私を含め、ある人々はいろいろなサバイバル法を試みます。
備蓄をしてこれで安心と思う人、地下にシェルターを作り自分は安心と思う人、核戦争から逃れるため田舎へ引っ越す人など、いろいろなサバイバル法を試み、できるだけ災害や戦乱から逃れ安全な生活を送り、できるだけ長生きしたいと思う人は多いと思います。
私は資金が豊富にあれば、小川などの水源のある田舎に土地を買い、果樹を植え、畑を作り野菜を育てたいなどと思っていましたが、もうそのような準備を完了したと言っている人もいます。
その話を聞いた時、『あ〜、私は知らず知らずに自己中心的な考えを持っていたな。』と気づかされました。お金がないから実現できないだけです。
もちろん親族や親しい人やお世話になった人などが困ったらそこに呼んで一緒に暮らしたいと思いましたし、YouTuberでもやはり私と同じ考えを持っている人もいました。自分だけが助かりたいわけではありません。
しかし、もし資金力があっても地球上の全人類を救うことはできないし、“全ての人に平等に来る死”から救うこともできません。結局、私たちは不平等なことしかできない不完全な人間なのでしょう。
自分の中にある罪に気づき、イエスキリストが人類全員の為に代わりに死なれて、すべての人に“永遠に生きるチャンスをもたらされた”と言うことを信じて助かって欲しいと願っているのが、聖書の言葉を通して語りかけている”神”という存在です。
ちなみに、イエスキリストは神の言葉と言われています。神の代弁者とも言われているようです。神と神の御子イエス(ロゴス言葉)と聖霊が三位一体の神だそうです。
アダムとイブが初めに創造主に背いた時、“反抗の精神”や“神より偉くなりたい、善悪は自分で決めたい。” というが考えが自然に浮かんできたわけではありません。蛇が話しかけてきて誘惑したのです。罪を犯した途端、アダムは神のせいだとでも言うように、『あなたが下さったあの女がわたしにくれたから食べたのです。』と言って言い訳や責任転嫁を始めました。
アダムの方が神と長く一緒にいて、アダムの付ける物の名前や動物の名前がそのままその名前となったというほど(イブはまだいなかった)、神に愛されて仕事を任されて信頼されていたのに、父である神に責任があるとでも言いたそうに反抗しました。我が子に同じように言われ、子供の為にしたのにと悲しくなる親もいますよね。
黙示録12章7節からその悪の原因を作った者の正体を見てみましょう。
7さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、
8勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。
9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使いたちも、もろともに投げ落された。
10その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
8勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。
9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使いたちも、もろともに投げ落された。
10その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
12節から
12それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。
12それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。
(聖書では、海は人間の群衆などを表すのに使われる言葉、いつもうごめいていて、海の中の生物や植物の死骸などを打ち上げる)(悪魔の意味は敵対者・嘲るもの・正しい天使や人々を訴える者)
つまり、”蛇”が誘惑したので、人間よりそちらの方に大きい責任があるということのようですね。サタンがもう既に地に投げ落とされていると言っている牧師さんもいます。これからだと言っている牧師さんもいらして、わたしもよくわからない状態です。
神は聖書の中で「私を完全に理解することはできない。」というようなことを言われています。天や地を創造された神の考えについて、「私はこう思う。」などとは恐れ多くて言えません。私は工作はできるけど、エネルギーにより無から有を生じさせることなどできないので、それができる神の考えを判断したりすることなどできません。人間を創造されたのが本当に聖書の神であれば、私達の最前の生き方を知っていらっしゃるはずですので、その考えは間違っているなどと批判することもできません。2歳児と大学生が討論するようなものですよね。神と人間であれば、差はもっと大きいです。
終わりの日とも書かれている千年王国では、蛇は人間と隔離され何処かに閉じ込められて(3次元の世界ではない)活動できなくなり、人間はサタンに誘惑されず過ごせると書いてあります。
おわりは千年王国の前に来ますが、その後の千年王国も終わりの日と書かれている箇所もあり、すべてはまだ終わっていないな、と感じます。何しろ、その千年の後、サタンは獄から話され、また人間を誘惑します。
黙示録 第 20 章 1節から
またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。
2 彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、
3 そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
2 彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、
3 そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
7 千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
8 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。
9 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
8 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。
9 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
ここでは“死”も火の池に投げ込まれているということで、もう死ぬ人がいないということのようです。
死んだ人は裁かれますが、終わりの時に生き残った人はどうなるのかよくわかりません。イエスが来て天使たちを遣わし信仰の人達を天に引き上げると書いてあり、使徒パウロもテサロニケ人への手紙第2の中の4章で
16すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
と書いてあります。
第1の復活はキリストにあって死んだ人々という信仰の人々、第2の千年王国後の復活は普通の今までに亡くなった人々のことのようですね。
ここまできたら、人間としての本当のサバイバル
ここまできて生き残っている人々が、天にだけいるのか地上にもいるのか・・?
“謎“ 教会によって解釈が違う!
とにかく、知りたい人は自分で聖書朗読を聞いてみるといいかも。読むのは難しいです。何年もかかる人もいます。どこから読んだら良いのかと、その莫大な量の文章を見て絶句する人も・・・。
ヨハネによる福音書(ヨハネ伝)21章の言葉
25イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。
オーデイオで、ながら聴きした方が早いかもしれません。
どんなことが知りたいかメールなどくだされば、聖書のどの辺を読んだら良いか教えて差し上げることもできますので、うちの塾にメールください。leranlm@yahoo.co.jp 英語・数学・音楽・ヒーリングの相談室をやっているのですぐにはお返事できないけど、頑張って早めにお返事しますね。また、わたしより聖書について知識のある方も多いと思います。 何か、今の我々が知るべき重要なことをご存知でしたら、私や興味ある皆さんに教えてくださいね。
人間として、何を置いてもなすべき重要なことが、いま私達の前に示されているのかもしれません。気づかない人もいらっしゃる様ですが、終わりが来て「知らなかった」とは言えない「言い訳はできない」と書かれている聖句もあったと思いますので、すべての人が神を信じてその忠告を受け入れて生きていくのか、あくまでも自分の意思を通して生きて行くのか、2つのうちの一つを選ぶ時が迫っているのかもしれません。
結局あの世界一古い本に“悔い改めなさい”と何度も書いてあるのは、この自分さえ助かれば良いと思う、その考えが多くの不幸を世の中にもたらしているのだから“自分の中にある罪に気づいて”と言っているのですよね。神は、創造者である神の力を借りて、人間として生きるべき道を学んで欲しいと思っていらっしゃるようです。
誰もが、『自分で好きで生まれてきたわけじゃないし、こういう世の中なんだから、進学するとき必死で受験勉強をして他人を蹴落とすのも、良い仕事について安定した収入を得ようとするのも、生きる為には仕方ないことだ。』なんて思いを潜在意識の中に持っているようです。
私たちは、この考えの奥底に潜んでいる自己愛にはなかなか気づくことができません。
ああ〜〜、また長くなっちゃった。
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