一句鑑賞

那の津

本日オフでした。

東区西戸崎の亡妻の実家のお寺に一人でお参りしてきました。

10年は行けませんでした。

真宗のお寺は昔より綺麗に掃除もされていて、納骨堂も掃除が行き届いていました。

義父母にご無沙汰を詫びました。妻のことも遅ればせながら報告しました。

そのお寺までの道中が私の心に青春時代を思い起こさせるので避けていたのかもしれませんが。

博多湾を形作る砂嘴が東区和白というところから、志賀島へと続いています。

昔はというか青春の頃は片側1車線の道路だけでした。現在は2倍以上の広さの道が快適にドライブできます。

想い出す場所ばかりでした・・・せっかく此処まで来たのでと、志賀島の一番高いところに潮見公園というのが昔からあります・・・たぶん40年ぶりに車で上りました。

手前は志賀島の山ですね(笑)

その向こうに平たく島みたいに見えるのが東区大岳というところで、以前は炭鉱がありました、義父はその職員でいたのです。社宅やぼた山も小さいながらあったのです。

その左手に細く伸びているところが・・・海の中道という場所ですね。左手が外海側で向こう側が博多湾です。

まったく霞んで見えませんが、博多の街方面を写しております。

すこしズームしてみました。細いところは片側1車線の道路上に海砂が風で吹きだまっています・・・この右手に行くと、私が立っている志賀島に入ります。短い橋が橋が架かっており大潮や風の強いときはたぶん今も、海水は外内で行き来しているかもしれません。

志賀島のすぐそばに見える島は、能古島(のこのしま)ですね。その右手に島らしきものが見えていますが、これは糸島方面です・・・福岡市西区最北端かな?

元寇の乱はまさしくこの眼下の海へと幾百幾千かの船が来襲したのですね。

この写真の右手方向の海岸の際には、蒙古塚といって地元漁民たちが流れ着いた蒙古兵の遺体を埋葬した場所もあります。

金印が発掘というか田を耕していて発見されたと聞いておりますが、その場所は蒙古塚からさらに右手方向へと志賀島を巻くように進めばあります。記念館だったかレプリカの展示もあったような・・・どうも記憶だけで書くと確定できません<(_ _)>

ま、それよりも長年の心の隅にあったものが晴れた気がしました。

志賀の浦に漁(いさり)する海人(あま)明けくれば

 浦み漕(こ)ぐらしかじ(舵)の音(ね)きこゆ

詳しくは画像の説明版をご覧ください。

古より湾を出れば対馬海峡、どれほどの人々が往来してきたのでしょうね。考えただけで気が遠くなります(笑)

昨年あたりからお隣の国からの旅行者がほぼセロとなっておりますが、コロナ後は大陸からもですけど、まあ長い目でみればほんの一瞬のことかもしれません。

自国の利益や指導者という政権の利益ばかりが前面に出てきますと、どうも視野が狭くなりきな臭くなるのが気になりますね。

昔は博多港は那の津と申しておりました。大陸や東南アジアとの経済文化の交わりのなかで、日本の中で特異な発展をした場所なんでしょうね。

 

と今夜は、歴史を少しばかり<m(__)m>

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