本日の出発点は天満の八軒家。伏見からの下り舟が着いたところです。最近になって、この大川端も随分と整備され、いろいろな施設も出来ています。大きな常夜燈も造られ、何百年か後の好事家を喜ばせることでしょう。
天満橋と天神橋の間はプロムナードとなっています。まだ、整備したてのためか落ち着いた散策路という感じにはなっていません。何か、川舟から手を振られたら、思わずこちらも振ってしまいますね。
と、ここいらの紹介がしたいのではなくて、本日は今はもう埋め立てられてしまった天満堀川の川跡に沿って歩いてみます。出発点は太平橋の欄干がかためて置いてあるところ。天満堀川が再び大川に流れ込む直前に架かっていたのが太平橋(48)…橋の後の番号はこのちょっかいを始めてから渡った橋の数です。2度渡ったところは数には入れません。…で、川から離れてしまえば何も残っていませんが、まあここらだろうという所を往復します。
この天満堀川が大川に合流する辺りにも趣のある商店が残っていて、往時を偲ぶよすがとなります。「○松どん、いつまで掃除やってますねん。」とか「変な人に付いていったらあきませんで。」という声が聞こえてきそう。
橋名碑
ここで合流していたはず
あれあれ、またまた阪神高速です。結局この川も最初から最後まで阪神高速の下になっています。
高速に沿って進んでいきますが、さすがに大阪で信号によく引っ掛かります。橋の跡が確認できたところでは、一応「渡る」ことが必要ですから、信号待ちして、ようやく渡って、また信号待ちというようなことが何度もありました。橋はもっとたくさん架かっていたはずですが、ここでは何らかの痕跡があったものだけを数に入れます。
樽屋橋(49)の欄干は一つは道路の横にあり、一つは高速道路の敷地内にありました。無造作に置いたところが保管場所という感じですが、気をつけていないといつの間にか無くなる可能性もあると思います。
すこしずるいのですが、国道一号の交差点に堀川橋(50)の名が残っていましたので数に入れます。ということで記念すべき50橋目はちょっとインチキ。
ここで「お前アホやろ?」といわれそうなのが、堀川戎のこと。名前は昔から知っていて、何度か来たこともあるのに、名前の由来は考えたこともありませんでした。「そーかぁ(詠嘆)」という言葉を連発します。天満堀川、通称堀川の端にあるから堀川戎、今までは阪神高速の下は高速の下でしか無かった訳です。今更にして「成る程、成る程」と感心しております。これに気付いただけでもウロウロしている値打ちがあるというものです。
ここのエベッサンは西宮と同じで伊弉諾尊と伊弉冉尊の最初のお子さんである「蛭子」様の方が御祭神です。面白かったのはお百度参りをする人のために計数器が置いてあったことです。
大きく東にカーブする直前に綿屋橋(51)、昔惚れてた綿屋のおねえちゃんのおじいさんのおじいさんぐらいがこの辺で修行したのかも知れませんね。橋の下は道路になっていますが、この橋のみが現役の橋の形を維持していました。
東にカーブしてすぐに夫婦橋、これは既に数に入れましたので、今回は数えません。折もおり、今BKで織田作100年ということで「夫婦善哉」のドラマをやっていますから、ここらもちょっとブームになるかも知れませんね。ヒロインの蝶子はんは北新地の芸妓ですから、ここからも近い。
夫婦橋を過ぎてからは何の痕跡もありません。3つ4つ橋があったはずなのですが、その跡はよう見つけませんでした。あれあれ、という間に大川端に着いてしまいました。大川でもここから天満堀川が流れ出していたという跡は何も残っていませんでした。ここらは都島橋の少し下流になるかと思います。
よし!台風による豪雨の合間をぬっての徘徊はここまで(爆)。徘徊神のおかげで全く濡れませんでした。天満駅周辺に行きます。今日はたっぷりと時間があるので居酒屋の梯子です。先ずは満足屋、大瓶ビール390円は京橋と同じです。京橋の店は座れないこともありますが、ここは適度に混み合っています。マッ、チェーン店ですなというのが正直な感想。
続いて、但馬屋、ビールは350円ですが、150円の枝豆が自動的に付いてきます。前を通ったら体が自然に店内に入っていきました。このところ、真っ昼間から飲むという悪い癖が付いています。アル中への道まっしぐら。
師匠から「但馬屋に行ったがするめの天麩羅が食えたもんやない。」とメールを戴きましたので、確認します。-判-定-中--結果、師匠の言われるようにするめの天麩羅は全然ダメでした。というか、ダメになっていました。揚げているおばちゃんは同じなのに何か悩みでもあるのかなあという感じです。店の雰囲気は古き良き大阪の居酒屋という感じがするだけに残念は残念です。今日は串カツは食わなかったので、総合評価は次回のことといたします(笑)。いっぺん、焼きそばも食うてみんとあきません。しかし、この界隈、ちょっと路地に入ったら支那人の女がグイグイと体を押しつけてきますな。
仕上げは大阪名物「岩おこし」であります。その名も「夫婦橋岩おこし」。今まで岩おこしと言えば阿弥陀池大黒のものしか意識しませんでしたが、ここのもウマイ!ということで、殆ど橋を渡ってへんやんけ。
天満橋と天神橋の間はプロムナードとなっています。まだ、整備したてのためか落ち着いた散策路という感じにはなっていません。何か、川舟から手を振られたら、思わずこちらも振ってしまいますね。
と、ここいらの紹介がしたいのではなくて、本日は今はもう埋め立てられてしまった天満堀川の川跡に沿って歩いてみます。出発点は太平橋の欄干がかためて置いてあるところ。天満堀川が再び大川に流れ込む直前に架かっていたのが太平橋(48)…橋の後の番号はこのちょっかいを始めてから渡った橋の数です。2度渡ったところは数には入れません。…で、川から離れてしまえば何も残っていませんが、まあここらだろうという所を往復します。
この天満堀川が大川に合流する辺りにも趣のある商店が残っていて、往時を偲ぶよすがとなります。「○松どん、いつまで掃除やってますねん。」とか「変な人に付いていったらあきませんで。」という声が聞こえてきそう。
橋名碑
ここで合流していたはず
あれあれ、またまた阪神高速です。結局この川も最初から最後まで阪神高速の下になっています。
高速に沿って進んでいきますが、さすがに大阪で信号によく引っ掛かります。橋の跡が確認できたところでは、一応「渡る」ことが必要ですから、信号待ちして、ようやく渡って、また信号待ちというようなことが何度もありました。橋はもっとたくさん架かっていたはずですが、ここでは何らかの痕跡があったものだけを数に入れます。
樽屋橋(49)の欄干は一つは道路の横にあり、一つは高速道路の敷地内にありました。無造作に置いたところが保管場所という感じですが、気をつけていないといつの間にか無くなる可能性もあると思います。
すこしずるいのですが、国道一号の交差点に堀川橋(50)の名が残っていましたので数に入れます。ということで記念すべき50橋目はちょっとインチキ。
ここで「お前アホやろ?」といわれそうなのが、堀川戎のこと。名前は昔から知っていて、何度か来たこともあるのに、名前の由来は考えたこともありませんでした。「そーかぁ(詠嘆)」という言葉を連発します。天満堀川、通称堀川の端にあるから堀川戎、今までは阪神高速の下は高速の下でしか無かった訳です。今更にして「成る程、成る程」と感心しております。これに気付いただけでもウロウロしている値打ちがあるというものです。
ここのエベッサンは西宮と同じで伊弉諾尊と伊弉冉尊の最初のお子さんである「蛭子」様の方が御祭神です。面白かったのはお百度参りをする人のために計数器が置いてあったことです。
大きく東にカーブする直前に綿屋橋(51)、昔惚れてた綿屋のおねえちゃんのおじいさんのおじいさんぐらいがこの辺で修行したのかも知れませんね。橋の下は道路になっていますが、この橋のみが現役の橋の形を維持していました。
東にカーブしてすぐに夫婦橋、これは既に数に入れましたので、今回は数えません。折もおり、今BKで織田作100年ということで「夫婦善哉」のドラマをやっていますから、ここらもちょっとブームになるかも知れませんね。ヒロインの蝶子はんは北新地の芸妓ですから、ここからも近い。
夫婦橋を過ぎてからは何の痕跡もありません。3つ4つ橋があったはずなのですが、その跡はよう見つけませんでした。あれあれ、という間に大川端に着いてしまいました。大川でもここから天満堀川が流れ出していたという跡は何も残っていませんでした。ここらは都島橋の少し下流になるかと思います。
よし!台風による豪雨の合間をぬっての徘徊はここまで(爆)。徘徊神のおかげで全く濡れませんでした。天満駅周辺に行きます。今日はたっぷりと時間があるので居酒屋の梯子です。先ずは満足屋、大瓶ビール390円は京橋と同じです。京橋の店は座れないこともありますが、ここは適度に混み合っています。マッ、チェーン店ですなというのが正直な感想。
続いて、但馬屋、ビールは350円ですが、150円の枝豆が自動的に付いてきます。前を通ったら体が自然に店内に入っていきました。このところ、真っ昼間から飲むという悪い癖が付いています。アル中への道まっしぐら。
師匠から「但馬屋に行ったがするめの天麩羅が食えたもんやない。」とメールを戴きましたので、確認します。-判-定-中--結果、師匠の言われるようにするめの天麩羅は全然ダメでした。というか、ダメになっていました。揚げているおばちゃんは同じなのに何か悩みでもあるのかなあという感じです。店の雰囲気は古き良き大阪の居酒屋という感じがするだけに残念は残念です。今日は串カツは食わなかったので、総合評価は次回のことといたします(笑)。いっぺん、焼きそばも食うてみんとあきません。しかし、この界隈、ちょっと路地に入ったら支那人の女がグイグイと体を押しつけてきますな。
仕上げは大阪名物「岩おこし」であります。その名も「夫婦橋岩おこし」。今まで岩おこしと言えば阿弥陀池大黒のものしか意識しませんでしたが、ここのもウマイ!ということで、殆ど橋を渡ってへんやんけ。
上から2枚目、大きな常夜灯と向こうにみえる川と橋の風景、水の都大阪という一枚ですね。
上から3枚目の川沿いの道も感銘を受けました。なぜか?説明いたします。
日本にいた頃、大阪のベトナム領事館から招待されて旧正月のお祝いに行きました。その時、ベトナム人留学生に「日本の印象は?」と聞きました。判でついたように言う答えが「日本はきれい、清潔です、街も駅も」といいました。その時はピンとこなかったんですが、ベトナムに住んでみるとよくわかります。自分の家だけきれいにする、公共の場所、道路はきたない。
インドは最低です、駅の線路はごみだらけ、道端に犬の死骸が何日もほったらかし。
3枚目の写真に感銘をうけた訳です。
ひと通りながめましたが、堀川えびすは知りませんでした。今宮えびすに喰われているんでしょうかねえ。
飲み屋さんの報告、今日もじっくり読みました。ははは。私もそうですが、飲む人は、どうしても同じところへ行きますね。そしてだいたい同じものを食べる。そして店の雰囲気が好きで飲む。ゆえに飲み屋の新規開拓は難しいです。
一般論ですが、常連さんというのは、新規開拓を面倒くさがる人でしょう。あるいはアルコールがあればいいという人。その証拠にまずい店でも常連客がいます。
堀川戎は、えべっさんの日にはそれなりに賑わいます。ただ、悲しいかな西宮や今宮に比べると境内が狭いです。何回か来たこともあったのに「堀川」とは何かという疑問が全くわかなかったのは恥じ入るばかりです。
なるほど、常連さんの話、よくわかります。スルメの天ぷらがまずくても天満に行けばやはり但馬屋に入りますものね。
エベッサンですが、私は今宮ばっかし、堀川戎はお参りしたことおまへん(*_*)今回初めて写真で拝ませて貰いました。お百度参りの計数器があるとのことですが、エベッサンは3日で1年分を儲けやはると思っていましたが、堀川はんはお百度参りをされる敬虔な人がいやはるんでんな。今宮なんか普通の日にお参りされている人は限りなくゼロに近いという印象しか残ってまへん。
しかし今回は天満の立呑屋街です。天満駅を少し北上すると「肴や」があります。天神橋にあったころは肴が魚で美味かったんですが、今は洋風のものがメニューに増えてしまい昔の雰囲気とは別物になってしまいました。従って今はgunkanatagoさんにはお勧めしまへん。ただギネスの生を呑みたかったら、また鯖のきずしも。ただ毎日あるわけではありません。阿倍野の明治屋もどうも昔の明治屋とは変わってしまったという印象です。あてを強引に薦めるおばちゃんがいて余計に評判を悪くしているんではないかなあ。
立呑屋はチェーン店はあきまへんな。路地を分け入って入る店は味のある店があるのですがね。
堀川稲荷も当日はだれも参拝していませんでした。今宮にしてもどこでも縁日との落差が大きいですね。日常的に参拝客が絶えないのはやはり住吉さんと石切さんですね。
今宮戎には移動式の植木があって、普段はそれがずっと並べられているのが面白いです。
軟弱ですが、立ち呑み屋は何となく避けています。酒を飲みながら本が読みたいからだと思います。見知らぬ人としゃべるのも面白いとは思うのですが。