とても勉強になる機会のお知らせです
お近くの方は是非に
ドキュメンタリー連続上映会
■ドキュメンタリー連続上映会「日本占領下の海南島で何があったか映像での報告」
期 間:2010年7月30日(金)~8月1日(日)12:00開場
※会場に、パネル「海南島で日本は何をしたのか」を展示します
会 場:リバティおおさか(大阪人権博物館)JR環状線芦原橋駅下車
参加費:1日1000円(入館料込み)2日以上2000円(入館料込み)
※高校生以下、無料(入館料100円は必要です)
※リバティおおさか入口で、「上映会参加」と伝えてください
上映作品:①『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』
②『「朝鮮報国隊』』
③『海南島月塘村虐殺』
7月30日(金)
13:00~ 「リバティおおさか(大阪人権博物館)で連続上映会を開催するにあたって」
斉藤日出治(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
13:10~ 解説「“南国の楽園”海南島までの距離をどう縮めるか?」
藤井幸之助(海南島近現代史研究会会員・コリアン・マイノリティ研究会世話人)
13:40~ 作品①上映
15:00~ 作品②上映
7月31日(土)
13:00~ 解説「海南島とわたし」斉藤日出治
13:30~ 作品③上映
14:25~ 作品①上映
8月1日(日)
13:00~ 解説「「朝鮮報国隊」について」
竹本昇(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
13:30~ 作品②上映
14:40~ 作品③上映
昨年2月~3月にリバティおおさか(大阪人権博物館)で開催が予定されていた、海南島近現代史研究会会員キムチョンミの報告「日本占領下の海南島で」などをふくむリバティセミナーが中止されました。
リバティおおさかの『広報誌りばてぃ』43号(2009年4月)に、
「海南島に関しては特別展もしくは企画展の開催を当館の理事会と展示企画委員会において延期を決定している
との理由で、大阪市市民局人権室からリバティセミナー開催は承認されませんでした……」
と書かれています。
リバティおおさかは、2004年7月21日から8月15日まで企画展「日本は海南島で何をしたのか」(主催:リバティおおさか。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)を開催すると、2003年末から広報しはじめましたが、開会50日まえに突然延期しました。 こんかいのドキュメンタリー連続上映会「日本占領下の海南島で何があったか 映像での報告」と会場でのパネル「海南島で日本は何をしたのか」の展示は、リバティおおさかで6年から延期され続けている企画展「日本は海南島で何をしたのか」の、すみやかな実現を企図しています。
このブログに2006年10月7日から4回連載した「企画展『海南島で日本は何をしたのか』」、2009年04月28日から5回連載した「大阪人権博物館での報告「日本占領下の海南島で」中止問題」、2009年5月3日から10回連載した「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」などをみてください。
ドキュメンタリー紹介
①『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』 紀州鉱山の真実を明らかにする会 企画・制作 65分
1939年2月、天皇ヒロヒトの命令で日本軍は海南島に奇襲上陸し、アジア・太平洋地域への侵略の基地としていきました。また軍の侵攻にあわせて多くの日本企業がこの島に侵入し、資源を略奪していきました。
日本軍に村を襲撃された海南島住民、日本の植民地朝鮮の監獄から海南島へ連行された「朝鮮報国隊」の人たち、アジアの各地から連行され酷使された人たち、また、「日本軍性奴隷」とされた人たちにとって、60年前の、日本政府・日本軍・日本企業による虐殺・暴行・略奪・人権侵害は、昨日のことです。
1945年8月までに、日本が海南島でおこなった侵略犯罪は、これまで、日本では、ほとんど明らかにされてきませんでした。アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、反日・抗日闘争の時代でした。その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていません。
②『「朝鮮報国隊』』 紀州鉱山の真実を明らかにする会 企画・制作 55分
朝鮮人獄中者を海南島で強制労働させようとする日本海軍の要請に応じた朝鮮総督府は、朝鮮各地の刑務所から獄中者をあつめ、「朝鮮報国隊」を組織し、1943年春から海南島に送り出しました。これは、日本政府の閣議決定にもとづくものでした。
約2000人の獄中者が海南島に連行されましたが、生きて故郷に戻ることのできた人は、わずかでした。
日本敗戦近くまでに生き残っていた人たちは、三亜市郊外の南丁に集められ、軍用道路建設、軍用洞窟掘りなどをさせられたあと、1945年夏に殺され、焼かれたり埋められたりしました。その人たちの名は、まだ、ひとりも明らかになっていません。
日本軍がいなくなってから、南丁は、そこで殺された朝鮮人を悼んで、「朝鮮村」と名づけられました。この黎族の村の人たちは、朝鮮人が虐殺されるのを目撃したと証言しています。「朝鮮村」には、いまも、多くの朝鮮人の遺骨が埋められています。
このドキュメンタリーでは、目撃者の証言・虐殺現場・強制労働現場(飛行場、鉱山、鉄道、鉄橋、軍用道路、軍用洞窟、特攻艇格納庫)、生還者の証言、旧日本兵の証言などを記録するとともに、2006年5月に紀州鉱山の真実を明らかにする会が試みた始めての科学的な「朝鮮村発掘」にいたる過程を報告しています。
③『海南島月塘村虐殺』 海南島近現代史研究会 企画・制作 45分
1939年2月10日、日本軍は、アジア太平洋地域の中心部に位置する海南島に奇襲上陸し1945年8月まで軍事占領を続けました。
沖縄戦のさなか、1945年農暦3月21日の明け方、日本海軍佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の日本兵は海南島東部の月塘村を襲い、4時間の間に、おおくの村人を殺傷しました。 この月塘村虐殺をふくむ、日本占領下の海南島各地における住民虐殺の事実は隠され続けており、みどり児や幼児や妊婦をふくむ村人を殺傷した日本軍司令官の名も日本兵の名も明らかにされていません。
1994年4月1日に、月塘村の村民は、
「月塘村村民に国際社会に公開で謝罪すること、幸存者と犠牲者家族に賠償すること、月塘村に死者を追悼する
記念館を建設し追悼式をおこうこと、焼失した家屋や強奪した財産を弁償すること」
を日本政府に要求する文書を出しました。
虐殺63年後の2008年農暦3月21日(4月26日)に、月塘村の村民は、190人の犠牲者すべての名を刻んだ追悼碑を建立しました。 このドキュメンタリーは、生き残った人びとの証言を、追悼碑建立にいたる日々に、のべ60日間にわたって記録したものです。
主 催:紀州鉱山の真実を明らかにする会 http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/
海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/

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■ドキュメンタリー連続上映会「日本占領下の海南島で何があったか映像での報告」
期 間:2010年7月30日(金)~8月1日(日)12:00開場
※会場に、パネル「海南島で日本は何をしたのか」を展示します
会 場:リバティおおさか(大阪人権博物館)JR環状線芦原橋駅下車
参加費:1日1000円(入館料込み)2日以上2000円(入館料込み)
※高校生以下、無料(入館料100円は必要です)
※リバティおおさか入口で、「上映会参加」と伝えてください
上映作品:①『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』
②『「朝鮮報国隊』』
③『海南島月塘村虐殺』
7月30日(金)
13:00~ 「リバティおおさか(大阪人権博物館)で連続上映会を開催するにあたって」
斉藤日出治(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
13:10~ 解説「“南国の楽園”海南島までの距離をどう縮めるか?」
藤井幸之助(海南島近現代史研究会会員・コリアン・マイノリティ研究会世話人)
13:40~ 作品①上映
15:00~ 作品②上映
7月31日(土)
13:00~ 解説「海南島とわたし」斉藤日出治
13:30~ 作品③上映
14:25~ 作品①上映
8月1日(日)
13:00~ 解説「「朝鮮報国隊」について」
竹本昇(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
13:30~ 作品②上映
14:40~ 作品③上映
昨年2月~3月にリバティおおさか(大阪人権博物館)で開催が予定されていた、海南島近現代史研究会会員キムチョンミの報告「日本占領下の海南島で」などをふくむリバティセミナーが中止されました。
リバティおおさかの『広報誌りばてぃ』43号(2009年4月)に、
「海南島に関しては特別展もしくは企画展の開催を当館の理事会と展示企画委員会において延期を決定している
との理由で、大阪市市民局人権室からリバティセミナー開催は承認されませんでした……」
と書かれています。
リバティおおさかは、2004年7月21日から8月15日まで企画展「日本は海南島で何をしたのか」(主催:リバティおおさか。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)を開催すると、2003年末から広報しはじめましたが、開会50日まえに突然延期しました。 こんかいのドキュメンタリー連続上映会「日本占領下の海南島で何があったか 映像での報告」と会場でのパネル「海南島で日本は何をしたのか」の展示は、リバティおおさかで6年から延期され続けている企画展「日本は海南島で何をしたのか」の、すみやかな実現を企図しています。
このブログに2006年10月7日から4回連載した「企画展『海南島で日本は何をしたのか』」、2009年04月28日から5回連載した「大阪人権博物館での報告「日本占領下の海南島で」中止問題」、2009年5月3日から10回連載した「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」などをみてください。

①『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』 紀州鉱山の真実を明らかにする会 企画・制作 65分
1939年2月、天皇ヒロヒトの命令で日本軍は海南島に奇襲上陸し、アジア・太平洋地域への侵略の基地としていきました。また軍の侵攻にあわせて多くの日本企業がこの島に侵入し、資源を略奪していきました。
日本軍に村を襲撃された海南島住民、日本の植民地朝鮮の監獄から海南島へ連行された「朝鮮報国隊」の人たち、アジアの各地から連行され酷使された人たち、また、「日本軍性奴隷」とされた人たちにとって、60年前の、日本政府・日本軍・日本企業による虐殺・暴行・略奪・人権侵害は、昨日のことです。
1945年8月までに、日本が海南島でおこなった侵略犯罪は、これまで、日本では、ほとんど明らかにされてきませんでした。アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、反日・抗日闘争の時代でした。その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていません。
②『「朝鮮報国隊』』 紀州鉱山の真実を明らかにする会 企画・制作 55分
朝鮮人獄中者を海南島で強制労働させようとする日本海軍の要請に応じた朝鮮総督府は、朝鮮各地の刑務所から獄中者をあつめ、「朝鮮報国隊」を組織し、1943年春から海南島に送り出しました。これは、日本政府の閣議決定にもとづくものでした。
約2000人の獄中者が海南島に連行されましたが、生きて故郷に戻ることのできた人は、わずかでした。
日本敗戦近くまでに生き残っていた人たちは、三亜市郊外の南丁に集められ、軍用道路建設、軍用洞窟掘りなどをさせられたあと、1945年夏に殺され、焼かれたり埋められたりしました。その人たちの名は、まだ、ひとりも明らかになっていません。
日本軍がいなくなってから、南丁は、そこで殺された朝鮮人を悼んで、「朝鮮村」と名づけられました。この黎族の村の人たちは、朝鮮人が虐殺されるのを目撃したと証言しています。「朝鮮村」には、いまも、多くの朝鮮人の遺骨が埋められています。
このドキュメンタリーでは、目撃者の証言・虐殺現場・強制労働現場(飛行場、鉱山、鉄道、鉄橋、軍用道路、軍用洞窟、特攻艇格納庫)、生還者の証言、旧日本兵の証言などを記録するとともに、2006年5月に紀州鉱山の真実を明らかにする会が試みた始めての科学的な「朝鮮村発掘」にいたる過程を報告しています。
③『海南島月塘村虐殺』 海南島近現代史研究会 企画・制作 45分
1939年2月10日、日本軍は、アジア太平洋地域の中心部に位置する海南島に奇襲上陸し1945年8月まで軍事占領を続けました。
沖縄戦のさなか、1945年農暦3月21日の明け方、日本海軍佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の日本兵は海南島東部の月塘村を襲い、4時間の間に、おおくの村人を殺傷しました。 この月塘村虐殺をふくむ、日本占領下の海南島各地における住民虐殺の事実は隠され続けており、みどり児や幼児や妊婦をふくむ村人を殺傷した日本軍司令官の名も日本兵の名も明らかにされていません。
1994年4月1日に、月塘村の村民は、
「月塘村村民に国際社会に公開で謝罪すること、幸存者と犠牲者家族に賠償すること、月塘村に死者を追悼する
記念館を建設し追悼式をおこうこと、焼失した家屋や強奪した財産を弁償すること」
を日本政府に要求する文書を出しました。
虐殺63年後の2008年農暦3月21日(4月26日)に、月塘村の村民は、190人の犠牲者すべての名を刻んだ追悼碑を建立しました。 このドキュメンタリーは、生き残った人びとの証言を、追悼碑建立にいたる日々に、のべ60日間にわたって記録したものです。

海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/