水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 のぶというなり
というわけで夏越の祓、無事に行われました。
といいましても神社へ参詣し茅の輪をくぐり、今を感謝しこの先の安寧を祈るのですね。
夏越の祓を行っている神社がない人は・・・え!こんなこと書いていいのか?
と思いましたが・・・・ふだん、自身が見ているもの・・・お気に入りの道端の、なんて言うんでしょうか、ちょっとした樹木や曲がり角に置いたある石とか、そんな気になって見ているものに軽い?いや重さではないのです・・・心の内のことですから。
そういったものを普段から見ていて、あ、今日も自分はこれらのものを見ながら仕事へ行っているとかですかね(-_-;)
よく言われる、八百万(やおおろず)の神・・・つまり目につく全てのものを神として心に写し取るというか・・・捉えるというか。単に転がっている石ころにも、つまり存在の価値を認めなさいというか・・・誰でも持っている感受性とでもいわないと・・・。
そういった万物への感謝と自らのとりあえずの健康との共感というか、それを確かめる一つの神事とでもいうのでしょう。
はてさて訳の分からないことをかいても仕方ないので、これにて。
今の教育に欠けているのは、こういったなんでもいいが、そういったものにも命や存在価値があるということを見て、自身を顧みる。
それにより自らの心の声が聞こえてくるようになり自我が芽生えるのだが・・・
おやすみ(^_^;)
読み直しても訳わかんない!