10月17日の夜、海南島 戦時性暴力被害訴訟の原告、
林亜金さんが海南省保亭県の人民病院で亡くなりました。
89歳でした。
ずっと更新が滞っていますが、林亜金さんの証言は
ハイナンNETのウェブサイトに掲載されています。
以下、中国語ですがニュース記事のリンクを貼り付けます。
(文字化けするので、簡体字を適宜書き直しています)
保亭“慰安婦”林亜金去世,享年89歳 〔女也〕曾赴日本訴訟討公道 要求日本政府承認〔女也〕受到傷害的事実,并公開道歉
(タイトル仮訳:保亭県の「慰安婦」林亜金逝去、享年89歳 正義を訴え日本へ赴き、日本政府に彼女が受けた被害の事実の承認と謝罪を求めた女性)
2013年10月19日 南国都市報
瓊九旬“慰安婦”受害人下葬 対日訴訟僅存3老嫗
(タイトル仮訳:海南島の90歳の「慰安婦」被害者葬送される 日本に訴訟を起こした女性の生存者はわずか3名)
2013年10月19日 中国新聞網
記事の中の写真の多くは、海南島の裁判のために、
少数民族である原告の現地語(黎語)‐中国語の通訳として
陳金玉さんと一緒に来日された陳厚志さんが撮影されたものです。
陳金玉さんが昨年9月22日に亡くなられたことも、
ずっとご報告できていませんでした。
(中国人戦争被害者の要求を支える会の会報『すおぺい』には、
追悼の文章を書かせていただきました)
私にとって、林亜金さんは初めてお会いした海南島の被害女性でした。
2005年3月に東京地裁での本人尋問のために林亜金さんが来日される
こととなり、その前月に裁判の支援ネットワーク、ハイナンNETが
発足しました。なので、ハイナンNETが海南島の原告にお会いしたのも、
林亜金さんが初めてでした。
海南島の存在さえ知らなかったところから始まった裁判支援だったので、
裁判の傍ら、ハイナンNETメンバーの内部学習会なども重ねていました。
その中で林亜金さんが裁判で語られた被害の証言は、
それこそ、「私は何も知らなかったのだ」ということを
突きつけられるような、本当に衝撃的なものでした。
昨年末に海南島を訪れた際には、
笑顔の林亜金さんにお会いすることができました。
しかし、上にリンクを貼り付けた記事を見ると、
病床で苦難の日々や、受けた被害が忘れられないと
語っていたことが書かれています。
彼女の求めた日本政府が事実を認め謝罪する、
ということを実現できないまま亡くなられたことが本当に悔やまれます。
海南島の原告女性8名のうち、ご存命なのは、
黄有良さん、陳亜扁さん、玉民さんの3名となってしまいました。
彼女たちが人生の最後の時間を、
少しでも心穏やかに暮らせるよう願いながら、
微力ながらも活動を続けていこう、と思っています。
(みん)
林亜金さんが海南省保亭県の人民病院で亡くなりました。
89歳でした。
ずっと更新が滞っていますが、林亜金さんの証言は
ハイナンNETのウェブサイトに掲載されています。
以下、中国語ですがニュース記事のリンクを貼り付けます。
(文字化けするので、簡体字を適宜書き直しています)
保亭“慰安婦”林亜金去世,享年89歳 〔女也〕曾赴日本訴訟討公道 要求日本政府承認〔女也〕受到傷害的事実,并公開道歉
(タイトル仮訳:保亭県の「慰安婦」林亜金逝去、享年89歳 正義を訴え日本へ赴き、日本政府に彼女が受けた被害の事実の承認と謝罪を求めた女性)
2013年10月19日 南国都市報
瓊九旬“慰安婦”受害人下葬 対日訴訟僅存3老嫗
(タイトル仮訳:海南島の90歳の「慰安婦」被害者葬送される 日本に訴訟を起こした女性の生存者はわずか3名)
2013年10月19日 中国新聞網
記事の中の写真の多くは、海南島の裁判のために、
少数民族である原告の現地語(黎語)‐中国語の通訳として
陳金玉さんと一緒に来日された陳厚志さんが撮影されたものです。
陳金玉さんが昨年9月22日に亡くなられたことも、
ずっとご報告できていませんでした。
(中国人戦争被害者の要求を支える会の会報『すおぺい』には、
追悼の文章を書かせていただきました)
私にとって、林亜金さんは初めてお会いした海南島の被害女性でした。
2005年3月に東京地裁での本人尋問のために林亜金さんが来日される
こととなり、その前月に裁判の支援ネットワーク、ハイナンNETが
発足しました。なので、ハイナンNETが海南島の原告にお会いしたのも、
林亜金さんが初めてでした。
海南島の存在さえ知らなかったところから始まった裁判支援だったので、
裁判の傍ら、ハイナンNETメンバーの内部学習会なども重ねていました。
その中で林亜金さんが裁判で語られた被害の証言は、
それこそ、「私は何も知らなかったのだ」ということを
突きつけられるような、本当に衝撃的なものでした。
昨年末に海南島を訪れた際には、
笑顔の林亜金さんにお会いすることができました。
しかし、上にリンクを貼り付けた記事を見ると、
病床で苦難の日々や、受けた被害が忘れられないと
語っていたことが書かれています。
彼女の求めた日本政府が事実を認め謝罪する、
ということを実現できないまま亡くなられたことが本当に悔やまれます。
海南島の原告女性8名のうち、ご存命なのは、
黄有良さん、陳亜扁さん、玉民さんの3名となってしまいました。
彼女たちが人生の最後の時間を、
少しでも心穏やかに暮らせるよう願いながら、
微力ながらも活動を続けていこう、と思っています。
(みん)