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聖書はキリスト教徒のためのものではない?キリスト教徒も使っている世界一古い本といわれている?

2023-04-19 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
SOS TV の 聖書の預言NO2 から
永遠の命についてわかりやすい解説!よかったら、ユーチューブで見てみてね。

ある夏、カゲロウと蝉が一日楽しく遊びました。今、日が沈みかけ夕方になりました。そのとき蝉がカゲロウに言いました。「かげろう君、今日は本当に楽しかった。もう夜になったのでまたあした遊ぼう。あしたはもっと楽しく遊ぼうね」。カゲロウが言うんです。「ん?あしたってなあに?」「あー、あしたっていうのは今、太陽が山の向こうを超えて行ってまっ暗くなって星が光るよね。そして次の朝太陽が東の方から上ってくれば、それがあしたって言うんだよ」「ああそう、あしたってどこにあるの?日が沈んで夜になれば死んで、それで終わりなのに・・・」。 
一日しか生きられないカゲロウが、いくら否定しても明日がなくなるわけではありません。カゲロウの理解と関係なく、明日は明らかに存在します。

今、蝉と一人の子供が、夏休みを楽しく遊びました。夏が終わると子供が言うんです。「蝉君、蝉君。今年の夏休みは君のおかげで本当に楽しかったよ。来年の夏休みにまた遊ぼうね」「ん?来年ってなあに?」「あー来年を知らないの?来年というのは、今に花が散りまた木の葉が散っていくよね、そして寒くなってくると白い雪が降ってくる。それから春になって花が咲き、そして暑くなれば、その時が来年なんだよ」。「へー、来年がどこにあるの?夏が過ぎて寒くなればそれで死んで終わりなのに・・・」。

ひと夏しか生きられない蝉が来年を理解することが出来なくても、来年がなくなるわけではありません。蝉の理解と関係なく来年は明らかに存在します。

今、神様が人に言われます。「さあ、罪と悲しみのない永遠の国で会いましょう」。「えっ、永遠の国ですか、そんな国があるのですか?」。「そうですよ。永遠の国というのは、人が死んだ後復活して私と永遠に生きる国のことです」。「えーっ?そんな国がどこにあるのでしょうか。人が死ねば土になってそれで終わりでしょう。永遠の国はどこにあるのでしょうか?」。

一生に一度しか生きることのできない人がいくら理解出来なかったとしても、天国がなくなるわけではありません。人は自分の見ていること以外のことをよく考えようとはしません。ところが聖書は私たちには信じられない程の広い視野を与えてくれます。過去と現在と未来について明らかに示しています。
皆さん聖書を一言で表現すると何でしょうか?約束です。皆さん、約束とは何でしょうか。私が何々をするという事なのです。皆さん、家族や友だちや両親や職場で、私が何々するというと、これは未来について、自分の決心を表すものですね。それをほかの表現では預言というのです。
ここまでは、SOSTV から。


聖書はキリスト教徒のためのものではない?キリスト教徒も使っている世界一古い本、本当は、世界の全人類に向けて書かれたものと言われています。キリスト教を知らない人は勘違いしているそうです。

私はクリスチャンではないけど、高校時代からずっと聖書を読んだりいろいろ調べたりしています。古代史が大好きなので、聖書には何か私達の知らない秘密が書かれているかもと思いました。なぜなら、シュメール(メソポタミア辺り)のギルガメシュ神話にはノアの方舟のNOAHみたいな人について書かれていて、この話は聖書から抜き出したか、または聖書にある話を代々語り告げられた人が書いたからかもと思ったからです。
読んでみたら、歴史と預言の書だった上、特に今は考古学上正確だと言われていておもったとおりでした。何しろ、
歴代志などは現在のイラクやイランとかエジプトとかシリアの略奪隊とかの他の国とも関係していた為、証拠がたくさんあり証明に苦労しません。

NOAHの洪水前には、霊的存在の堕天使たちが人間の美しい娘たちに産ませた子供ネフィリムがいて、偉大なる人と言われていたとかいてあります。乱暴な暴虐を働く半人間ですが、強くて人間より明らかに背が高く、半分天使ですから頭脳も人間より優れていて、ピラミッドなどを作るのも彼らにとっては簡単そうです。私は、洪水後のエジプト人がピラミッドをtake over したんじゃないの?、な〜んて、思ってしまっています。


聖書の中のあちこちにイエス・キリストに至る家系図がたくさん出てきますが、モーセが書いた創世記には古代人のアダムからの系図も書かれていてNOAHの洪水前の人のことで興味深いことがわかります。NOAHのお父さんはもう亡くなっていましたが、おじいさんは計算してみると、洪水時に亡くなっています。900歳以上なので老衰で死んだとも言えますが、NOAHに同調せず他の人やネフィリムと一緒に死んだのかも?この頃の人は肉を食べず、果物や野菜ばかり食べていたらしいので長生きはそのせいかな?性格は直情的で、現代人のように、ネチネチと企んだりせず、「この人嫌いだし、殺しちゃおう的でとても単純思考!」アダムとエバの子供のカインは神に褒められた弟を妬み、人類の2世がもう人殺し!妬みと羨望は非常に危険!

時間ががあったら、系図も面白いの読んでみてね。

旧約聖書 創世記 第 5 章
アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、
2 彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。
3 アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。
4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。
5 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。
6 セツは百五歳になって、エノスを生んだ。
7 セツはエノスを生んだ後、八百七年生きて、男子と女子を生んだ。
8 セツの年は合わせて九百十二歳であった。そして彼は死んだ。
9 エノスは九十歳になって、カイナンを生んだ。
10 エノスはカイナンを生んだ後、八百十五年生きて、男子と女子を生んだ。
11 エノスの年は合わせて九百五歳であった。そして彼は死んだ。
12 カイナンは七十歳になって、マハラレルを生んだ。
13 カイナンはマハラレルを生んだ後、八百四十年生きて、男子と女子を生んだ。
14 カイナンの年は合わせて九百十歳であった。そして彼は死んだ。
15 マハラレルは六十五歳になって、ヤレドを生んだ。
16 マハラレルはヤレドを生んだ後、八百三十年生きて、男子と女子を生んだ。
17 マハラレルの年は合わせて八百九十五歳であった。そして彼は死んだ。
18 ヤレドは百六十二歳になって、エノクを生んだ。
19 ヤレドはエノクを生んだ後、八百年生きて、男子と女子を生んだ。
20 ヤレドの年は合わせて九百六十二歳であった。そして彼は死んだ。
21 エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。
22 エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。
23 エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。
24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。
25 メトセラは百八十七歳になって、レメクを生んだ。
26 メトセラはレメクを生んだ後、七百八十二年生きて、男子と女子を生んだ。
27 メトセラの年は合わせて九百六十九歳であった。そして彼は死んだ。
28 レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、
29 「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。
30 レメクはノアを生んだ後、五百九十五年生きて、男子と女子を生んだ。
31 レメクの年は合わせて七百七十七歳であった。そして彼は死んだ。
32 ノアは五百歳になって、セム、ハム、ヤペテを生んだ。

第 10 章
ノアの子セム、ハム、ヤペテの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに子が生れた。
2 ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メセク、テラスであった。  
3 ゴメルの子孫はアシケナズ、リパテ、トガルマ。
4 ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシ、キッテム、ドダニムであった。
5 これらから海沿いの地の国民が分れて、おのおのその土地におり、その言語にしたがい、その氏族にしたがって、その国々に住んだ。
6 ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。
7 クシの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカであり、ラアマの子孫はシバとデダンであった。
8 クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。
9 彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」ということわざが起った。
10 彼の国は最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。
11 彼はその地からアッスリヤに出て、ニネベ、レホボテイリ、カラ、
12 およびニネベとカラとの間にある大いなる町レセンを建てた。
13 ミツライムからルデ族、アナミ族、レハビ族、ナフト族、
14 パテロス族、カスル族、カフトリ族が出た。カフトリ族からペリシテ族が出た。
15 カナンからその長子シドンが出て、またヘテが出た。
16 その他エブスびと、アモリびと、ギルガシびと、
17 ヒビびと、アルキびと、セニびと、
18 アルワデびと、ゼマリびと、ハマテびとが出た。後になってカナンびとの氏族がひろがった。
19 カナンびとの境はシドンからゲラルを経てガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイムを経て、レシャに及んだ。
20 これらはハムの子孫であって、その氏族とその言語とにしたがって、その土地と、その国々にいた。
21 セムにも子が生れた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。
22 セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクサデ、ルデ、アラムであった。
23 アラムの子孫はウヅ、ホル、ゲテル、マシであった。
24 アルパクサデの子はシラ、シラの子はエベルである。
25 エベルにふたりの子が生れた。そのひとりの名をペレグといった。これは彼の代に地の民が分れたからである。その弟の名をヨクタンといった。
26 ヨクタンにアルモダデ、シャレフ、ハザルマウテ、エラ、
27 ハドラム、ウザル、デクラ、
28 オバル、アビマエル、シバ、
29 オフル、ハビラ、ヨバブが生れた。これらは皆ヨクタンの子であった。
30 彼らが住んだ所はメシャから東の山地セパルに及んだ。
31 これらはセムの子孫であって、その氏族とその言語とにしたがって、その土地と、その国々にいた。
32 これらはノアの子らの氏族であって、血統にしたがって国々に住んでいたが、洪水の後、これらから地上の諸国民が分れたのである。

エズラ書
第 2 章
バビロンの王ネブカデネザルに捕えられて、バビロンに移された者のうち、捕囚をゆるされてエルサレムおよびユダに上って、おのおの自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。
2 彼らはゼルバベル、エシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レホム、バアナと共に帰ってきた。そのイスラエルの民の人数は次のとおりである。
3 パロシの子孫は二千百七十二人、
4 シパテヤの子孫は三百七十二人、
5 アラの子孫は七百七十五人、
6 パハテ・モアブの子孫すなわちエシュアとヨアブの子孫は二千八百十二人、
7 エラムの子孫は一千二百五十四人、
8 ザットの子孫は九百四十五人、
9 ザッカイの子孫は七百六十人、
10 バニの子孫は六百四十二人、
11 ベバイの子孫は六百二十三人、
12 アズガデの子孫は一千二百二十二人、
13 アドニカムの子孫は六百六十六人、
14 ビグワイの子孫は二千五十六人、
15 アデンの子孫は四百五十四人、
16 アテルの子孫すなわちヒゼキヤの子孫は九十八人、
17 ベザイの子孫は三百二十三人、
18 ヨラの子孫は百十二人、
19 ハシュムの子孫は二百二十三人、
20 ギバルの子孫は九十五人、
21 ベツレヘムの子孫は百二十三人、
22 ネトパの人々は五十六人、
23 アナトテの人々は百二十八人、
24 アズマウテの子孫は四十二人、
25 キリアテ・ヤリム、ケピラおよびベエロテの子孫は七百四十三人、
26 ラマおよびゲバの子孫は六百二十一人、
27 ミクマシの人々は百二十二人、
28 ベテルおよびアイの人々は二百二十三人、
29 ネボの子孫は五十二人、
30 マグビシの子孫は百五十六人、
31 他のエラムの子孫は一千二百五十四人、
32 ハリムの子孫は三百二十人、
33 ロド、ハデデおよびオノの子孫は七百二十五人、
34 エリコの子孫は三百四十五人、
35 セナアの子孫は三千六百三十人。
36 祭司は、エシュアの家のエダヤの子孫九百七十三人、
37 インメルの子孫一千五十二人、
38 パシュルの子孫一千二百四十七人、
39 ハリムの子孫一千十七人。
40 レビびとは、ホダヤの子孫すなわちエシュアとカデミエルの子孫七十四人。
41 歌うたう者は、アサフの子孫百二十八人。
42 門衛の子孫は、シャルムの子孫、アテルの子孫、タルモンの子孫、アックブの子孫、ハテタの子孫、ショバイの子孫合わせて百三十九人。
43 宮に仕えるしもべたちは、ヂハの子孫、ハスパの子孫、タバオテの子孫、
44 ケロスの子孫、シアハの子孫、パドンの子孫、
45 レバナの子孫、ハガバの子孫、アックブの子孫、
46 ハガブの子孫、シャルマイの子孫、ハナンの子孫、
47 ギデルの子孫、ガハルの子孫、レアヤの子孫、
48 レヂンの子孫、ネコダの子孫、ガザムの子孫、
49 ウザの子孫、パセアの子孫、ベサイの子孫、
50 アスナの子孫、メウニムの子孫、ネフシムの子孫、
51 バクブクの子孫、ハクパの子孫、ハルホルの子孫、
52 バヅリテの子孫、メヒダの子孫、ハルシャの子孫、
53 バルコスの子孫、シセラの子孫、テマの子孫、
54 ネヂアの子孫、ハテパの子孫である。
55 ソロモンのしもべたちの子孫は、ソタイの子孫、ハッソペレテの子孫、ペリダの子孫、
56 ヤアラの子孫、ダルコンの子孫、ギデルの子孫、
57 シパテヤの子孫、ハッテルの子孫、ポケレテ・ハッゼバイムの子孫、アミの子孫。
58 宮に仕えるしもべたちとソロモンのしもべたちの子孫とは合わせて三百九十二人。
59 次にあげる人々はテル・メラ、テル・ハレサ、ケルブ、アダンおよびインメルから上って来た者であったが、彼らはその氏族とその血統とを示して、そのイスラエルの者であることを明らかにすることができなかった。
60 すなわちデラヤの子孫、トビヤの子孫、ネコダの子孫で合わせて六百五十二人。
61 祭司の子孫のうちにはハバヤの子孫、ハッコヅの子孫、バルジライの子孫があった。バルジライはギレアデびとバルジライの娘たちのうちから妻をめとったので、その名で呼ばれることになった。
62 これらの者は系譜に載った者たちのうちに自分の名を尋ねたが見いだされなかったので、汚れた者として、祭司の職から除かれた。
63 総督は彼らに告げて、ウリムとトンミムを身につける祭司の興るまでは、いと聖なる物を食べてはならないと言った。
64 会衆は合わせて四万二千三百六十人であった。
65 このほかに、しもべおよびはしため合わせて七千三百三十七人、また歌うたう男女二百人あった。
66 その馬は七百三十六頭、その橿馬は二百四十五頭、
67 そのらくだは四百三十五頭、そのろばは六千七百二十頭あった。
68 氏族の長数人はエルサレムにある主の宮の所にきた時、神の宮をもとの所に建てるために真心よりの供え物をささげた。
69 すなわち、その力に従って工事のために倉に納めたものは、金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の衣服百かさねであった。
70 祭司、レビびと、および民のある者はエルサレムおよびその近郊に住み、歌うたう者、門衛および宮に仕えるしもべたちはその町々に住み、一般のイスラエルびとは自分たちの町々に住んだ。


新約聖書  マタイ伝
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
2 アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
3 ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
4 アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
5 サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、
7 ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、
8 アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、
9 ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
10 ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、
11 ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。
12 バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、
13 ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
14 アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、
15 エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、
16 ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。
17 だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。




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