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ラムダはなぜベアトリーチェに強いのか
筆者-初出●Townmemory -(2009/06/24(Wed) 23:50:29)・(2009/06/26(Fri) 22:58:30)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=27569&no=0 (ミラー)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=27668&no=0 (ミラー)
[Ep4当時に執筆されました]
●再掲にあたっての筆者注
公式掲示板に投稿したふたつの書き込みをひとつにまとめて掲載します(一部、書き足しています)。
ラムダはベアトリーチェに強く、ベルンはベアトリーチェに弱い、といった設定について、「問題解決アプローチの違い」から起こるものとして説明したものです。
「謎(問題)とは、理論と現実とのギャップである」
という考え方は、わたしオリジナルのものではなく、森博嗣さんのとある小説に出てきたテーゼです。ゾクゾクするような発想です。
その考え方を、そのまま当てはめました。「うみねこ」を読んでいると、森博嗣さんからの影響がかなりあるな、と感じます。
引用部は公式掲示板・発言番号27558からです(わたしへの問いかけです)。
以下が本文です。
☆
(引用)ありゃ? マスターキー6本目ですか。「マスターキーは5本しかない」の赤字回避は、なにがしかの方法でしているわけですね。(引用終了)
赤字は、回避というより、
「赤字は必ずしも真実ではない! ドーン!」
で、ひっちゃぶきました。
ベアトリーチェは、鍵が6本あるくせに、5本しかないとウソっこをついていると思います。
いや、マスターキーでなくても、全部の鍵がついた鍵束でも良いし、楼座は4本しか鍵を管理しなかった・楼座たちはマスターキーは4本で全てだと思っている、でも良いですが、ようは、赤字のどこかが嘘。
赤字がぜんぶ真実だとすると、
「この密室のときは、この人が嘘をついている。この謎のときには、この人が事実を誤認している」
というふうに、条件が複雑になってしまいますが、
赤字を信じないことにすれば、
「ひとりの人物が、一個だけ、嘘をついている」(ベアトリーチェが、「赤字は真実」という嘘をついている)
これだけの条件で、すべての謎を構築できるので、その合理性を取りました。
わたし、これを「ラムダデルタ式解法」と、心の中で呼んでます。
小冊子に出てきた、ベルンカステルは迷路を全部マッピングする人、ラムダデルタは壁に穴を開けてまっすぐ通る人、という表現ですね。
赤字を論理的にかいくぐって、どうやったら謎が解けるか考えるのは、迷路の行き止まりを一個一個チェックしていくベルンカステル式解法。
「でも、この迷路、壁が障子紙でできてるじゃなーい」
といって、風雲たけし城かウルトラクイズみたいに、ズバンズバンと穴を開けちゃう(赤字なんてないものとして扱う)のが、ラムダデルタ式解法。
聞いた話では、「障子を破っちゃいけない」というのは、日本人が生活の中で自然に縛られてしまった文化的ルールにすぎなくて、障子を初めて見た外国人なんかは、
「ひゃっはー、これ紙で出来てるぜーいえー」
なんていって、ずばずば手を突っ込んじゃうそうですよ。
破れるものが張ってある以上、破っていいんだろ、という発想をするらしく、「破らないように使うものだ」という発想にはならない(ケースが多々ある)らしい。
赤字って、「なんか破っちゃいけないような気がするから、破らないようにしてしまう」文化的トリックなのではないかという気がしています。
-----------------
赤字の扱い方について、「ラムダデルタ式解法」「ベルンカステル式解法」という話を、別スレッドでしました。
そこから連想したことを、もうひとつ。
ラムダ・ベルン・ベアトの3人で、ジャンケンのような3すくみになる、という話がありました。
ラムダデルタは、ベアトリーチェのゲーム盤に対して強い。
ベルンカステルは、ベアトリーチェのゲーム盤に対して弱い。
この意味を解いてみたい。
*
さて、唐突ですが。
「謎」というのは、つきつめると、「リクツと現象が一致しない」ことです。
たとえば。
殺人犯は逃亡したのだから、犯行現場のドアは開いているはずだ(というリクツ)。
しかし、ドアには内側からカギがかけられていた!(という現象)
このテの「リクツと現象の不一致」のことを「密室」と呼んだりしています。
だから、「謎を解く」ということは、単純化すると、「リクツを変えるか、現象を変えるか」という二択です。
すなわち。
「ドアが施錠されててもかまわないことにする(何らかのトリックを使って)」
か、
「ドアは施錠されてなかったことにする」
か、どちらかが成り立てば、この密室の「謎は解けた」ことになります。
前者のアプローチで謎を解くのがベルンカステルで、後者のアプローチで謎を解くのがラムダデルタです。
*
「ひぐらし」の話をします。
ベルンカステルは、「ひぐらし」というゲーム盤の指し手だと推測されますね。
ベルンカステルが、古手梨花という駒を動かし、「古手梨花が生還する」という条件を導ければ勝ち。
「このリクツで駒を動かしたら、梨花が生還できる(という現象が発生する)と思っていたけれど、生還できなかった(リクツと現象の不一致)。つまりリクツが間違っているんだ。別のリクツを試してみよう」
というアプローチで、「どうして梨花は生還できないのか」という「謎を解いた」のが、ベルンカステルです。リクツのほうを動かしました。
さて。
ラムダデルタも、「ひぐらし」というゲーム盤の指し手だと推測されます。
彼女が指していたキングの駒は、鷹野三四です。
鷹野三四は、リクツと現実が齟齬をきたしたら、現実のほうを変えてしまえ! という方向性を持った人です。
雛見沢症候群です。
「雛見沢病原菌の女王感染者が死ぬと、雛見沢症候群の全感染者(全村民)が発狂状態になり凶暴化する」
という「仮説」を、彼女は持っていました。
結果的に、この仮説は正しくないことが、作中で実証されます。
されますが……。
鷹野三四は素晴らしく高度な知性を備えた人物です。だから、
「この仮説って、ひょっとして正しくないかもしれない」
という可能性を、想定していなかったはずがないのです。
でも、彼女にとっては、「仮説が正しいか、正しくないか」なんて、問題ではなかった。
その仮説は、「絶対に正しくなければならない」ものだったのです。
なぜなら、養父・高野一二三の名誉がかかっているから。この仮説は、高野一二三が命がけで提唱したものだったから。
彼女のとった方法は、
「この仮説が正しい、という“現実”を作ってしまう」
ことでした。
女王感染者・古手梨花を殺し、雛見沢村民を完全虐殺する。
これで、仮説は「正しかった」ことになる。
「間違いだったかも」などと言い出せる者はいなくなる。言い出した瞬間、大量虐殺の責任を負わねばならなくなるからです。よって、社会的に「高野一二三は正しかった」という認定がなされる。
リクツと現実が一致しなさそうになったら、「現実のほうを動かした」のが彼女なのです。
*
さて。
自分の考えと目の前の現実が一致しない。現実を変えるわけにはいかないから、自分の考えを変更しよう。
というのが、ベルンカステルでした。
このアプローチは、常識的です。
ですが、
現実というものが、固定されていて、そうそう動いたりしないものだからこそ、このアプローチは成立するのです。
わたしは自分が太ってないと思う(そういう理論)。
けれど、体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。
10回体重計に乗って見たけど、10回とも3キロ増だった(現実の固定)。
ああ、じゃあわたしは太ったんだ(理論の変更・真相への到達)
でも、こうだったらどうでしょう。
わたしは自分が太ってないと思う(そういう理論)。
体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。
2回目を計ったら、4キロ減ってた(新たな現実)。
3回目を計ったら、5キロ増えてた(さらに新たな現実)。
4回目を計ったら、7キロ減ってた(さらに新たな現実)。
わたしは太ったんだか痩せたんだかわからない(真相へたどりつけない)。
そして、このように、「計るたびに結果が変動する」のが、ベアトリーチェのゲーム盤なのです(毎回ちがう現実が観測されるから)。ベルン式のアプローチで真相にたどり着くのは難しい。
ところで、ラムダデルタは、
「自分の考えと目の前の現実が一致しない。じゃあ私の考えに合うように現実を変えちゃおう」
という人ですから、現実が変動するベアトリーチェのゲーム盤への対応力があります。
私ってば最近けっこう痩せたのよ!(そういう理論)
体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。
2回目を計ったら、4キロ減ってた(新たな現実)。
3回目を計ったら、5キロ増えてた(さらに新たな現実)。
4回目を計ったら、7キロ減ってた(さらに新たな現実)。
1回目と3回目の結果は、ノイズだから、採用しないんだからね!つーん!(現実の変更)
体重が減ってるという結果しか残らないから、やっぱり体重は減ったのよ!やっぱり私ってば絶対ね!(理論の確定・真相への到達)
というように、ラムダデルタ式のアプローチを使えば、ベアトリーチェのゲーム盤でも「真相に到達」できるのです。
ベアトリーチェのゲーム盤には、都合のいいことに、「幻想描写」というイイワケが用意されています。
「私、こんな仮説を用意したわ。仮説を否定する現象があるけど、それはぜーんぶ幻想描写だからかまう必要ないの。それ以外の現象はみーんな私の仮説を裏打ちしてくれるわ。よって私は正しい! 正しい答えを言い当てたんだからベアトの負け!」
こんな暴論をぶっぱなして、ラムダデルタは勝利してしまいます。
いや、これって、
「勝手な想像を真相だと言い張って、勝手に勝利宣言してるだけで、“ほんとにあったこと”を言い当ててないじゃん」
というふうに言えそうですけれども……。
でも、このゲーム盤には、
「否定されないかぎり真相だと言い張って良い」
という特殊ルールが設定されてますから、なんと、これでいっこう構わないわけです。
鷹野三四が、仮説が合ってるか合ってないかなんて、全然構う必要がなかったのと、同じ状況なんです。
まとめると、
ラムダデルタは「現実をムリヤリ固定させる」ので、現実を変動させてケムに巻くベアトリーチェに対して強い。
ベルンカステルは、「固定した現実を基準にして正しい理論を探る」ので、現実を変動させてケムに巻いてくるベアトリーチェに弱い。
ベルンカステルは、「固定した現実を基準にして正しい理論を探る」ので、現実を固定して基準値を作ってしまうラムダデルタに対して強い。
誰が誰に対して強い、というあの設定は、
ラムダデルタ(が得意とする問題解決アプローチ法)は、ベアトリーチェ(が得意とする謎構築法)に対して強い、
というように、ことばを補って理解すると、筋が通るように思うのです。
*
ついでに。
ほんとうにラムダデルタがベアトリーチェに対して強いかどうか、想像力でかってに検証してみましょう。
たとえばこんな設定で。
「事件の日の六軒島に、“住み込み家庭教師・鷹野三四”という登場人物がいたとしたら?」
わたしの想像では、「この屋敷のどこかにいる誰かは殺人犯だ。自分も狙われてる」と判断した瞬間、彼女は屋敷にいる全員を皆殺しにかかるのではないかな?
全員殺せば、その中には犯人・犯人グループがいる道理です。自分の安全が確保できれば良いわけで、べつに犯人特定の必要なんてない。
あとは、一晩かけてゆっくりと、自分が罪に問われないようにする言い訳と、その証拠を捏造すれば良い。
犯人の望んだ真相ではなく、彼女が捏造した真相が「真相」となるのです。ベアトリーチェはこれに異議をとなえられない……。
■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■
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●赤文字論・密室を解く
なぜ戦人は赤字で「明日夢から生まれた」と言えないのか
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ラムダデルタはなぜベアトリーチェに強いのか
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赤字問題は「神」や「メディアリテラシー」に似ている
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ep5初期推理その8・赤で語るプレイヤーと赤い竜
うみねこに選択肢を作る方法(と『黄金の真実』)
疑うという“信頼”(上)・ベアトリーチェは捕まりたい
ラムダはなぜベアトリーチェに強いのか
筆者-初出●Townmemory -(2009/06/24(Wed) 23:50:29)・(2009/06/26(Fri) 22:58:30)
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[Ep4当時に執筆されました]
●再掲にあたっての筆者注
公式掲示板に投稿したふたつの書き込みをひとつにまとめて掲載します(一部、書き足しています)。
ラムダはベアトリーチェに強く、ベルンはベアトリーチェに弱い、といった設定について、「問題解決アプローチの違い」から起こるものとして説明したものです。
「謎(問題)とは、理論と現実とのギャップである」
という考え方は、わたしオリジナルのものではなく、森博嗣さんのとある小説に出てきたテーゼです。ゾクゾクするような発想です。
その考え方を、そのまま当てはめました。「うみねこ」を読んでいると、森博嗣さんからの影響がかなりあるな、と感じます。
引用部は公式掲示板・発言番号27558からです(わたしへの問いかけです)。
以下が本文です。
☆
(引用)ありゃ? マスターキー6本目ですか。「マスターキーは5本しかない」の赤字回避は、なにがしかの方法でしているわけですね。(引用終了)
赤字は、回避というより、
「赤字は必ずしも真実ではない! ドーン!」
で、ひっちゃぶきました。
ベアトリーチェは、鍵が6本あるくせに、5本しかないとウソっこをついていると思います。
いや、マスターキーでなくても、全部の鍵がついた鍵束でも良いし、楼座は4本しか鍵を管理しなかった・楼座たちはマスターキーは4本で全てだと思っている、でも良いですが、ようは、赤字のどこかが嘘。
赤字がぜんぶ真実だとすると、
「この密室のときは、この人が嘘をついている。この謎のときには、この人が事実を誤認している」
というふうに、条件が複雑になってしまいますが、
赤字を信じないことにすれば、
「ひとりの人物が、一個だけ、嘘をついている」(ベアトリーチェが、「赤字は真実」という嘘をついている)
これだけの条件で、すべての謎を構築できるので、その合理性を取りました。
わたし、これを「ラムダデルタ式解法」と、心の中で呼んでます。
小冊子に出てきた、ベルンカステルは迷路を全部マッピングする人、ラムダデルタは壁に穴を開けてまっすぐ通る人、という表現ですね。
赤字を論理的にかいくぐって、どうやったら謎が解けるか考えるのは、迷路の行き止まりを一個一個チェックしていくベルンカステル式解法。
「でも、この迷路、壁が障子紙でできてるじゃなーい」
といって、風雲たけし城かウルトラクイズみたいに、ズバンズバンと穴を開けちゃう(赤字なんてないものとして扱う)のが、ラムダデルタ式解法。
聞いた話では、「障子を破っちゃいけない」というのは、日本人が生活の中で自然に縛られてしまった文化的ルールにすぎなくて、障子を初めて見た外国人なんかは、
「ひゃっはー、これ紙で出来てるぜーいえー」
なんていって、ずばずば手を突っ込んじゃうそうですよ。
破れるものが張ってある以上、破っていいんだろ、という発想をするらしく、「破らないように使うものだ」という発想にはならない(ケースが多々ある)らしい。
赤字って、「なんか破っちゃいけないような気がするから、破らないようにしてしまう」文化的トリックなのではないかという気がしています。
-----------------
赤字の扱い方について、「ラムダデルタ式解法」「ベルンカステル式解法」という話を、別スレッドでしました。
そこから連想したことを、もうひとつ。
ラムダ・ベルン・ベアトの3人で、ジャンケンのような3すくみになる、という話がありました。
ラムダデルタは、ベアトリーチェのゲーム盤に対して強い。
ベルンカステルは、ベアトリーチェのゲーム盤に対して弱い。
この意味を解いてみたい。
*
さて、唐突ですが。
「謎」というのは、つきつめると、「リクツと現象が一致しない」ことです。
たとえば。
殺人犯は逃亡したのだから、犯行現場のドアは開いているはずだ(というリクツ)。
しかし、ドアには内側からカギがかけられていた!(という現象)
このテの「リクツと現象の不一致」のことを「密室」と呼んだりしています。
だから、「謎を解く」ということは、単純化すると、「リクツを変えるか、現象を変えるか」という二択です。
すなわち。
「ドアが施錠されててもかまわないことにする(何らかのトリックを使って)」
か、
「ドアは施錠されてなかったことにする」
か、どちらかが成り立てば、この密室の「謎は解けた」ことになります。
前者のアプローチで謎を解くのがベルンカステルで、後者のアプローチで謎を解くのがラムダデルタです。
*
「ひぐらし」の話をします。
ベルンカステルは、「ひぐらし」というゲーム盤の指し手だと推測されますね。
ベルンカステルが、古手梨花という駒を動かし、「古手梨花が生還する」という条件を導ければ勝ち。
「このリクツで駒を動かしたら、梨花が生還できる(という現象が発生する)と思っていたけれど、生還できなかった(リクツと現象の不一致)。つまりリクツが間違っているんだ。別のリクツを試してみよう」
というアプローチで、「どうして梨花は生還できないのか」という「謎を解いた」のが、ベルンカステルです。リクツのほうを動かしました。
さて。
ラムダデルタも、「ひぐらし」というゲーム盤の指し手だと推測されます。
彼女が指していたキングの駒は、鷹野三四です。
鷹野三四は、リクツと現実が齟齬をきたしたら、現実のほうを変えてしまえ! という方向性を持った人です。
雛見沢症候群です。
「雛見沢病原菌の女王感染者が死ぬと、雛見沢症候群の全感染者(全村民)が発狂状態になり凶暴化する」
という「仮説」を、彼女は持っていました。
結果的に、この仮説は正しくないことが、作中で実証されます。
されますが……。
鷹野三四は素晴らしく高度な知性を備えた人物です。だから、
「この仮説って、ひょっとして正しくないかもしれない」
という可能性を、想定していなかったはずがないのです。
でも、彼女にとっては、「仮説が正しいか、正しくないか」なんて、問題ではなかった。
その仮説は、「絶対に正しくなければならない」ものだったのです。
なぜなら、養父・高野一二三の名誉がかかっているから。この仮説は、高野一二三が命がけで提唱したものだったから。
彼女のとった方法は、
「この仮説が正しい、という“現実”を作ってしまう」
ことでした。
女王感染者・古手梨花を殺し、雛見沢村民を完全虐殺する。
これで、仮説は「正しかった」ことになる。
「間違いだったかも」などと言い出せる者はいなくなる。言い出した瞬間、大量虐殺の責任を負わねばならなくなるからです。よって、社会的に「高野一二三は正しかった」という認定がなされる。
リクツと現実が一致しなさそうになったら、「現実のほうを動かした」のが彼女なのです。
*
さて。
自分の考えと目の前の現実が一致しない。現実を変えるわけにはいかないから、自分の考えを変更しよう。
というのが、ベルンカステルでした。
このアプローチは、常識的です。
ですが、
現実というものが、固定されていて、そうそう動いたりしないものだからこそ、このアプローチは成立するのです。
わたしは自分が太ってないと思う(そういう理論)。
けれど、体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。
10回体重計に乗って見たけど、10回とも3キロ増だった(現実の固定)。
ああ、じゃあわたしは太ったんだ(理論の変更・真相への到達)
でも、こうだったらどうでしょう。
わたしは自分が太ってないと思う(そういう理論)。
体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。
2回目を計ったら、4キロ減ってた(新たな現実)。
3回目を計ったら、5キロ増えてた(さらに新たな現実)。
4回目を計ったら、7キロ減ってた(さらに新たな現実)。
わたしは太ったんだか痩せたんだかわからない(真相へたどりつけない)。
そして、このように、「計るたびに結果が変動する」のが、ベアトリーチェのゲーム盤なのです(毎回ちがう現実が観測されるから)。ベルン式のアプローチで真相にたどり着くのは難しい。
ところで、ラムダデルタは、
「自分の考えと目の前の現実が一致しない。じゃあ私の考えに合うように現実を変えちゃおう」
という人ですから、現実が変動するベアトリーチェのゲーム盤への対応力があります。
私ってば最近けっこう痩せたのよ!(そういう理論)
体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。
2回目を計ったら、4キロ減ってた(新たな現実)。
3回目を計ったら、5キロ増えてた(さらに新たな現実)。
4回目を計ったら、7キロ減ってた(さらに新たな現実)。
1回目と3回目の結果は、ノイズだから、採用しないんだからね!つーん!(現実の変更)
体重が減ってるという結果しか残らないから、やっぱり体重は減ったのよ!やっぱり私ってば絶対ね!(理論の確定・真相への到達)
というように、ラムダデルタ式のアプローチを使えば、ベアトリーチェのゲーム盤でも「真相に到達」できるのです。
ベアトリーチェのゲーム盤には、都合のいいことに、「幻想描写」というイイワケが用意されています。
「私、こんな仮説を用意したわ。仮説を否定する現象があるけど、それはぜーんぶ幻想描写だからかまう必要ないの。それ以外の現象はみーんな私の仮説を裏打ちしてくれるわ。よって私は正しい! 正しい答えを言い当てたんだからベアトの負け!」
こんな暴論をぶっぱなして、ラムダデルタは勝利してしまいます。
いや、これって、
「勝手な想像を真相だと言い張って、勝手に勝利宣言してるだけで、“ほんとにあったこと”を言い当ててないじゃん」
というふうに言えそうですけれども……。
でも、このゲーム盤には、
「否定されないかぎり真相だと言い張って良い」
という特殊ルールが設定されてますから、なんと、これでいっこう構わないわけです。
鷹野三四が、仮説が合ってるか合ってないかなんて、全然構う必要がなかったのと、同じ状況なんです。
まとめると、
ラムダデルタは「現実をムリヤリ固定させる」ので、現実を変動させてケムに巻くベアトリーチェに対して強い。
ベルンカステルは、「固定した現実を基準にして正しい理論を探る」ので、現実を変動させてケムに巻いてくるベアトリーチェに弱い。
ベルンカステルは、「固定した現実を基準にして正しい理論を探る」ので、現実を固定して基準値を作ってしまうラムダデルタに対して強い。
誰が誰に対して強い、というあの設定は、
ラムダデルタ(が得意とする問題解決アプローチ法)は、ベアトリーチェ(が得意とする謎構築法)に対して強い、
というように、ことばを補って理解すると、筋が通るように思うのです。
*
ついでに。
ほんとうにラムダデルタがベアトリーチェに対して強いかどうか、想像力でかってに検証してみましょう。
たとえばこんな設定で。
「事件の日の六軒島に、“住み込み家庭教師・鷹野三四”という登場人物がいたとしたら?」
わたしの想像では、「この屋敷のどこかにいる誰かは殺人犯だ。自分も狙われてる」と判断した瞬間、彼女は屋敷にいる全員を皆殺しにかかるのではないかな?
全員殺せば、その中には犯人・犯人グループがいる道理です。自分の安全が確保できれば良いわけで、べつに犯人特定の必要なんてない。
あとは、一晩かけてゆっくりと、自分が罪に問われないようにする言い訳と、その証拠を捏造すれば良い。
犯人の望んだ真相ではなく、彼女が捏造した真相が「真相」となるのです。ベアトリーチェはこれに異議をとなえられない……。
■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■
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なぜ戦人は赤字で「明日夢から生まれた」と言えないのか
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