イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの
新刊「ホモ・デウス」の翻訳が出ていたので読んでみた。
実は、原書も Kindle で買ってあったのだが、
結局、読む前に翻訳が出てしまった・・・
「サピエンス全史」が、
ホモ・サピエンスの来し方を俯瞰したのに対して、
この本は、これからの部分に重点を置いていて、
続編にあたる。
ただし、三部構成の第二部までは、
結局、ホモ・サピエンスのこれまでの話であり、
「サピエンス全史」の復習という感じなので、
こちらだけで読むこともできる。
目次は以下のようになっている。
第1章(序章) 人間が新たに取り組むべきこと
The New Human Agenda
第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する
Homo Sapiens Conqures the World
第2章 人新世
The Anthropocene
第3章 人間の輝き
The Human Spark
第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
Homo Sapiens Gives Meaning to the World
第4章 物語の語り手
The Storytellers
第5章 科学と宗教というおかしな夫婦
The Odd Couple
第6章 現代の契約
The Modern Covenant
第7章 人間至上主義革命
The Humanist Revolution
第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる
Homo Sapiens Loses Control
第8章 研究室の時限爆弾
The time Bomb in the Laboratory
第9章 知能と意識の大いなる分離
The Great Decoupling
第10章 意識の大海
The Ocean of Consciousness
第11章 データ教
The Data Religion
前巻同様に、とても面白く読んだ。
特に、前と被っている第二部までが面白い。
「人間至上主義」のような明快な概念化と、
数字を含む具体的なエピソードを交えた
ユーモアのある語り口は、やや冗長ではあるものの、
とても読ませる。
前巻の重点が、ホモ・サピエンスをそれたらしめた
「認知革命」だったのに対して、
今作の重点は近代の「人間至上主義」にあり、
自分が生きてきた時代でもある、
近代の神無き世界において、
価値は人間の内面、自己という幻想に由来する
という整理が徹底的に敷衍されているところは、
読みながら何度もうなずかされた。
言われてみれば、ではあるのだが、
個人主義も、自由民主主義も、
市場経済も、ロマン派芸術も、戦争映画も、
抽象絵画も、マーケティングも、みんなそこに位置づけられて
整理できてしまうのだ。
そういえば先日視た、NHK のプロフェッショナル-仕事の流儀
でも、ヒットメーカーという人が、小学生を相手に
「自分に嘘をつかない」「自分の心が感じたことを大切に」
と布教していた。
(でも今なら「データは嘘をつかない」
と教えるほうが良いのではないだろうか?)
* * *
それに対して、未来を描く第三部は、
バイオテクノロジーや情報技術対する洞察が
やや危なっかしいところもあって、
さすがに切れ味は少し劣る。
未来について語るのは
歴史ではないからなぁ・・・
たとえば、「データ至上主義」にしても、
データフローを最大化するということが
システムの価値の源泉になるのだろうか?
情報システムに組み込まれる目的が、人間の欲望充足の
全体最適化だとすれば、結局、価値は、依然として、
個人の欲望から生まれているのではないのだろうか?
というような疑問が湧いてくる。
それでも、その裁定をするのが
人間ではなく、情報処理システムになるというのは
そのとおりだろう。
今の「貨幣」という粗い情報に基づく市場ではなく、
データに基づく、より緻密なマッチングが
ものごとの価値を決める。
結果として、人類は巨大なデータ処理システムに埋没し、
その中で不自由なく、無用の存在として生きる。
これは、マトリックスの世界だが、
でもまぁそこそこ楽しいのではないだろうか?
本書でも引用されているカーネマンたちも
自分たちの本で言っているように、
専門家の未来予測はほとんどはずれる、のだし、
著者自身も、この本は予言ではなく、
可能性を示すことで考えてもらうことが目的と書いているので、
あれこれと考えさせられれば、読んだ意味はあったということだ。
* * *
この本を読んで、みんながどうして
Facebook や Instagram のようなサービスに
惹きつけられるのかが
少し腑に落ちた気がした。
SNS は全く利用していないのだが、そうした傾向の増加は、
「人間の内面や欲望こそが価値や意味の源泉である」
という虚構に基づく人間至上主義から、データ至上主義、
つまり「データは共有することに意味がある」という
新しい虚構への転換の一面として捉えられるのだという。
そこには、「データフローと切り離されたら
人生の意味そのものを失う」ような感覚があるという。
自分の中に価値を見出すという虚構を信じることはできず、
情報処理システムの大量のデータフローとそこでの「いいね」
が意味を与えてくれる、という新しい物語を信じているということ。
本当かどうかはよくわらないが、
なるほど、という気にはなる。
逆に言えば、あいかわらず
根っからの「人間至上主義」の自分はもう
時代遅れの人間ということか・・・
* * *
もう一つ、長年の疑問だった
「なぜ経済成長しなければいけないのか?」
「なぜどの国の政府も、経済政策、経済の成長を
これほどまでに重視するのか?」
に対する説明も詳しく書かれている。
近代科学革命によって未来の不確実性が減少し、
未来の信用に基づく経済が発展する(資本と利子の発生)
ことで、経済が大幅に拡大した。
未来の信用に基づく経済では、
「成長」こそが是であり、
「成長」がすべての問題を解決する
という信念が共有されている。
それはゲームのルールに組み込まれていて、
神が価値を与える静的な社会から、
際限のない人間の欲望が価値の源泉である社会への変換、
ということともリンクしている。
「成長」は近代科学の「約束」であり、
人は「神に由来する意味」と引き換えにそれを得た。
そこでは、停滞することは敗北であり、死なのだ。
> 人間至上主義の人生における最高の目的は、
> 多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて
> 知識をめいっぱい深めることだ
この近代的人間の原理に導かれて、
これまでにいかにいろいろな場所を訪問し、
無駄な?情報や知識を貯め込んできたことか・・・
* * *
大量の文献の読み解きや、
芸術資料などの鑑賞に支えられた、
「本の本」とも言える作品で、
様々な情報が全体の枠組みに位置づけられて行く様は
ある種の快感をすら感じるもので、
一読の価値は十分にあると思う。
それにしても、これだけのエピソードの束を
物語にまとめ上げるというのは、
本当に頭の良い人なのだろうと思う。
いったい IQ はいくつなのだろうか?
昔々、あらゆるものが切り売りされて
マーケットに載せられて行く中で、
いったいこれによって僕たちは何を喪うのだろう?
などと思っていたことを懐かしく思い出しながら、
「こういう本が書きたかったなぁ」と思った。
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