摂州河辺郡と豊島郡の境界猪名川に架かる三橋は、上流より絹延橋、中橋、呉服橋である。中橋の近く、池田側にこの碑がある。記紀の伝うる処の呉服(くれはとり)渡来伝承(記では呉服、紀では呉織・穴織[伝わるアヤハトリか?])が残る地であるが、同様の話は、尼崎や西宮にもある。池田の言い伝えは、橋の名をとっても他地域と比べ、濃密な感じがするが、これはその名も呉江社なる詩文修学組織(仲よし勉強会)を . . . 本文を読む
旧大ビルでは、8階であったか7階であったかの四隅で、四囲を見下ろしていた羊であった。
ビルの建て替え時に如何にやと思ったが、地べたに下ろされたものの、きちんと保存されていたことに感心したものである。
道路の改修工事などで、土砂もろとも廃棄されることも多い各所の道路元標等と比べると、まあ幸せな羊たちである。
近くに米会所跡や国産ビール発祥地碑、堂島薬師堂等がある。往古新地の中心街も近く、そこには . . . 本文を読む
近世枚方宿の発展は、豊太閤伏見と大坂の行き来の便を計り、堤上の道を整備するに依れり。
幕府二都を以て枢要たらしめ、往来愈々繁く、澱江上下の舟運と相俟って枚方は全く宿場町の体裁と成る。
遡れば、中世蓮如の末子実從の拠る「順興寺」寺内発展端緒たり。蔵之谷は往時の中心街たれども右府の禍に遭い概ね焼亡、今僅かに願生坊一宇残れり。寺名洛に嗣ぐもの有り。
願生坊門前より坂を登り詰めたる辺りまで寺内たり。相 . . . 本文を読む