ときどき見ている。
スピリチュアルなテイストを除けば、
ゲストによっては割りに楽しめることも多い。
前回は、小林幸子さんがゲストだった。
10歳?で単身東京に、ですか。
将棋もそうだが、特殊技能の世界は厳しいですね。
その中で、若いときの苦労が、
今ではとても役に立っている、というような話になり、
昔は、貧しくて、地方廻りの時などは、
旅館の大広間で食事や雑魚寝することが多かった。
でも、そういう場こそ、学校では学べない、
社会的マナー、つまり、たくさんの人間が集まったときに、
喧嘩しないでうまくゆくための智恵、を学ぶ、
とてもよい機会だった、と言う話が出た。
でも、今はみんなホテルで個室だから、
そういう機会があまり無い、と。
確かに、そうかもしれない。
自分を振り返っても、クラブ活動で
合宿などしているときに、
いろいろ教わったことは多い。
こういうのは、先輩が威張り、下級生をいじめるための仕掛け、
という面もあるので、当時は嫌だったが、
でも、そうした害を割り引いても、
確かに貴重な機会ではあったのだ。
学習・勉強といえば学校の教室でするもの、
と思っている子供が多いかもしれないが、
(自分もそうだった)
実は、そうでない部分のほうがずっと大きいのだと思う。
そして、今は、その部分が減ってしまっている。
テストなどでは測れない、
見えにくい学びの機会の消失。
働く中での学習についてもそうだ。
松下幸之助ではないが、すぐれた経営者にとって、
人を雇うということは、その人を育てる、
ということでもある。
特に、終身雇用の場合には、会社にいる人に
成長してもらわないと困るので、
雇った人に、給料で報いることに加えて、
その人を育てるということについても、
意識的、無意識的を問わず、熱心にならざるを得ない。
それはいわば、見えない給料のようなものだ。
しかし、派遣などの非正規雇用が広がり、
労働者は、まさに、労働時間を売って生活を維持するもの、
というマルクスの定義に近づいてしまっているようだ。
ワーキング・プア、といわれて、
賃金の低さ、生活水準の貧しさが取り上げられるが、
それよりも、見えない学習機会が失われていること
のほうが、社会的には大きな問題のような気がする。
たとえば、最近、爆発事故など、
明らかな人為的ミスによる事故が増えているように感じる。
単に、報道される機会が増えただけなのかもしれないが、
学習機会の消失によって、社会で働く人の、
基本的なマナーやスキルが失われている
ということはないのだろうか?
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