日々の寝言~Daily Nonsense~

フッサール 起源への哲学

フッサールの現象学には
昔から興味はあったのだが、
どうもよくわからないでいた。

最近また、ちょっと勉強し直してみようと思いたって、
Kindle で読める本を二冊買って読んでいる。

一冊目は、平凡社ライブラリーの「フッサール・セレクション」
立松 弘孝さんが編纂した原典からの引用集だ。

原文に当たれるのはよいのだが、
まだ少し難しい。

二冊目は、斎藤 慶典さんによる、
フッサール 起源への哲学

こちらは、斎藤さんが、
フッサールの問題を自らの問題として考えていて、力作だと思う。

語られているのはフッサールのではなく、
斎藤さんの哲学なのだが、しかし、
答えはともかく、少なくとも問題意識は
とても丁寧に説明されている。

フッサールの一生を貫く基本的な問題は、
個別的な経験から、たとえば「数」のような
普遍的な(経験を超越した)概念に、
どうして至ることができるのか?
ということだという。

これは確かに、不思議なことだ。

特に、普通の概念より数は不思議で、
最近の人工知能は、「猫」などの物体概念や
「走る」などの述語概念も学習できるように
なってきているが、数を学習するというのは
まだ聞いたことがない。

フッサールが評価されたのは、
カントの問いを、さらにラディカルに
問うことができる、ということを示したことなのだろう。

そして、そうした概念の起源をさらに問い続けてゆくと、
この世界が、われわれの前に「現象する」(立ち現れる)のは
どのようにしてか?というところにまで行き着く。

これはおそらく答えのない問いだと思う。
答えを言葉で語ることはできそうにない。

だから、やたらに「超越論的」とか「純粋」とか
という言葉を積み重ねることになるのだが、
それで何かが明らかになるわけでもないと思う。

しかし、解けないと知りつつ、それについて考えることで、
我々の普段の認識が、いかにさまざま思い込みに
満ちているかは明らかになる。

それらをすべて一旦保留する、というのが
現象学的な還元になるのだろうが、
そんなことしたら、何も考えられなくなりそうだが・・・

 * * *

それにしても人の知能の不思議さは、
尽きることがないなぁ・・・

残念ながら、Deep Learning ごときでは、
到底説明できそうにはない。
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