京阪電車土居駅に近い商店街、守居神社の付近はたこ焼き・お好み焼き店の激戦地であります。ほんの2、30メートル以内のところに、蛸八、おたやん、ジャンボ、いもや、そして写真のいっぷく亭と5軒がひしめき合い、さらに土居駅の近くにもう一店のお好み焼き店があります。何処の店もそこそこ客を集めているところを見ると「この近辺ではたこ焼きが主食なのかな?」等と思えるほどですが、まあこれは商店街自体の集客力の問題で、勢いを失ってシャッター通りとなっている商店街ではこうはいかないでしょう。
近時、梅岩先生の商道徳も完全に忘れられ、今まであった理髪店の横に安売りの理髪店、たこ焼き・お好み焼きの店のすぐ近くにまた同じような店が出来るという自ら進んで共倒れを願うが如き商行為が横溢しておるのは嘆かわしいことでありますが、当然といえば当然ですが、こういう掟破りのようなことをするのはチェーン店に多い。たこ焼き店でいうとジャンボなどは、十三駅前や高槻駅前などでもデーンと店を構え、この土居駅にも亦進出してきておるのです。
資本主義の原理はともかくとして、街をブラブラと徘徊する身には、どこの駅前も同じようになってしまうのは本当に面白くない。というか、徘徊の意味が無くなってしまうのであります。従って統制されているチェーン店には出来る限り入らぬのが信条。チェーン店であっても弱い結合しかない店は、その店独特の雰囲気があります。食堂でいえば「大力餅」チェーンや「相生餅」チェーン、居酒屋でいえば「丸一屋」等は地域が異なれば全く別の店であって、メニューも置いている酒も全然違う。コンビニ等も可能な限り利用せず、おばあはんがやっている「よろず屋」を利用したいのですが、これは店自体が無くなっているところが多い。
電器やカメラの店も同様で、儲けた上に儲けるというあさましさ丸出しの大型店は出来る限り利用しない。少々不便であっても、少々高くても街の電器屋さん、カメラ・写真店を利用したいところですし、そういう店のおっちゃんやおばちゃんと色々なはなしをするのも面白い。大型店の店員(特に電化店は派遣されてきているのが多い)等は一度の商いでハイさようならとなり、普通はその後は2度と会わぬものです。まあこういう立場つまりチェーン店を嫌う行き方は現在少し旗色が悪いのは事実でありますが。
前置きが長くなりましたが、そういうことでありますから、ジャンボは最初からパス。残りの店の開店の経緯などは全く不明でありますが、そんなことを言わなくても中でたこ焼きが食えて、酒も飲める店は「いっぷく亭」だけなのであります。「おたやん」も酒は飲めますが、お好み焼きと焼きそばしかありません。けれども、このいっぷく亭、前に持ち帰りの客が待つために座るスペースが設けられているように小生の如く意地汚く酒を飲む人間以外にも随分と好評のようです。
勿論、斯様な激戦地で争う訳ですから愛想という点では別にジャンボのニイチャンも問題は無い。けれども、このいっぷく亭の主にはまた別種の清々しさというか、そういうものが有り、それが多くの客を招いていると思われます。店の中は基本的にはカウンターだけですが、これが背中合わせに2列有ることで「落ち着ける雰囲気」が出来上がっています。明石焼8つと大瓶ビール1本で千円ぽっきりというのもまあ良心的かなと思われます。明石焼の出汁には三つ葉が別皿で付いてくる。淡い色の紅ショウガも別皿で付いてきて、見た目がなにやら上品です。但し、明石焼の数は小振りなものが8つと、これは望まぬ上品さ、味は合格でありますが、今少しふくらみが欲しい。
といっても、本場明石の「玉子焼き」なる明石焼のルーツ、随分と多くの店に入りましたが何やら油臭くて食えたものではないものにも多く出くわしました。そういう意味では、本場を離れて各地域に広がった食い物が、その地域で生き残るために工夫を重ねている姿はよく見えるもので、本場は本場に安住するが故に所謂本場に行くとガッカリすることが多いのかも知れません。
「いっぷく亭」の明石焼もその提供方法も工夫の産物とは言えると思います。お好み焼きなどは、もの凄く恐縮しながら随分と時間がかかる旨を言ってくれますが、「何分?」と聞けば「12、3分」、それだけの時間で恐縮されてはこちらも恐縮します。客を待たせて当たり前という蕎麦屋などは大いに見習えよと申す処。ついでに「見苦しきもの、講釈を垂れるラーメン屋」。
本日は「いっぷく亭」の紹介のみにおわりましたが、この付近の鎮守、守居神社とともに何時までも栄えてくれたらと思うております。
近時、梅岩先生の商道徳も完全に忘れられ、今まであった理髪店の横に安売りの理髪店、たこ焼き・お好み焼きの店のすぐ近くにまた同じような店が出来るという自ら進んで共倒れを願うが如き商行為が横溢しておるのは嘆かわしいことでありますが、当然といえば当然ですが、こういう掟破りのようなことをするのはチェーン店に多い。たこ焼き店でいうとジャンボなどは、十三駅前や高槻駅前などでもデーンと店を構え、この土居駅にも亦進出してきておるのです。
資本主義の原理はともかくとして、街をブラブラと徘徊する身には、どこの駅前も同じようになってしまうのは本当に面白くない。というか、徘徊の意味が無くなってしまうのであります。従って統制されているチェーン店には出来る限り入らぬのが信条。チェーン店であっても弱い結合しかない店は、その店独特の雰囲気があります。食堂でいえば「大力餅」チェーンや「相生餅」チェーン、居酒屋でいえば「丸一屋」等は地域が異なれば全く別の店であって、メニューも置いている酒も全然違う。コンビニ等も可能な限り利用せず、おばあはんがやっている「よろず屋」を利用したいのですが、これは店自体が無くなっているところが多い。
電器やカメラの店も同様で、儲けた上に儲けるというあさましさ丸出しの大型店は出来る限り利用しない。少々不便であっても、少々高くても街の電器屋さん、カメラ・写真店を利用したいところですし、そういう店のおっちゃんやおばちゃんと色々なはなしをするのも面白い。大型店の店員(特に電化店は派遣されてきているのが多い)等は一度の商いでハイさようならとなり、普通はその後は2度と会わぬものです。まあこういう立場つまりチェーン店を嫌う行き方は現在少し旗色が悪いのは事実でありますが。
前置きが長くなりましたが、そういうことでありますから、ジャンボは最初からパス。残りの店の開店の経緯などは全く不明でありますが、そんなことを言わなくても中でたこ焼きが食えて、酒も飲める店は「いっぷく亭」だけなのであります。「おたやん」も酒は飲めますが、お好み焼きと焼きそばしかありません。けれども、このいっぷく亭、前に持ち帰りの客が待つために座るスペースが設けられているように小生の如く意地汚く酒を飲む人間以外にも随分と好評のようです。
勿論、斯様な激戦地で争う訳ですから愛想という点では別にジャンボのニイチャンも問題は無い。けれども、このいっぷく亭の主にはまた別種の清々しさというか、そういうものが有り、それが多くの客を招いていると思われます。店の中は基本的にはカウンターだけですが、これが背中合わせに2列有ることで「落ち着ける雰囲気」が出来上がっています。明石焼8つと大瓶ビール1本で千円ぽっきりというのもまあ良心的かなと思われます。明石焼の出汁には三つ葉が別皿で付いてくる。淡い色の紅ショウガも別皿で付いてきて、見た目がなにやら上品です。但し、明石焼の数は小振りなものが8つと、これは望まぬ上品さ、味は合格でありますが、今少しふくらみが欲しい。
といっても、本場明石の「玉子焼き」なる明石焼のルーツ、随分と多くの店に入りましたが何やら油臭くて食えたものではないものにも多く出くわしました。そういう意味では、本場を離れて各地域に広がった食い物が、その地域で生き残るために工夫を重ねている姿はよく見えるもので、本場は本場に安住するが故に所謂本場に行くとガッカリすることが多いのかも知れません。
「いっぷく亭」の明石焼もその提供方法も工夫の産物とは言えると思います。お好み焼きなどは、もの凄く恐縮しながら随分と時間がかかる旨を言ってくれますが、「何分?」と聞けば「12、3分」、それだけの時間で恐縮されてはこちらも恐縮します。客を待たせて当たり前という蕎麦屋などは大いに見習えよと申す処。ついでに「見苦しきもの、講釈を垂れるラーメン屋」。
本日は「いっぷく亭」の紹介のみにおわりましたが、この付近の鎮守、守居神社とともに何時までも栄えてくれたらと思うております。
大型チェーン店なるものは、もちろん敬遠したくなります。ただ、近くに「酔虎店」の名の居酒屋のチェーン店があり、名称に惹かれて何度か通いました。別に何の特徴(点)も無く、単に比較的安いだけの店でしたが。その場所にあった店は、今は潰れて閉鎖されております。
たこ焼屋はほとんど無知ですが、ラーメン店へはあちこち行きました。仰せの通り、一店だけで頑張っている所の方が、味の良いのは確かです。馴染みになれば、親父と無駄口も叩けますし休憩には適所でした。
たこ焼博士のお供が叶う日を楽しみにしております。「大阪のたこやきなればともしびの明石の蛸をぶつ切りにする」(池田はるみ)。
偉そうなことを言っておりますが、チェーン店の居酒屋が「おもしろくない」と気づいたのは極めて最近のことです。F様より天王寺の明治屋をお教えいただき、明治屋自体は残念ながら未だ行ったことはないのですが、「なるほど!そういう感じの店もあるんや。」とあちこちの盛り場で探すと、その地域独特の居酒屋がまだまだ多くあることに気がつきました。「失われた10年」どころか数十年を頑張って取り戻しております(飲みに行ってるだけですが)。
あまり、前宣伝をするとご期待に添えなかった時に申し訳ないのですが、池田ではたこ焼きを召し上がっていただきます(強制的(笑))。
さてチェーン店の功罪は色々あると思います。効はまずは価格面が一番大きいでしょう。セントラルキッチンでなく仕入面だけ共同化し、店の独自性も出している店は好きです。それが伝統のお店に刺激を与え、奮発を誘発することではないでしょうか。だって伝統ある店って絶えず挑戦する心が残っていますよね。胡座をかいているだけじゃんと思った店に遭遇したこともありがっかりした経験もありますので。こうして棲み分けが出来ている界隈は好きです。ただ仰るようにチェーン店化した店はもともとの店とは違ったものになっているのが殆どでしょう。あのオヤジがやっていた時はよかったんやけどなあ~とはよく聞きます。何より創業者の心意気が感じられる店は例えそれが10年の歴史であっても創業100年とかだけを売りにしている店よりも好きです。
話が飛んでしまいますが、食道楽の大阪での生活が長かったので、京都のお店でまだ気に入った店がないんです。そりゃ高級店では美味しいのでしょうが、庶民が入れて美味いと言える店にまだ出会っていません。あ、これタコ焼きだけでなく一般論であります。タコ焼きだけでなく、色んな食の徘徊レポートも期待してます。
京都に関しましては、小生も殆ど店を知りません。高級な店などは生涯で数えるほどしか入ったことがありませんが、「この値段でアカンかったら反乱やで。」と思いますから、そこはうまくて当然ですが(しかも自腹で入った訳ではないので)、162号線沿いではない北の方の川床で「なんじゃいな、これは!」と思ったことが一度有ります。
いろいろと紹介されているオシャレな店というヤツも大阪だったら生きていけない店が多いように思います。これからボチボチと勉強させていただきますが、小生の京都における一番のお気に入りは周山のビアハウスです。「なんじゃい」と思わせてすみません。市内で、宴会するならこの店というのはありますから、またご一緒したいと思います。
京阪沿線も大阪府に入ると全く判らないのです。娘婿に根っからの大阪人がいます。この人は、ご飯のおかずに、たこ焼きやおうどんなどの「粉もん」(本人がこう言います)を食べます。おかずにですよ^^私は不思議でなりません。
私はここ10年ばかり月2回程度通っているのは、京都伊勢丹の「花まる亭」です。ここのねぎ焼きが大好物で未だに飽きないで食べ続けています。ねぎ焼きだけは、急ぎの方は無理で、「待つわ待つわ」の気の長い方にはお勧めできます。またまた横道になりました、悪しからず
です。
「花まる亭」、一度行ってみます。お返しというと変ですが、ねぎ焼きがウマイといわれているのは「嵐山のむら」、本来甘党の店ですが、その手のものはねぎ焼きだけ焼いています。ちょっとへこんだ処ですが、渡月橋のすぐ近くです。もう一軒は、北大路堀川上がる東側の「喜代」です。講釈がうるさい感もありますが、味はおいしいです。