写真の右の壁は主に大龍院(辰巳柳太郎主演「王将」では、南禅寺の対決の場面がなぜかこの大龍院になっていた)、左の壁は主に通玄院、奥に大法院が見えます。以前、この辺りは大法院の老犬(柴犬)の縄張りで、道の真ん中にねそべっていらっしゃると、いかに老師の乗っておられる車といえども、老犬に丁重に挨拶をして脇に寄っていただく、小生はかつて老師の車を通すために「おい」と声をかけて首輪を取って動いていただこうとし、めちゃめちゃお叱りを受けたことがあります。老師も車の中で苦笑い、「コラ!出てきて手伝わんかい!」。この1年ほど、お姿を見かけませんので既に遷化されたのでしょう。山田無文逝き、老犬禅師また去り、無常の観を強く感ずるところであります。
大法院は、松代真田家の菩提所です。以前は全く非公開でしたが、今は春と秋に路地庭の公開というのをやっておられて、「おうす」が付いて600円だか、800円だかの拝観料は、まずまず良心的なのではないでしょうか。昨今の戦国ブームに便乗して、「真田信幸(信繁=幸村の兄)の寺!」とか言って金儲けをしようと思えば出来るのに、それをしないところもエライ!そういえば一時期の山内ブーム、夫妻の墓のある大通院には人々が押し寄せましたが、どちらかというと大通院も迷惑がっておられた感じです。「今川義元が学んだ寺、妙心寺!」なんぞということもやりませんね。
今や観光客の姿も疎ら、大通院前に立ち止まる者もいません。その向かい、堀尾氏の春光院は外人の参禅で売り出し中、流石に南蛮寺の鐘を保有しているだけのことはあります。閑話休題、幕末に三条木屋町で暗殺された佐久間象山は松代藩士であったために、この大法院に葬られました。かつて、この象山先生の幽霊が出るという噂が流れました。
妙心寺境内は生活通路として真夜中でも通行ができます。当時も今も本当の真夜中に歩いたことがないので、真偽はわかりません。夕刻から境内をだらだらと歩いたことは何回もありますが、未だ先生の霊への拝謁はかなっておりません。今から考えると、非命に倒れたとはいえ、象山先生は幽霊になりうる要件を性格面で欠いているように思います。多分あの世でも大いばりでハッタリをかましながらあれやこれやを講釈するのに忙しく、さみしい道に一人でトボトボと現れるというのは似合いません。仮に出たとしても幽霊としてはあまり怖くはないのではと思います(切られたときの血まみれの姿だったらちょっと嫌ですが)。按ずるに、この話は妙心寺境内の各塔頭に下宿していた学生辺りからボチボチと生じたものではと思われます。
かつての学生は、塔頭の中に建てられた一戸建ての感のある下宿(風呂・トイレは無し、隣は大抵が墓場になっている)、友人なども訪ねてくれば「オー、豪邸やのー。」と感嘆し、時には墓への供え物をちょっと失敬、こういう環境だと書物をひもとく姿なども随分とピッタリとくるのです。今の学生はこういう環境を嫌い、ワンルームとやらに引き籠もる者が多いようです。そういう下宿ではどうも連中は部屋の中で軽薄な音楽を聴いとるかピコピコとゲームをしとるというイメージしか湧かない。学生どもよ、妙心寺境内に棲み、下駄履きで闊歩せよ。墓石と相撲を取れ。風呂屋で泳げ。ほんで、大いに酒を飲み、坊さんにも迷惑をかけよ。愚堂東寔を生んだ妙心寺は笑って見守るだろう。
このすぐ近くに西田幾多郎先生の墓もあります。先生の著作を最初の数ページで何度も放り出している小生としては、先生の霊が難解な哲学用語をブツブツといいながら迫ってくる方が何百倍も恐ろしいのであります。ご家族に対しても随分と怖い方だったそうですし。先生が散歩された「哲学の道」は盆地の東の端にあり、墓は平安城の西端にある。化けて出るならば、東の方にしてねと申す処。西田先生の墓所のある辺りは時代劇のロケが良く行われているところでもあります。そのロケ自体はずっと眺めていると(ヒマなもんで)、阿保みたいなものなのですが、作品として放映されると面白いのは何ででしょう。
酒を飲む場所としては南に浜登久、北に萬長というところでしょうか。この付近は兼好法師の隠棲地でもありますので、萬長の「つれづれ弁当」などがアテとしてよいかも知れません。小生はいつもこの界隈では妄想を抱きます。地酒「御室の花」、何か地味すぎてパッとしません。知る人も殆どいないでしょう。思い切って「禪師」というのはどうやと思うのです。けれども悪酔いするでしょうね。
大法院は、松代真田家の菩提所です。以前は全く非公開でしたが、今は春と秋に路地庭の公開というのをやっておられて、「おうす」が付いて600円だか、800円だかの拝観料は、まずまず良心的なのではないでしょうか。昨今の戦国ブームに便乗して、「真田信幸(信繁=幸村の兄)の寺!」とか言って金儲けをしようと思えば出来るのに、それをしないところもエライ!そういえば一時期の山内ブーム、夫妻の墓のある大通院には人々が押し寄せましたが、どちらかというと大通院も迷惑がっておられた感じです。「今川義元が学んだ寺、妙心寺!」なんぞということもやりませんね。
今や観光客の姿も疎ら、大通院前に立ち止まる者もいません。その向かい、堀尾氏の春光院は外人の参禅で売り出し中、流石に南蛮寺の鐘を保有しているだけのことはあります。閑話休題、幕末に三条木屋町で暗殺された佐久間象山は松代藩士であったために、この大法院に葬られました。かつて、この象山先生の幽霊が出るという噂が流れました。
妙心寺境内は生活通路として真夜中でも通行ができます。当時も今も本当の真夜中に歩いたことがないので、真偽はわかりません。夕刻から境内をだらだらと歩いたことは何回もありますが、未だ先生の霊への拝謁はかなっておりません。今から考えると、非命に倒れたとはいえ、象山先生は幽霊になりうる要件を性格面で欠いているように思います。多分あの世でも大いばりでハッタリをかましながらあれやこれやを講釈するのに忙しく、さみしい道に一人でトボトボと現れるというのは似合いません。仮に出たとしても幽霊としてはあまり怖くはないのではと思います(切られたときの血まみれの姿だったらちょっと嫌ですが)。按ずるに、この話は妙心寺境内の各塔頭に下宿していた学生辺りからボチボチと生じたものではと思われます。
かつての学生は、塔頭の中に建てられた一戸建ての感のある下宿(風呂・トイレは無し、隣は大抵が墓場になっている)、友人なども訪ねてくれば「オー、豪邸やのー。」と感嘆し、時には墓への供え物をちょっと失敬、こういう環境だと書物をひもとく姿なども随分とピッタリとくるのです。今の学生はこういう環境を嫌い、ワンルームとやらに引き籠もる者が多いようです。そういう下宿ではどうも連中は部屋の中で軽薄な音楽を聴いとるかピコピコとゲームをしとるというイメージしか湧かない。学生どもよ、妙心寺境内に棲み、下駄履きで闊歩せよ。墓石と相撲を取れ。風呂屋で泳げ。ほんで、大いに酒を飲み、坊さんにも迷惑をかけよ。愚堂東寔を生んだ妙心寺は笑って見守るだろう。
このすぐ近くに西田幾多郎先生の墓もあります。先生の著作を最初の数ページで何度も放り出している小生としては、先生の霊が難解な哲学用語をブツブツといいながら迫ってくる方が何百倍も恐ろしいのであります。ご家族に対しても随分と怖い方だったそうですし。先生が散歩された「哲学の道」は盆地の東の端にあり、墓は平安城の西端にある。化けて出るならば、東の方にしてねと申す処。西田先生の墓所のある辺りは時代劇のロケが良く行われているところでもあります。そのロケ自体はずっと眺めていると(ヒマなもんで)、阿保みたいなものなのですが、作品として放映されると面白いのは何ででしょう。
酒を飲む場所としては南に浜登久、北に萬長というところでしょうか。この付近は兼好法師の隠棲地でもありますので、萬長の「つれづれ弁当」などがアテとしてよいかも知れません。小生はいつもこの界隈では妄想を抱きます。地酒「御室の花」、何か地味すぎてパッとしません。知る人も殆どいないでしょう。思い切って「禪師」というのはどうやと思うのです。けれども悪酔いするでしょうね。
妙心寺と言えば東林坊ですか、沙羅双樹の鑑賞会が挙行されています。その同級生の坊主に招待されて家内が姉妹で行きましたが、私は未だ行ったことはありません。
それより、私には忘れられない記憶があります。35歳の頃に、嵯峨野病院へ6カ月入院しました。肋膜と肺浸潤です。原因は、「夜更かし(実際は朝帰り)のし過ぎ」と医者が申しておりました。
長女が満1歳になりやっと歩き始めたころでした。家内と2人で、花園駅から歩いてたまに見舞いに来てくれておりました。その帰りに私が途中まで送って行き、妙心寺の境内で娘を鳩と遊ばせたりしました。その頃は老犬は居なかったようです。
また、禁酒禁煙でしたから、酒処も知らずに退院してしまいました。妙心寺は、若かりし頃の痛恨の記憶に繋がる場所です。一度、お礼に参詣して、「禅師」(どんな酒か知りませんが)で遅まきながら祝杯でも上げねば・・・。
清酒「禪師」は未だこの世には存在しません。妄想の産物です。「御室の花」という名が、何故か今ひとつパッとしませんので名前を変えてみたらと思ったまでです。ウィスキーには「ティチャーズTeachers」でしたか、本当に悪酔いしそうなのがありますね。
東林院は御住職お手製の精進料理でも知られていますね。まだ食べたことはありませんが。
京都には観光寺が多いのですが、禅寺(京都は圧倒的に臨済宗、、)には修行の雰囲気を感じます。坊主が団体の観光客をガイドしている姿は私にはどうも抵抗があります。比叡に登って寺の大きな建物を見ても感激はわきませんが、明王堂などで回峰行者のワラジを見ると安心感が沸いてきます。
昔の武将はそれぞれ自分の仏を持っていた様に思うのですが、今の為政者は心の師匠を持っているのでしょうか?そんな事を考えながら読ませて頂きました。ちょっと硬くなったかな(^_*)
妙心寺、退蔵院の副住職や、春光院の副住職など若い僧侶が育ってきています。修行道場としての静謐さは彼らが守っていくものと思います。中には山っ気のあるものもいるでしょうが、本当に良く勉強していると思います。
為政者のみならず、学校教育で「菜根譚」や「言志四録」等の修養書を徹底的に素読させ、今の世にモラルというものを回復させる必要があると思いますが、日教組の意向で河合隼雄氏畢生の道徳副読本「心のノート」すら廃止するそうですから、ダメですね。
あれだけ多くの塔頭寺院がありますが、殆ど公開されませんですね。観光目的は皆無なのでしょう。私も幾つか公開された時は拝観しましたが、私の悪い癖(いや頭)で深く覚えられないのです。食いしんぼうで花が好きなものですから、以前は東林院の小豆粥と白い沙羅双樹の時期はほぼ毎年拝観してたんですが、近年はお値段も上がりましたので毎年とはいかなくなりました^^沙羅の若木が育って参りましたので楽しみですけれど。
学生さんのお話楽しく読ませていただきました。次ぎは思い出しながら通ることにいたしましょうか♪
妙心寺の塔頭は、何か時々思い出したように公開をしますね。今度大法院が公開していたらお知らせします。また、ほかの所でも面白そうなものがあれば、ご連絡します。
花園会館で販売している雲竜図の日本手ぬぐい、めちゃくちゃ格安でお勧めです。