自分に正直に、仮面を取って❗

~その時の感じた思いを大切にしたいだけ~

寂しがる愛猫の姿に胸が詰まって…

2019-09-20 19:09:00 | 日記
三度目の母の入院。最愛の母だけに、いくら手術が上手くいき、術後が順調だと、息子の自分が胸を撫で下ろしてはいても、本当に心配しているのは、身近な家族だけではないようだ。

それが分かったのは、母が入院した後の愛猫の行動の違いだ。

重度の心不全まで患っている母が、二人だけで生活していた、父亡き今、独りきりでは、何かあっては手遅れだという思いで、近場に妻子と居を構えている自分が、数年前から夜は母と共に、昼間は妻子と共にという、二重生活?を続けている。

昼間、なんとか母独りでも大丈夫だと思えるのは、幸運なことに、昼間は、店を開けて、お客様がぽつりぽつりとは来てくれるから、日中仕事に行っている間は、お客様が、いわば、自分の代わりに、母の身を案じてもらえると期待できるからだ。

前置きが長くなったけど、母の身を案じているのが、身近な家族だけじゃない、そう思ったその訳。それは、生まれた時から、特に母が可愛がっている愛猫の変化。これは、母が入院したその夜から、明らかに始まったのが、体感できる。先ずは、鳴き声だ。そもそも、普段はあまり鳴かない愛猫が、まるで、誰かを呼ぶように、にぁ~にゃ~やたらと叫び声を挙げ立てる。それも、古いけれども広いばかりの家の中で、あちらこちら動き廻っては、四方八方キョロキョロしては、まるで何かを探すようにだ。その上、声の質まで全く違う。不安を抱えた子猫のようだ。明らかに声質が異なるのだから、本当に不思議な程だ。

毎晩自分も泊まっているので、いつもと様子が違うのが、手に取るようによく分かる。

テレビ番組などで、自分は動物の言葉が理解できるという人の話を聞くけれど、それって決して嘘ではないのかも知れない。そう感じる瞬間だ。

人間のみが、感情や言葉を使い分けられる、なんていうのは、やはり人間から見た、単なる驕りに他ならないに違いない。実際、人間に最も近いと言われるチンパンジーに限らず、身近なところでは、カラスの賢さは、大学での研究対象にもなっていることで、それは証明されているのではないか?

となれば、他の動物だって例外ではないはずだ。そのことは、愛猫と常に一緒にいて、痛いほど肌身に感じる。よく、世間では、猫は、我が儘で、自分が食べたい時やじゃれたい時など、気に入った時にしか反応しないと言われるが、私にすればそんなことはない、って強く言いたい。

例えば、猫は昼寝することが長い動物なので、確かによく昼間は寝ているのが、うちの愛猫は、その代わり、夜は、まるで夜警番のように、じっと黙って座ったまま、目を見開いて周囲の状況を、警戒しているかに思えて来る。というより、確かにそうに違いない。うちの愛猫などは、ネズミ取りの名人でもあり、夜中に何度もネズミを取っては、ガタガタ騒いでいたので、その度起こされた。

そして、驚くことに、何もない夜は、ただ黙って静かに座っているが、早朝になると、本当に決まった時間に、自分のところに来て、にゃ~と言って起こしてくれる。だから、目覚まし時計⏰なんかは、要らないのだ。その上、自分達が呼ぶと、にゃ~と言って返事をするのだから、正に、人間の言葉を理解しているとしか、考えられない。

こんな可愛い愛猫が、母の早い帰りを待っているのだから、母も気が気ではないだろう。そして、母自身も、一刻
早く愛猫に会うことを願っているに違いない。

では、ラグビーW杯🏈を楽しむか(^-^)


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