嵯峨越畑にある越畑蕎麦まつばら、ここの天ザルは訳の解らぬ海老などというものは使われてなくて、近隣で収穫した季節の野菜の天麩羅が付いています。ということで、海老の偽装は100%無し(笑)。できれば、春夏秋冬季節の違いごとに食いたいけれど、なかなかそうはいきません。本日は、久しぶりにここの蕎麦を食いに行きました。本日は車です。
先ずは、亀岡市の千歳にある千歳車塚古墳。径80メートルほどの前方後円墳です。写真では少しわかりにくいのですが、周濠も含めてきれいに残されています。
古墳にほど近いのが出雲大神宮、ここはいつも賑わっています。来る度に恋愛成就の仕掛けが増えていますが、そういうところが人気なのでしょうね。
今回は紅葉は全く期待していなかったのですが、なかなか見事なのを見ることが出来ました。
ここは徒然草の238段で、お参りした僧が狛犬が向かい合わずに互いに尻を向けて座ってるのを見て、何かありがたい由来のあることだろうと涙を流して感動したら、実は子供のいたずら(ごんた)だったという話が語られている舞台です。今の今まで知りませんでしたが、その僧が人々を神社詣でに誘う言葉が、「もちを御馳走しましょう。」という言葉でした。
たまたま同行の方が事前に寄ったところでもちを買って下さり、境内で御馳走になりました。期せずしてピッタリの趣向になった訳です。今ある狛犬は大きくて子供のいたずら程度では動かすこともできません。
この神社はかねてから「もともとは首長層の墓域であったところが歳月を経て非常に神聖なところと意識されるようになり、逆に死穢を許されぬ場所となっていった」ところの有力候補です。神社の裏には磐座があり、その周囲には古墳もあります。後ろの山が神体山で、本日は登りませんが、ここにもいくつもの磐座があるものと思われます。
続いて、旧八木町氷所の幡日佐神社。ドライブなのに神風連丸出しです。新嘗祭の日とあって、いつもは誰もいない境内に人がおられました。
以前にこれが神吉から持ってきたという石かなと思っていたものは伊勢神宮の方向を示す石でした。話をした人にもう少し粘れば良かったのですが、よく考えたら神吉から持ってきた石を見ていないことに気が付いたのは神社を後にしてからのことでした。
本殿の前には元禄の燈籠と享保の燈籠が列んでいます。
元禄の燈籠
なぞの献燈石、師匠が上をのぞかれたところ、やはり何かが上に載っていたのだということが解りました。そういえば、いつも横から見るばかりで上から見るということをしませんでした。コロンブスの卵というやつですね。
ここでも、紅葉を楽しむことが出来ました。
紅葉山トンネルを経て神吉へ。先ずは嵯峨越畑の蕎麦屋に行きます。旭地区を潤す廻田池はすっかり水が抜かれていました。その池の前に停車して明治の国境碑。
この後、「まつばら」で蕎麦を食べたのですが、欠食児童なので、写真を撮るゆとりもなく、関係する写真は全くありません。蕎麦の後は鎧田(棚田)を見て、四所神社にお参りしました。
道標
征清碑
京都市編入記念
四所神社
紅葉
棚田に当たる太陽が軍艦旗のように見えました。残念ながら写真にはきちんと写ってはいません。その美しさを見るに付け、これに文句を言うバ韓国とは断交しかないなあと思います。
昔、地図も持たずに愛宕山から地蔵山を経て、嵯峨越畑に初めて下りてきたとき、「嵯峨」の言葉に惑わされて、何が何か分からなくなり、結局亀岡までだらだらと歩いたことを思い出します。「おっかしいなー、嵐山の近くにこんなとこがあったかな?」等と考えていたのですから大マヌケです。
もう一度、神吉に戻り神吉村道路元標。ここいらは完全にささ舟様の縄張りです。「あっ、こいつら、何をちょろちょろと。」と思われるかも知れませんね。
現在は組合が使っていますが、かっては校舎だったろうと思われる建物、鐘楼まできれいに残っています。昔はここから紐が垂れていて、その紐を引いて鐘を鳴らしたものと思われます。
学校の横の日吉神社にも参拝させてもらいました。
地蔵山がきれいに見えている神吉を後にします。最初は宇津に向かうつもりでしたが、上桂川左岸の道が18号台風による土砂崩れから復旧していなくて、右岸の道はダンプも来るので、一人の時は通るのですが、人を巻き込んではいけないので、本日はあきらめて日吉ダムの方に下りました。
地蔵山
日吉ダム
ダムの体育館では、バスケットの大会が行われていたりして、多くの人がいました。
ダムのレストランのコーヒー、少しはマシになったのでしょうか。以前に飲んだときは、むちゃくちゃにまずかったので、本日もレストランには入りませんでした。
最後は舩井神社、新嘗祭のあと片付けの為ということで宮司様がおられました。もはや、暗くなり始めていましたが、懐中電灯を手に社殿の彫り物や拝殿の絵馬の説明をして下さいました。
腕塚
夜な夜な抜け出て文覚池に水を飲みに行くというために金網で囲われ馬の彫り物です。
手ぶらで行ったのに、帰りにはまたまた、かやの実その他の土産をいただきました。おかげで、帰宅後には全く考えてもいなかった柚子風呂に入ることが出来ました。感謝です。
この新嘗祭の日は、京都がもっとも混む日であると同行の方に教えていただきました。宇津に行けても高雄に下りていたら…とちと恐ろしいですね。
先ずは、亀岡市の千歳にある千歳車塚古墳。径80メートルほどの前方後円墳です。写真では少しわかりにくいのですが、周濠も含めてきれいに残されています。
古墳にほど近いのが出雲大神宮、ここはいつも賑わっています。来る度に恋愛成就の仕掛けが増えていますが、そういうところが人気なのでしょうね。
今回は紅葉は全く期待していなかったのですが、なかなか見事なのを見ることが出来ました。
ここは徒然草の238段で、お参りした僧が狛犬が向かい合わずに互いに尻を向けて座ってるのを見て、何かありがたい由来のあることだろうと涙を流して感動したら、実は子供のいたずら(ごんた)だったという話が語られている舞台です。今の今まで知りませんでしたが、その僧が人々を神社詣でに誘う言葉が、「もちを御馳走しましょう。」という言葉でした。
たまたま同行の方が事前に寄ったところでもちを買って下さり、境内で御馳走になりました。期せずしてピッタリの趣向になった訳です。今ある狛犬は大きくて子供のいたずら程度では動かすこともできません。
この神社はかねてから「もともとは首長層の墓域であったところが歳月を経て非常に神聖なところと意識されるようになり、逆に死穢を許されぬ場所となっていった」ところの有力候補です。神社の裏には磐座があり、その周囲には古墳もあります。後ろの山が神体山で、本日は登りませんが、ここにもいくつもの磐座があるものと思われます。
続いて、旧八木町氷所の幡日佐神社。ドライブなのに神風連丸出しです。新嘗祭の日とあって、いつもは誰もいない境内に人がおられました。
以前にこれが神吉から持ってきたという石かなと思っていたものは伊勢神宮の方向を示す石でした。話をした人にもう少し粘れば良かったのですが、よく考えたら神吉から持ってきた石を見ていないことに気が付いたのは神社を後にしてからのことでした。
本殿の前には元禄の燈籠と享保の燈籠が列んでいます。
元禄の燈籠
なぞの献燈石、師匠が上をのぞかれたところ、やはり何かが上に載っていたのだということが解りました。そういえば、いつも横から見るばかりで上から見るということをしませんでした。コロンブスの卵というやつですね。
ここでも、紅葉を楽しむことが出来ました。
紅葉山トンネルを経て神吉へ。先ずは嵯峨越畑の蕎麦屋に行きます。旭地区を潤す廻田池はすっかり水が抜かれていました。その池の前に停車して明治の国境碑。
この後、「まつばら」で蕎麦を食べたのですが、欠食児童なので、写真を撮るゆとりもなく、関係する写真は全くありません。蕎麦の後は鎧田(棚田)を見て、四所神社にお参りしました。
道標
征清碑
京都市編入記念
四所神社
紅葉
棚田に当たる太陽が軍艦旗のように見えました。残念ながら写真にはきちんと写ってはいません。その美しさを見るに付け、これに文句を言うバ韓国とは断交しかないなあと思います。
昔、地図も持たずに愛宕山から地蔵山を経て、嵯峨越畑に初めて下りてきたとき、「嵯峨」の言葉に惑わされて、何が何か分からなくなり、結局亀岡までだらだらと歩いたことを思い出します。「おっかしいなー、嵐山の近くにこんなとこがあったかな?」等と考えていたのですから大マヌケです。
もう一度、神吉に戻り神吉村道路元標。ここいらは完全にささ舟様の縄張りです。「あっ、こいつら、何をちょろちょろと。」と思われるかも知れませんね。
現在は組合が使っていますが、かっては校舎だったろうと思われる建物、鐘楼まできれいに残っています。昔はここから紐が垂れていて、その紐を引いて鐘を鳴らしたものと思われます。
学校の横の日吉神社にも参拝させてもらいました。
地蔵山がきれいに見えている神吉を後にします。最初は宇津に向かうつもりでしたが、上桂川左岸の道が18号台風による土砂崩れから復旧していなくて、右岸の道はダンプも来るので、一人の時は通るのですが、人を巻き込んではいけないので、本日はあきらめて日吉ダムの方に下りました。
地蔵山
日吉ダム
ダムの体育館では、バスケットの大会が行われていたりして、多くの人がいました。
ダムのレストランのコーヒー、少しはマシになったのでしょうか。以前に飲んだときは、むちゃくちゃにまずかったので、本日もレストランには入りませんでした。
最後は舩井神社、新嘗祭のあと片付けの為ということで宮司様がおられました。もはや、暗くなり始めていましたが、懐中電灯を手に社殿の彫り物や拝殿の絵馬の説明をして下さいました。
腕塚
夜な夜な抜け出て文覚池に水を飲みに行くというために金網で囲われ馬の彫り物です。
手ぶらで行ったのに、帰りにはまたまた、かやの実その他の土産をいただきました。おかげで、帰宅後には全く考えてもいなかった柚子風呂に入ることが出来ました。感謝です。
この新嘗祭の日は、京都がもっとも混む日であると同行の方に教えていただきました。宇津に行けても高雄に下りていたら…とちと恐ろしいですね。
昨晩帰宅し、今朝はとうとう起きるのが大変になり、医者にかかりました。 「当分無理なことをしないように。」と釘を刺されました。 出掛ける前から症状は出ていたのですが、ちょっと甘く見ました。 帯状疱疹とのことでした。
写真のところは、亀岡なのですか? もみじの良い状態の時訪れたようで、何とも華やかですね。 京都は赤の色がとてもきれいに発色されるように感じます。 華やかな日本の赤。 きれいですね。
お蕎麦も美味しかったのでしょうね。
泊まっていたホテルの朝食で「エッツ!」と驚くようなことを見ました。 私が目にしたのは、ゆで卵20個、ミニパンより少し大きい菓子パンを20個、あとは飲み物を目の前でたいらげた、60代くらいのおじいさんがいたのです。 翌朝係りの人に聞いてしまいました。 「あのあとはお帰りになられたのですか?」と。 そうしましたら「また卵10個、パン10個、を食べられてから帰られました。 週3~4回お見えになるご常連さんです。 いつも同じで、卵30個、パン30個は召し上がります。」とのことでした。
鎌倉街道さん嘘言ってないですか? と言われそうですが、本当の事です。 すごく痩せていて、靴はピカピカ、髪の毛は少々、大阪にはすごい人が居るものですね。
大阪、元気が出る街です。
すみません今日のブログは、京都でしたね。
この日は蕎麦を食うとの一念で紅葉は全く考えてなかったので得をしたなあというところです。この日は亀岡市、南丹市(旧八木町と園部町)、京都市と回ったことになります。蕎麦屋のある所は京都市右京区です。
まつばらの蕎麦は、なかなかの評判です。こちらの方も、そのうちに御案内したいと考えております。日曜日に企画するなら、保津峡から歩いてもいいかも知れません。
それにしても、すごい爺さんがいるものですね。週に3~4回も来るということは、そのホテルを定宿にしているのでしょうか?完全に元を取り戻していますね(こういうことを言うのが大阪人の嫌らしさ(笑))。
帯状疱疹、大昔になったことがあります。確かムチャクチャ痛かったように覚えています。お大事になさって下さい。
締めは船井神社ですか。腕塚の中が見えない程暗くなってますね。そのバックの社務所の灯りが宮司さんの温かい心を撮し出されているように見えました。ゼミのかくれ里探訪で訪れた時には皆さんかぼちゃをお土産に頂きご満足の様子でしたね。しかも我々を迎えて頂いたときはちゃんと正装でしたし、後味の良い神社です。
今日私が宇津から右岸を通って世木ダム方面へと走ったとき、3台程大きな車と出逢いましたが向こうがバックしてくれたりなかなか紳士的でしたよ(^_・)それに川岸の木々の紅葉が行く秋を思わせる色づきでなかなかのものでした。
初めて越畑に来たとき、その美しさに感動し、桃源郷だと思いました。そのころに比べると少し荒れたかなという感じもありますが、まだまだ美しい里だと思います。
船井神社近辺、新庄城も未だ登れていません。宮司様は本当にいつも親切で恐縮します。大晦日は深夜に祝詞をあげられるとのこと、一度お参りしたいなあと思っています。
春に弟らとまつばらで食事してからそちら方面はすっかりごぶさたしています。
今朝のK新聞丹波版に、越畑から一山越えて嫁がれた同級生が大きく載っていていました。その宕陰校の同級生とは小学生の運動会の対抗リレーで一緒に走った方でした。
知らなかったけれど神吉は「準限界集落」だそうです。
鐘楼のある建物は旧役場で、道路元標のある間際に西校舎が建っていました。
何かこの頃疲れているなぁ~と思ったら、そちらに行ってないからだわ、明日にでも行こうかな。
鐘楼のある建物は役場だったのですね。てっきり小学校の校舎だと思っていました。ずいぶんと立派な建物が残っていて感動しました。日吉神社の棟札に神社関係者の名が記されていました。と、いうことはささ舟様の旧姓は…。
神吉も準限界集落なのですか。この日、公園で遊ぶ小学生をたくさん見ました。「ア!子供がいる。」等と呑気な会話を師匠等としておりました。家もたくさんあるように見えるのですが、中学生になったらバスに乗って通学しなくてはならないのでしょうね。川に沿った旧バス道は通行止めになっていました。
地蔵山の山容が物語るように神吉、越畑、樒原、いずこも夢のように美しいところです。ささ舟様の元気の源ですね。小生は一度紅葉山に登らねば…と思っています。
狛犬の逆さに向いたのを、坊さんが、訳知り顔で感涙にむせびながら、人々に説教をする話、私は徒然草の中でも好きな話です。学者というか、インテリというか、思い込みの強い人を、こてんぱにこきおろす話ですね。この神社でしたか、いやあ、感銘がありました。
今日のコメント、みなさん、ロケットスタートで、コメントをすべて読ませてもらいました。菓子パン30個、卵30個のおじさん、面白いですね。どこか病んでいるかもしれませんね。
ちょっと似た話です。
吉野家の牛丼をたのんで、はじめは牛丼をまったく食べずに。紅ショウガを茶碗1杯分ほど、飯の中に押し込む客がいました。牛丼マッカッカ。見ている私はワッハッハ八(YOUTUBEで見ました。一瞥して病んだ表情の人でした)
ラーメン屋でキムチ食べ放題をそのまま解釈して、入れ物を空にする奴もいるとか。
すべてのケースについていえることですが、店の方も要注意人物としてマークしているものの「食べ放題」と言っている以上、採算割れしないかぎり、文句がいえないんでしょうね。「お一人様菓子パン20個まで」というと、「なんや、監視しとるんか、美味くなくなるわ」とか、ゴジャ(文句)いいますからね・・「常識の範囲で、食べ放題」というと「常識とは何個や、いわんかい。xx個、何でそれが常識やねん」ときますから・・こういう客に対して本気で怒った方が負けみたいな気がします。
ただ或いは食べ放題だから詰め込まねば損だという気持ちはちょっと卑しいなあと感じます。ただ・無料というものはありがたいし、小生もそういうものをありがたく享受していますが、受け取り得るものはおのずと限度があって、その限度を超すとサービスを与える側も受ける側も不愉快になるものです。けれども、そういうのを全く気にしない人も世の中にはいるのですね。ホテルの爺さんの場合は、全く天真爛漫なのか、荒れ果てた気持ちの持ち主なのかどちらなのでしょうね。
紅ショウガ、天麩羅をはじめとして好きな食べ物ですが、お話しいただいた吉野家の件は読むだけで胸焼けがしそうです(笑)。