(続き)アポの家に着くと、祈祷師が大きな葉っぱと紙を燃やし、灰を赤いバケツの水に入れている。
家族は、泣き叫ぶ葬式が一段落して、家の前に静かに思い思いに座っている。
私もアポ家族の輪の中に座って暫しぼんやりしていると、私の隣に座っていたアポの孫娘が、
「これでもう二度とアポとは会えなくなるね」と力なくつぶやいた。私は、あまりにも賑やか(と言ったら不謹慎だが)で伝統的な葬式に圧倒されっぱなしだったのが、やっと気持ちが落ち着き、ようやくアポが死んだという実感が急に沸きあがり、涙が出てきた。
忙しく葬式を取り仕切って歩き回っているアメイが、通り過ぎざまに「はい!水!」と言って冷たい水を渡してくれた。「謝謝」と言って、しばらく隣の孫娘と二人で静かに泣いた。
書記が立ち上がり、リー語で何かまくしたてている。なにやら「イッブン イッブン」と言っているので日本の事についてまた何かわめいているらしい。それに同調するように親族のおじさんも「イッブンなんたらかんたら!」と言い始める。すると、アポの孫娘たちがすごい剣幕でそのおじさんに何やら言い返し、おじさんは黙り込んでしまった。
するとまた書記が歩み出てきて、座っている私の顔の前に、でかい腹を突き出して立ちはだかった。今度は私に対して普通語で、「日本政府は、やった悪行を認めることもせず、まことにけしからん!」と唾をバシバシ飛ばし、まくしたて始めた。書記の口から唾と共に飛び出した何かの粒が私の腕にくっついた。
私はそれを中指で弾いて、腕を拭いてから、「そうですね、早く謝罪と賠償をすべきですね」と一言答えた。すると書記は、今まさにそれを自分が言おうとしてたのに…と言った感じで「そ、そうだ!」と言ったきり話すことが無くなり、「フン!まったく」とか言いながら家の脇の方へのしのし去っていった。
祈祷師の聖なるバケツの水が準備完了した。
アポの孫に促され、水で手や肩や足を禊ぐ。家族達が次から次へと禊ぎに来る。
その時、何人もから、「この水で手を洗うんだよ」「こうやって手を洗うんだよ」とやたら声をかけられ、そのたびに「うん、もう洗ったよ」と答えた。
その時は、お葬式の後で禊ぎをしない人がいると霊がとりつく、とかいうのをみんな心配してるのかなぁ…くらいにしか思わなかったが。
今思うと、もしかしたらアポの家族は、書記に怒鳴られている私を気の毒に思って気を使って話しかけてくれたのかなぁ。
葬式が終わり、テレビ局の人達はアポの末娘にインタビューをしてから、書記と一緒に、さっさと去って行った。
親族はまたみんなで丸いテーブルを囲み肉の多い食事をしてから、解散した。
アメイは、「あ~疲れた。」と言うので、「休憩しよう」と言うと、「アヒルの面倒を見に行かなきゃ。一緒に見に行こう」と言うので坂の下の小川のほとりまで歩いて行った。
本当は、お葬式の後7日間は、家族は仕事を休むという習慣なのだそうだ。でも、アヒルの世話やゴムの木の採取などは毎日やらなければならないので、アメイ達は休めない。
小川のほとりのアヒル小屋には、400羽くらいの茶色や黒や白のアヒル達が「グァグァグァ」と鳴きながらひしめいていた。鳩や鶏も何羽か混ざっていた。鳩もアメイ達が飼っているやつで、どこかに飛んでいっても、またアヒル小屋にちゃんと戻って来るのだそうだ。
アメイ弟がバイクに積んだ重いエサ袋三個を下ろし、外に出てきたアヒル達に餌をやる。
最初に一羽4.5元で買った雛アヒルは1000羽いたそうだが、最近の酷暑で小さいアヒル3~400羽が死んでしまったそうだ。「今年は暑すぎる。せっかく飼っても半分近く死んだ。ほとんど利益がないよ」と弟が言った。
アヒル達は餌を食べ終えると小川の方へ向かった。
アメイが、先っぽに赤いビニールの切れをつけた長い竿を持って小屋の裏へと降りていった。
弟に「あっち側から降りて見て来なよ」と言われ、私も降りていくと、河辺の下流に出た。小川には大量のアヒル達がプカプカ浮きながら、ガァガァひしめき合っている。上流にいるアメイが、竿を振り下ろしながら、「ほぉ~い!ほぉ~い!」と叫んでアヒル達を下流に追い立てている。
川の中をこっちにむかって歩きながらアメイが「アヒルを陸に追い立てて」と叫んでいる。
私も小川の中州の石に立って、両手を広げて「ほぉ~い!ほぉ~い!」とアヒルを追い立てる。
下流のアヒル達は私を見て慌てて上流へ上がろうとするが既に上流からもアヒル達が押し寄せてきていてプカプカ右往左往している。慌てて川の苔石を這い上がろうとして足がすべって転んでいるアヒルの後ろから、他のアヒルが慌てて来て、また同じ石の上ですべって転んで、また次のアヒルが同じ石で同じようにすべって転んでいる。
前の人が転んでるの見えてるんだから、その石よけて進めばいいのに…と思いながらずっとそれを眺めていた。私が静かになるとまた下流にアヒル達が戻ってきてしまう。また「ほぉ~い!」と追い立てる。また慌てて、同じ石で転んでいるアヒル達…学ばないやつらだなぁ。
アメイが下流までたどり着き「まったく、アヒルは言う事きかないんだから」と言った。
大混乱に陥りつつも、何とか岸に上がってくつろいでいるアヒル達。
それを眺めながら、椰子の葉で作ったアヒル番の小屋の前の椅子に座って休憩する。
アメイが疲れた顔で、「アヒル飼っても、作物植えても、あんまり稼ぎにならなくてすごく大変だよ…」とつぶやいた。
私が「今夜またマッサージするよ」と言うと、「うん、こないだやってもらって、腰がちょっとだけ良くなったよ」とアメイは笑った。
アヒル達は行列になって、細い坂道を一列に、また川へと降りていった。アメイはもう追い立てるのを諦めていた。
アヒルの世話が終わると、「川に体洗いに行こう!」と言われ、更に上流の、川がせき止められている場所まで登る。
アメイは服を着たままドボーンと足から川に飛び込んだ。私も飛び込んだ。
川の水はそんなに冷たくなく、透明で、川底がはっきり見えた。水位は一番深いところでも肩の下くらいまでだった。小魚が足を突っついて、たまにチクチクした。ドクターフィッシュはこの魚なんじゃないだろうか。古い角質を食べてくれているのかと眺めていたが、どうも適当に突つかれているだけに見えた。
アメイは「子どもの頃は、私は女の子だから小学校に行かせてもらえなくて、毎日牛を追っていた。牛の世話が終わるといつもこういうふうに川で体を洗ってたんだよ。」と懐かしみ、小屋から持参したボディソープで体を洗い始めた。
私と同い年、1984年生まれのアメイは学校に行けなかったせいで字が読めない。作物を売りに行くと、字がわからないばかりに損をすることがよくある、と悔しがっていた。
今年14歳になる娘には、本人が望む教育を、できるだけ受けさせてあげたいと言っていた。
下流では、相変わらず数百羽のアヒル達がガァガァプカプカひしめき合っている。
アメイのボディソープの水はそのまま下流のアヒル達のもとへ流れていっている。
ここで私が「アメイ、川で石鹸を使うのは環境汚染だよ。アヒル達がその水を飲んだら病気になるよ」と言って、やめさせるべきだったのだろうか。
アポ達の村では、風呂や洗濯の水はそのまま直接垂れ流しである。下水道はない。
それまで村の林などにポイ捨てされていたゴミは、今年(2014年)からついに、村までゴミ回収車が来るようになり、各家にはアメリカの家庭で使われてるのと同じタイプの、車輪付きの緑色の大きなゴミ箱が配られた。
村の水道は、山の上の川から各家に直接ひかれている。
下水道が整備される日は来るのだろうか。
私が、環境汚染がどうとか、口だけで言うのは簡単だ。しかしその解決法を考え出しもせずに、そこで生活し続ける根性もない私が口出しするのは、無責任だと思う。
でもやはり、アヒルがまた死んだりしたら困るので、来週、お葬式の写真と映像DVDを届ける時にはやっばり一言、言ってみようと思う。
川から上がると、なんだか背中のあたりが少し痒く感じた。
アメイと二人で、山の向こうの夕焼けを眺めながら歩いて村まで坂を上って帰った。
アポの家に着くと、次の儀式の準備が完了したところだった。
祈祷師のおじさんに「今から儀式が始まるから見てな~」と言われた。
家の外壁に貼られた、「清玉」と書かれた曼陀羅のような絵の前には、小さなちゃぶ台が置かれ、その上に、お線香や、ロウソクや、ご飯や、呪文の紙や、はさみなどが並べられている。
背中が痒かった私は、シャワーを浴びていた。すると儀式が始まってしまった。なにやら呪文のような歌のような声と、ドラの音が聞こえる。
風呂場を出ると、アポの家族達30人くらいが家の前に跪いてうつむき、また歌うように泣いている。その周りを祈祷師達が、一人は小さなドラを叩き、一人は歌のような呪文を唱えながらぐるぐる回っている。呪文が終わると、祈祷師はアポの長男を立たせ、それに続いて他の家族も立ち上がり、夕方の儀式は終わった。
その夜も儀式は続き、祈祷師のおじさん達が夜通し、太鼓とドラを奏でながら歌い、マチェテを持った若い祈祷師がちゃぶ台の神棚の前で踊り続けた。
それを家族は眺めたり、お酒を飲んでおしゃべりしたり、テーブルを囲んでトランプを始めたりして、これまた賑やかに過ごしていた。
何時間も踊り続けた祈祷師は、しまいには神棚の前に倒れこんで、動かなくなった。それでも呪文の歌と太鼓は奏でられ続けた。
その儀式を、5歳くらいの男の子がすぐ近くに座り込み、ずっと見つめていた。
私は、アメイと旦那のアミンにオイルマッサージをしてから、アメイの娘と一緒のベッドで寝た。
14歳になるアポのひ孫は、「お母さん達には言ってないけど、将来は外国に留学したい」と小さな声で打ち明けてくれた。それを聞いて、私はすごく嬉しくなった。
祈祷師の奏でるドラと、白熱するトランプ大会と酔っ払い達の声が明け方まで聞こえたせいか、いつもと違い、なかなか寝付けなかった。
アポは、たくさんの家族に泣きながら盛大に見送られていった。
こんなにおおっぴらに泣き叫べるのはいいことだと思った。
日本のお葬式は静かだ。泣きたいときに泣けなかったせいで、ウツになる事もある。
アポは、このお葬式を空から見ていたのだろうか。
家族は、泣き叫ぶ葬式が一段落して、家の前に静かに思い思いに座っている。
私もアポ家族の輪の中に座って暫しぼんやりしていると、私の隣に座っていたアポの孫娘が、
「これでもう二度とアポとは会えなくなるね」と力なくつぶやいた。私は、あまりにも賑やか(と言ったら不謹慎だが)で伝統的な葬式に圧倒されっぱなしだったのが、やっと気持ちが落ち着き、ようやくアポが死んだという実感が急に沸きあがり、涙が出てきた。
忙しく葬式を取り仕切って歩き回っているアメイが、通り過ぎざまに「はい!水!」と言って冷たい水を渡してくれた。「謝謝」と言って、しばらく隣の孫娘と二人で静かに泣いた。
書記が立ち上がり、リー語で何かまくしたてている。なにやら「イッブン イッブン」と言っているので日本の事についてまた何かわめいているらしい。それに同調するように親族のおじさんも「イッブンなんたらかんたら!」と言い始める。すると、アポの孫娘たちがすごい剣幕でそのおじさんに何やら言い返し、おじさんは黙り込んでしまった。
するとまた書記が歩み出てきて、座っている私の顔の前に、でかい腹を突き出して立ちはだかった。今度は私に対して普通語で、「日本政府は、やった悪行を認めることもせず、まことにけしからん!」と唾をバシバシ飛ばし、まくしたて始めた。書記の口から唾と共に飛び出した何かの粒が私の腕にくっついた。
私はそれを中指で弾いて、腕を拭いてから、「そうですね、早く謝罪と賠償をすべきですね」と一言答えた。すると書記は、今まさにそれを自分が言おうとしてたのに…と言った感じで「そ、そうだ!」と言ったきり話すことが無くなり、「フン!まったく」とか言いながら家の脇の方へのしのし去っていった。
祈祷師の聖なるバケツの水が準備完了した。
アポの孫に促され、水で手や肩や足を禊ぐ。家族達が次から次へと禊ぎに来る。
その時、何人もから、「この水で手を洗うんだよ」「こうやって手を洗うんだよ」とやたら声をかけられ、そのたびに「うん、もう洗ったよ」と答えた。
その時は、お葬式の後で禊ぎをしない人がいると霊がとりつく、とかいうのをみんな心配してるのかなぁ…くらいにしか思わなかったが。
今思うと、もしかしたらアポの家族は、書記に怒鳴られている私を気の毒に思って気を使って話しかけてくれたのかなぁ。
葬式が終わり、テレビ局の人達はアポの末娘にインタビューをしてから、書記と一緒に、さっさと去って行った。
親族はまたみんなで丸いテーブルを囲み肉の多い食事をしてから、解散した。
アメイは、「あ~疲れた。」と言うので、「休憩しよう」と言うと、「アヒルの面倒を見に行かなきゃ。一緒に見に行こう」と言うので坂の下の小川のほとりまで歩いて行った。
本当は、お葬式の後7日間は、家族は仕事を休むという習慣なのだそうだ。でも、アヒルの世話やゴムの木の採取などは毎日やらなければならないので、アメイ達は休めない。
小川のほとりのアヒル小屋には、400羽くらいの茶色や黒や白のアヒル達が「グァグァグァ」と鳴きながらひしめいていた。鳩や鶏も何羽か混ざっていた。鳩もアメイ達が飼っているやつで、どこかに飛んでいっても、またアヒル小屋にちゃんと戻って来るのだそうだ。
アメイ弟がバイクに積んだ重いエサ袋三個を下ろし、外に出てきたアヒル達に餌をやる。
最初に一羽4.5元で買った雛アヒルは1000羽いたそうだが、最近の酷暑で小さいアヒル3~400羽が死んでしまったそうだ。「今年は暑すぎる。せっかく飼っても半分近く死んだ。ほとんど利益がないよ」と弟が言った。
アヒル達は餌を食べ終えると小川の方へ向かった。
アメイが、先っぽに赤いビニールの切れをつけた長い竿を持って小屋の裏へと降りていった。
弟に「あっち側から降りて見て来なよ」と言われ、私も降りていくと、河辺の下流に出た。小川には大量のアヒル達がプカプカ浮きながら、ガァガァひしめき合っている。上流にいるアメイが、竿を振り下ろしながら、「ほぉ~い!ほぉ~い!」と叫んでアヒル達を下流に追い立てている。
川の中をこっちにむかって歩きながらアメイが「アヒルを陸に追い立てて」と叫んでいる。
私も小川の中州の石に立って、両手を広げて「ほぉ~い!ほぉ~い!」とアヒルを追い立てる。
下流のアヒル達は私を見て慌てて上流へ上がろうとするが既に上流からもアヒル達が押し寄せてきていてプカプカ右往左往している。慌てて川の苔石を這い上がろうとして足がすべって転んでいるアヒルの後ろから、他のアヒルが慌てて来て、また同じ石の上ですべって転んで、また次のアヒルが同じ石で同じようにすべって転んでいる。
前の人が転んでるの見えてるんだから、その石よけて進めばいいのに…と思いながらずっとそれを眺めていた。私が静かになるとまた下流にアヒル達が戻ってきてしまう。また「ほぉ~い!」と追い立てる。また慌てて、同じ石で転んでいるアヒル達…学ばないやつらだなぁ。
アメイが下流までたどり着き「まったく、アヒルは言う事きかないんだから」と言った。
大混乱に陥りつつも、何とか岸に上がってくつろいでいるアヒル達。
それを眺めながら、椰子の葉で作ったアヒル番の小屋の前の椅子に座って休憩する。
アメイが疲れた顔で、「アヒル飼っても、作物植えても、あんまり稼ぎにならなくてすごく大変だよ…」とつぶやいた。
私が「今夜またマッサージするよ」と言うと、「うん、こないだやってもらって、腰がちょっとだけ良くなったよ」とアメイは笑った。
アヒル達は行列になって、細い坂道を一列に、また川へと降りていった。アメイはもう追い立てるのを諦めていた。
アヒルの世話が終わると、「川に体洗いに行こう!」と言われ、更に上流の、川がせき止められている場所まで登る。
アメイは服を着たままドボーンと足から川に飛び込んだ。私も飛び込んだ。
川の水はそんなに冷たくなく、透明で、川底がはっきり見えた。水位は一番深いところでも肩の下くらいまでだった。小魚が足を突っついて、たまにチクチクした。ドクターフィッシュはこの魚なんじゃないだろうか。古い角質を食べてくれているのかと眺めていたが、どうも適当に突つかれているだけに見えた。
アメイは「子どもの頃は、私は女の子だから小学校に行かせてもらえなくて、毎日牛を追っていた。牛の世話が終わるといつもこういうふうに川で体を洗ってたんだよ。」と懐かしみ、小屋から持参したボディソープで体を洗い始めた。
私と同い年、1984年生まれのアメイは学校に行けなかったせいで字が読めない。作物を売りに行くと、字がわからないばかりに損をすることがよくある、と悔しがっていた。
今年14歳になる娘には、本人が望む教育を、できるだけ受けさせてあげたいと言っていた。
下流では、相変わらず数百羽のアヒル達がガァガァプカプカひしめき合っている。
アメイのボディソープの水はそのまま下流のアヒル達のもとへ流れていっている。
ここで私が「アメイ、川で石鹸を使うのは環境汚染だよ。アヒル達がその水を飲んだら病気になるよ」と言って、やめさせるべきだったのだろうか。
アポ達の村では、風呂や洗濯の水はそのまま直接垂れ流しである。下水道はない。
それまで村の林などにポイ捨てされていたゴミは、今年(2014年)からついに、村までゴミ回収車が来るようになり、各家にはアメリカの家庭で使われてるのと同じタイプの、車輪付きの緑色の大きなゴミ箱が配られた。
村の水道は、山の上の川から各家に直接ひかれている。
下水道が整備される日は来るのだろうか。
私が、環境汚染がどうとか、口だけで言うのは簡単だ。しかしその解決法を考え出しもせずに、そこで生活し続ける根性もない私が口出しするのは、無責任だと思う。
でもやはり、アヒルがまた死んだりしたら困るので、来週、お葬式の写真と映像DVDを届ける時にはやっばり一言、言ってみようと思う。
川から上がると、なんだか背中のあたりが少し痒く感じた。
アメイと二人で、山の向こうの夕焼けを眺めながら歩いて村まで坂を上って帰った。
アポの家に着くと、次の儀式の準備が完了したところだった。
祈祷師のおじさんに「今から儀式が始まるから見てな~」と言われた。
家の外壁に貼られた、「清玉」と書かれた曼陀羅のような絵の前には、小さなちゃぶ台が置かれ、その上に、お線香や、ロウソクや、ご飯や、呪文の紙や、はさみなどが並べられている。
背中が痒かった私は、シャワーを浴びていた。すると儀式が始まってしまった。なにやら呪文のような歌のような声と、ドラの音が聞こえる。
風呂場を出ると、アポの家族達30人くらいが家の前に跪いてうつむき、また歌うように泣いている。その周りを祈祷師達が、一人は小さなドラを叩き、一人は歌のような呪文を唱えながらぐるぐる回っている。呪文が終わると、祈祷師はアポの長男を立たせ、それに続いて他の家族も立ち上がり、夕方の儀式は終わった。
その夜も儀式は続き、祈祷師のおじさん達が夜通し、太鼓とドラを奏でながら歌い、マチェテを持った若い祈祷師がちゃぶ台の神棚の前で踊り続けた。
それを家族は眺めたり、お酒を飲んでおしゃべりしたり、テーブルを囲んでトランプを始めたりして、これまた賑やかに過ごしていた。
何時間も踊り続けた祈祷師は、しまいには神棚の前に倒れこんで、動かなくなった。それでも呪文の歌と太鼓は奏でられ続けた。
その儀式を、5歳くらいの男の子がすぐ近くに座り込み、ずっと見つめていた。
私は、アメイと旦那のアミンにオイルマッサージをしてから、アメイの娘と一緒のベッドで寝た。
14歳になるアポのひ孫は、「お母さん達には言ってないけど、将来は外国に留学したい」と小さな声で打ち明けてくれた。それを聞いて、私はすごく嬉しくなった。
祈祷師の奏でるドラと、白熱するトランプ大会と酔っ払い達の声が明け方まで聞こえたせいか、いつもと違い、なかなか寝付けなかった。
アポは、たくさんの家族に泣きながら盛大に見送られていった。
こんなにおおっぴらに泣き叫べるのはいいことだと思った。
日本のお葬式は静かだ。泣きたいときに泣けなかったせいで、ウツになる事もある。
アポは、このお葬式を空から見ていたのだろうか。