スオペイに載った陳金玉あぽの追悼文です。
これ以外にメンバーそれぞれの陳金玉あぽとの思い出を随時書いていけたらいいなと思っています。
2012年9月22日、海南島 戦時性暴力被害訴訟の原告のお一人、陳金玉さんが肝臓がんのため、保亭黎族苗族自治県のご自宅で娘さんにみとられて亡くなったというニュースを私たちが知ったのは10月6日でした。
2008年12月に本人尋問・結審、09年3月に高裁判決のため来日し、被害体験と彼女の思いを語ってくれた「あぽ」(海南島の少数民族の言葉で「おばあさん」の意)は、ハイナンNETメンバーにとって、一番長い時を一緒に過ごすことのできたあぽの一人でした。メンバーがそれぞれの思いを綴り、追悼文に代えさせていただきます。
●2009年3月26日高裁判決後の集会に参加した際、「この苦しみに絶えてきてこの苦しみをみなさんに知らせるために生きてこられたと思います。」と語っていたことが心に残っています。御冥福を心からお祈りします。
●笑顔がとびきりキュートで酒豪な陳金玉あぽ。ご自宅へお邪魔するとお手製のアルコール度数の高すぎるお酒で何度も乾杯し、ノックアウトさせてくれました。お酒を飲んで幸せそうなあぽの顔が今も目に浮かびます。
●あぽとは海南島のあぽの中で一番長い時間を過ごした。あぽは中国語を話せないことを気にせず、いつもわたし達に話しかけてきた。それがそのまま心に響いた。たくさん一緒に笑った。泣いた。また会えると思っていた。
●陳金玉あぽと初めて会ってその手に触れたとき、「慰安婦」問題がひとりの人の人生の話だという、当たり前のことに気づいた感覚を覚えています。でももう、その人生も終わってしまった。私はただ、呆然としています。
●あぽに出会えなかったら、いまの自分、いまの仲間はなかったと思うよ。生き抜いてくれて、出会わせてくれてありがとう。言葉も通じないのに、日本から来たのに受け入れてくれてありがとう。いつも心配してくれたあぽ。安心して眠れるように、できることを頑張っていくよ。
●あぽの笑顔も涙も怒りも凛とした姿も、一つひとつが心に強く残っています。私たちがあぽに出会えた衝撃と、あぽへの「ありがとう」を、周りの人たちに伝え、思い出のかけらをばらまいていきたいです。
これ以外にメンバーそれぞれの陳金玉あぽとの思い出を随時書いていけたらいいなと思っています。
2012年9月22日、海南島 戦時性暴力被害訴訟の原告のお一人、陳金玉さんが肝臓がんのため、保亭黎族苗族自治県のご自宅で娘さんにみとられて亡くなったというニュースを私たちが知ったのは10月6日でした。
2008年12月に本人尋問・結審、09年3月に高裁判決のため来日し、被害体験と彼女の思いを語ってくれた「あぽ」(海南島の少数民族の言葉で「おばあさん」の意)は、ハイナンNETメンバーにとって、一番長い時を一緒に過ごすことのできたあぽの一人でした。メンバーがそれぞれの思いを綴り、追悼文に代えさせていただきます。
●2009年3月26日高裁判決後の集会に参加した際、「この苦しみに絶えてきてこの苦しみをみなさんに知らせるために生きてこられたと思います。」と語っていたことが心に残っています。御冥福を心からお祈りします。
●笑顔がとびきりキュートで酒豪な陳金玉あぽ。ご自宅へお邪魔するとお手製のアルコール度数の高すぎるお酒で何度も乾杯し、ノックアウトさせてくれました。お酒を飲んで幸せそうなあぽの顔が今も目に浮かびます。
●あぽとは海南島のあぽの中で一番長い時間を過ごした。あぽは中国語を話せないことを気にせず、いつもわたし達に話しかけてきた。それがそのまま心に響いた。たくさん一緒に笑った。泣いた。また会えると思っていた。
●陳金玉あぽと初めて会ってその手に触れたとき、「慰安婦」問題がひとりの人の人生の話だという、当たり前のことに気づいた感覚を覚えています。でももう、その人生も終わってしまった。私はただ、呆然としています。
●あぽに出会えなかったら、いまの自分、いまの仲間はなかったと思うよ。生き抜いてくれて、出会わせてくれてありがとう。言葉も通じないのに、日本から来たのに受け入れてくれてありがとう。いつも心配してくれたあぽ。安心して眠れるように、できることを頑張っていくよ。
●あぽの笑顔も涙も怒りも凛とした姿も、一つひとつが心に強く残っています。私たちがあぽに出会えた衝撃と、あぽへの「ありがとう」を、周りの人たちに伝え、思い出のかけらをばらまいていきたいです。