日々の寝言~Daily Nonsense~

映画「怪物」感想+若干の考察

映画「怪物」を
レイトショーで観た。

脚本、演技、映像、音楽
4拍子揃った
いい「映画」だった。

特に、二人の子役が
まったく自然で
素晴らしい・・・

できるだけ予備知識を持たないで
観るほうが良いと思うが、
以下に書くように、
物語が時系列で進まないので、
初見ではわかりにくいところもあって、
2回観たいような映画。

以下、ネタバレあり。

 * * *

ミステリのような構造で、
二人の子供をめぐる同じ事件が、
複数の視点から繰り返し描かれる。

最初の視点は母親(安藤サクラ)の視点。
ここで「怪物」という言葉は、
子供をアンフェアに扱う
学校の教師や校長先生を指す。

次の視点は教師(永山瑛太)の視点。
ここで「怪物」という言葉は、
自分を追い詰める子供や母親、
他の先生たちを指す。

最後の視点は子供たち
(黒川想矢、柊木陽太)。
ここで「怪物」という言葉は、
自分たちを指す。

映画全体としては、
「怪物」は実際には存在しない。
誰かの頭の中に存在するだけ。

逆の言い方をすれば、
すべての人は「怪物」
になりえる、
ということだ。

渡辺一夫さんの
「狂気について」
を思い出す。

ラストは哀しいのだが、
とても印象に残るシークエンス。
宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」が
ここでも連想される。

事前の予想と違って、
途中は全然泣かなかったのだが、
ラストは、先に逝ってしまった人々を
想ってかなり泣いてしまった。

坂本龍一さんの音楽は、
最小限にとどめられているのだが、
それでも美しい。

そして、 予告でも使われていた
"aqua" は、予想どおりというか、
あざといというか、
ここぞ、というところで出てくる。

主要な登場人物の中では、
田中裕子さんの演じる校長先生が、
いちばん謎が多いままに残されている。
時間的な都合もあったのだろうか?

鍵となるフレーズ
「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。
誰でも手に入るものを幸せって言うの」
はカントの幸福論だったり、
宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)
を思い出させるが、この映画の中で、
校長先生によって、あまりに唐突に
語られた意味もまだよくわからない。
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