1936年の空中写真(拝借)
1888年にピクリン酸を主剤として製造する下瀬火薬を発明。
1899年に海軍がこの地に火薬工場を建設し、所長に就任した下瀬雅允氏にちなんで
下瀬火薬製造所と称されるようになったそうだ。その後、1914年に同所は廃止となって
海軍爆薬部の火薬庫になったそうで、写真は火薬庫時代のもの
現在は西ヶ原みんなの公園となっているが撮影時は、東京外語学校が移転したばかりで
整地をしているような状態だった
付近は住宅街で、何も残っていないが唯一境界石がある
読みにくいけど「海軍用地」と彫られている
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます