本当に今年の夏は暑く、9月に入っても未だ渓流に涼を求めたいところであります。例によって早起きができず、「さて、どこに行くべい」となったときに先ず思い浮かんだのはロックガーデン、「けれどもあそこは水がキチャナイしなあ」とパス。あれこれ考えていて、近くてしかも水清らかなる毘沙門谷をふと思い出しました。11時に京都駅を出るJRバスで小一時間、毘沙門橋で下車です。
毘沙門橋の少し下手のところが崩落して、今現在はご覧の通りの片面通行です。この「信号機あり」の横を登っていきます。
崩落したところが木の葉の間から見えています。北山杉の林が無くなっているところですが、少しわかりにくいですね。この辺りの地形はかなり急峻です。豪雨になればどこもが崩落の可能性があります。入り口から200メートルも進むと眼下に最初の滝が見えてきます。
今現在は、谷から少し離れたところからユリ道を通って谷の奥に入ろうとしています。谷の水が清滝川に流れ込むところから沢を遡ったこともありますが、本格的な沢登りの技術も装備も持たぬ身としては悪戦苦闘しました。以後はおとなしく普通の谷入りのルートを歩いています。従って、この滝は上から見下ろすだけです。この地点から少し行くと落差5メートルほどの滝と「こんにちわー」です。
中川から上る「菩提の滝」等もこんな感じですから、何か洒落た名が付いていてもよさそうなのですが、小生はこの滝の名も次の滝の名も知りません。この滝の滝壺には横合いからも水が流れ込みますが、その谷にも小さな滝があります。この小さな滝の谷には未だ入っていったことがありません。長年の宿題となっています。本日も本流に沿って進みます。
横の滝
しばらく、沢の中を進みますが、大きな岩に幾筋もの流路の跡が刻まれた天然の酒舟石とでも言うべきものがあります。写真ではなんのこっちゃ判りませんが。
本日は水量が少ないので、いつもは水の中のチャートもはっきりと見えます。
ルートはこの近くから林道に上がるのですが、今日は大滝の滝壺近くに行きたいのでこのまま沢を遡行します。
沢づたいには、この地点で行き止まり。泳ぐのはイヤですから左手の林の中から迂回して上流に向かいます。ものの30メートルも進めば大滝ですが、しばらく両手両足運動が必要です。落差10メートルほどの滝で、勝手に「大滝」と言っていますが、本当の名前は知りません。
うー、やっぱり涼しい。マイナスイオンぢゃ。滝壺近くで涼をとります。
この滝の下流、先ほど行き止まりになったところまでは天然の滑り台のように水が流れていて、ナンチャラ回廊などと名づけたいところです。やはり本日は水が少ない。
左岸には林道に上がる道があります。林道から滝壺に下りるときには実に根性のいる道ですが、登りは楽です。
林道からはこのように見える
滝の上に出ました。ここに足湯ならぬ足水にぴったりのところがあります。ここで足を水につけていると本当に気持ちが良いのですが、水量が少ない分だけ今日は水の冷たさがやや足りません。「シマッタ!ビールを忘れた。」。「しばしとてこそたちどまりつれ」の心境。よくやることですが、足をふくタオルもありません。濡れたまま靴下を履き、靴に足を突っこみました。水虫になったらどうしよう。
滝の落ち口、写真では上が下流。
足水、やはり一眼レフに偏光フィルターが要る。
トップの写真は、この滝からさらに少し遡ったところ。以前写真を撮ったときには何もかもが渦を巻いて写った場所なのですが、本日は何もなし。その怪しい写真も今回さんざんに探しましたが見つかりません。この近くから再び林道に上がります。いつもはジュクジュクグチャグチャの道なのに本日は結構乾いていて楽な道でした。
少し広いところに出ると、このまま林道を行くか沢池の西岸に至る沢に入るかという分岐に出ます。沢に入れば沢池はすぐですが、もはやこの道は道ではなくなっています。これ以上蜘蛛どものマイホームを潰すのもイヤなので本日も林道を真っ直ぐに行きます。途中、わずかながら展望が利くところがあり、竜ヶ岳が真正面に、愛宕山のポッチリがわずかながら見えています。
馴染みとなった一本松、「松枯れに負けるなよー」と声をかけます。
やがて林道は東海自然歩道と出会い、そのまま登っていくと沢池に到達します。
右が沢池だす。
沢池は本来は宇多野・鳴滝地域の溜池です。けれども今は、ロケ地としても知られています。京都で制作される映画やテレビドラマの水辺のシーン、大抵は大沢の池か広沢の池、さもなくば沢池です。
沢池の畔の道
気持ちの良い池の横の道を歩いていますと、ゼッケンを付けた人たちが大量にやってきました。「保津峡て遠いですか?」と道を聞かれて「えっ?」、聞けば伏見稲荷がスタートで東山トレイル、北山トレイルを走り、保津峡がゴールのレースに参加しているそうです。「えらい!えらい!めちゃめちゃえらい!」、このような青年たち(女性も参加しています)が日本にいる限り帝國陸海軍は必ず復活できる。こちらはそのまま沢山を目指しますが、登山の足取りも軽くなります。
沢山山頂、516メートル
沢山は、太秦の映画村あたりから見た姿が最も優美です。沢山からの展望はほとんどありません。頂上にデンをしたら、そのまま下って上の水峠方面へ。
鷹峯、上の水峠方面からの登り口
大文字が正面に見えています。毎年、ここから大文字を見たいと思っていますが、五山送り火の日は例年京都駅の近くでビールを飲んでいますから、分身の術を使わねばなりません。
そのまま、再び東海自然歩道に復帰し坂尻、千束へと降りていきます。
坂尻
天神川(紙屋川)起点
長坂越えの道標は最近建てられたようです。このあたりでは無数の合戦が行われましたが、室町幕府の執事であった伊勢貞孝などもここで死んでいます。付近の大きな地蔵はそういった人たちを弔うべきものでしょうか。
ここから金閣までが約2㎞、源光庵までが約300メートルというところでしょうか。何が疲れると言っても源光庵に向かって登るこの最後の坂が一番こたえます。坂を登り切ったところに光悦寺があります。この鷹が峰あたりも鄙びていていいですね。さて、北大路駅で一杯か、四条大宮で一杯か、頭の中の冷水もまだ爽やかだし、どこで飲んでも気持ちがええでと申す処。
毘沙門橋の少し下手のところが崩落して、今現在はご覧の通りの片面通行です。この「信号機あり」の横を登っていきます。
崩落したところが木の葉の間から見えています。北山杉の林が無くなっているところですが、少しわかりにくいですね。この辺りの地形はかなり急峻です。豪雨になればどこもが崩落の可能性があります。入り口から200メートルも進むと眼下に最初の滝が見えてきます。
今現在は、谷から少し離れたところからユリ道を通って谷の奥に入ろうとしています。谷の水が清滝川に流れ込むところから沢を遡ったこともありますが、本格的な沢登りの技術も装備も持たぬ身としては悪戦苦闘しました。以後はおとなしく普通の谷入りのルートを歩いています。従って、この滝は上から見下ろすだけです。この地点から少し行くと落差5メートルほどの滝と「こんにちわー」です。
中川から上る「菩提の滝」等もこんな感じですから、何か洒落た名が付いていてもよさそうなのですが、小生はこの滝の名も次の滝の名も知りません。この滝の滝壺には横合いからも水が流れ込みますが、その谷にも小さな滝があります。この小さな滝の谷には未だ入っていったことがありません。長年の宿題となっています。本日も本流に沿って進みます。
横の滝
しばらく、沢の中を進みますが、大きな岩に幾筋もの流路の跡が刻まれた天然の酒舟石とでも言うべきものがあります。写真ではなんのこっちゃ判りませんが。
本日は水量が少ないので、いつもは水の中のチャートもはっきりと見えます。
ルートはこの近くから林道に上がるのですが、今日は大滝の滝壺近くに行きたいのでこのまま沢を遡行します。
沢づたいには、この地点で行き止まり。泳ぐのはイヤですから左手の林の中から迂回して上流に向かいます。ものの30メートルも進めば大滝ですが、しばらく両手両足運動が必要です。落差10メートルほどの滝で、勝手に「大滝」と言っていますが、本当の名前は知りません。
うー、やっぱり涼しい。マイナスイオンぢゃ。滝壺近くで涼をとります。
この滝の下流、先ほど行き止まりになったところまでは天然の滑り台のように水が流れていて、ナンチャラ回廊などと名づけたいところです。やはり本日は水が少ない。
左岸には林道に上がる道があります。林道から滝壺に下りるときには実に根性のいる道ですが、登りは楽です。
林道からはこのように見える
滝の上に出ました。ここに足湯ならぬ足水にぴったりのところがあります。ここで足を水につけていると本当に気持ちが良いのですが、水量が少ない分だけ今日は水の冷たさがやや足りません。「シマッタ!ビールを忘れた。」。「しばしとてこそたちどまりつれ」の心境。よくやることですが、足をふくタオルもありません。濡れたまま靴下を履き、靴に足を突っこみました。水虫になったらどうしよう。
滝の落ち口、写真では上が下流。
足水、やはり一眼レフに偏光フィルターが要る。
トップの写真は、この滝からさらに少し遡ったところ。以前写真を撮ったときには何もかもが渦を巻いて写った場所なのですが、本日は何もなし。その怪しい写真も今回さんざんに探しましたが見つかりません。この近くから再び林道に上がります。いつもはジュクジュクグチャグチャの道なのに本日は結構乾いていて楽な道でした。
少し広いところに出ると、このまま林道を行くか沢池の西岸に至る沢に入るかという分岐に出ます。沢に入れば沢池はすぐですが、もはやこの道は道ではなくなっています。これ以上蜘蛛どものマイホームを潰すのもイヤなので本日も林道を真っ直ぐに行きます。途中、わずかながら展望が利くところがあり、竜ヶ岳が真正面に、愛宕山のポッチリがわずかながら見えています。
馴染みとなった一本松、「松枯れに負けるなよー」と声をかけます。
やがて林道は東海自然歩道と出会い、そのまま登っていくと沢池に到達します。
右が沢池だす。
沢池は本来は宇多野・鳴滝地域の溜池です。けれども今は、ロケ地としても知られています。京都で制作される映画やテレビドラマの水辺のシーン、大抵は大沢の池か広沢の池、さもなくば沢池です。
沢池の畔の道
気持ちの良い池の横の道を歩いていますと、ゼッケンを付けた人たちが大量にやってきました。「保津峡て遠いですか?」と道を聞かれて「えっ?」、聞けば伏見稲荷がスタートで東山トレイル、北山トレイルを走り、保津峡がゴールのレースに参加しているそうです。「えらい!えらい!めちゃめちゃえらい!」、このような青年たち(女性も参加しています)が日本にいる限り帝國陸海軍は必ず復活できる。こちらはそのまま沢山を目指しますが、登山の足取りも軽くなります。
沢山山頂、516メートル
沢山は、太秦の映画村あたりから見た姿が最も優美です。沢山からの展望はほとんどありません。頂上にデンをしたら、そのまま下って上の水峠方面へ。
鷹峯、上の水峠方面からの登り口
大文字が正面に見えています。毎年、ここから大文字を見たいと思っていますが、五山送り火の日は例年京都駅の近くでビールを飲んでいますから、分身の術を使わねばなりません。
そのまま、再び東海自然歩道に復帰し坂尻、千束へと降りていきます。
坂尻
天神川(紙屋川)起点
長坂越えの道標は最近建てられたようです。このあたりでは無数の合戦が行われましたが、室町幕府の執事であった伊勢貞孝などもここで死んでいます。付近の大きな地蔵はそういった人たちを弔うべきものでしょうか。
ここから金閣までが約2㎞、源光庵までが約300メートルというところでしょうか。何が疲れると言っても源光庵に向かって登るこの最後の坂が一番こたえます。坂を登り切ったところに光悦寺があります。この鷹が峰あたりも鄙びていていいですね。さて、北大路駅で一杯か、四条大宮で一杯か、頭の中の冷水もまだ爽やかだし、どこで飲んでも気持ちがええでと申す処。
毘沙門橋の崖崩れは、私達が遠来の先生を囲んで小同級会を開催する前夜に発生し、その為、京北在住の級友数名が出席不能との所行を負わされ恨んでおります。未だ復旧していないのですか。
それにしても、毘沙門谷は、私には推量するしかないのですが、水量が減少した現象とは申せ、数ある滝の景観は涼感満点です。それぞれが無名の滝なのですか。ならば、羅休師独自の御命名でお愉しみなされば如何でしょうか。
落差5メートルの滝=徘徊滝・次の滝=堂羅休滝・大滝=垂涎酒滝・ナンチャラ回廊=望麦酒回廊・酒舟石=このまんまでOKでしょう。
それにしても(2度目ですが)、これだけ水際にありながら、足だけしかお漬けにならないのは物体無いではないですか。たとえ金槌でも、滝壷の水量的には水没しないと水測しますが・・・。それにしても(3度目ですが)、遥か愛宕山を望む1本松の背景の雲は、もう秋の気配が漂っています。大文字の夜は沢山へは沢山の人が登るのでしょうか。徘徊堂さんも来年こそは麦酒樽を背負って登り、美夜なる一夜を送ってください。
「麦酒はた冷酒も恋いしひ9月かな」(道草)
大文字の日に沢山に登る人は多分誰もいないと思います。夜八時には真っ暗でしょうから、それなりの準備が要りますが、一度やってみたいなあと考えています。毘沙門橋は現在片側通行、高雄~栂尾間も先日のり面が崩れたとかで片側通行になっています。
大滝の滝壺から回廊を経て行き止まりの淵まで泳いでいくと気持ちが良いでしょうね。ただ、水が多いときはムチャクチャ冷たいので長時間は入っていられないように思われます。
ついこの間まで涼をとるのに一心でした。
北山にこんなに多く滝になる沢があるのですか。もの凄い数の滝ですね!
>ナンチャラ回廊ね、ふりふりスカートのようにも^^沢池の畔の道も木漏れ日がステキで歩き易そう^^車は入れるのでしょうか?
そうそうユリ道とはどんな道?前からお聞きしょうと思っていました。
沢山から沢池、晩秋もいいでしょうねぇ。
あさっては西の鯖街道で馬場の滝を訪れます。
沢池に車で行くにはは中川の菩提道(京都からだと中川トンネルの手前で中川の方に入り、集落の手前で右に大きく曲がります)から入っていけますが、途中離合できる場所は殆どありません。けれども大きなロケバスもこの道を通って入ってきています。この道をたどると北山杉を手で磨くときに使う砂を採取する「菩提の滝」に立ち寄ることができます。沢山は沢池から20分で登ることができます。
あさって、日本晴れに晴れて、しかも少し涼しかったらいいですね。
それにしても涼しそうですね。行きたいところです。
19日にはささ舟さまと馬場の滝にいきました。滝壺の近くで鹿が死んでおりました。所々栃の木があり実が落ちてましたが既に殻は開かれていました。
千束から源光庵まで、写真の舗装道の急登でなく横に旧道があるのですが。ちなみにここら辺の道標は「鷹峯の歴史を語る会」の高畑さんグループが立てられたものです。2年程前からかしら、、。
鏡石は、毘沙門谷のどれかの岩を指すのかも知れませんが、どれとも解りません。これも今度の宿題とさせていただきますが、毘沙門谷ならば時間がゆっくりと取れますので気が楽です。写真で見ていただいたチャートならば、随所で見ることができます。市内てはありますが、衣笠に鏡石町というのもありましたね。