今年も日本政府の招聘により、元オーストラリア兵捕虜、元アメリカ兵捕虜、そしてそのご家族が来日します。
そこで10月2日に元オーストラリア兵捕虜との交流会、10月16日に元アメリカ兵捕虜との交流会を行います。
来日する元捕虜の方々のお名前とプロフィール、来日後のおもな行動予定などもわかりましたので、下記のPDFからご覧の上、是非ご参加ください。
http://powresearch.jp/news/?p=338
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元オーストラリア兵捕虜との交流会
2013.10.2(水) 於 東京麻布台セミナーハウス
2013 年 9 月 30 日~10 月 7 日、かつて日本軍によって捕えられたオーストラリア兵捕虜 4 人とその家族計 8人が来日します。2010 年度から始まった日本政府の招聘事業(草の根交流事業)による来日で、今回が第 4 回目となります。
日本の若い世代の中には、第二次世界大戦中日本がオーストラリアと戦ったことすら知らない人もいますが、両国が交戦したシンガポールやジャワなどでおよそ2万2千人のオーストラリア兵が日本軍の捕虜となりました。
彼らは東南アジア各地、そして日本国内にも送られ、強制労働と飢えや病の果てに約 8 千人が死亡しました。死亡率は 36%にも及びます。一見良好な関係にあるかに見える日豪の間に、実はこうした暗い歴史があることを、私たちはしっかりと認識する必要があります。
今回来日する元オーストラリア兵捕虜のうち3名は、「死の鉄道」と呼ばれた泰緬(タイメン)鉄道での過酷な労働を強いられた方です。また 1 名はニューアイルランド島で捕虜となり日本国内の収容所へ送られた方です。
彼らは幸い生き延びて祖国に帰ることができましたが、捕虜生活によって心身に刻まれた深い傷に、戦後も長く苦しんできました。それでも 90 歳を超えて、日本に対する複雑な感情を抱きながらも訪日を決意したのは、その体験を多くの日本人に伝え、和解の可能性を探りたいとの願いからです。
そこで 10 月 2 日(水)に元オーストラリア兵捕虜と、東京都内で市民交流集会を開催します。彼らの体験を語る生の声に真摯に耳を傾け、対話し、今私たちが日本人として何をしなければならないかを考える機会としたいと思います。会場には泰緬鉄道建設時に日本人写真家が撮影した、貴重な写真も展示します。
どうぞ皆様、お誘い合わせの上多数ご参加下さいますようご案内申し上げます。
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<日時>
2013 年 10 月 2 日(水)午後 2 時~4 時 30 分 (1時 30 分開場)
泰緬鉄道写真展示をご覧になる方は早めにお出でください。
<会場>
大阪経済法科大学「東京麻布台セミナーハウス」
3 階大研修室 (東京都港区麻布台 1-11-5 Tel: 03-3582-2922)
<交通>
東京メトロ日比谷線「神谷町」駅1番出口から地上に出て左、道なりに徒歩5分、飯倉交差点手前
<参加費> 500 円 (カンパ大歓迎)
<主催> 元捕虜・家族と交流する会(代表:福林徹 ・笹本妙子)
*事前に参加連絡いただけると助かります。
高田 mime388@nifty.com 笹本 kiki@ee.catv-yokohama.ne.jp
<協力> POW研究会(代表:内海愛子) http://www.powresearch.jp/jp/about/index.html
来日元オーストラリア兵捕虜プロフィール
■チャールズ・アーサー・エドワーズさん(Mr. Charles Arthur Edwards)
95 歳 ビクトリア州
42.1.マレーシア・ジョホール州パリットスロンで捕虜に。
42.9.シンガポールに送られ、チャンギ、ハヴェロック・ロード、リバーバレーロードなどの収容所に収容。
43.2 末、泰緬鉄道に送られ、いくつもの収容所を転々としながら建設工事に従事。
44.5.鉄道完成とともに、再びシンガポールのリバーバレーロードへ。44.7 羅津丸で日本へ。
44.9大浜収容所に収容。ここで終戦。
■ジョージ・ウィリアム・“ピーター”・ディクソンさん(Mr. George William “Peter” Dixon) 92 歳 クイーンズランド州
42.1.ニューアイルランド島カヴィエンで捕虜となる。
42.7.ラバウルから鳴門丸で日本へ。善通寺収容所に収容。
45.6.花岡収容所(秋田県)に移送。ここで終戦。
■アディ・グレン・ロックリフさん(Mr. Adye Glen Rockliff )
91 歳 タスマニア州
42.3.ジャワで捕虜となる。
42.8.ジャワ第1分所(バンドン)に収容。
42.11.ジャワ本所(バタビア)に移送。43.1.泰緬
鉄道に送られ、いくつもの収容所を転々としながら建設工事に従事。
44.7 羅津丸で日本へ。
44.9.大浜収容所に収容。ここで終戦。
■アレキサンダー・ホワイトさん(Mr. Alexander White)
92 歳 ニューサウスウェールズ州
42.2.シンガポールで捕虜となり、チャンギ、ブキテマ、アダムパーク、ローンロードの収容所を転々とする。
43.3.泰緬鉄道に移送され、タルサオ、タンピ、トンチャンの収容所を転々としながら建設工事に従事。鉄道完成後、タマルカンに戻り、その後ナコムパトム捕虜病院に入院。45.4.退院し、列車にてバンポンから南下、Prachab Kirikan、更に Mergui Road で労働。その後、ナコムパトム収容所に戻り、ここで終戦。
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元アメリカ兵捕虜との交流会
2013.10.16(水) 於 東京麻布台セミナーハウス
10 月 13 日~21 日、第2次大戦中に日本軍によって捕えられた元アメリカ兵捕虜 4 人と元アメリカ兵捕虜未亡人 3 人、そしてその家族計 13 人が来日します。2010 年度から始まった日本政府の招聘事業:草の根交流事業による来日で、今回が第 4 回目となります。
元アメリカ兵捕虜は、フィリピンやグアム島などで捕虜となり、悲惨な「地獄船」で日本や台湾、朝鮮、満州(現・中国東北地方)に送られました。いずれも過酷な労働を経験し、多くの仲間を飢えや病の果てに失いました。
彼らは幸い生き延びて祖国に帰ることができましたが、捕虜生活によって心身に刻まれた深い傷に、戦後も長く苦しんできました。それでも 90 歳を超えて、日本に対する複雑な感情を抱きながらも訪日を決意したのは、その体験を多くの日本人に伝え、和解の可能性を探りたいとの願いからです。
そこで 10 月 16 日(水)に元アメリカ兵捕虜および元捕虜未亡人と、東京都内で市民交流集会を開催します。
彼らの体験を語る生の声に真摯に耳を傾け、対話し、今私たちが日本人として何をしなければならないのかを考える機会としたいと思います。どうぞ皆様、お誘い合わせの上多数ご参加下さいますようご案内申し上げます。
なお、10月19日(土)に京都でも市民交流集会が行われる予定ですが、詳細は追ってお知らせします。
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<日時>
2013 年 10 月 16 日(水)午後 2 時~4 時 30 分(1時 30 分開場)
<会場>
大阪経済法科大学「東京麻布台セミナーハウス」
3 階大研修室 (東京都港区麻布台 1-11-5 Tel: 03-3582-2922)
<交通>
東京メトロ日比谷線「神谷町」駅1番出口から地上に出て左、道なりに徒歩5分、飯倉交差点手前
<参加費> 500 円 (カンパ大歓迎)
<主催> 元捕虜・家族と交流する会
(代表:福林徹 ・笹本妙子)
*事前に参加連絡いただけると助かります。
高田 mime388@nifty.com 笹本 kiki@ee.catv-yokohama.ne.jp
<協力> POW研究会(代表:内海愛子)
http://www.powresearch.jp/jp/about/index.html
来日元捕虜プロフィール
■ロバート・ヘーアさん(Mr. Robert Heer)元捕虜 92 歳
フィリピンで捕虜→42.9「りま丸」で台湾へ→花蓮港収容所→屏東収容所→台北収容所→45 初頭日本へ→亀田収容所(北海道)→45.5 赤平収容所(北海道)
■フィリップ・クーンさん(Mr. Phillip Coon)元捕虜 94 歳
フィリピンで捕虜→44.10「北鮮丸」で台湾へ→員林収容所→45.1「めるぼるん丸」で日本へ→小坂収容所(秋田)
■マーヴィン・ロスランスキーさん(Mr. Marvin Roslansky) 元捕虜 91 歳
グアム島で捕虜→42.1「あるぜんちな丸」で日本へ→善通寺収容所
■アーウィン・ジョンソンさん(Mr. Erwin Johnson) 元捕虜 92 歳
フィリピンで捕虜→42.10「鳥取丸」で釜山へ→奉天収容所
■マージーン・マクグルーさん(Mrs. Marjean McGrew) 元捕虜の未亡人 86 歳
夫は Alfred McGrew: コレヒドールで捕虜→「能登丸」で日本へ→大森収容所(東京)?→川崎(5D)?→諏訪収容所(長野)
■エッサー・ジェニングスさん(Mrs. Esther Jennings) 元捕虜の未亡人 90 歳
夫は Clinton Jennings: 大牟田収容所(福岡県)? 宮田収容所(福岡県)?
■ローラ・クミンズさん(Mrs. Lora Cummins) 元捕虜の未亡人 87 歳
夫は Ferron Cummins: 向島収容所(広島県)
そこで10月2日に元オーストラリア兵捕虜との交流会、10月16日に元アメリカ兵捕虜との交流会を行います。
来日する元捕虜の方々のお名前とプロフィール、来日後のおもな行動予定などもわかりましたので、下記のPDFからご覧の上、是非ご参加ください。
http://powresearch.jp/news/?p=338
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元オーストラリア兵捕虜との交流会
2013.10.2(水) 於 東京麻布台セミナーハウス
2013 年 9 月 30 日~10 月 7 日、かつて日本軍によって捕えられたオーストラリア兵捕虜 4 人とその家族計 8人が来日します。2010 年度から始まった日本政府の招聘事業(草の根交流事業)による来日で、今回が第 4 回目となります。
日本の若い世代の中には、第二次世界大戦中日本がオーストラリアと戦ったことすら知らない人もいますが、両国が交戦したシンガポールやジャワなどでおよそ2万2千人のオーストラリア兵が日本軍の捕虜となりました。
彼らは東南アジア各地、そして日本国内にも送られ、強制労働と飢えや病の果てに約 8 千人が死亡しました。死亡率は 36%にも及びます。一見良好な関係にあるかに見える日豪の間に、実はこうした暗い歴史があることを、私たちはしっかりと認識する必要があります。
今回来日する元オーストラリア兵捕虜のうち3名は、「死の鉄道」と呼ばれた泰緬(タイメン)鉄道での過酷な労働を強いられた方です。また 1 名はニューアイルランド島で捕虜となり日本国内の収容所へ送られた方です。
彼らは幸い生き延びて祖国に帰ることができましたが、捕虜生活によって心身に刻まれた深い傷に、戦後も長く苦しんできました。それでも 90 歳を超えて、日本に対する複雑な感情を抱きながらも訪日を決意したのは、その体験を多くの日本人に伝え、和解の可能性を探りたいとの願いからです。
そこで 10 月 2 日(水)に元オーストラリア兵捕虜と、東京都内で市民交流集会を開催します。彼らの体験を語る生の声に真摯に耳を傾け、対話し、今私たちが日本人として何をしなければならないかを考える機会としたいと思います。会場には泰緬鉄道建設時に日本人写真家が撮影した、貴重な写真も展示します。
どうぞ皆様、お誘い合わせの上多数ご参加下さいますようご案内申し上げます。
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<日時>
2013 年 10 月 2 日(水)午後 2 時~4 時 30 分 (1時 30 分開場)
泰緬鉄道写真展示をご覧になる方は早めにお出でください。
<会場>
大阪経済法科大学「東京麻布台セミナーハウス」
3 階大研修室 (東京都港区麻布台 1-11-5 Tel: 03-3582-2922)
<交通>
東京メトロ日比谷線「神谷町」駅1番出口から地上に出て左、道なりに徒歩5分、飯倉交差点手前
<参加費> 500 円 (カンパ大歓迎)
<主催> 元捕虜・家族と交流する会(代表:福林徹 ・笹本妙子)
*事前に参加連絡いただけると助かります。
高田 mime388@nifty.com 笹本 kiki@ee.catv-yokohama.ne.jp
<協力> POW研究会(代表:内海愛子) http://www.powresearch.jp/jp/about/index.html
来日元オーストラリア兵捕虜プロフィール
■チャールズ・アーサー・エドワーズさん(Mr. Charles Arthur Edwards)
95 歳 ビクトリア州
42.1.マレーシア・ジョホール州パリットスロンで捕虜に。
42.9.シンガポールに送られ、チャンギ、ハヴェロック・ロード、リバーバレーロードなどの収容所に収容。
43.2 末、泰緬鉄道に送られ、いくつもの収容所を転々としながら建設工事に従事。
44.5.鉄道完成とともに、再びシンガポールのリバーバレーロードへ。44.7 羅津丸で日本へ。
44.9大浜収容所に収容。ここで終戦。
■ジョージ・ウィリアム・“ピーター”・ディクソンさん(Mr. George William “Peter” Dixon) 92 歳 クイーンズランド州
42.1.ニューアイルランド島カヴィエンで捕虜となる。
42.7.ラバウルから鳴門丸で日本へ。善通寺収容所に収容。
45.6.花岡収容所(秋田県)に移送。ここで終戦。
■アディ・グレン・ロックリフさん(Mr. Adye Glen Rockliff )
91 歳 タスマニア州
42.3.ジャワで捕虜となる。
42.8.ジャワ第1分所(バンドン)に収容。
42.11.ジャワ本所(バタビア)に移送。43.1.泰緬
鉄道に送られ、いくつもの収容所を転々としながら建設工事に従事。
44.7 羅津丸で日本へ。
44.9.大浜収容所に収容。ここで終戦。
■アレキサンダー・ホワイトさん(Mr. Alexander White)
92 歳 ニューサウスウェールズ州
42.2.シンガポールで捕虜となり、チャンギ、ブキテマ、アダムパーク、ローンロードの収容所を転々とする。
43.3.泰緬鉄道に移送され、タルサオ、タンピ、トンチャンの収容所を転々としながら建設工事に従事。鉄道完成後、タマルカンに戻り、その後ナコムパトム捕虜病院に入院。45.4.退院し、列車にてバンポンから南下、Prachab Kirikan、更に Mergui Road で労働。その後、ナコムパトム収容所に戻り、ここで終戦。
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元アメリカ兵捕虜との交流会
2013.10.16(水) 於 東京麻布台セミナーハウス
10 月 13 日~21 日、第2次大戦中に日本軍によって捕えられた元アメリカ兵捕虜 4 人と元アメリカ兵捕虜未亡人 3 人、そしてその家族計 13 人が来日します。2010 年度から始まった日本政府の招聘事業:草の根交流事業による来日で、今回が第 4 回目となります。
元アメリカ兵捕虜は、フィリピンやグアム島などで捕虜となり、悲惨な「地獄船」で日本や台湾、朝鮮、満州(現・中国東北地方)に送られました。いずれも過酷な労働を経験し、多くの仲間を飢えや病の果てに失いました。
彼らは幸い生き延びて祖国に帰ることができましたが、捕虜生活によって心身に刻まれた深い傷に、戦後も長く苦しんできました。それでも 90 歳を超えて、日本に対する複雑な感情を抱きながらも訪日を決意したのは、その体験を多くの日本人に伝え、和解の可能性を探りたいとの願いからです。
そこで 10 月 16 日(水)に元アメリカ兵捕虜および元捕虜未亡人と、東京都内で市民交流集会を開催します。
彼らの体験を語る生の声に真摯に耳を傾け、対話し、今私たちが日本人として何をしなければならないのかを考える機会としたいと思います。どうぞ皆様、お誘い合わせの上多数ご参加下さいますようご案内申し上げます。
なお、10月19日(土)に京都でも市民交流集会が行われる予定ですが、詳細は追ってお知らせします。
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<日時>
2013 年 10 月 16 日(水)午後 2 時~4 時 30 分(1時 30 分開場)
<会場>
大阪経済法科大学「東京麻布台セミナーハウス」
3 階大研修室 (東京都港区麻布台 1-11-5 Tel: 03-3582-2922)
<交通>
東京メトロ日比谷線「神谷町」駅1番出口から地上に出て左、道なりに徒歩5分、飯倉交差点手前
<参加費> 500 円 (カンパ大歓迎)
<主催> 元捕虜・家族と交流する会
(代表:福林徹 ・笹本妙子)
*事前に参加連絡いただけると助かります。
高田 mime388@nifty.com 笹本 kiki@ee.catv-yokohama.ne.jp
<協力> POW研究会(代表:内海愛子)
http://www.powresearch.jp/jp/about/index.html
来日元捕虜プロフィール
■ロバート・ヘーアさん(Mr. Robert Heer)元捕虜 92 歳
フィリピンで捕虜→42.9「りま丸」で台湾へ→花蓮港収容所→屏東収容所→台北収容所→45 初頭日本へ→亀田収容所(北海道)→45.5 赤平収容所(北海道)
■フィリップ・クーンさん(Mr. Phillip Coon)元捕虜 94 歳
フィリピンで捕虜→44.10「北鮮丸」で台湾へ→員林収容所→45.1「めるぼるん丸」で日本へ→小坂収容所(秋田)
■マーヴィン・ロスランスキーさん(Mr. Marvin Roslansky) 元捕虜 91 歳
グアム島で捕虜→42.1「あるぜんちな丸」で日本へ→善通寺収容所
■アーウィン・ジョンソンさん(Mr. Erwin Johnson) 元捕虜 92 歳
フィリピンで捕虜→42.10「鳥取丸」で釜山へ→奉天収容所
■マージーン・マクグルーさん(Mrs. Marjean McGrew) 元捕虜の未亡人 86 歳
夫は Alfred McGrew: コレヒドールで捕虜→「能登丸」で日本へ→大森収容所(東京)?→川崎(5D)?→諏訪収容所(長野)
■エッサー・ジェニングスさん(Mrs. Esther Jennings) 元捕虜の未亡人 90 歳
夫は Clinton Jennings: 大牟田収容所(福岡県)? 宮田収容所(福岡県)?
■ローラ・クミンズさん(Mrs. Lora Cummins) 元捕虜の未亡人 87 歳
夫は Ferron Cummins: 向島収容所(広島県)