お金持ちや権力者はもとより、
頑張って修行した者だけが
救済される世の中はおかしい。
法然の素朴な疑問は
そういうことだったのだろう。
阿弥陀仏に帰依して
「南無阿弥陀仏」と唱えれば
誰もが救われる(法然)。
あるいは、仏を信じて
自分が救われると確信できた瞬間に、
人は救われる(親鸞)。
万民救済。
法然は仏教におけるキリスト
だったのだ。
浄土宗、浄土真宗が
日本で最も盛んなことには
理由がある。
ちなみに、マルクスは
経済学におけるキリストだ。
* * *
頑張る人が報われる。
これは自然なことだ。
しかし、なぜ人の世は弱肉強食、
自然のままではないのか?
それは、この世には、自分の力では
どうしようもないことがあるから
だと思う。
生まれながらの障害、
生まれながらの悪い環境
震災のような天災
気をつけていても起こってしまう事故、病気
これらは誰にも起こり得ることであり、
人の世全体でサポート
しなければななない。
ここに、自由主義と社会・全体主義、
エリーティズムと万民救済、
双方の萌芽がある。
だから、同じことは
何度でも繰り返される。
自由主義に振れて、
格差が拡大・固定しすぎれば、
全体主義が復興する。
社会・全体主義に振れて、
社会全体が停滞すれば、
自由主義が復興する。
その振動は永遠に終わることはない。
同じような振動は、
一人の人の中でも起こる。
あるときは頑張ってより上をめざし、
それに疲れると癒しを求める。
それを繰り返しながら、
少しずつ、それぞれのやリ方で
限られた時の中を歩んでゆく。
それは、人が人であることと
ほとんど同義だ。
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