伏見界隈は随分と栄えるようになりました。ずっと以前は中書島周辺といえば、繁栄から衰退を如実に示す街として、何となく怪しげな店が建ち並ぶだけという雰囲気でしたが、近年は観光客なども増え、誠に殷賑、活気に溢れています。それもこれも龍馬の御陰、引いては龍馬を世に知らしめた司馬遼太郎氏の御陰でありましょうが、贔屓の引き倒しで何でも龍馬でかんでも龍馬、龍馬を実際以上の英雄としてしまった罪も又重いと思うのですが、いかがでありましょうか。勿論、司馬氏にその気持ちは無かったでしょうが、この界隈、龍馬、龍馬で悪のりも過ぎるようです。
さて、大手橋から徘徊を始めます。大手は勿論伏見城の大手でありますが、近鉄桃山御陵駅、京阪伏見桃山駅を出て真っ直ぐに下がり大手筋商店街を抜けて1号線の方にしばらく行った所に橋があります。この橋は濠川にかかる橋、濠川は琵琶湖疎水の流れゆく川です。流石に酒所で橋の端には「清酒富翁」、懐かしくも量り売りをしてくれますので、今度は徳利を持ってくることにします。
ここから濠川沿いに下るのですが、もう早速に「えー、ここが伏見?」というように思える景色が広がります。江戸時代には、川の両岸には水運を利用する商家の倉庫が立ち並んでいたそうです。
しばらく行くと「出会い橋」、高瀬川と濠川が出会う地点でしょうが、濠川にしてみれば、遥か観月橋の方へ一方の流れが分岐する「分かれ橋」であります。この水の流れとは又会うことになり、われても末にあはむとぞ思ふというやつです。しばらくは本流に沿って進みます。
高瀬川が濠川に流れ出る
ここが高瀬川の終点でありますが、途中でズタズタになっていますから、一条の起点からここまでずっと繋がっているわけではありません。高瀬舟などで下って此処まで来ようとしたら、幾度も船を担いで走らねばならぬことになります。まあ、以前はここまで高瀬川が流れていたのだという記念碑みたいなものです。南50メートルほどの処には新たに開削された新高瀬川が流れています。この川、都市部を抜け出でて何となくホッとしている様相です。
新高瀬川(東高瀬川)
高瀬川が濠川に合流する地点には角倉了意の功績を記した碑が建っています。保津川の開削を初めとして京都近辺の水運を語るときには外せない人物です。当然、伏見にはなくてはならぬモニュメントです。惜しむらくは漸う文字が摩耗し、読み辛くなってきていることです。
ここより肥後橋などの下をくぐって下流に歩を進めれば伏見港に到着します。三十石船がコンクリートで復元されているのはいただけませんが、木材で復元して野ざらしにすれば忽ちに朽ちてしまうでしょうからやむを得ないことかも知れません。
濠川を最下流まで行くと産業史跡「三栖閘門跡」があります。淀川となって遥かに下流の毛馬閘門なども含め、あれこれと批判される国土交通省ですが、こういうものの保存をしっかりとやっている点は「なかなかやるやんけ!」と申す処。資料館は閘門を操作した建物の跡です。ここで、濠川の水は宇治川に流れ込みます。琵琶湖疎水として分かれて以後、久方ぶりの合流です。
三栖閘門上流側
三栖閘門下流側
三栖閘門資料館
さて、宇治川の堤防に出ました。梅雨明けの前の日とて結構な日差し、他に歩く者はいません。前日に草刈りが行われたのか、いきなり強い日差しに晒されたミミズの死骸が点々と連なります。この道を観月橋まで遡ります。途中の近鉄の鉄橋、なかなか優美であります。近代化遺産としても重要な位置を占めると云々。
濠川から最初に分かれた流れは、観月橋の少し下流で平戸樋門から宇治川に流れ込みます。「やあ、また会いましたね。」というところ。
平戸樋門
それにしても暑いのでありますが、堤防ということで自動販売機もありません。ところが、宇治川の対岸、観月橋を渡った地点に燦然と「たこ焼き」の文字が輝いているではありませんか。これはありがたい、ということで観月橋を俊足で渡り店の前まで来ますと「営業は4時からです。」とあり、今は1時です。「ゲッ、ゲッゲゲゲー。」でありますが、ここより見る対岸の樋門の風景はなかなかです。失望が大きくて写真を撮るのは忘れましたが。それでも、「フン!オレはこれを撮りに来たんだ。」と負け惜しみを言いつつ下の写真を撮ります。
気を取り直して、平戸樋門から上流に戻りますが、その途中にあるのが弁財天を祀る長建寺、こぢんまりとしていますが静かで良い寺です。弁天さんには付き物なのでしょうか、ここでも「金を洗う」水場があります。
この辺りから対岸の月桂冠の倉庫群を望むと誠に佳景、絵になるところですが、これは月桂冠が日本一の清酒会社として栄えているからでしょう。蔵も美しい。けれども伏見桃山の酒屋で伏見の酒はおおよそ全ての種類利き酒ができる「油長」のご主人に言わせるとほぼ1年に1蔵、酒造会社が閉まっていっているとのこと。そういえば、東高瀬川を見に行く前に、何か煉瓦の建物だけがボツと残された所がありました。
ここより、京橋を経て寺田屋、既に旅館は廃業し業者の手による見せ物小屋と化しています。近年、この建物が明治の末のものであることが解り、「なあんや!」ということになりましたが、依然商魂はたくましく、表札には「寺田屋 坂本龍馬」とありますが、これはいただけません。「龍馬通り」などという命名も同様で、卑しさが強調されるだけです。往来する人は増えたものの伏見が洗練された観光地になるには未だだいぶ時間がかかりそうです。観光客の多くもかつて寺田屋が建っていたであろう広場にのみ集まり、宿の内部を見学する人は少ないようです。
伏見港が栄えた頃は、この近くは中書島遊郭として栄えたところですが、そういう雰囲気は日々に失われていきます。観光客がいくら増えても、こればかりは表だって栄えてるでーという訳にはいきません。それでも、この強い光の中で暗い店の中からは「にいちゃん!」等と遣り手婆の声が聞こえてくるように思うのは、お腹が減って頭がクラクラしているからでしょう。そういえば、かつて同じような暑い日に大阪の松島の新地で「娼妓(おやま)と過ごす昼下がり」の句を得たものの、頭の5文字が浮かばず、そのままになっているのを思い出しました。「蝉啼きて」は今ひとつしっくりこない、「蝉時雨」だとウソになる等と思ったこと、妓楼を出た瞬間に強い日差しでゴンと頭をどつかれたような衝撃を受けたことなどが思い出されます。
うー、腹減った。よし、中書島駅前にお好み焼き屋があったはず、そこで一杯やって句を完成させようと急ぎますと、何とここも休み。遺志によりこの辺りに道標を立てまくった三宅安兵衛さんに感謝するでもなく、楠葉のたこ焼き屋に突撃をします。考えてみれば伏見桃山に戻ればいくらでも良い店があるのに、楠葉しか思い浮かばぬのも暑さのせいでしょう。
三宅安兵衛氏遺志による道標
(09年8月記)
さて、大手橋から徘徊を始めます。大手は勿論伏見城の大手でありますが、近鉄桃山御陵駅、京阪伏見桃山駅を出て真っ直ぐに下がり大手筋商店街を抜けて1号線の方にしばらく行った所に橋があります。この橋は濠川にかかる橋、濠川は琵琶湖疎水の流れゆく川です。流石に酒所で橋の端には「清酒富翁」、懐かしくも量り売りをしてくれますので、今度は徳利を持ってくることにします。
ここから濠川沿いに下るのですが、もう早速に「えー、ここが伏見?」というように思える景色が広がります。江戸時代には、川の両岸には水運を利用する商家の倉庫が立ち並んでいたそうです。
しばらく行くと「出会い橋」、高瀬川と濠川が出会う地点でしょうが、濠川にしてみれば、遥か観月橋の方へ一方の流れが分岐する「分かれ橋」であります。この水の流れとは又会うことになり、われても末にあはむとぞ思ふというやつです。しばらくは本流に沿って進みます。
高瀬川が濠川に流れ出る
ここが高瀬川の終点でありますが、途中でズタズタになっていますから、一条の起点からここまでずっと繋がっているわけではありません。高瀬舟などで下って此処まで来ようとしたら、幾度も船を担いで走らねばならぬことになります。まあ、以前はここまで高瀬川が流れていたのだという記念碑みたいなものです。南50メートルほどの処には新たに開削された新高瀬川が流れています。この川、都市部を抜け出でて何となくホッとしている様相です。
新高瀬川(東高瀬川)
高瀬川が濠川に合流する地点には角倉了意の功績を記した碑が建っています。保津川の開削を初めとして京都近辺の水運を語るときには外せない人物です。当然、伏見にはなくてはならぬモニュメントです。惜しむらくは漸う文字が摩耗し、読み辛くなってきていることです。
ここより肥後橋などの下をくぐって下流に歩を進めれば伏見港に到着します。三十石船がコンクリートで復元されているのはいただけませんが、木材で復元して野ざらしにすれば忽ちに朽ちてしまうでしょうからやむを得ないことかも知れません。
濠川を最下流まで行くと産業史跡「三栖閘門跡」があります。淀川となって遥かに下流の毛馬閘門なども含め、あれこれと批判される国土交通省ですが、こういうものの保存をしっかりとやっている点は「なかなかやるやんけ!」と申す処。資料館は閘門を操作した建物の跡です。ここで、濠川の水は宇治川に流れ込みます。琵琶湖疎水として分かれて以後、久方ぶりの合流です。
三栖閘門上流側
三栖閘門下流側
三栖閘門資料館
さて、宇治川の堤防に出ました。梅雨明けの前の日とて結構な日差し、他に歩く者はいません。前日に草刈りが行われたのか、いきなり強い日差しに晒されたミミズの死骸が点々と連なります。この道を観月橋まで遡ります。途中の近鉄の鉄橋、なかなか優美であります。近代化遺産としても重要な位置を占めると云々。
濠川から最初に分かれた流れは、観月橋の少し下流で平戸樋門から宇治川に流れ込みます。「やあ、また会いましたね。」というところ。
平戸樋門
それにしても暑いのでありますが、堤防ということで自動販売機もありません。ところが、宇治川の対岸、観月橋を渡った地点に燦然と「たこ焼き」の文字が輝いているではありませんか。これはありがたい、ということで観月橋を俊足で渡り店の前まで来ますと「営業は4時からです。」とあり、今は1時です。「ゲッ、ゲッゲゲゲー。」でありますが、ここより見る対岸の樋門の風景はなかなかです。失望が大きくて写真を撮るのは忘れましたが。それでも、「フン!オレはこれを撮りに来たんだ。」と負け惜しみを言いつつ下の写真を撮ります。
気を取り直して、平戸樋門から上流に戻りますが、その途中にあるのが弁財天を祀る長建寺、こぢんまりとしていますが静かで良い寺です。弁天さんには付き物なのでしょうか、ここでも「金を洗う」水場があります。
この辺りから対岸の月桂冠の倉庫群を望むと誠に佳景、絵になるところですが、これは月桂冠が日本一の清酒会社として栄えているからでしょう。蔵も美しい。けれども伏見桃山の酒屋で伏見の酒はおおよそ全ての種類利き酒ができる「油長」のご主人に言わせるとほぼ1年に1蔵、酒造会社が閉まっていっているとのこと。そういえば、東高瀬川を見に行く前に、何か煉瓦の建物だけがボツと残された所がありました。
ここより、京橋を経て寺田屋、既に旅館は廃業し業者の手による見せ物小屋と化しています。近年、この建物が明治の末のものであることが解り、「なあんや!」ということになりましたが、依然商魂はたくましく、表札には「寺田屋 坂本龍馬」とありますが、これはいただけません。「龍馬通り」などという命名も同様で、卑しさが強調されるだけです。往来する人は増えたものの伏見が洗練された観光地になるには未だだいぶ時間がかかりそうです。観光客の多くもかつて寺田屋が建っていたであろう広場にのみ集まり、宿の内部を見学する人は少ないようです。
伏見港が栄えた頃は、この近くは中書島遊郭として栄えたところですが、そういう雰囲気は日々に失われていきます。観光客がいくら増えても、こればかりは表だって栄えてるでーという訳にはいきません。それでも、この強い光の中で暗い店の中からは「にいちゃん!」等と遣り手婆の声が聞こえてくるように思うのは、お腹が減って頭がクラクラしているからでしょう。そういえば、かつて同じような暑い日に大阪の松島の新地で「娼妓(おやま)と過ごす昼下がり」の句を得たものの、頭の5文字が浮かばず、そのままになっているのを思い出しました。「蝉啼きて」は今ひとつしっくりこない、「蝉時雨」だとウソになる等と思ったこと、妓楼を出た瞬間に強い日差しでゴンと頭をどつかれたような衝撃を受けたことなどが思い出されます。
うー、腹減った。よし、中書島駅前にお好み焼き屋があったはず、そこで一杯やって句を完成させようと急ぎますと、何とここも休み。遺志によりこの辺りに道標を立てまくった三宅安兵衛さんに感謝するでもなく、楠葉のたこ焼き屋に突撃をします。考えてみれば伏見桃山に戻ればいくらでも良い店があるのに、楠葉しか思い浮かばぬのも暑さのせいでしょう。
三宅安兵衛氏遺志による道標
(09年8月記)
伏見の利き酒は有料ですが、灘は幾つか酒蔵を回るだけでタダで随分と飲めます。日本盛や沢の鶴、菊正宗といった大手は何かあるとうっとおしいからか「お一人様一杯」とか言っていますが、浜福鶴や神戸酒心館は気前がいいです。また、ウロウロしてご報告いたします。
もし、お時間を取っていただけるならば伏見をウロウロして黄桜カッパカントリーあたりで一杯というのも楽しいと思います。京都駅も近いですし。
伏見の何でも龍馬、我が嫌いなものの一つであります。龍馬は大好きでありますが、伏見は龍馬で語り尽くせない深いものがあるのに何故そう言ったものを知って貰おうとしないのでしょう。これは若狭の小浜について言えることでもありまして、何じゃこんな浅はかな人間の町かいな、と他のものまで薄っぺらく見えてしまいそうな危険を感じます。
でも伏見は、酒は美味いし、ねえちゃんは綺麗?、わわわ、じゃないですが飽きが来ないまちですね。
京都港たる伏見にテーマを絞って歩いてみたい気もしてきました。日本の運河王、了以さんの運河の追っかけもして見たいような。トレッキング王、役行者さんゆかりの寺を訪ねて歩いたのも楽しい思い出であります。あちこちの徘徊記録いつも楽しませていただいております。灘界隈の報告は何時でしょうか( ^_')全国の銘酒の里紀行も、、銘酒で日本を知るというのも良いでしょうね。
中書島はかつての遊郭の名残は全く見られず、怪しげなところは2,3軒ありますが、駅前全体が「場末」の雰囲気を漂わすようになりました。それだけに、酒蔵方面に向かい、いきなり多くの観光客が来ているのを見ると面食らいます。
英勲、おいしいけれど高いというイメージがあります。八幡市の松花堂庭園にある吉兆が出す酒が英勲ですね。勿論大吟醸以外の酒もあるはずなのですが、あまり見ません。伏見の街中の酒屋にふらっと入れば買えるのかも知れません。
寺田屋周辺は、この似非店舗を筆頭としてかなり阿漕な観光づれを呈している様です。私も一度だけ立ち寄りましたが、それ以降は訪れておりません。ただ、その折りに買った鯖鮨はまずまずでした。
大手筋へは寄られなかったのですか?あの商店街の外れに和食の美味しい店があります。その店で「何処にも売っていない」と言う日本酒が出ましたが、家内は今でも忘れられないほど美味やった、と申しております(本人は殆んど飲めませんけど)。それに、通りの真ん中辺りに日本酒のカウンターバーがあります。伏見産はもちろん各地の銘酒を置いています。酒店の一角で開いているバーです。余談ですが、我が家の裏に英勲の蔵元に勤務していた人がいて、12回金賞を受賞したとの大吟醸酒を貰ったことがあります。酒精博士の徘徊堂さんなら勿論ご存知とは思いますが、淡麗辛口で中々のモノでした。
それと、中書島の駅前の焼きそば屋が休みだったとのことですが、その他にも2~3軒はありますし中へ入れば何軒かあるのではないですか。私も駅前の屋台(状)の飲み屋で、何度か飲んだことがあります。
それにしても、色街を歩けば「にいちゃん!」と呼ばれるのは結構ではないですか。私など「じいちゃん!」と呼ばれかねません。もしかして、橋本~中書島は徘徊堂さんのお馴染みコースだったのでは?怪しげな店舗の存在していた史実もよくご存知ですし・・・。