走水周辺は東京湾が最も狭まる場所に位置し、幕末にも台場が築かれるなど、東京湾防備の
ための重要地点だった。明治政府も早くからこの地に砲台建設を計画。観音崎、猿島に続い
て走水低砲台建設に着手した。明治18年に着工し1年後の明治19年に竣工。
27センチ加農砲4門が据え付けられた。しかし危機が迫っていた日清・日露戦争とも敵と
交戦することなく戦争が終了。関東大震災で被害を受け、その後、復旧したが、昭和9年に
陸軍施設から除籍されている。その後も備砲されており、終戦までは可動状態にあったため
か、遺構が現在も残されている。





第四砲座高塁道・小隊長掩壕
ための重要地点だった。明治政府も早くからこの地に砲台建設を計画。観音崎、猿島に続い
て走水低砲台建設に着手した。明治18年に着工し1年後の明治19年に竣工。
27センチ加農砲4門が据え付けられた。しかし危機が迫っていた日清・日露戦争とも敵と
交戦することなく戦争が終了。関東大震災で被害を受け、その後、復旧したが、昭和9年に
陸軍施設から除籍されている。その後も備砲されており、終戦までは可動状態にあったため
か、遺構が現在も残されている。





第四砲座高塁道・小隊長掩壕
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