花洛転合咄

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宇津八幡

2020年04月04日 | 徘徊の寫眞


城跡に
育つ杉の樹
大きうして
戦の日々は
遥か昔に

宇津の八幡宮は、八つ裂きにされて周囲の山々に埋められた安倍貞任が随分と祟ると言うことで、源頼義が勧請したということである。
貞任伝説はともかくとして、社が背負う山は宇津城址である。明智による丹波攻略に最後まで抵抗した宇津氏の本拠地であった。
山国御料の支配をめぐってのことと思われるが、とにかく京都を押えた者に宇津氏は抵抗した。
城が落ちたのは天正7年の7月19日、信長への丹波平定報告は10月24日である。その3年後に本能寺と言うことになる。
神社の裏手に城の大手に向かうと思われる道があるが、今は荒れ果てて登るには随分と苦労する。
鐘が残るという点では寺があったことも考えられる。いずれにしても社は城の鎮守で、今の位置になったのは明治以後か?









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