日々の寝言~Daily Nonsense~

先読みの必要性

東洋経済のWebサイトに掲載されている
羽生さんのインタビューの中に、
ちょっとだけ気になる部分があった。

(晩年の)大山先生は、読まずに指していた、
というもの。

ある盤面を見て、そこでの最善手、あるいは、
最善ではないにせよ、負けにしない手、が
すぐに浮かべば、わざわざ先を読む必要はない。

問題は、盤面からそこで指すべき手を得るための関数が、
どれだけ複雑か、ということだろう。

将棋の駒の置き方は無限に近いバリエーションがあるが、
その中で、プロの戦いで実際に現れるものは
それほどは多くはないだろう。
しかし、それにしても、無限に近いわけで、
すべての盤面を経験することは不可能だ。

そして、将棋の場合、
盤面がちょっと変わっただけでも、
その先の展開が大きく変わってしまうことが
よくあるので、限られた経験から、
この関数を学習することはかなり難しいと思われる。

それでも、プロ棋士をはじめ、将棋の強い人は、
自分の経験や研究から、
ある程度そういう関数を学習しているはずで、
ただし、確実ではないから、ある程度優劣がはっきり
するところまで読んで、確認しているのだと思う。

「将棋とはどういうゲームか?」が羽生さんにとっての
興味であるとすれば、この関数がどれだけ
複雑なものか?もまた、その一部に含まれる。
そして、大山さんという実例は、羽生さんにとって、
この関数が、ある程度までは人間にとって学習可能である
ということを示すものとして興味深いのかもしれない。

もちろん、大山さんの時代とは、
将棋の幅広さもずいぶん違ってきている。
昔であれば、ありえないといわれた手が
成立したりすることもよくあり、
往年の名棋士が、若手に、研究の差で負けたりもする。
したがって、現在でも、大山さんが
読まずに指すことができるのかはわからない。

それでも、どこかで量が質に転化し、
かなり精度よく関数を学習できるのか、
あるいは、人間の一生の間には無理なのか?

将棋というのは、本当によくできたゲームだと思う。
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