日曜日に珍しく、夫から電話があり、何かと思ったら、夫側の仲人さんのご主人の方の訃報だった。仲人さんは脳梗塞の後介護老人福祉施設に入っていた。お宅からも遠くないところの施設だ。あと、夫の叔父がコロナで入院しているから、お見舞いに行こうと思っているという話だった。
私も仮住まいが同じ地域なので、月曜日にお線香を上げにいった。仲人の奥様の方の話では、なくなった日は朝入浴して、お昼ご飯も、午後のおやつもしっかり食べて、午後4時頃職員の人が見に行くと息が止まっているということで、病院に搬送され、二時間後くらいに死亡が診断されたそうだが、死因は原因不明とされたそうだ。享年85歳だった。
長く入院して、そけい部からの透析とか、酸素マスクとか、アルブミンの投与みたいな延命措置もせず、元気なままなくなってので、良いなくなり方だとは思うが、予期していなかった家族は予期していなかっただけに大変だったと言うことだった。
その仲人さんの家は夫の祖母の実家の家で、お高くとまっている家なので、どうも夫や義妹はあまり付き合いたくない人達らしい。昔から娘達は金持ちの家に嫁がせるという一家だったという事だが、夫の祖母が当時貧乏だった祖父に恋愛で結婚してしまったため、義父が遊びに行っても外の孫達と差別され、お昼時になると義父だけ家に帰れと言われのだそうだ。旧家でもあるし、仲人さんはロータリークラブの会長なども務め、また人当たりはよかった。親族だけで結構大変な数の参列者だった。
夫は5時から5時半頃迎えに来ると言うことだったのに、早々の4時台に迎えに来た。どうも何を何回言っても伝わらない認知症の義母とのやりとりが嫌で早めに来たらしい。最近、また夫との距離が縮まっては来ているが、近くなりすぎると関係が破綻するので注意が必要だ。
そもそも家を建てることになったきっかけは昨年の10月頃、夫は現在工事中の私の実家にほぼ毎日のように来ていたが、ある日突然、私が話を遮られたので、「話くらい最後まで聞いてよ。」と言ったら、突然怒りだして「昨日も我慢していた、もうここには来ない。」と言って帰ってしまったことがあった。それで、私も彼は今後私と一緒に暮らす気はあるのだろうか?と疑問を持つようになったため、偶々かかってきた580万で抽選に当たった人に家を譲るキャンペーンの誘いの電話に乗ってとりあえず話を聞きにいきますと言ったことだ。
たまにあって話すくらいがちょうどいい関係を保てる人なのである。
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