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永遠に生きるチャンスの鍵はイエスキリストにある。 悪魔って誰? 神の神聖な奥義は知らぬが仏か?

2022-09-19 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
皆さんこんにちは。縄文ばあばは、60年近く世界最古の本を読んでいますが(ボツボツ)、世界の古代史を調べるため読み始めたのにあまりにも重要なことが書かれていて、それに気付いた時には”とんでもないことを知ってしまった”と焦りました。その上、『世界の人口の3分の2の人々は既に知っているのでは』と言われていることにも対しても焦りを隠せませんでした。何しろ、身近にいる日本人の誰もこの古書、聖書を読んでいるようには思えなかったからです。クリスチャンの幼稚園に行っていた親戚の子たちも気付いていないでしょう。『知らなかった方が幸せ』とも言えるでしょう。キリスト教の高校へ行って気づいたことは、我が家がクリスチャンの家庭の理想のような家庭で、教えられずとも聖書に書かれているような生活をしていたこと。ただ、家族全員が勤勉で、毎朝家の掃除を終えると身を正して神棚と仏壇に手を合わせ、家族での喧嘩もなく和気藹々。男がお酒を飲まないとこうなるのでは?とも思っていた私。しかし、聖書には業では救われないと書いてあるので、心の持ち方が大事で外見ではない。

『なぜ人間が創造されたのか知ったり、世の終わりについて知ったり、亡くなった人たちは世の終わりのあと千年王国というものが来て、その千年の終わりに生き返って最後の審判を受けると知ったり』そんなことは知らなかった方が良かったという人も大勢いるでことでしょうし、嘘だと思う人も多いでしょう。私も初めそうでした。「まあ、知りたい人にだけ知らせておけばいいのよね〜。」なんて思っている縄文ばあばです。

ある聖句には、『知らずに亡くなった人の死は知らせなかった人の責任』と書いてあって、またまた焦った私ですが、多分これは、バビロン捕囚のユダヤ人たちの中に暮らした祭司の子エゼキエルのような、責任の重い立場にあった人への訓戒でしょう。

ところで、新約聖書のマタイ伝(マタイ書ともいう)1章は、
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。と始まります。
2千年前のことが書いてあると知ると、古代史好きの私はワクワクしちゃいます。

2節からこう始まります。
2 アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、3 ユダはタマルによるパレスとザラとの父〜〜〜6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、7 ソロモンはレハベアムの父〜〜〜       <15 節へ飛ぶと>
〜〜〜15 エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、16 ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。

このマタイ伝の系図には、生存期間や年齢は示されていないが、歴史や考古学的発掘によって既に調査され年代は証明されています。例を挙げると3節に挙げられているユダは父ヤコブと一緒に紀元前2000年頃の飢饉の時エジプトに移住した人で、当時のエジプトの王の名前など調べればどの年代の人かわかります。紀元前1000年頃のダビデ王の時代や息子ソロモン王の時代も、周囲の国々との交易などの記録や同盟関係などを調べればすぐ割り出せます。ソロモンは、神殿を建てる為テイルスから有名なレバノン杉などを輸入しています。

さて、イエスキリストのその1000年前の先祖にはダビデ王がおり、ずっと辿って行くとアブラハムにたどり着きます。聖書には、”神に祈っても、イエスを通さなければ祈りが聞き届けられない”と書いてありますが、皆さんはどうしてだと思いますか? これは、人間の生き方について非常に重要な問題が潜んでいて、知っても受け入れられない人も多くいます。

新約聖書 ヨハネの福音書16章23節
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。」

聖書には、アダムの罪が人類に入り、その罪によって人間が死ぬようになったと書いてあります。人間は、本来は永遠の命を持続させることができる存在だったことが聖書の記述から明白です。が、信じるのは難しい。わたしも10年以上それだけは受け入れられない、人間は死ぬものだと思っていました。ニュートンのような科学的な目で物事が見れる人だと目に見えないものが存在する事も、次元の違うところに霊的な存在があるということもすんなり受け入れられるのかもしれません。

聖書には、一人の義人が代わりに死ねばすべての人の罪が許され、皆が元どおり永遠に生きるチャンスを得られると説明しているようです。しかし、私たちは人間の両親から生まれているのでその義人にはなれません。

アダムもイエスも神によって創造されたので同じ価値のある者で同質のものと言えます。イエスはご自分について「私はアブラハムが生まれる前から存在している。」と言って、ユダヤ人を怒らせました。イエスは神の子であり、聖書にはこの世の全ての物は彼によって生まれたと書いてある箇所もあり、理解が難しいのでまた別の時に説明しますが、別の聖句では、神の言葉(ロゴス、代弁者)と言われていて、旧約聖書の中にはイエスについての聖句が今まで見つかった箇所だけでも200以上あると言われています。

ローマ人への手紙5章(パウロ書)
12そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に〜〜
18こういうわけで、ちょうどひとり(アダムのこと)の違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとり(イエスのこと)の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

皆さんは、牧師さんたちが "イエスが全人類の罪を負った”と言われるのを聞いたことがありますか。

フィリピ人への手紙(=ピリピ)2章6-8節  キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

聖書を熱心に研究していない人たちの中には、イエスは普通の人間だという方もおられます。マリアが妊娠したと知ったとき、婚約者のヨセフは同じように考え、婚約を解消しようとしました。しかし天使がきて彼を留め、イエスは神の子だ と知らせました。イエスは霊の被造物なのでそのまま我々人間の罪を追うことができず、マリアから生まれるという形をとって我々と同じように人から生まれ、アダムと同じく3次元の肉体も持たれました。神の子という立場では神に創造されたアダムと同じで、同じ価値を差し出し身代わりになって死ぬことができました。

人間を救うために神がどうなさるかは、天の天使達もその進行状況と神の解決法
を凝視していると書かれています。神がただそのまま人間を許せば『いい加減』と思われるでしょうし、そのまま滅ぼし絶やし新しく別の人間を創造されれば、『失敗してやり直しをしている』と、思われるでしょう。

天使たちにしても、天使長で高い地位にありながら神になりたいという野心を持って裏切ったルシファー(悪魔の名前)や、その仲間の何億もの堕天使(悪霊)という追随者が天にいますので、天使たちにも他人ごとではありません。
悪魔とかサタンというのは、名前ではなく中傷者、敵対者という意味です。この神に敵対する勢力は、正しい人や神に忠実な天使たちや人間たちの悪口を言い続け、口であげ足取りをするのが特徴です。旧約聖書のヨブ記のはじめを見るとよくわかります。自分のことことを棚に上げ、他の人に注目させ、自分の悪事は隠せると思っているのかもしれません。正しいことをしている人は忙しい人が多く、人のあげ足取りをしている暇はありません。

また、長々と書いてしまいました。
まあ、こんな書物もあると知っていても良いのでは?
本当に世の終わりがくれば、知っていて良かったと思うでしょうし。来なければ、それはそれでハッピーエンド。

無銭旅行体験や、ヨーロッパ3カ国10万円以下で博物館巡り記などや、災害時のサバイバル、日本で台風の中でのキャンプの体験、オレゴン・イエローストーン・カナダのバンフ・アイダホ・モンタナ・ワシントン州の一人ドライブ記なども思い出しながら書いちゃいますので、また読んでくださいね。どこにいても、今は女性にはかなり危険ですので、これから旅やキャンプを計画されるにはようく注意してください。
が世界中の船員さんたちが闊歩していた危険の多い港町の繁華街で育った縄文ばあばは逃げ足が早いですが、普通の人はちょっと違うらしいので心配です。
では、今日はちょっとシリアスなストーリーでしたが、面白い生活の役に立つ聖書の話は山ほどあるので、もっと知りたい人はまたこのブログをチェックしてね。


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