日々の寝言~Daily Nonsense~

市民である、ということ

朝日新聞の経済面に、格差社会に関するインタビューが載っていた。
元米国労働長官(クリントン政権)のロバート・ライシュ氏が
現在の米国の状況を反省的に踏まえてコメントしている。

現在の資本主義を「スーパー資本主義」として、
行き過ぎだと主張している。

日本ではまだそれほどでもないが、その行き着く先では、
格差が大きくなりすぎて、
貧困層と富裕層が分離し、
貧困層には公的なサービスを支える力がなく、
富裕層は、公的なサービスを利用する理由がないために、
公的なセクションが崩壊する、と言う。

そして、民主主義の力でそれを解決しなくてはならない、
と主張している。

「人間は純粋な消費者でも投資家でもなく、
労働者でもあり市民でもある。
バランスのとれた人間であるべきだ。」

確かに、本来一人の人間=市民としてあるべきものが、
投資家と労働者という形で分化してしまっている。
でも、そのほうが「効率」は良いわけだし、
価値創造の効果も大きいからだ。

ほどほどのところで調整する、
というのは、なぜ難しいのだろうか?

資源の濫獲のように、長期的に見れば、
ほどほどにしないと、不毛な地が広がってゆくのだが、
競争的な社会では、長期的な価値観を持つことが難しいから、
なのかもしれない。

みんなで同じ方向に走れば、
共倒れになるのは見えていても、
走らなければ、とりあえず負ける、
そういう競争になってしまっているのか?
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