体と心のサバイバルひろばあ

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千葉県松戸市ではシニアのためのすごい企画が進行中!!音楽コンペも普通じゃない!選考通ったあ〜!

2022-10-10 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
千葉県松戸市ではシニアのためのすごい企画が進行中! 
とらさんの映画を上演したり、1回だけの写真教室をやったり(渋谷で3年前に参加しました。)。皆で食事会を催したり、有名人の後援会を開いたり・・・。
あとの方にもっと詳しく書きます


若年でもシニアでも、一緒にどんどんアイデアを生み出し前進しませんか?この松戸のもいいけど、私も都会でもなく田舎すぎもしない場所でぼっち村を作りたい。 日本語のボッチって言葉、あまり好きじゃないんです。なんか良い呼び名はないですか?自立パーソン?バッチュラー?尊自人?の集合パワーで、個々の人のアイデアを尊重するグループを作りたい。一度作った小集合体に満足し、合わない人を弾き出すのは悲しい。


ところで、最近一時帰国した人達は、USドルを両替して買い物したりレストラン行ったりする度、安い❗と感じ、申し訳なく思ったらしい。でも、日本に住んでいたらインフレで大変なのでは? 

昨日土曜日、3人の小·中·高生のアメリカ人の子供たちにピアノを教えてから帰宅し、zoomでのお話会に参加させてもらった。
ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州、日本からの参加者達がそれぞれ"自己主張”という課題について思ったことを自由に話していた。私は、申し訳ないけれど人間の精神性の研究はあまり興味なし。その中のひとりは米国在住だが今日本に一時帰国中という。その方も、最近帰国した知人たちの様に円安でだいぶ驚かれていた。1ドル200円まで行くよ、と言っている人もいて心配している人が多い。もちろんビジネス上、利益を得ている会社もあるだろうが、中小企業やレストランは大変そうに見える。

先日ニュースの記事チラ見で、『これからは飲食店の起業はやめてください。』と書いてあったのを見た。

私達のような小さい自営業者はいつでも廃業と紙一重。年金も少なく、老後も働かざるを得ないので悠々自適の年金生活者は羨ましい。でも、確かにリスクはあるのだが、さらに止めようと追い討ちをかけすぎると、今の社会の状態でも成功する人は出るかもしれないのに、アイデアを試しもしないうちに枯れさせはもったいない。お金をかけすぎず慎重に身近な小さな起業からやったらどうだろう。

全ての人に一様に同じ行動を促すのはまずいのではないかな〜?人々を恐れさせ過ぎると、賢くて積極的な人まで、何もせず諦めてしまう杭瀬がつきそうとちょっと心配。ひどい大恐慌のあった1920年代頃でさえ豊かだった人もいたようだ。

シニアも年金の実質的目減りが多いのかもしれない。80、90の高齢になってみないとわからないが(まだ74)、薬代など払えないと言って風邪薬でさえ飲まない私は(風邪はひかないが)、病院にも行く機会がなく、事故後の痛みが1年以上続いても行かないのでもう縄文時代好きが本当に縄文時代人並みの、医療的に遅れた生活をしている。


働けているという事は健康な証拠。同じ境遇のボッチさん、自分の今いる場所や生活状態がどれほど恵まれているかを考えてみませんか。生きているうちしか頭も体も使えません。(祖母に言われ続けました。)ボッチさんでも仲間を作れば助け合えます。協力して楽しい豊かな人生を創りあげませんか!日本でも多くの問題が起きています。でも、いつも言われている様に、これほおど皆が豊かで自由に歩き回れる国はないようです。私はアメリカなので、銃の問題はありますが、住む場所に注意していれば本当に安全です。自由なうちに、将来の子供たちのためにも基礎となる、良い世界を作るアイデアをどんどん生み出し、のちの人たちが参考にできるようにしたらどうでしょう。


ぼっちになったら、趣味のグループを作り、気の合う人と同居するのはどうでしょう? あまりお互いを頼らず、普段はなるべく別々に行動して、必要な時だけ助け合う方が長続きするように思えます。他人を頼りすぎる人や、自分のん意見を押し付ける人とは一線を置いたほうが良いみたいです。あまりに親しくなりすぎるより、“親しき仲にも礼儀あり”の方が問題が少なそう。興味が無いことまで嫌々付き合っていたら辛いのでは?私はその方が好き。高齢者の自主的共同生活では、男女は別々の方がベターかな? 人数的には5~6人が良さそう。

関東地方の千葉県松戸市では、”元気シニア”などの団体がシニア向けに、昔の大団地を利用して住みやすいように多くの企画を立て楽しい町づくりの最中!

実は、そこのイベントでありとあらゆる芸能のコンペを実施するというので申し込んで見たら書類と動画の選考で受かってしまいました。参加者年齢は40代以上だったかな?舞台での本選は9月末頃でしたが、事情があって帰国できなくなり泣く泣く棄権しました。カンツオーネ部門に出てシニアの方々と元気を分かち合いたかったのですが残念。
また来年挑戦してみたいな〜〜🎶 余り先だと、🐸🐸🐸さんの様な声になってしまっているかも。。真剣じゃなく軽くやってるけど、カエルの歌が〜🎶よりマシなので、”facebookのアンドリウ野口ひろ子(浩子の時もある)”で私のカンツオーネ聞いてね。ちなみに歌は、専攻はしたものの副の副の副業です。生花の方が大好き、でも服装デザインやインテリアデザインの方はもっと好き。残念ながら、やりたい事とお金になる事とは一致しないのです。もっとも私がインテリアや建築のデザインを手掛けたら誰も住みたくなくなるでしょう。ツリーハウスとか、洞穴とかに住んでみたいし、部屋はジャングルのようにスリリングに作りたいので。ビシネスでやりたいのは、焼き芋屋(焼き芋ケーキも売りたい)さんと味噌汁の専門屋台。体には良くないけど唐揚げ(大好きな参政党のよしりんこと、吉野敏明医師が唐揚げは食べちゃダメと言ってます。)味噌汁がだ〜すき!

皆さんは時間があったらどんなことに挑戦してみたいですか?教えてください。
小さい起業なんてどうでしょう?近所のK国人の方のラーメン屋さんは小さくてもとても繁盛しているみたい。壁一面の鬼滅の漫画が客寄せ中!!

”鉄”を扱いはじめたのは縄文時代? 誰か考古学やって、もっと調べて〜〜! 証拠は?

2022-10-08 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
鉄を扱ったのは縄文時代?
 
6千年前のシュメールに関しての文献(3千5百年前に書かれた聖書の創世記4章22節)に人間の祖アダムから8代目のトバル・カインという人が”青銅と鉄”を扱うものとなったとあります。ついでに書くと、この人には、ナアマという妹と家畜を飼う人になったヤバルと琴や笛を扱う人になったユバルという兄弟がいました。元祖~~~3兄弟ですね。
 
もしかすると、その子孫のイスラエル人が2600年前頃アッシリヤに滅ぼされた時に世界に散ったあと、何百年か経って逃亡者の吹き溜りのような日本に渡ってきて鉄の扱い方教えたなんて可能性もあるのかな?なあんて思ったりもしています。
 
最近、日本人がを扱うようになったのは縄文時代からと言っている人もいますね。なにしろ、いつからという年代はともかく日本刀のような技術は世界のどこにもないと言う製造技術だそうですね。あるアメリカ人の普通のおじさんの家を訪ねた時、玄関そばの壁に2〜3本(刀?)の日本刀を展示していて、ニコニコしながら「もっと持っているんだよ。」と自慢げに言っていましたが、とても満足そうな笑顔でした。海外でも名を轟かせているのだなと感心しました。出来れば、世界平和の役に立つようなものにもっと関心を持ってもらいたいと思いますが、強さを競うのが好きな人も多いのですね。私も、武術には興味があるのですが護身術として特に女性や弱い人がもっと安い費用で習えたらと思います。オンラインでも学べるようになってきたので、後は誰でも始められるようなお手軽料金になったら嬉しいと思っています。
 
心のサバイバルを考えて(美しい、誠実な、曲がっていない心に)、子供たちにできる限り正しい情報を与えていきたいと常々思っていますが、今の世で100%は無理。でも、その姿勢だけは続けて行きたいですね。学校の教科書には、できるだけ最新情報や真実を載せていって欲しいです。社会や保健や道徳の教科書は本当に素晴らしいと思いますが、情報不足と遅れが目立ちます。10年ごとの新指導要領って、今の世では期間が長すぎませんか。10年前、私の音楽のホームページにYouTubeの動画を載せたら、「YouTubeなんてすぐに廃れるのに』って馬鹿にされましたが、その勢いはみなさんが知っての通りです。なんでも早めに飛びついて、いつも馬鹿にされている〜〜のですが、でも世の中とても流れが早い。せめて5年毎にしてもらいたいです。もちろんお金がかかるのですが、教育費は国の将来のためにも大切だと思います。
 
コロコロ変わる情報と、さも新しいような顔をして復活する、古い最新情報!
研究者と新商品開発者の決まり文句は「もう、その知識は古いのです!」えっ!あなた、何年か前に「これが最新の知識で、先のものは古くて、覆されました。」って言ってなかった?コロコロ変わる。施政者は戦いがあったりすると自国の敗戦を認めず、勝者であったような記録を残したりもする。(えっ!敗戦国はなかったの?)私のおぼろげな記憶では、エジプトさんの子孫やシリアなんかも2500年前頃 、負け戦を勝ち戦のように記録していたと思う。量子論は昔から研究されているし、40年前ごろも日本の物理学者の方がその不思議さを科学雑誌に書かれていました。最近、その理解が非常に進んできていますが、今になって突然、日本の科学者(ある会社の科学研究部門の人達らしい)たちが発見したみたいに話していらっしゃる人もいて、ちょっとがっかりです。自国びいきではなく、真実を話した方が科学の発展のためにも各国の人々との理解を深める為にも良いですよね。
 
ちょっと知ったニュースをよく調べず勝手に解釈して、面白い話に仕立て上げ、何万人ものフォロワーがいるというと、人々を誤導している訳ね。知らずにたまにミスするとか記憶違いなど誰にでもあって許せちゃうけど、2~3年継続となると⁇
 
西洋と日本人の鉄についての理解(ググったら出てきた情報)
産業革命における製鉄法に関しては、とりわけヨーロッパには身近に 多くの産業遺跡がありますから、その理解は比較的に容易であろうと 思われます。反面、日本人には雲をつかむような話ですから、 誤解が多々あるのではないかと思われ、 また全体像を理解することもかなり困難となります。 ここでは英語版の Wikipedia から関連する項目を列挙して、 歴史に直接ないしは間接的に関連する内容を部分的に翻訳をして、 理解の助けとしたいと思います。 
 
なお、英語版の Wikipedia では中国の製鉄の歴史に関しても説明を加えているので、 その点も理解することになります。残念なことですが、日本ではほとんど語られていないことばかりです。 日本は製鉄に関してもほとんど中国の影響を受けていない。
製鉄に関して混乱を招く原因の一つに、 「鉄を鍛える」あるいは「鉄を鍛錬する」という日本語があります。 日本古来の「たたら製鉄」ではハンマーを使って鉄をたたく作業を 「鉄を鍛える」あるいは「鉄を鍛錬する」と言いますが、これは単に 不純物を除去する作業です。昔の日本人は作業の意味するところを知らなかったのです。 しかし、以上の事実は日本の文化の中に組み込まれており、 そのため辞書の類がすべて信用できないことになっているという結論になり、 また英和辞書に依存している文書にも基本的な間違いがあることが鮮明となりました。 これはヨーロッパの製鉄法を理解することから明らかとなる事実です。
 
日本の“たたら鉄”については、カタカムナを研究しているらしい女性が、水をほんの雫のように垂らすのでたたらと言うと言っていたことを思いだします。
 
日本人は技術はあっても、島国のせいで他国人に物事を理解してもらうため系統立てて表現することをしてこなかったし必要もなかったので、なかなか良い面を理解してもらえないですよね。
 
 
 

目が回ったあ!!アダムからの3千5百年間の家系図!!微音読でシニアも美女・イケメンになれるかな!

2022-10-03 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
この、2400年前頃のユダヤの祭司さんエズラが書いた、アダムから3500年続くノアの洪水のノアも通り越す、なが〜〜い系図は、1章で終わりと思っていた。


ところが、次の章も開いたら続きがあった!え〜っ!読みたくない。と、思い次の章に飛んでみたら、なんとまだ続きがあった。え〜〜〜っ!! 8章まである〜〜〜。

人に読んでみてと言いながら、まだ全部読んでいないヒロばあでした。

有名な古代帝国の名エジプト君や、ロシアの祖先といわれるマゴグのゴグ君もいるらしい。その名前はエゼキエル書と黙示録に出てきたね〜。

私はレビ記(祭司や祭事についての書)も読めなかったのだが、やっとのことで読んだ。聖書を全部読んだというのは勘違いで、この長〜〜〜い系図だけは抜かしていた。他の系図は読みましたよ。短いの大〜好き。

さて、歴代誌の系図の最後の人は2400年前ごろの人。イエスキリストも生まれていない頃。最後の人が2400年前ごろの人。イエスキリストも生まれていない。イエスが生まれる前からイエスに至る系図は、新約聖書のマタイ伝とルカ伝に書いてあって、ルカ伝によると、母方は最後にアダムから神に至ると書いてあって、アダムは成人した人として神に創造されたということ。どちらもダビデをとうしていますがマリアの方はナタンという息子の子孫ですが、義理の父ヨセフはダビでの息子ソロモンの子孫です。以上は、以前勘違いして、どちらの祖先もダビデまでしか書いていないと思ってしまって書いたため、10月6日に訂正しました。


<旧約聖書と新約聖書の重なる系図>
この系図の最後の人からダビデ王まで600年ほど遡ると、先ほど書いた新約聖書のイエスの二つの系図(母方と義父方、イエスの父は神)のエズラの時代の人からダビデまでは重なるはず。イエスの場合はユダ族なので、イスラエルという名を神からもらったヤコブさんの12人の息子のうちユダさんから見ていかないと見つからない。


美女・美男になれる!?
シニアぼっちさんなどは、お口の運動に良いので、微音読で全部読んでみて!
微音読は記憶力アップに役立ち認知症予防にもなるので、お口を大きめに開けて笑顔で読めば、顔全体を振動させる良い運動になり美顔・小顔にもなれますよ。縄文ばあば(ひろばあ)のようにお喋りにもなれますよ。(これは冗談)


系図の中でも圧倒的
歴代誌という書物が旧約聖書にあります。以前書いたように、聖書のあちこちにいろんな著者が書いたイスラエル人とその前のアダムからの家系図描かれているのですが、このエズラという祭司が今から2400年前ごろにまだイエスキリストが生まれていない頃に書いた、歴代史の1の方はとても長々とアダムからの家系図を書いています。

アブラハムの孫ヤコブ(のちにイスラエルという名を神からいただいた。)からは、12人の息子達を一人ひとり分けて書いてある。

では、用意はいいですか? せ〜〜の!!

<歴代誌1の1章>  歴代史は1巻と2巻がある。
アダム、セツ、(アダムの長男カインは、正しい人であった弟のアベルを殺したせいか、名前がない)エノス、
2 ケナン、マハラレル、ヤレド、
3 エノク(死んでいない人。天にとられた人と言われている。みんなが900歳以上生きている時代に、365歳で天へ召された。)メトセラ(最長年生きた人ノアのおじいさん)、ラメク、
4 ノア、セム、ハム、ヤペテ。(ノアの3人の息子)
5 ヤペテの子らはゴメル、マゴグ(終わりの日のエゼキエル預言で有名)、マダイ、ヤワン、トバル、メセク、テラス。
6 ゴメルの子らはアシケナズ、デパテ、トガルマ。
7 ヤワンの子らはエリシャ、タルシシ、キッテム、ロダニム。
8 ハムの子らはクシ、エジプト、プテ、カナン。
9 クシの子らはセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカ。ラアマの子らはシバとデダン。
 10 クシはニムロデを生んだ。ニムロデは初めて世の権力ある者となった。
(このニムロデが問題の人、バベルの塔を作った人と言われ、大きな都市を作り
神に敵対する人で、イラクの地図を見たらまだこのひとの名前の都市が記されている)
11 エジプト(さっき出た名前の人。有名なエジプト君)はルデびと、アナムびと、レハブびと、ナフトびと、
12 パテロスびと、カスルびと、カフトルびとを生んだ。カフトルびとからペリシテびとが出た。
13 カナンは長子シドンとヘテを生んだ。
14 またエブスびと、アモリびと、ギルガシびと、
15 ヒビびと、アルキびと、セニびと、
16 アルワデびと、ゼマリびと、ハマテびとを生んだ。
17 セム(ユダヤ人の先祖)の子らはエラム、アシュル、アルパクサデ、ルデ、アラム、ウズ、ホル、ゲテル、メセクである。
18 アルパクサデはシラを生み、シラはエベルを生んだ。
19 エベルにふたりの子が生れた。ひとりの名はペレグ――彼の代に地の民が散り分れたからである――その弟の名はヨクタンといった。
20 ヨクタンはアルモダデ、シャレフ、ハザル・マウテ、エラ、
21 ハドラム、ウザル、デクラ、
22 エバル、アビマエル、シバ、
23 オフル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみなヨクタンの子である。
24 セム、アルパクサデ、シラ、
25 エベル、ペレグ、リウ、
26 セルグ、ナホル、テラ、
27 アブラムすなわちアブラハム(名前を変えた)である。(この人が神の友と言われた有名な人)
28 アブラハムの子らはイサク(ユダヤ人の祖先)とイシマエル(他の中東の人々の先祖らしい。いつも戦っていたが、元は同じアブラハムの子)である。
29 彼らの子孫は次のとおりである。イシマエルの長子はネバヨテ、次はケダル、アデビエル、ミブサム、
30 ミシマ、ドマ、マッサ、ハダデ、テマ、
31 エトル、ネフシ、ケデマ。これらはイシマエルの子孫である。
32 アブラハムのそばめ(奥さんサラが亡くなってからのそばめ)ケトラの子孫は次のとおりである。彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバク、シュワを産んだ。ヨクシャンの子らはシバとデダンである。
33 ミデアンの子らはエパ、エペル、ヘノク、アビダ、エルダア。これらはみなケトラの子孫である。
34 アブラハムはイサク(正統なユダヤ人の先祖)を生んだ。イサクの子らはエサウとイスラエル(初めの名前はヤコブ)。
35 エサウ(ヤコブことイスラエルの双子の長男この人の子孫はエドム人という高山の上に住む強力な民族だったが、今でもイスラエルと戦っているらしい)の子らはエリパズ、リウエル、エウシ、ヤラム、コラ。
36 エリパズの子らはテマン、オマル、ゼピ、ガタム、ケナズ、テムナ、アマレク。
37 リウエルの子らはナハテ、ゼラ、シャンマ、ミッザ。
38 セイルの子らはロタン、ショバル、ヂベオン、アナ、デション、エゼル、デシャン。
39 ロタンの子らはホリとホマム。ロタンの妹はテムナ。
40 ショバルの子らはアルヤン、マナハテ、エバル、シピ、オナム。ヂベオンの子らはアヤとアナ。
41 アナの子はデション。デションの子らはハムラン、エシバン、イテラン、ケラン。
42 エゼルの子らはビルハン、ザワン、ヤカン。デシャンの子らはウズとアラン。
43 イスラエルの人々を治める王がまだなかった時、エドム(ヤコブ別名イスラエルの長男エサウの子孫)の地を治めた王たちは次のとおりである。ベオルの子ベラ。その都の名はデナバといった。
44 ベラが死んで、ボズラのゼラの子ヨバブが代って王となった。
45 ヨバブが死んで、テマンびとの地のホシャムが代って王となった。
46 ホシャムが死んで、ベダテの子ハダデが代って王となった。彼はモアブの野でミデアンを撃った。彼の都の名はアビテといった。
47 ハダデが死んで、マスレカのサムラが代って王となった。
48 サムラが死んで、ユフラテ川のほとりのレホボテのサウルが代って王となった。
49 サウルが死んで、アクボルの子バアル・ハナンが代って王となった。
50 バアル・ハナンが死んで、ハダデが代って王となった。彼の都の名はパイといった。彼の妻はマテレデの娘であって、名をメヘタベルといった。マテレデはメザハブの娘である。
51 ハダデも死んだ。エドムの族長は、テムナ侯、アルヤ侯、エテテ侯、
52 アホリバマ侯、エラ侯、ピノン侯、
53 ケナズ侯、テマン侯、ミブザル侯、
 54 マグデエル侯、イラム侯。これらはエドムの族長である。


<歴代誌1の2章>
ヤコブ(のちに神に名前をイスラエルと変えられた。)
1節〜イスラエルの子らは次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、
2 ダン、ヨセフ、ベニヤミン、ナフタリ、ガド、アセル。
3 ユダの子らはエル、オナン、シラである。この三人はカナンの女バテシュアがユダによって産んだ者である。ユダの長子エルは主の前に悪を行ったので、主は彼を殺された。
4 ユダの嫁タマルはユダによってペレヅとゼラを産んだ。ユダの子らは合わせて五人である。
5 ペレヅの子らはヘヅロンとハムル。
6 ゼラの子らはジムリ、エタン、ヘマン、カルコル、ダラで、合わせて五人である。
7 カルミの子はアカル。アカルは奉納物について罪を犯し、イスラエルを悩ました者である。
8 エタンの子はアザリヤである。
9 ヘヅロンに生れた子らはエラメル、ラム、ケルバイである。
10 ラムはアミナダブを生み、アミナダブはユダの子孫のつかさナションを生んだ。
11 ナションはサルマを生み、サルマはボアズを生み、
12 ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。
13 エッサイは長子エリアブ、次にアビナダブ、第三にシメア、
14 第四にネタンエル、第五にラダイ、
15 第六にオゼム、第七にダビデを生んだ。
16 彼らの姉妹はゼルヤとアビガイルである。ゼルヤの産んだ子はアビシャイ、ヨアブ、アサヘルの三人である。
17 アビガイルはアマサを産んだ。アマサの父はイシマエルびとエテルである。
18 ヘヅロンの子カレブはその妻アズバおよびエリオテによって子をもうけた。その子らはエシル、ショバブ、アルドンである。
19 カレブはアズバが死んだのでエフラタをめとった。エフラタはカレブによってホルを産んだ。
20 ホルはウリを生み、ウリはベザレルを生んだ。
21 そののちヘヅロンはギレアデの父マキルの娘の所にはいった。彼が彼女をめとったときは六十歳であった。彼女はヘヅロンによってセグブを産んだ。
22 セグブはヤイルを生んだ。ヤイルはギレアデの地に二十三の町をもっていた。
23 しかしゲシュルとアラムは彼らからハボテ・ヤイルおよびケナテとその村里など合わせて六十の町を取った。これらはみなギレアデの父マキルの子孫であった。
24 ヘヅロンが死んだのち、カレブは父ヘヅロンの妻エフラタの所にはいった。彼女は彼にテコアの父アシュルを産んだ。
25 ヘヅロンの長子エラメルの子らは長子ラム、次はブナ、オレン、オゼム、アヒヤである。
26 エラメルはまたほかの妻をもっていた。名をアタラといって、オナムの母である。
27 エラメルの長子ラムの子らはマアツ、ヤミン、エケルである。
28 オナムの子らはシャンマイとヤダである。シャンマイの子らはナダブとアビシュルである。
29 アビシュルの妻の名はアビハイルといって、アバンとモリデを産んだ。
30 ナダブの子らはセレデとアッパイムである。セレデは子をもたずに死んだ。
31 アッパイムの子はイシ、イシの子はセシャン、セシャンの子はアヘライである。
32 シャンマイの兄弟ヤダの子らはエテルとヨナタンである。エテルは子をもたずに死んだ。
33 ヨナタンの子らはペレテとザザである。以上はエラメルの子孫である。
34 セシャンには男の子はなく、ただ女の子のみであったが、彼はヤルハと呼ぶエジプトびとの奴隷をもっていたので、
35 セシャンは娘を奴隷ヤルハに与えてその妻とさせた。彼女はヤルハによってアッタイを産んだ。
36 アッタイはナタンを生み、ナタンはザバデを生み、
37 ザバデはエフラルを生み、エフラルはオベデを生み、
38 オベデはエヒウを生み、エヒウはアザリヤを生み、
39 アザリヤはヘレヅを生み、ヘレヅはエレアサを生み、
40 エレアサはシスマイを生み、シスマイはシャルムを生み、
41 シャルムはエカミヤを生み、エカミヤはエリシャマを生んだ。
42 エラメルの兄弟であるカレブの子らは長子をマレシャといってジフの父である。マレシャの子はヘブロン。
43 ヘブロンの子らはコラ、タップア、レケム、シマである。
44 シマはラハムを生んだ。ラハムはヨルカムの父である。またレケムはシャンマイを生んだ。
45 シャンマイの子はマオン。マオンはベテヅルの父である。
46 カレブのそばめエパはハラン、モザ、ガゼズを産んだ。ハランはガゼズを生んだ。
47 エダイの子らはレゲム、ヨタム、ゲシャン、ペレテ、エパ、シャフである。
48 カレブのそばめマアカはシベルとテルハナを産み、
49 またマデマンナの父シャフおよびマクベナとギベアの父シワを産んだ。カレブの娘はアクサである。
50 これらはカレブの子孫であった。エフラタの長子ホルの子らはキリアテ・ヤリムの父ショバル、
51 ベツレヘムの父サルマおよびベテガデルの父ハレフである。
52 キリアテ・ヤリムの父ショバル子らはハロエとメヌコテびとの半ばである。
53 キリアテ・ヤリムの氏族はイテルびと、プテびと、シュマびと、ミシラびとであって、これらからザレアびとおよびエシタオルびとが出た。
54 サルマの子らはベツレヘム、ネトパびと、アタロテ・ベテ・ヨアブ、マナハテびとの半ばおよびゾリびとである。
 55 またヤベヅに住んでいた書記の氏族テラテびと、シメアテびと、スカテびとである。これらはケニびとであってレカブの家の先祖ハマテから出た者である。




<歴代誌1の3章>

第 3 章  ミケランジェロが作ったダビデ像で有名なユダヤの2代目の王
ヘブロンで生れたダビデの子らは次のとおりである。長子はアムノンでエズレルびとアヒノアムから生れ、次はダニエルでカルメルびとアビガイルから生れ、
2 第三はアブサロムでゲシュルの王タルマイの娘マアカの産んだ子、第四はアドニヤでハギテの産んだ子、
3 第五はシパテヤでアビタルから生れ、第六はイテレアムで、彼の妻エグラから生れた。
4 この六人はヘブロンで彼に生れた。ダビデがそこで王となっていたのは七年六か月、エルサレムで王となっていたのは三十三年であった。
5 エルサレムで生れたものは次のとおりである。すなわちシメア、ショバブ、ナタン、ソロモン。この四人はアンミエルの娘バテシュアから生れた。
6 またイブハル、エリシャマ、エリペレテ、
7 ノガ、ネペグ、ヤピア、
8 エリシャマ、エリアダ、エリペレテの九人、
9 これらはみなダビデの子である。このほかに、そばめどもの産んだ子らがあり、タマルは彼らの姉妹であった。
10 ソロモンの子はレハベアム、その子はアビヤ、その子はアサ、その子はヨシャパテ、
11 その子はヨラム、その子はアハジヤ、その子はヨアシ、
12 その子はアマジヤ、その子はアザリヤ、その子はヨタム、
13 その子はアハズ、その子はヒゼキヤ、その子はマナセ、
14 その子はアモン、その子はヨシヤ、
15 ヨシヤの子らは長子ヨハナン、次はエホヤキム、第三はゼデキヤ、第四はシャルムである。
16 エホヤキムの子孫はその子はエコニア、その子はゼデキヤである。
17 捕虜となったエコニヤの子らはその子シャルテル、
18 マルキラム、ペダヤ、セナザル、エカミア、ホシャマ、ネダビヤである。
19 ペダヤの子らはゼルバベルとシメイである。ゼルバベルの子らはメシュラムとハナニヤ。シロミテは彼らの姉妹である。
20 またハシュバ、オヘル、ベレキヤ、ハサデヤ、ユサブ・ヘセデの五人がある。
21 ハナニヤの子らはペラテヤとエシャヤ、その子レパヤ、その子アルナン、その子オバデヤ、その子シカニヤである。
22 シカニヤの子らはシマヤ。シマヤの子らはハットシ、イガル、バリア、ネアリヤ、シャパテの六人である。
23 ネアリヤの子らはエリオエナイ、ヒゼキヤ、アズリカムの三人である。
 24 エリオエナイの子らはホダヤ、エリアシブ、ペラヤ、アックブ、ヨハナン、デラヤ、アナニの七人である。


<歴代誌1の4章>
ユダの子らはペレヅ、ヘヅロン、カルミ、ホル、ショバルである。
2 ショバルの子レアヤはヤハテを生み、ヤハテはアホマイとラハデを生んだ。これらはザレアびとの一族である。
3 エタムの子らはエズレル、イシマおよびイデバシ、彼らの姉妹の名はハゼレルポニである。
4 ゲドルの父はペヌエル、ホシャの父はエゼルである。これらはベツレヘムの父エフラタの長子ホルの子らである。
5 テコアの父アシュルにはふたりの妻ヘラとナアラとがあった。
6 ナアラはアシュルによってアホザム、ヘペル、テメニおよびアハシタリを産んだ。これらはナアラの子である。
7 ヘラの子らはゼレテ、エゾアル、エテナンである。
8 コヅはアヌブとゾベバを生んだ。またハルムの子アハルヘルの氏族も彼から出た。
9 ヤベヅはその兄弟のうちで最も尊ばれた者であった。その母が「わたしは苦しんでこの子を産んだから」と言ってその名をヤベヅと名づけたのである。
10 ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。
11 シュワの兄弟ケルブはメヒルを生んだ。メヒルはエシトンの父、
12 エシトンはベテラパ、パセアおよびイルナハシの父テヒンナを生んだ。これらはレカの人々である。
13 ケナズの子らはオテニエルとセラヤ。オテニエルの子らはハタテとメオノタイ。
14 メオノタイはオフラを生み、セラヤはゲハラシムの父ヨアブを生んだ。彼らは工人であったのでゲハラシムと呼ばれたのである。
15 エフンネの子カレブの子らはイル、エラおよびナアム。エラの子はケナズ。
16 エハレレルの子らはジフ、ジバ、テリア、アサレルである。
17 エズラの子らはエテル、メレデ、エペル、ヤロン。次のものはメレデがめとったパロの娘ビテヤの子らである。すなわち彼女はみごもってミリアム、シャンマイおよびイシバを産んだ。イシバはエシテモアの父である。
18 彼の妻はユダヤ人で、ゲドルの父エレデとソコの父ヘベルとザノアの父エクテエルを産んだ。
19 ナハムの姉妹であるホデヤの妻の子らはガルムびとケイラの父およびマアカびとエシテモアである。
20 シモンの子らはアムノン、リンナ、ベネハナン、テロンである。イシの子らはゾヘテとベネゾヘテである。
21 ユダの子シラの子らはレカの父エル、マレシャの父ラダおよびベテアシベアの亜麻布織の家の一族、
22 ならびにモアブを治めてレヘムに帰ったヨキム、コゼバの人々、ヨアシおよびサラフである。その記録は古い。
23 これらの者は陶器を造る人で、ネタイムおよびゲデラに住み、王の用をするため、王とともに、そこに住んだ。
24 シメオンの子らはネムエル、ヤミン、ヤリブ、ゼラ、シャウル。
25 シャウルの子はシャルム、その子はミブサム、その子はミシマ。
26 ミシマの子孫は、その子はハムエル、その子はザックル、その子はシメイ。
27 シメイには男の子十六人、女の子六人あったが、その兄弟たちには多くの子はなかった。またその氏族の者はすべてユダの子孫ほどにはふえなかった。
28 彼らの住んだ所はベエルシバ、モラダ、ハザル・シュアル、
29 ビルハ、エゼム、トラデ、
30 ベトエル、ホルマ、チクラグ、
31 ベテ・マルカボテ、ハザル・スシム、ベテ・ビリ、およびシャライムである。これらはダビデの世に至るまで彼らの町であった。
32 その村里はエタム、アイン、リンモン、トケン、アシャンの五つの町である。
33 またこれらの町々の周囲に多くの村があって、バアルまでおよんだ。彼らのすみかは以上のとおりで、彼らはおのおの系図をもっていた。
34 メショバブ、ヤムレク、アマジヤの子ヨシャ、
35 ヨエル、アシエルのひこ、セラヤの孫、ヨシビアの子エヒウ。
36 エリオエナイ、ヤコバ、エショハヤ、アサヤ、アデエル、エシミエル、ベナヤ、
37 およびシピの子ジザ。シピはアロンの子、アロンはエダヤの子、エダヤはシムリの子、シムリはシマヤの子である。
38 ここに名をあげた者どもはその氏族の長であって、それらの氏族は大いにふえ広がった。
39 彼らは群れのために牧場を求めてゲドルの入口に行き、谷の東の方まで進み、
40 ついに豊かな良い牧場を見いだした。その地は広く穏やかで、安らかであった。その地の前の住民はハムびとであったからである。
41 これらの名をしるした者どもはユダの王ヒゼキヤの世に行って、彼らの天幕と、そこにいたメウニびとを撃ち破り、彼らをことごとく滅ぼして今日に至っている。そこには、群れのための牧場があったので、彼らはそこに住んだ。
42 またシメオンびとのうちの五百人はイシの子らペラテヤ、ネアリヤ、レパヤ、ウジエルをかしらとしてセイル山に行き、
 43 アマレクびとで、のがれて残っていた者を撃ち滅ぼして、今日までそこに住んでいる。


<歴代誌1の5章>
イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。――ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。
2 またユダは兄弟たちにまさる者となり、その中から君たる者がでたが長子の権はヨセフのものとなったのである。――
3 すなわちイスラエルの長子ルベンの子らはハノク、パル、ヘヅロン、カルミ。
4 ヨエルの子らはその子はシマヤ、その子はゴグ、その子はシメイ、
5 その子はミカ、その子はレアヤ、その子はバアル、
6 その子はベエラである。このベエラはアッスリヤの王テルガテ・ピルネセルが捕え移した者である。彼はルベンびとのつかさであった。
7 彼の兄弟たちは、その氏族により、その歴代の系図によれば、かしらエイエルおよびゼカリヤ、
8 ベラなどである。ベラはアザズの子、シマの孫、ヨエルのひこである。彼はアロエルに住み、ネボおよびバアル・メオンまで及んでいたが、
9 ギレアデの地で彼の家畜がふえ増したので、彼は東の方ユフラテ川のこなたの荒野の入口にまで住んだ。
10 またサウルの時、彼らはハガルびとと戦って、これを撃ち倒し、ギレアデの東の全部にわたって彼らの天幕に住んだ。
11 ガドの子孫はこれと相対してバシャンの地に住み、サルカまで及んでいた。
12 そのかしらはヨエル、次はシャパム、ヤアナイ、シャパテで、ともにバシャンに住んだ。
13 彼らの兄弟たちは、その氏族によればミカエル、メシュラム、シバ、ヨライ、ヤカン、ジア、エベルの七人である。
14 これらはホリの子アビハイルの子らである。ホリはヤロアの子、ヤロアはギレアデの子、ギレアデはミカエルの子、ミカエルはエシサイの子、エシサイはヤドの子、ヤドはブズの子である。
15 アヒはアブデルの子、アブデルはグニの子、グニはその氏族の長である。
16 彼らはギレアデとバシャンとその村里とシャロンのすべての放牧地に住んで、その四方の境にまで及んでいた。
17 これらはみなユダの王ヨタムの世とイスラエルの王ヤラベアムの世に系図にのせられた。
18 ルベンびとと、ガドびとと、マナセの半部族には出て戦いうる者四万四千七百六十人あり、皆勇士で、盾とつるぎをとり、弓をひき、戦いに巧みな人々であった。
19 彼らはハガルびとおよびエトル、ネフシ、ノダブなどと戦ったが、
20 助けを得てこれを攻めたので、ハガルびとおよびこれとともにいた者は皆、彼らの手にわたされた。これは彼らが戦いにあたって神に呼ばわり、神に寄り頼んだので神はその願いを聞かれたからである。
21 彼らはその家畜を奪い取ったが、らくだ五万、羊二十五万、ろば二千あり、また人は十万人あった。
22 これはその戦いが神によったので、多くの者が殺されて倒れたからである。そして彼らは捕え移される時まで、これに代ってその所に住んだ。
23 マナセの半部族の人々はこの地に住み、ふえ広がって、ついにバシャンからバアル・ヘルモン、セニルおよびヘルモン山にまで及んだ。
24 その氏族の長たちは次のとおりである。すなわち、エペル、イシ、エリエル、アズリエル、エレミヤ、ホダヤ、ヤデエル。これらは皆その氏族の長で名高い大勇士であった。
25 彼らは先祖たちの神にむかって罪を犯し、神が、かつて彼らの前から滅ぼされた国の民の神々を慕って、これと姦淫したので、
 26 イスラエルの神は、アッスリヤの王プルの心を奮い起し、またアッスリヤの王テルガテ・ピルネセルの心を奮い起されたので、彼はついにルベンびとと、ガドびとと、マナセの半部族を捕えて行き、ハウラとハボルとハラとゴザン川のほとりに移して今日に至っている。

<歴代誌1の6章>
レビの子らはゲルション、コハテ、メラリ。
2 コハテの子らはアムラム、イヅハル、ヘブロン、ウジエル。
3 アムラムの子らはアロン、モーセ、ミリアム。アロンの子らはナダブ、アビウ、エレアザル、イタマル。
4 エレアザルはピネハスを生み、ピネハスはアビシュアを生み、
5 アビシュアはブッキを生み、ブッキはウジを生み、
6 ウジはゼラヒヤを生み、ゼラヒヤはメラヨテを生み、
7 メラヨテはアマリヤを生み、アマリヤはアヒトブを生み、
8 アヒトブはザドクを生み、ザドクはアヒマアズを生み、
9 アヒマアズはアザリヤを生み、アザリヤはヨナハンを生み、
10 ヨナハンはアザリヤを生んだ。このアザリヤはソロモンがエルサレムに建てた宮で祭司の務をした者である。
11 アザリヤはアマリヤを生み、アマリヤはアヒトブを生み、
12 アヒトブはザトクを生み、ザトクはシャルムを生み、
13 シャルムはヒルキヤを生み、ヒルキヤはアザリヤを生み、
14 アザリヤはセラヤを生み、セラヤはヨザダクを生んだ。
15 ヨザダクは主がネブカデネザルの手によってユダとエルサレムの人を捕え移された時に捕えられて行った。
16 レビの子らはゲルション、コハテおよびメラリ。
17 ゲルションの子らの名はリブニとシメイ。
18 コハテの子らはアムラム、イヅハル、ヘブロン、ウジエルである。
19 メラリの子らはマヘリとムシ。これらはレビびとのその家筋による氏族である。
20 ゲルションの子はリブニ、その子はヤハテ、その子はジンマ、
21 その子はヨア、その子はイド、その子はゼラ、その子はヤテライ。
22 コハテの子はアミナダブ、その子はコラ、その子はアシル、
23 その子はエルカナ、その子はエビアサフ、その子はアシル、
24 その子はタハテ、その子はウリエル、その子はウジヤ、その子はシャウル。
25 エルカナの子らはアマサイとアヒモテ、
26 その子はエルカナ、その子はゾパイ、その子はナハテ、
27 その子はエリアブ、その子はエロハム、その子はエルカナ。
28 サムエルの子らは、長子はヨエル、次はアビヤ。
29 メラリの子はマヘリ、その子はリブニ、その子はシメイ、その子はウザ、
30 その子はシメア、その子はハギヤ、その子はアサヤである。
31 契約の箱を安置したのち、ダビデが主の宮で歌をうたう事をつかさどらせた人々は次のとおりである。
32 彼らは会見の幕屋の前で歌をもって仕えたが、ソロモンがエルサレムに主の宮を建ててからは、一定の秩序に従って務を行った。
33 その務をしたもの、およびその子らは次のとおりである。コハテびとの子らのうちヘマンは歌をうたう者、ヘマンはヨエルの子、ヨエルはサムエルの子、
34 サムエルはエルカナの子、エルカナはエロハムの子、エロハムはエリエルの子、エリエルはトアの子、
35 トアはヅフの子、ヅフはエルカナの子、エルカナはマハテの子、マハテはアマサイの子、
36 アマサイはエルカナの子、エルカナはヨエルの子、ヨエルはアザリヤの子、アザリヤはゼパニヤの子、
37 ゼパニヤはタハテの子、タハテはアシルの子、アシルはエビアサフの子、エビアサフはコラの子、
38 コラはイヅハルの子、イヅハルはコハテの子、コハテはレビの子、レビはイスラエルの子である。
39 ヘマンの兄弟アサフはヘマンの右に立った。アサフはベレキヤの子、ベレキヤはシメアの子、
40 シメアはミカエルの子、ミカエルはバアセヤの子、バアセヤはマルキヤの子、
41 マルキヤはエテニの子、エテニはゼラの子、ゼラはアダヤの子、
42 アダヤはエタンの子、エタンはジンマの子、ジンマはシメイの子、
43 シメイはヤハテの子、ヤハテはゲルションの子、ゲルションはレビの子である。
44 また彼らの兄弟であるメラリの子らが左に立った。そのうちのエタンはキシの子、キシはアブデの子、アブデはマルクの子、
45 マルクはハシャビヤの子、ハシャビヤはアマジヤの子、アマジヤはヒルキヤの子、
46 ヒルキヤはアムジの子、アムジはバニの子、バニはセメルの子、
47 セメルはマヘリの子、マヘリはムシの子、ムシはメラリの子、メラリはレビの子である。
48 彼らの兄弟であるレビびとたちは、神の宮の幕屋のもろもろの務に任じられた。
49 アロンとその子らは§祭の壇と香の祭壇の上にささげることをなし、また至聖所のすべてのわざをなし、かつイスラエルのためにあがないをなした。すべて神のしもべモーセの命じたとおりである。
50 アロンの子孫は次のとおりである。アロンの子はエレアザル、その子はピネハス、その子はアビシュア、
51 その子はブッキ、その子はウジ、その子はゼラヒヤ、
52 その子はメラヨテ、その子はアマリヤ、その子はアヒトブ、
53 その子はザドク、その子はアヒマアズである。
54 アロンの子孫の住む所はその境のうちにある宿営によっていえば次のとおりである。まずコハテびとの氏族がくじによって得たところ、
55 すなわち彼らが与えられたところは、ユダの地にあるヘブロンとその周囲の放牧地である。
56 ただし、その町の田畑とその村々は、エフンネの子カレブに与えられた。
57 そしてアロンの子孫に与えられたものは、のがれの町であるヘブロンおよびリブナとその放牧地、ヤッテルおよびエシテモアとその放牧地、
58 ヒレンとその放牧地、デビルとその放牧地、
59 アシャンとその放牧地、ベテシメシとその放牧地である。
60 またベニヤミンの部族のうちからはゲバとその放牧地、アレメテとその放牧地、アナトテとその放牧地を与えられた。彼らの町は、すべてその氏族のうちに十三あった。
61 またコハテの子孫の残りの者は部族の氏族のうちからと、半部族すなわちマナセの半部族のうちからくじによって十の町を与えられた。
62 またゲルションの子孫はその氏族によってイッサカルの部族、アセルの部族、ナフタリの部族、およびバシャンのマナセの部族のうちから十三の町が与えられた。
63 メラリの子孫はその氏族によってルベンの部族、ガドの部族、およびゼブルンの部族のうちからくじによって十二の町が与えられた。
64 このようにイスラエルの人々はレビびとに町々とその放牧地とを与えた。
65 すなわちユダの子孫の部族とシメオンの部族の子孫と、ベニヤミンの子孫の部族のうちからここに名をあげたこれらの町をくじによって与えた。
66 コハテの子孫の氏族はまたエフライムの部族のうちからも町々を獲てその領地とした。
67 すなわち彼らが与えられた、のがれの町はエフライムの山地にあるシケムとその放牧地、ゲゼルとその放牧地、
68 ヨクメアムとその放牧地、ベテホロンとその放牧地、
69 アヤロンとその放牧地、ガテリンモンとその放牧地である。
70 またマナセの半部族のうちからは、アネルとその放牧地およびビレアムとその放牧地を、コハテの子孫の氏族の残りのものに与えた。
71 ゲルションの子孫に与えられたものはマナセの半部族のうちからはバシャンのゴランとその放牧地、アシタロテとその放牧地。
72 イッサカルの部族のうちからはケデシとその放牧地、ダベラテとその放牧地、
73 ラモテとその放牧地、アネムとその放牧地。
74 アセルの部族のうちからはマシャルとその放牧地、アブドンとその放牧地、
75 ホコクとその放牧地、レホブとその放牧地。
76 ナフタリの部族のうちからはガリラヤのケデシとその放牧地、ハンモンとその放牧地、キリアタイムとその放牧地である。
77 このほかのもの、すなわちメラリの子孫に与えられたものはゼブルンの部族のうちからリンモンとその放牧地、タボルとその放牧地、
78 エリコに近いヨルダンのかなた、すなわちヨルダンの東ではルベンの部族のうちからは荒野のベゼルとその放牧地、ヤザとその放牧地、
79 ケデモテとその放牧地、メパアテとその放牧地。
80 ガドの部族のうちからはギレアデのラモテとその放牧地、マハナイムとその放牧地、
 81 ヘシボンとその放牧地、ヤゼルとその放牧地である。



あと2章だけ!
<歴代誌1の7章>

イッサカルの子らはトラ、プワ、ヤシュブ、シムロムの四人。
2 トラの子らはウジ、レパヤ、エリエル、ヤマイ、エブサム、サムエル。これは皆トラの子で、その氏族の長である。その子孫の大勇士たる者はダビデの世にはその数二万二千六百人であった。
3 ウジの子はイズラヒヤ、イズラヒヤの子らはミカエル、オバデヤ、ヨエル、イシアの五人で、みな長たる者であった。
4 その子孫のうちに、その氏族に従えば軍勢の士卒三万六千人あった。これは彼らが妻子を多くもっていたからである。
5 イッサカルのすべての氏族のうちの兄弟たちで系図によって数えられた大勇士は合わせて八万七千人あった。
6 ベニヤミンの子らはベラ、ベケル、エデアエルの三人。
7 ベラの子らはエヅボン、ウジ、ウジエル、エレモテ、イリの五人で、皆その氏族の長である。その系図によって数えられた大勇士は二万二千三十四人あった。
8 ベケルの子らはゼミラ、ヨアシ、エリエゼル、エリオエナイ、オムリ、エレモテ、アビヤ、アナトテ、アラメテで皆ベケルの子らである。
9 その子孫のうち、その氏族の長として系図によって数えられた大勇士は二万二百人あった。
10 エデアエルの子はビルハン。ビルハンの子らはエウシ、ベニヤミン、エホデ、ケナアナ、ゼタン、タルシシ、アヒシャハル。
11 皆エデアエルの子らで氏族の長であった。その子孫のうちには、いくさに出てよく戦う大勇士が一万七千二百人あった。
12 またイルの子らはシュパムとホパム。アヘルの子はホシムである。
13 ナフタリの子らはヤハジエル、グニ、エゼル、シャルムで皆ビルハの産んだ子である。
14 マナセの子らはそのそばめであるスリヤの女の産んだアスリエル。彼女はまたギレアデの父マキルを産んだ。
15 マキルはホパムとシュパムの妹マアカという者を妻にめとった。二番目の子はゼロペハデという。ゼロペハデには女の子だけがあった。
16 マキルの妻マアカは男の子を産んで名をペレシと名づけた。その弟の名はシャレシ。シャレシの子らはウラムとラケムである。
17 ウラムの子はベダン。これらはマナセの子マキルの子であるギレアデの子らである。
18 その妹ハンモレケテはイシホデ、アビエゼル、マヘラを産んだ。
19 セミダの子らはアヒアン、シケム、リキ、アニアムである。
20 エフライムの子はシュテラ、その子はベレデ、その子はタハテ、その子はエラダ、その子はタハテ、
21 その子はザバデ、その子はシュテラである。エゼルとエレアデはガテの土人らに殺された。これは彼らが下って行ってその家畜を奪おうとしたからである。
22 父エフライムが日久しくこのために悲しんだので、その兄弟たちが来て彼を慰めた。
23 そののち、エフライムは妻のところにはいった。妻ははらんで男の子を産み、その名をベリアと名づけた。その家に災があったからである。
24 エフライムの娘セラは上と下のベテホロンおよびウゼン・セラを建てた。
25 ベリアの子はレパ、その子はレセフ、その子はテラ、その子はタハン、
26 その子はラダン、その子はアミホデ、その子はエリシャマ、
27 その子はヌン、その子はヨシュア。
28 エフライムの子孫の領地と住所はベテルとその村々、また東の方ではナアラン、西の方ではゲゼルとその村々、またシケムとその村々、アワとその村々。
29 またマナセの子孫の国境に沿って、ベテシャンとその村々、タアナクとその村々、メギドンとその村々、ドルとその村々で、イスラエルの子ヨセフの子孫はこれらの所に住んだ。
30 アセルの子らはイムナ、イシワ、エスイ、ベリアおよびその姉妹セラ。
31 ベリアの子らはヘベルとマルキエル。マルキエルはビルザヒテの父である。
32 ヘベルはヤフレテ、ショメル、ホタムおよびその姉妹シュアを生んだ。
33 ヤフレテの子らはパサク、ビムハル、アシワテ。これらはヤレフテの子らである。
34 彼の兄弟ショメルの子らはロガ、ホバおよびアラム。
35 ショメルの兄弟ヘレムの子らはゾパ、イムナ、シレシ、アマル。
36 ゾパの子らはスア、ハルネペル、シュアル、ベリ、イムラ、
37 ベゼル、ホド、シャンマ、シルシャ、イテラン、ベエラ。
38 エテルの子らはエフンネ、ピスパおよびアラ。
39 ウラの子らはアラ、ハニエル、およびリヂア。
 40 これらは皆アセルの子孫であって、その氏族の長、えりぬきの大勇士、つかさたちのかしらであった。その系図によって数えられた者で、いくさに出てよく戦う者の数は二万六千人であった。
  

<歴代誌1の8章>   最後です!

ベニヤミンの生んだ者は長子はベラ、その次はアシベル、第三はアハラ、
2 第四はノハ、第五はラパ。
3 ベラの子らはアダル、ゲラ、アビウデ、
4 アビシュア、ナアマン、アホア、
5 ゲラ、シフパム、ヒラム。
6 エホデの子らは次のとおりである。(これらはゲバの住民の氏族の長であって、マナハテに捕え移されたものである。)
7 すなわちナアマン、アヒヤ、ゲラすなわちヘグラム。ゲラはウザとアヒフデの父であった。
8 シャハライムは妻ホシムとバアラを離別してのち、モアブの国で子らをもうけた。
9 彼が妻ホデシによってもうけた子らはヨバブ、ヂビア、メシャ、マルカム、
10 エウヅ、シャキヤ、ミルマ。これらはその子らであって氏族の長である。
11 彼はまたホシムによってアビトブとエルパアルをもうけた。
12 エルパアルの子らはエベル、ミシャムおよびセメド。彼はオノとロドとその村々を建てた者である。
13 またベリアとシマがあった。(これはアヤロンの住民の氏族の長であって、ガテの住民を追い払ったものである。)
14 またアヒオ、シャシャク、エレモテ。
15 ゼバデヤ、アラデ、アデル、
16 ミカエル、イシパおよびヨハはベリアの子らであった。
17 ゼバデヤ、メシュラム、ヘゼキ、ヘベル、
18 イシメライ、エズリアおよびヨバブはエルパアルの子らであった。
19 ヤキン、ジクリ、ザベデ、
20 エリエナイ、チルタイ、エリエル、
21 アダヤ、ベラヤおよびシムラテはシマの子らであった。
22 イシパン、ヘベル、エリエル、
23 アブドン、ジクリ、ハナン、
24 ハナニヤ、エラム、アントテヤ、
25 イペデヤおよびペヌエルはシャシャクの子らであった。
26 シャムセライ、シハリア、アタリヤ、
27 ヤレシャ、エリヤおよびジクリはエロハムの子らであった。
28 これらは歴代の氏族の長であり、またかしらであって、エルサレムに住んだ。
29 ギベオンの父エイエルはギベオンに住み、その妻の名はマアカといった。
30 その長子はアブドンで、次はツル、キシ、バアル、ナダブ、
31 ゲドル、アヒオ、ザケル、
32 およびミクロテ。ミクロテはシメアを生んだ。これらもまた兄弟たちと向かいあってエルサレムに住んだ。
33 ネルはキシを生み、キシはサウルを生み、サウルはヨナタン、マルキシュア、アビナダブ、エシバアルを生んだ。
34 ヨナタンの子はメリバアルで、メリバアルはミカエルを生んだ。
35 ミカの子らはピトン、メレク、タレア、アハズである。
36 アハズはエホアダを生み、エホアダはアレメテ、アズマウテ、ジムリを生み、ジムリはモザを生み、
37 モザはビネアを生んだ。ビネアの子はラパ、ラパの子はエレアサ、エレアサの子はアゼルである。
38 アゼルには六人の子があり、その名はアズリカム、ボケル、イシマエル、シャリヤ、オバデヤ、ハナンで、皆アゼルの子である。
39 その兄弟エセクの子らは、長子はウラム、次はエウシ、第三はエリペレテである。
 40 ウラムの子らは大勇士で、よく弓を射る者であった。彼は多くの子と孫をもち、百五十人もあった。これらは皆ベニヤミンの子孫である。

もう読む気力はとっくに失った。昔のは暗記したのか??

<第 9 章 からは、エズラの時代の人々が続く。。>
   
このようにすべてのイスラエルびとは系図によって数えられた。これらはイスラエルの列王紀にしるされている。ユダはその不信のゆえにバビロンに捕囚となった。
2 その領地の町々に最初に住んだものはイスラエルびと、祭司、レビびとおよび宮に仕えるしもべたちであった。
3 またエルサレムにはユダの子孫、ベニヤミンの子孫およびエフライムとマナセの子孫が住んでいた。
 4 すなわちユダの子ペレヅの子孫のうちではアミホデの子ウタイ。アミホデはオムリの子、オムリはイムリの子、イムリはバニの子である。







世界最終戦争ハルマゲドンと獣の数字666を、エゼキエル書や黙示録ちょっと見で解説する人たち!

2022-10-03 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
ちょっとかじっただけで聖書を理解したと思い込み、かなり的外れな解説をする方にお願いしたいことがあります。専門的牧師さんでもなく、クリスチャンでもない私でさえ聖書はただ読んだりしてません。
こんなで〜す。メチャクチャですが、書き込まないと次にこのページを開いたとき更なる深掘り考察が出来ない軽い頭だからで〜す。今年で58年間聖書読んでるけどまだ???????なのに。



クチャグチャでも気がついたことをメモしておけば、繰り返し復習する助けに!

いろんな牧師さん達の考えを参考にしてお勉強して58年。何年も研究して何冊かのノートにまとめて、それを車から盗まれ、それからまた2〜3年かけて勉強してなんと今度は聖書もノートも研究書も盗まれ(どうして〜?聖書を学ばれるとまずい?)、ヤル気をなくした〜と、しばらく無視したものの、またお勉強開始。私の車はいつでも出入り自由らしい、この紛失した本が、数週間後(だったかな?)なんと助手席ドアの直ぐ前の座席にポンと置いてあった。

   新しいノート。2年後、やっと気を取り直し、勉強再開。


すみませ〜ん。夜中にベッドの中で写した写真なので真っ暗!

頭の悪いひろばあは、今度も紛失したらなにも記憶に残っていない、どうしよう〜〜。

最も、神やみ使いは全部お見通しで、全て彼らのノートに書き留められていて、最後の審判の時にそのメモ(聖書には巻物と書いてある)がひらかれると書いてあるので、その時誰が持って行ったのかわかっちゃうぞ〜〜。。でも、何か起きてもその行為を行なった本人だけが悪いとも言えない。人間は不完全なので誰がどの程度悪人なのかはわからない。覚えていらっしゃいますか、むかし中東で自爆テロをやって亡くなった女の子たちは大抵、テロリストたちに「お前がしなければ、お前の家族を殺す。」と脅され家族の身代わりとなった可哀想な人たちでした。我が子を何人も異教の神に生贄に差し出したユダのマナセ王でさえ、心から悔い改めて神に許されています。聖書の神は、同じような罪を犯した人でも心から悔い改めたかどうかで裁かれる様ですね。千年王国後に生き返る死人たちの最後の審判では、嘘をついても”心の中も見える”といわれる神の目はごまかせない様です。

世界最古の本によれば、古代に神に選ばれた民でさえ、「ヘブライ語は子音表記が無く正しい神の名の発音がわからない。」といっていますね。それで、勝手におかしな名を作り上げて人々に誤った情報を流布しないでいただきたいのです。

神の単数形 = エル
神の複数形 = エロヒム
神の固有名詞 = ヤーウエ = エホバ=英語ではジェホバJehovah
と発音するのではないかと言われています。

日本語やドイツ語でジェイと発音されている言葉は、英語ではイエという発音ですね。
それで、「イスラエルと名乗りなさい。」と神から言われたコブは英語ではジェイコブ、ドイツ語発音ヤーパン(日本)は英語的にはジャパンとなります。

666が好きな人たち
エゼキエル書と黙示録を取り上げ、人々に世界最終戦争ハルマゲドンという衝撃的な話をしてyoutubeで人気を得ている方もいます。しかし、エゼキエル書38章の戦争預言で、イスラエルを攻めるゴグはロシアではなく、黙示録に出てくる千年王国の後でサタンと組んでエルサレムを攻撃するゴグと同じ人々と解釈する教会もあります。

多くの教会で、今、世の終わりが近づいていて神からの忠告に真剣に耳を傾け神と共に行くか、反対の道を歩み続けるのかを問われている時期と言っています。「今が神のご意思を知るラストチャンス」と言われているのに、人々に不正確な情報を流布する人は重い罪を背負いそうです。知らずにしている人はそれ程責任を問われることはないと思いますが。。。

黙示録の謎の数字”666”、神はそれが獣の名前だと言っておられますが。
これも聖書全体を知らないのであれば、その聖句だけを読んで勝手な解釈を流さないほうが良いようです。

聖書はこのように言っています。
黙示録 第 13 章 666の獣の数字 
旧約聖書ダニエル書にはひょうはギリシャなどと書いてある(ギリシャがまだ小さな都市国家だった時からアレキサンダー大王が生まれる前から預言)獣は国家のことらしい。ダニエル書で調べてください。

1節〜 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
2 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。(優しそうで恐ろしい国)
12 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
14 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。







明日からカナダに行く、英語学習のふたりの生徒にtextメッセージを送ってみた。子供は宝!

2022-10-03 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
アメリカの生徒達





最近、孫にも会えなくなってきて、手塩にかけた生徒たちも大勢日本に帰国し、その分空き時間が増えた。その分、今の少数の生徒たち一人一人に前より注目できるようになった。料理中でも(料理は嫌いだが仕方なくやっている)、ドライブ中でも、いつも生徒達にどうやって教えようかと計画を練っている。今日は、明日から旅行に出る、現地校で中・高生の兄妹の生徒たちにちょっとした宿題をこなすのためのヒントを送ってみた。シニアの先生は、うるさい?


日本にいた時は私の主要な仕事が塾だったこともあり、(長い人では10年以上もうちに通ってくれた。)生徒たちが大人になる過程でどう成長していくのか手に取るようにわかるようになっていた。初めに教えた生徒などは、私が1回目にアメリカに来た時にはもう30歳になっていて、我が子より年上だった。我が息子たちはまだ幼児・小学生・中学生だった。

日本で20年も教える仕事に専念したおかげで、子供達の成長の仕方をじっくり観察できた。うちのような補習塾に通う生徒たちは徒歩で来るので近所の子供達が殆ど。止めてから高校や大学に進学しても、まだ近所に住んでいる子がほとんど。それで、大人になっても結構会う機会があった。彼らが学んだことや、話し合ったこと、先生たちとのやりとりや友達同士のお付き合いを見ていて、これからどのように指導していったらいいかなど、多くのアイデアを得ることができたので本当に嬉しかった。

東京・横浜で家庭教師や塾をやっていて、自分の子供、生徒たち、その保護者たち(20〜40代)、講師をお願いした大学生たち、米・スエーデン・オランダ・オーストラリアなどから来ていた英語の先生たちとも接することができてとても勉強になる楽しい毎日だった。

塾では、生徒たちの保護者から多くの相談事が私に舞い込んだのだが、お話を聞いてあげて、励ましてあげると、問題は自分でどんどん解決。これってなんか簡単と思って分析してみると。問題解決法のヒントをいくつか挙げてから、自信をもって何事にも自力で取り組むようアイデアなども分かち合い励ますと、殆どの人が、自分で自分に合った解決法や進む道を見つけ出し前進を始める。頼もしい限り。中学生はやはり反抗期がいちばんの問題なのだが、それを通してどんどん大人に成長していくので、反抗期がない子は帰って心配になる。

幸せそうな小学生でも自殺について考えていたりもするので、みなさん、機会があったら子供たちを励ましてあげてください。甘〜いお世辞は言わず、良いところを見つけて励ましてあげて欲しいのです。前に、小4の子が私に言った言葉で私は考え込んでしまい、とにかく明るい楽しいことや、励ます言葉をかけ続けました。その子はふとした会話の時「雪の中で死ぬと、眠るように死ねるんだね〜。」と感心したような、良いアイデアだとでも言いたげな顔で呟いたのです。大人になると、更に大変なことも多くなってきますが、子供のうちから精神的に逞しくなって育っていって欲しいと願っています!無理せずコツコツ地道に行くのも大事。

海外の日本人の子たちって、帰国するので4〜5年で塾も音楽教室も止める子が多くて、初めの頃は悲しくて心に穴が空き通しでした。日本では平均10年は続けてくれました。しかし、とても嬉しかった2度目の出会いもありました。日本で教え子だった子が偶然、大学への留学などでポートランドにやってきて出会えたり、我が息子と同じ小学校に通っていた子たちが偶然旅行にやって来たりしたこと。後者の女性たちは、私が見せた私の息子の写真を見て「この子知ってる。小学校の運動会の行進の時見た。」と言い出して驚きました。子供達の頼もしく成長した姿を見るのはとても嬉しいことです。私の生徒の妹だったという人にも出会えたのですが、私を知っているというその20代の女性に「私は覚えていない。ごめんなさい。」と言うと、私が日本を離れた頃は2歳だったというので驚き、そうか私はあまり変わっていないけど、2歳児が25歳になってたら見分けられる訳はないと納得。

松戸市のサヤちゃんと言う子のように、行方不明になってしまう子もいるのは、残念です。子供たちが辛い目に合うのは本当に聞くだけでも辛いですね。男の子でも、うちは3人のうち2人が誘拐未遂に遭っています。子供たちが自分一人で待てると言っても絶対目を離すべきではなかったと後悔しています。トイレに行くときは店員さんに預けるべきでした。非常口のドアは開けられていて、1〜2秒で外の駐車場に出られてしまうところでした。

みなさん、大事な大事な子供たちを、精神面で励まし、危険な場所に近づかぬよう注意し、誘拐されぬよういつも見守って、みんなで協力して育てて行きましょう。










すみませ〜ん😞去年の6月の最高気温は37度じゃなくて、46度でした。殺人的猛暑。冬はどうなる?

2022-10-02 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
私も、室内のお野菜たちも頑張って生き抜いた去年の6月。この暑さ、生まれて初めての経験。オレゴニアンもビックリ! 前の、スイスチャードのブログで37度と書いたのは記憶違いでした。オレゴンからカナダのバンクーバーにかけて温暖な気候は、打って変わって殺人的な気候になり、大勢の方が亡くなりました。6月28日は、この下のチャートで見ると華氏117度になっています。 摂氏36.5度?

私も生まれて初めてな上、息子が買ってくれたエアコンがその月から使用禁止(アパートの窓の外観が悪くなるし危険だからと・・・)どうやって乗り切ろうかと思いました。


前にも書いたのですが、オレゴンの夏は軽井沢みたいなので、他の週から観光に来る方達が多いのですが、テキサスから来た人たちょいが歩きながら「ポートランドに避暑に来たのに凄い暑さ、テキサスより暑いじゃないか。」と歩きながら言っていました。

この時は、お年寄りやホームレスの方達のため涼しい場所が提供され、助かった人たちが多くいました。危なくなれば私も行かなくちゃと思いましたが、とにかく仕事が休みで在宅だった3日間、扇風機2台で前後から風を送り、洗面器に水を張り常に身体中を濡れタオルで濡らし、濡れたTシャツを着て手にはうちわも持って、体を冷やし続けました。外出時は、シアトルのダイソーで買った小型スプレーボトルで水を吹きかけ続け、タオルはハンカチに代えます。安心して使える水が水道から出るだけでも本当に感謝できますね。お金があったら感謝の気持ちを表し国にまたはオレゴン州にもっと税金を払いたいです。(残念ながら払うのがやっとですけど)見えないところでお世話になっていることに感謝したいですね。

政治家の悪口ばかり言っている人は、ご自分ならそれ以上に良い政策を打ち出し、経済的な知識を高めその政策を実行できるんでしょうか?? 疑問です。私たちには、二宮金次郎みたいな賢くて実行力のある人が必要ですね。(江戸時代に土木工事をして、用水を作った方達も素晴らしいですね。)新しい政治団体、ご・・の党の方の、人の悪口を言い、さらに相手にやり返すなどは考えものです。相手の考えを変えさせるほどの方たちは悪口を言い復讐をする暇に、人の役に立つことを考え実行に移します。ショック療法は精神科の専門的な方にお任せした方が良さそうです。
ところで、話を46度以上の暑さに戻すと、
ポートランド周辺は夜になると涼しくなるので助かりました。朝は4〜5時ごろから早起きして、夜の涼しい空気を入れるようドアを開けておき、日が照ってきたら1日中閉め、カーテンも閉め切ったままにしました。普段気温が安定しているとドアを開けて外に出るとフレッシュな外気やその明るさが気持ち良いのですが、その信じられない暑さの中では真っ暗な部屋に閉じこもっているのがホッとするチョッピリ涼しいと感じる時間でした。エアコンの無い、もっと年上の方達やホームレスの方達でエアコンのある避難所に行けない人の事を思うととても心配でしたが、私たちシニアには他の人を助けに行く気持ちはあっても体力がついていけないのではと思い躊躇してしまいます。

シニアの皆さん、健康についての情報を取り入れ、なるべく丈夫な身体をキープし、災害時など若い人達に迷惑をかけないようにしたいですね。youtubeを始められたら、無料の健康呼吸法やバレエヨガ、小声でもできるカンツオーネ発声(私は、カンツオーネを車の中で大声で歌っていますが・・・。)レッスンを発信しますので見てくださいね。それから、歌はほんの5秒くらいですが、”facebook のアンドリウ野口浩子”で聴いてみてください。私はドイツ曲の方が心に響いて大好きなのですが、イタリア語ですと明るくお口をいっぱい開けて喉も開いて歌えて、とても健康的で良いと思います。“コーレ、コーレン、グラート”と歌っています。イタリア語はローマ字みたいですぐ歌えますよ。子供の頃から嫌いだった愛の歌ばかりでうんざりですが、意味は考えず、健康のため・・・。日本の民謡もなかなかいい発声で歌えるのがありますので、それもやってみたいです。若い方も、健康法に興味があったら一緒にバレエヨガや歌をやってみてくださいね。私は整体院の方の動画も見て学んでいますので、それらもわたしのヨガの参考にしています。呼吸法は、50年前頃読んだ『ヨガの楽園』という本から学び、習っていたバレエと合わせて少しずつ研究しています。

では、また長々書いてしまいました。すみません。次回は、寒さへの対処法を書いてみたいです。あまりにも目を酷使するので早くブログからYOUTUBEや TIKTOKに移りたあい〜!って思っているばあばです。 では、また〜。
ご質問は、いつでもコメント欄へどうぞ。





生まれる前の記憶を持っている人達!戦国時代・古墳時代の記憶も有。 アミノ酸のは? 

2022-10-02 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
生まれる前の記憶を持っている人たちがいると言う話は聞いたことがあるが、突然そのYouTubeが始まった。この方は、前世は戦国時代、その前は古墳時代に生まれていたとおっしゃっていた。

ということはアミノ酸だった時の記憶もある??
タンパク質を食べると体の中でアミノ酸に分解されるというが、私たちは食事をして、その食物を昔の自分の姿に戻してまた何かを形成するのに使っているの?

ある説明文では、『タンパク質は生体内のあらゆる場所に存在し、生命活動を支える最も重要な物質である。化学的に見れば,タンパク質は20種のL-a-アミノ酸が多数つながった高分子化合物に過ぎない。タンパク質は単なるアミノ酸の結合物ではなく、固有の立体構造と機能をもつ分子である。また,下に示すようにその形もさまざまである。』と書いてあった。

下はタンパク質・アミノ酸についての、ある写真。

こんな複雑さ〜〜〜!


この胎児の記憶のある方達の記憶を催眠術などを使うなどして調べさせていただければ、どのようにして魚から陸上動物に進化したのか。どのようにして太古の原子の海のアミノ酸スープの中から、単純な生命体になったのか、どんどん調べられると思いませんか?

私は、例えば指が5本あったほうがいいと思って片手が出来上がり、その出来上がる過程で親指は少し離れていた方が便利その距離があるぶん強くしようとか、それに合った長さの人差し指を作ろうとか思えばそうなる、というのが凄いことだと思います。小指などは、他の指を支えているのか?そして、余計な働きをして他の指を妨げぬよう短くなっているのかな?なんて疑問に思っているのですが、一番凄いと思うのは、右手がうまく造れた後、(右・左、どちらが先かはわからないけど)右手はパーフェクトに完成したが、反対側にも、もう1本あった方が便利だと思って、全く対照的な反対側の手も念力で作り始めたらしいということ。作るための設計図は頭の中にあり、作っているのは念力、その原材料は、その時々の体に取り入れられた食物(アミノのチェーンつまり鎖)?

聖書には、神がイエスを創造し、イエスはロゴス(言葉・神の代弁者)と呼ばれ、イエスが他のすべてのものを創造した(神から教わって)と書かれている。
進化論の反対?そもそも進化するという考え方は、進化ということ自体が何かの法則によって行われていてその法則を作ったのが神と言っている人もいる。前にも書いたが、’創世記によると神のいらっしゃる次元には時間はないらしい。

創世記1章4節
4 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、
15 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。
16 神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。
17 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、
18 昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。

聖書のある箇所には、”神には始まりも終わりもない”と書いてあります。
神というヘブライ語は、神たち(複数)エロヒムだったり、神(単数)エルだったりと二つあり、翻訳されるとややこしい。神の名前はまた別で旧約聖書には2700回以上出てくるらしい。天も第3の天もあるので、Heavens(天たち)と書かれている箇所もあるのに、日本語の聖書をちょっと読んで勝手に解釈する人もいるので要注意。ユダヤの1日の始まりは夕方らしいし、昔は中東では新年が4月の国や10月の国もあり、翻訳された聖書に書かれている言葉をそのまま信じると危い。翻訳者も知らなかったら??ちょっと怖いね。ユダヤ暦なんて書かれている文章にユダヤ暦のアダルの月とか書かれてていると「ああそう」
なんてそのまま覚えそう! でも危ない!ユダヤ暦の名前はまだ全部は発掘・発見されていない。半分以上は2500年前ごろにバビロンに捕囚になり、そこの月名をいただいて使っているのだから。バビロニア語でヘブライ語ではない。


ところで、話をアミノ酸に戻すと、
そもそもこんな複雑なアミノ酸をコントロールしたのなら、アミノ酸スープは、IQ知能指数も高かった?スープって何?鎖になってたの?なってなかったの? アミノ酸も1つからこんなに種類が増えたの?

体の中で重要な役割をするタンパク質(ニュースイッチから引用)
体の中で最も重要な役割をしているものの1つにタンパク質があります。タンパク質はアミノ酸が長くつながった鎖のような構造です。ヒトの体では20種類の異なったアミノ酸が利用されています。この中から2個がつながるだけでも400種類にもなりますが、通常は数千から数万、大きなものでは1億を超えるアミノ酸がつながってタンパク質を形成しています。つまり、タンパク質としての多様性は天文学的な数になるのです。

皆さんは手が完成する時には血管が少しずつ伸びていって栄養を運び細胞を増やし始めるのだと思いますか。中の骨と筋肉と皮膚と血管では、どれから先に出来上がったのですか?教えて〜。突然爪の生えた理由は?? 細胞はどんどん分裂して行くのですが、内臓などを形作る過程では、肺や心臓や胃や腎臓などになる時、まだそれほど高度な知性を持っていない頭脳でなければ(頭脳も進化中??)、何が(心?魂?)『それらの機能があれば完全な素晴らしいものになる。』と思ったと考えられますか?

進化論からすれば、その思う物が形を作り上げるわけですよね。心臓があると便利と思ったのか、いや先に胃袋があったほうがいいとか? 胃袋一つとっても、まだ未完成で気の遠くなるほどの時間をかけて完成されたのであれば、その期間、胃袋の建設工事中みたいなものですから体全体のバランスを保つのは大変ですよね。すべてが未完成みたいな体で生きていくのってミラクル!そもそも、そういう設計図はどうやって理解できたの?どこから来た発想? 

私たちの体は、今も未完成でどこかが、我々が感じられないほどの微妙な微量の変化を続けているのでしょうか。この地球の環境に合わせてもっと複雑ですばらしい体をつくる変化を永久に続けている? 私たちは無意識に潜在意識の中ですごいことを考え実行しているのでしょうか?

進化論のこの不思議さも、この何度も輪廻を繰り返していらっしゃる人の遠い記憶を辿っていく研究をすれば、解決するんじゃないでしょうか?彼らの記憶の元を辿れば、原始地球でただのアミノ酸だった記憶まで行けるのか?

この、胎児記憶のある方達の存在により、
この複雑アミノ酸の研究と、進化の複雑な
過程の解明に光が見えてきた!!??
〜〜のかな??  

だんだん訳がわからなくなってきた・・・?
ひろばあ、混乱中!