ご報告が遅くなって申し訳ありません
1月16日から18日まで、ハイナンNETは黄さんと一緒に国会議員への要請行動を
行った。本来二日間の予定であったが議員の都合がつかず三日間となった。黄さ
んが会った議員は、16日に東順治(公明)・藤井勇治(自民)、17日に福島瑞穂
(社民)・紙智子(共産)、18日に今野東(民主)・岡崎トミ子(民主)・中森
福代(自民)の7名。遠く南国の海南島から真冬の東京に来られ、ホテルに缶詰に
なりながら証言の打ち合わせを行い、法廷で3時間もの証言を行っていた彼女にと
って、体力的にも精神的にもかなり負担であったはずであるが、黄さんは気丈に
要請行動をこなした。
私は16、17日に黄さんと同行した。16日の午後二時、参院議員会館ロビーで会
った黄さんは明るく笑っていたがちょっと元気が無さそうである。ホテルでマッ
サージをしてくれた田中さんは脈が少し乱れているのであまり負担のないように
とアドバイスをしてくれた。
この日同行したハイナンNETメンバーは6名以上いたので東順治議員の部屋は
、ぎゅうぎゅう詰めになった。東議員は予想以上に、黄さんや弁護士に細かな質
問を浴びせた。
黄さんはそれに一つ一つはっきりと答えていた。
東議員は「国家は過去の事にしたい」であろうし難しいと語った。
その後、藤井議員と会った。
彼は東議員のように質問をあまりせず、代わりに自民党の加藤紘一議員に話をし
ておくと言った。与党議員の腰の重さを見せ付けられた。
夕方、飯田橋のホテルに戻った。毎日新聞の記者が取材に来て黄さんや私たち
にインタビューをして帰った。その後ホテルでご飯を食べ、黄さんの部屋にしば
らくお邪魔した。通訳の胡さんはカバンからビニール袋を取り出した。中にはビ
ンロウが4つ入っている。どうやって入管を通過したのか不思議であったが、私た
ちも勧められた。彼女は「ビンロウは男から女へわたし、好きなら食べるのだが
そうじゃなきゃ返すんだ」と言ってわらった。この日、中国人「慰安婦」を支え
る会の佐藤さんがお土産をもって来てくださった。一連の行動にカンパもいただ
きました。ありがとう! その後、しばらくリー語を習う。日本で一番リー語に
詳しく慣れるかもしれない。
翌17日。黄さんをどこにも連れて行けないかもしれないと思い、私たちはお昼
に都庁の展望台に案内した。ここなら負担も最小限ですむだろう。
二人を高速エレベーターに乗せる。展望台の窓際からは関東一円が一望できる
。外を眺めて黄さんが一言。「今までこんなに多くの家があるのを見たことが無
い」。彼女は富士山を見たいと言っていたから連れてきたのだが、「小さい」と
いったきりあまり興味を引かなかったようだ。展望台からでも富士山は三センチ
ぐらいの出っ張りにしか見えない。「あの山の向こうにも日本人は住んでいるの
か?」「田んぼが無いがどうやって食べているのか?」と始終不思議そうであっ
た。
午後に議員会館で福島議員と紙議員に会う。部屋で黄さんは毛糸の帽子を落と
しそれを拾おうとして頭をぶつけ「あはは」と笑った。
彼女はきっぱりとこういった。「目的は支援してくれる人や日本の人に真実を
知ってもらう事。そうした問題解決に繋がらなければ、わたしはきた意味が無か
ったと思う。法律で解決してほしい。すべて人は法の前に平等なのだから」。昨
日より饒舌であった。彼女は自らの被害についても語った。「周りの人からの悪
口は常にあります。ずっと言われてきたし、今もあります。お前の母さんは日本
の売春婦だ、など。自分だけでなく子ども達もいじめられる」。
議員会館の食堂で昼食を取る。彼女は八宝菜にした。ご飯を残さず平らげ杏仁
豆腐も食べた黄さんは爪楊枝で歯を掃除している。頭上にあるスピーカーから放
送が聞こえると、誰が話したのかと驚いていた。
その後、紙議員と会った。赤旗の記者も同席し、一番大掛かりだった。黄さん
は被害をせつせつと訴えた。法廷で証言できてよかった、と言ったあたりで泣き
出してしまった。何枚もティッシュを手にして涙をぬぐっていた。
黄さんは二日間、議員と会って自分の意見をはっきりと主張した。何度も、真
実を認めてほしい、法律による謝罪・補償が必要だ、と語った。議員の質問にも
自分の言葉できっぱりと答えている。また他人に対してとても気を配る人である
。タクシーでホテルに戻るとき、あいつは今日は時間がないと言っていたがタク
シー乗らなくて大丈夫だろうか、という独り言をぽつりと漏らしていた。あるハ
イナンNETメンバーを心配して言ったのであった。
議員へのロビー活動をしていて、やはり被害者本人が働きかけなければならな
い理不尽さを思わずにいられない。日本社会で一刻も早く支援の輪を広げなけれ
ば。

1月16日から18日まで、ハイナンNETは黄さんと一緒に国会議員への要請行動を
行った。本来二日間の予定であったが議員の都合がつかず三日間となった。黄さ
んが会った議員は、16日に東順治(公明)・藤井勇治(自民)、17日に福島瑞穂
(社民)・紙智子(共産)、18日に今野東(民主)・岡崎トミ子(民主)・中森
福代(自民)の7名。遠く南国の海南島から真冬の東京に来られ、ホテルに缶詰に
なりながら証言の打ち合わせを行い、法廷で3時間もの証言を行っていた彼女にと
って、体力的にも精神的にもかなり負担であったはずであるが、黄さんは気丈に
要請行動をこなした。
私は16、17日に黄さんと同行した。16日の午後二時、参院議員会館ロビーで会
った黄さんは明るく笑っていたがちょっと元気が無さそうである。ホテルでマッ
サージをしてくれた田中さんは脈が少し乱れているのであまり負担のないように
とアドバイスをしてくれた。
この日同行したハイナンNETメンバーは6名以上いたので東順治議員の部屋は
、ぎゅうぎゅう詰めになった。東議員は予想以上に、黄さんや弁護士に細かな質
問を浴びせた。
黄さんはそれに一つ一つはっきりと答えていた。
東議員は「国家は過去の事にしたい」であろうし難しいと語った。
その後、藤井議員と会った。
彼は東議員のように質問をあまりせず、代わりに自民党の加藤紘一議員に話をし
ておくと言った。与党議員の腰の重さを見せ付けられた。
夕方、飯田橋のホテルに戻った。毎日新聞の記者が取材に来て黄さんや私たち
にインタビューをして帰った。その後ホテルでご飯を食べ、黄さんの部屋にしば
らくお邪魔した。通訳の胡さんはカバンからビニール袋を取り出した。中にはビ
ンロウが4つ入っている。どうやって入管を通過したのか不思議であったが、私た
ちも勧められた。彼女は「ビンロウは男から女へわたし、好きなら食べるのだが
そうじゃなきゃ返すんだ」と言ってわらった。この日、中国人「慰安婦」を支え
る会の佐藤さんがお土産をもって来てくださった。一連の行動にカンパもいただ
きました。ありがとう! その後、しばらくリー語を習う。日本で一番リー語に
詳しく慣れるかもしれない。
翌17日。黄さんをどこにも連れて行けないかもしれないと思い、私たちはお昼
に都庁の展望台に案内した。ここなら負担も最小限ですむだろう。
二人を高速エレベーターに乗せる。展望台の窓際からは関東一円が一望できる
。外を眺めて黄さんが一言。「今までこんなに多くの家があるのを見たことが無
い」。彼女は富士山を見たいと言っていたから連れてきたのだが、「小さい」と
いったきりあまり興味を引かなかったようだ。展望台からでも富士山は三センチ
ぐらいの出っ張りにしか見えない。「あの山の向こうにも日本人は住んでいるの
か?」「田んぼが無いがどうやって食べているのか?」と始終不思議そうであっ
た。
午後に議員会館で福島議員と紙議員に会う。部屋で黄さんは毛糸の帽子を落と
しそれを拾おうとして頭をぶつけ「あはは」と笑った。
彼女はきっぱりとこういった。「目的は支援してくれる人や日本の人に真実を
知ってもらう事。そうした問題解決に繋がらなければ、わたしはきた意味が無か
ったと思う。法律で解決してほしい。すべて人は法の前に平等なのだから」。昨
日より饒舌であった。彼女は自らの被害についても語った。「周りの人からの悪
口は常にあります。ずっと言われてきたし、今もあります。お前の母さんは日本
の売春婦だ、など。自分だけでなく子ども達もいじめられる」。
議員会館の食堂で昼食を取る。彼女は八宝菜にした。ご飯を残さず平らげ杏仁
豆腐も食べた黄さんは爪楊枝で歯を掃除している。頭上にあるスピーカーから放
送が聞こえると、誰が話したのかと驚いていた。
その後、紙議員と会った。赤旗の記者も同席し、一番大掛かりだった。黄さん
は被害をせつせつと訴えた。法廷で証言できてよかった、と言ったあたりで泣き
出してしまった。何枚もティッシュを手にして涙をぬぐっていた。
黄さんは二日間、議員と会って自分の意見をはっきりと主張した。何度も、真
実を認めてほしい、法律による謝罪・補償が必要だ、と語った。議員の質問にも
自分の言葉できっぱりと答えている。また他人に対してとても気を配る人である
。タクシーでホテルに戻るとき、あいつは今日は時間がないと言っていたがタク
シー乗らなくて大丈夫だろうか、という独り言をぽつりと漏らしていた。あるハ
イナンNETメンバーを心配して言ったのであった。
議員へのロビー活動をしていて、やはり被害者本人が働きかけなければならな
い理不尽さを思わずにいられない。日本社会で一刻も早く支援の輪を広げなけれ
ば。