスリップし、気を失って、洗礼者ヨハネに助け出されます(ちなみにこのヨハネさんは、ほら、サロメが首を切りたがっている人、ヨカナーンさんと同一人物)。
ヨハネは主人公のことを、魔術師と書いて「メイガス」と呼ぶんです。
ヨハネがいま、洞窟の外に立っていた。彼はグロガウアーに呼びかけていた。マイクル・ムアコック『この人を見よ』早川書房 峯岸久訳 P.136
「時間だぞ、魔術師(メイガス)」
『Fate/stay night』に、印象的なシーンがありますね。セイバーと凛の初邂逅。凛が宝石魔術でセイバーを攻撃し、セイバーが対魔力スキルで無効化する。剣をつきつけ、セイバー、一言。
「今の魔術は見事だった、魔術師(メイガス)」『Fate/stay night』
私のとぼしい読書体験の範囲内でいえば、魔術師と書いてメイガスとフリガナを振る作品は、『この人を見よ』と『Fate/stay night』しか知らない。たぶんこのへんは、奈須きのこさんがムアコックから直接的にひっぱってきた表現だと思います。
さて……。これ以降は『この人を見よ』のネタを全部割りますから各自ご対応下さい。
●「ガワが先行し、実体が後を追う」の元ネタ
主人公とガールフレンドのあいだに、こんな会話があります。
「きみはこれまで、キリストというマイクル・ムアコック『この人を見よ』早川書房 峯岸久訳 P.104~105 ※傍線は引用者による概念 のことを考えたことはないのかい?」
(略)
「だが、どっちが先に来ただろう? キリストという概念だろうか、それともキリストという現実だろうか?」
(略)
「人びとがそれを求めている時には、とても考えられないような糸口からだって、偉大な宗教を作りあげるわ」
「ぼくのいっているのはまさにそれだよ、モニカ」彼の身振りに思わず熱がはいったので、彼女はちょっと身を引いた。「概念 がキリストの現実 に先行したんだよ」
引用部はこういうことを言っています。設問は「キリストという存在はいかにして発生したのか」。
イエスという実在の人物がまず先行して存在し、実在のイエスのまわりにさまざまな伝説がくっついていって、現在キリスト教で語られるような救世主ジーザス・クライスト像が発生したのだろうか?(これが通常の考え方)
主人公グロガウアーは、そうじゃなくて、こうだ、と言うわけです。まず最初に、我々が知っているような救世主キリストのイメージが実体よりも先にあの時代に存在し(「概念」として「先行」し)、その概念にあてはまるような人物が後付けであてはめられたんだと。
概念が先行し、実体はそのあとでやってくる……。
奈須きのこさんは絶対に読んでいる、と強く推定できる『この人を見よ』に、Fateシリーズの設定の肝といえる「ガワが先行し、中身がついてくる」というアイデアが、そのものズバリ、直接的に書かれている。
『この人を見よ』に、なぜこういう会話(概念が先行し、実体が追い付く)が書かれているかというと、この作品がまさにそういう事件を書いた物語だからです。
主人公グロガウアーは、心を病み、キリストに会いたくなって、タイムマシンに飛び乗る。
洗礼者ヨハネと出会う。
洗礼者ヨハネは世界を変革する救世主を待ち望んでいる。
ヨハネだけでなく多くの人々がそれを待ち望んでいる。
主人公は、救い主であるナザレのイエスを探し求めて苦難の旅をする。
だが、「伝説で語られているようなナザレのイエスはいない」ということがはっきりと確かめられてしまった。
主人公は現代医学の知識があったので、傷病に苦しむ人々を助けてやることがあった。
悩める人々に助言を与えることもあった。
キリストの事績として語られていることが、自分の身の回りで起こりつつあることを、主人公は自覚し始める。そのあたりから、主人公も読者も、ある予感を胸に抱きながら、この物語を先に進めていくことになる……。
主人公グロガウアーは、最終的に、ピラト総督によってゴルゴダの丘で処刑されます。人生をなげうってでも会いたいと思ったイエス・キリストとは、自分自身だった……という思い切った真相がどんとのしかかってくるのです。
60年代という時代にキリスト教圏でこういう挑戦的な作品が書かれたのもけっこう驚きですし、『ゲド戦記』の一巻の内容を想起させる感じなのも興味深いですが(『影との戦い』と『この人を見よ』はともに1968年発表)、TYPE-MOON論的に注目したいポイントはふたつ。
ひとつは前述のとおり。
このお話は、「救い主というガワが先行しているところに、その中身として主人公が送り込まれる」物語だということです。
主人公は、「実際にどんな人かはわからないがとにかくイエスに会いたい」ということで会いに行く。
でもイエスはいない。
西暦28年のヨルダン川流域には、「救い主があらわれてほしい」という機運だけがひたすら高まっている。
でも救い主はいない。
実体はまだないけど「こういうものがほしい」という願望だけがまず先行している。
そこに、遠くから実体となるもの(主人公)が送り込まれてきて、救い主として、イエスとして機能しはじめるという仕掛けになっているのです。
先にのべたとおり、「ガワが先行し、実体が後を追う」は、Fateシリーズの重要な部分を担う設定です。TYPE-MOONが(奈須きのこさんが)この設定を獲得するにあたって決定的な影響を与えたのはこの作品にちがいない。
重要なポイントのもうひとつは、『この人を見よ』は「ジーザス・クライストはどこから来たのか」という問いに対して、これ以上ないくらい鮮烈な答案を出してきているということです。
●第三魔法タイムスリップ説
このブログを通読されている方はご存じでしょうが、私の説では第一魔法の魔法使いはジーザス・クライストです。
それに関しては以下の2記事を読んでいただくのが一番間違いありません。
TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
いちおう要約を書いておきます。
(でも繰り返しますけど元記事を読んだ方がよいです)
第一魔法の前に、まず第三魔法が存在したということになっています。
第三魔法の使い手が西暦1年前後に姿を消し、第一魔法の使い手が西暦1年ごろに誕生したという設定があります。
西暦1年というのはジーザス・クライストが誕生した年です。
だから、第一魔法の使い手とジーザス・クライストは同一人物だろう、という素直な理解をしています。
第三魔法は、魂の物質化……魂をむき身のままでこの世界に存在させるという魔法です。魂は無尽蔵のエネルギーを持っているので、だいたい望むことがなんでもできる。
第三魔法の魔法使いは、西暦1年に、「魂が物質化された人間」を生み出した。このとき生まれたのがジーザス・クライストで、この人は生まれながらに無尽蔵のエネルギーを持った超人だった。
ジーザスは、生まれ持ったエネルギーを使って、人類で初めて「根源の観測」に成功したので、人類は根源の力であるエーテル(真ではないほうのエーテル)を利用できるようになった。また、同様にエネルギーを使って「各地でまちまちだった地球全体の物理法則を一意に固定する」ということをした(この一連の事績が第一魔法)。
というような話なのですが。
私は基本、この理解でOKだと思っているので、これを前提に話を進めます。
TYPE-MOONの魔法関連の設定には、「第三魔法は第一魔法より先行して存在した」という、ちょっと不思議な設定があって、微妙にひっかかっていました。
ひっかかっていたので、「初期三魔法循環説」みたいなものを模索していたわけです。
(これは今もありだと思っています)
だけど、今ここに、「奈須きのこさんに決定的な影響を与えたと強く推定される『この人を見よ』」という強力な補助線があります。
『この人を見よ』は奈須きのこさんに強い影響を与えたと推定され、なおかつ、「ジーザス・クライスト誕生の秘密」を語る物語だ。
「ジーザス・クライストが第一魔法を実現した」という仮定をOKとする場合、この設定において『この人を見よ』の影響がなかったとは考えにくい。
・『この人を見よ』は、ジーザスの中身が未来からやってくる物語である(事実)。
・TYPE-MOONの第一魔法はジーザスが編み出した(推定)。
・ジーザスは第三魔法の産物である(推定)。
・第三魔法は第一魔法よりも先に存在していた(事実)。
・現代では、第三魔法は実現不能であり、再現のための研究が続けられている(事実)。
これらの条件を足し合わせると、自然にこういうストーリーが組み立てられそうなのです。
・第三魔法は(現代からみて)これから実現される。
・第三魔法の魔法使いは、紀元前にタイムスリップする。
・第三魔法の魔法使いは、西暦1年ごろ、第三魔法の産物としてジーザス・クライストを生む。
・ジーザスは第一魔法を実現する。
バリエーションとしては、こうでもいい。
・第三魔法は、神代の魔力がないと実現できないことがわかったので(などの理由で)、紀元前にタイムスリップする。
ようするに、今後、第三魔法が実現したら、その魔法使いは過去のイスラエル周辺にタイムスリップし、魔法使い本人かその後継者が、のちに聖母マリアになる。そしてジーザスを生む。
世界が第一魔法を実現する救世主を必要としたので、はるか未来という遠くから、それを実現しうる存在がその時代に送り込まれてくる。
(そういう存在の必要性が先行し、あてはまる者が後付けでやってくる)
このアイデアのメリットは、
・「第三魔法は第一魔法に先行する」という設定の理由が説明できる。
・第一から第三はサイクル構造になっており循環する、という「初期三魔法循環説」がよりスマートになる。
このアイデアを以後「第三魔法タイムスリップ説」と呼称することにします。
「第三魔法タイムスリップ説」の問題点……というか、ヒヤっとする点は、
「もし今後、第三魔法の開発が完全に途絶えたら、キリストの事績(第一魔法)が全部不成立になるので、世界はロジックエラーを起こして破綻する」
ということです。
でもたぶん、研究が続けられているかぎりは「それがいつかはわからないがそのうち成功するかもしれないので」ということで世界は存続しそうです。「いつかは必ず死ぬがそれは遠い先なのでまだ死なない」理論で静希草十郎が生き続けているのとおなじ。
●これってホントに採用されてる?
以上のようなことを考えたので、こうして皆さんにお知らせしているわけですが、ちょっと自分で首をかしげているのは、
「これって、実際にTYPE-MOONの設定に採用されてるかな?」
どうも感覚的に、採用されていない気がする。
ただし、採用されていないにしても、奈須きのこさんはこういうアイデアを思いついていて、採用するかどうか検討しただろう……というところまではありえると思っています。そうするつもりだったけど、やめた、くらいの感じはありそう。
第三魔法が第一魔法に先行するという設定は、「第三魔法タイムスリップ」を検討していたときのなごりだと考えると腑に落ちやすい。
関連してもうひとつ、「検討された結果採用されなかったのかな」と思えるアイデアがあるので、以下それについて。
●衛宮士郎という名のキリスト
『Fate/stay night』の衛宮士郎は、「人々を救おうとして自己犠牲のかぎりを尽くした結果、救おうとした人々によって死刑に処される」という未来が予言されている男です。
こちらで詳しく述べましたが、これは完全にイエス・キリスト伝説の語り直しです。
衛宮士郎は「おまえはやがてキリストのような死に方をするだろう」と、未来の自分から予言された男です。
そんな衛宮士郎、『Heaven's Feel』のラストで命を落としますが、イリヤの第三魔法(もどき)によって魂を保存され、のちに新しい身体を得て生き返ります。
キリスト伝説では、イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)は、ゴルゴダの丘で死刑になるものの、生き返るのです。
「死んだけど生き返った」は、キリスト伝説およびキリスト教の教義における神髄です。衛宮士郎はキリストのように生きて死ぬことを予言され、キリストのように生き返った男なのでした。
このことと「第三魔法タイムスリップ説」を足し合わせると、以下のようなストーリーもひょっとしてありえたんじゃないか。
イリヤ(か桜)は士郎の魂を持ったまま西暦前夜のヨルダン川流域にタイムスリップする。
そこで士郎を再生させる。
士郎はキリストになる……。
つまり、その時代、その土地において、キリストに相当するような救世主を「世界が」必要としている。
ところが、キリストに該当する実体はそこには存在しない。
そこで、遠い未来から、キリストという「ガワ」に入り込む資格を持つ人物の魂が召喚される……というようなイメージです。
セイバーというひな型にアーサーが送り込まれるように、佐々木小次郎というひな型に燕返しの農民が送り込まれるように、キリストというひな型に衛宮士郎が送り込まれる……といったようなアイデアですね。
だけど、実際には物語はそうはなっていません。だから、もし仮にこういうアイデアを奈須きのこさんが発想していたとしても、採用はされていません。
採用はされていませんが(私でも採用しない。話が飛躍しすぎるし、元ネタの形が残りすぎている)、『Fate/stay night』の結末をどのようにしめくくろうか、というとき、いくつも浮かんだはずのアイデアの中に、これはあったんじゃないかなあ……というようなお話でした。以上です。
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