こんにちは
相変わらずよく映画を観ているのですが、最近は続けて実在するダンサーの映画を観ました✨
踊れはしませんが、ダンスとなバレエを観るのは結構すきです!
1本目は「ザ•ダンサー(le danseuse)」
歌手のSOKOが19世紀末のアメリカに生まれたロイ•フラーの半生を演じています。
父を亡くして、NYに出てきたルイーズ•フラーは女優を志望して舞台で小さな役をやることになる。衣装のサイズが大きく、躓きそうになった時に咄嗟にドレスの裾を掴んで、くるくるとまわって見せたのが大喝采を浴び、ロイ•フラーとして大きな布を被ったような衣装を着て、踊るようになる。当時特許がなかったアメリカではなく、単身で特許取得する為にフランスへ渡り、舞台照明等の細部に渡る舞台の構成なども考え、アールヌーボーの象徴になった。
ロイは25歳という当時からしても少し遅い年齢で、ダンサーとしての道に進んだ人物だったようです。
幻想的に蝶のように舞う姿は、とてもキレイなので普通のダンスとはまた違う感じですが、とても良かったです💃✨
2本目は、「ダンサー、セルゲイ•ポルーニン 世界一優雅な野獣」
バレエ界の不良といわれたバレエダンサーのドキュメント映画です。
〈ヌレエフの再来〉と謳われた類稀なる才能とそれを持て余し彷徨う心。
ウクライナ出身。19歳で英ロイヤルバレエ団の史上初の最年少プリンシパルを務め、人気のピークで「バレエ団は息苦しい」と電撃退団した。
全身に7つのタトゥー。夜遊び、コカイン使用の発言、鬱を患った過去。
ロイヤルバレエ団の良識ある年配のお客様に「プリンシパルになったおごり」とか「若くして引き立てられたから」とか叩かれ放題でした。
バレエダンサーとしては異端児なのは分かるけど、メディアがいうような不良な感じなく、かなり苦労してきた青年という感じがしました。
中学くらいの年齢で親元から離れて、バレエ学校に通い、その学費を工面する為に両親や祖母はそれぞれ外国へ仕事に行き、離れ離れ。
一家の希望はセルゲイがバレエで活躍すること。
家族の期待に応える為に人よりも長く練習していたそうです。
バレエダンサーとして成功するには、多額の費用も本人の才能も必要。だけど、健康面や精神面でスポーツ選手などとは違って医療的なサポートも世界的なバレエ団だとしても足りていない。もしケガをして踊れなくなったら国外退去しなければならない。
だからこそ、かなりのプレッシャーの中で、プリンシパルになった彼のダンスは本当に素晴らしいんです。
ロイヤルバレエ団を退団してから数年後、hozier(ホージア)の「Take Me To Church」の曲に合わせて、コンテンポラリーダンスを踊った動画を公開したところ、2,000万回以上再生され、セルゲイを知らなかった人からも注目を集めました。
「ラストダンスにしようと思った。」と本人は語っていましたが、励ましや激励のコメントが多く届き、‘プロジェクト•ポルーニン’を立ち上げて、今後ダンサーの支援などもしながら活動を続けることを決めたようです。
この動画のダンスが本当にスゴイので、是非YouTubeで観てみてください✨
相変わらずよく映画を観ているのですが、最近は続けて実在するダンサーの映画を観ました✨
踊れはしませんが、ダンスとなバレエを観るのは結構すきです!
1本目は「ザ•ダンサー(le danseuse)」

歌手のSOKOが19世紀末のアメリカに生まれたロイ•フラーの半生を演じています。
父を亡くして、NYに出てきたルイーズ•フラーは女優を志望して舞台で小さな役をやることになる。衣装のサイズが大きく、躓きそうになった時に咄嗟にドレスの裾を掴んで、くるくるとまわって見せたのが大喝采を浴び、ロイ•フラーとして大きな布を被ったような衣装を着て、踊るようになる。当時特許がなかったアメリカではなく、単身で特許取得する為にフランスへ渡り、舞台照明等の細部に渡る舞台の構成なども考え、アールヌーボーの象徴になった。

ロイは25歳という当時からしても少し遅い年齢で、ダンサーとしての道に進んだ人物だったようです。
幻想的に蝶のように舞う姿は、とてもキレイなので普通のダンスとはまた違う感じですが、とても良かったです💃✨
2本目は、「ダンサー、セルゲイ•ポルーニン 世界一優雅な野獣」
バレエ界の不良といわれたバレエダンサーのドキュメント映画です。

〈ヌレエフの再来〉と謳われた類稀なる才能とそれを持て余し彷徨う心。
ウクライナ出身。19歳で英ロイヤルバレエ団の史上初の最年少プリンシパルを務め、人気のピークで「バレエ団は息苦しい」と電撃退団した。
全身に7つのタトゥー。夜遊び、コカイン使用の発言、鬱を患った過去。

ロイヤルバレエ団の良識ある年配のお客様に「プリンシパルになったおごり」とか「若くして引き立てられたから」とか叩かれ放題でした。
バレエダンサーとしては異端児なのは分かるけど、メディアがいうような不良な感じなく、かなり苦労してきた青年という感じがしました。

中学くらいの年齢で親元から離れて、バレエ学校に通い、その学費を工面する為に両親や祖母はそれぞれ外国へ仕事に行き、離れ離れ。
一家の希望はセルゲイがバレエで活躍すること。
家族の期待に応える為に人よりも長く練習していたそうです。
バレエダンサーとして成功するには、多額の費用も本人の才能も必要。だけど、健康面や精神面でスポーツ選手などとは違って医療的なサポートも世界的なバレエ団だとしても足りていない。もしケガをして踊れなくなったら国外退去しなければならない。
だからこそ、かなりのプレッシャーの中で、プリンシパルになった彼のダンスは本当に素晴らしいんです。

ロイヤルバレエ団を退団してから数年後、hozier(ホージア)の「Take Me To Church」の曲に合わせて、コンテンポラリーダンスを踊った動画を公開したところ、2,000万回以上再生され、セルゲイを知らなかった人からも注目を集めました。
「ラストダンスにしようと思った。」と本人は語っていましたが、励ましや激励のコメントが多く届き、‘プロジェクト•ポルーニン’を立ち上げて、今後ダンサーの支援などもしながら活動を続けることを決めたようです。
この動画のダンスが本当にスゴイので、是非YouTubeで観てみてください✨