緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

「太陽の下で」という映画の感想

2020-03-25 12:04:42 | 備忘録
北朝鮮で人々の生活を記録したドキュメンタリー映画を撮るつもりの監督が、結局北朝鮮ではドキュメンタリー映画はとれないことに気づき、映画が乗っ取られ将軍様万歳のプロパガンダ映画になることに気づき、その乗っ取りの課程をつぶさに映画にして、こっそりと検閲を乗り越えて海外に持ち出した映画である。
 「8歳になる少女ジンミは模範労働者課程の模範児童として、少年団に入団する過程に密着する設定であった。少年団には、小学2年生から初等中学3年生までのすべての子供が加盟する(北朝鮮の義務教育は幼稚園1年、小学5年、初級中学3年、高等中学3年の12年間)。
 子供たちにとって、赤いマフラーの少年団員になることは憧れだ。ただ、全員が同時に入団できるわけではない。優等生、模範生から選抜されていく。ジンミが参加した「入団式」は、故金正日氏の生誕記念日の2月16日に合わせて挙行されていたが、これがその年の最初の入団式で、選抜された親も子供も誇らしくおめでたいものと考えるのだそうだ。」また、北朝鮮では少年団に入ることを皮切りに生涯何らかの組織に属して統制を受けることになるのだそうだ。なので、個人が自分に向き合って、自分の生き方を模索することなど決して出来ない。生涯組織に統制され、常に自分が北朝鮮では主体思想イデオロギーからずれていないか相互検閲することを強制され、それを外れるということはつまり処刑や収容所送りの死をいみするのだ。金正日が亡くなったときに声を上げて泣かなかった家族は一夜にして姿を消してしまったそうだ。
 実際の親子ではあるが、親の職場や住んでいるところは実際と違うところになっているという話だ。ジンミの少年団入りを親の職場の人も喜んでお祝いを言ってくれる場面や一緒に朝鮮舞踊を習っていた友達が捻挫して級友や教師と一緒にお見舞いする場面、ご飯を食べながら「キムチがは体によい民族の食べ物だから・・・」とか様々なやらせ場面があった。
 
 いかに、ピョンヤンでの生活が素晴らしいかを見せたかったようであるが、至る所にほころびがあった。例えば早朝の部屋であるが、普通の電力事情の国であればそのぐらいの薄暗さであれば十分電灯を付けそうな場面であったのに、電気がついてなくて薄暗い。ほかにもエネルギー事情がよくなさそう場面が多々あった。建物の階段から廊下にかけてやはり暗いのに電気がついていない。地下鉄のエスカレーターや電車内が異様に暗い。朝登校後教室の暖房装置の上に手をかざして手を温める様子。トロリーバスを大勢で押して、架線の下にまで持って行く様子。等だ。その他浮浪児か?と思われる子どもも二人ほど映り込んでいた。

 しかし、人間はロボットではないので、どうしても自然な部分が出てしまう。おじいさんの軍人が米軍機を金日成のおかげで打ち落とすことが出来たと言う話を、だらだらとされているときに眠くなってしまってうとうとしたり、あくびをかみ殺している場面などである。そして、最後に主人公の少女が「少年団に入って何を期待する?」と質問されるけれど、答えられなくて涙を流しそうになるが、少年団について教えられた事を答えるのだ。答え終わって涙を流し始める少女に、今度は「好きなことは?」と聞かれるが「よくわかりません。」と答えるそして重ねて「嬉しかったことを思い出して?」と聞かれても答えられないので、「好きな詩はある?」と聞かれるとやっと答えられると思ったのか少年団に入るときに覚えさせられた決意の詩を暗唱するのだった。

 この映画の中で一度もこの少女は笑ったことがなかった。最後の涙はこの撮影をずっと続けるのが辛くて、終わりに近づき緊張がほどけそうになって流した涙のようにも感じられた。

 改めて感じたことは、社会主義・共産主義は小さいころからのイデオロギーの洗脳や管理統制がなければ成り立たないということだ。そしてその管理統制から外れることは「死」を意味するのだ。人の心を管理統制などできるものではない。やはり社会主義・共産主義は不自然で人間にとって不幸な制度であると感じた。自分の人生を自由に生きることが禁じられている制度であるのだ。

 

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