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花日和 Hana-biyori

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』感想

ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(2021年6月発行/文藝春秋)

きょうオンライン読書会がありました。そのことは追々…。とりあえず今日ギリギリで読み終わりましたので自分の感想を。

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ベストセラーとなった『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2019年)の中で、英国で著者とともに暮らす息子が、学校のテストで「エンパシーとは何か?」という質問に「他者の靴を履くこと」と答えた。

この言葉が日本で注目された事から、「エンパシー」を深掘りし思索するために書かれた一冊。ノンフィクションという括りでいいのかな?いわく、“大人の続編”だとか。

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様々な学術書などを引用し、自身の分析や経験を交えて多角的にエンパシーを深掘りする試みを頑張っていた。

似たような言葉として「シンパシー」があるが、これは共感や同情に近く人の内から出てくるもの。一方、エンパシーは他者の感情や経験を理解する〝能力〟であり、子どものうちから教育訓練する必要がある事を説いている。

しかしエンパシーは万能薬ではなく、様々な議論や毒性があることも紹介していた。自分を持たないエンパシーは、為政者に都合よく使われてしまう(政治家の事情を汲みすぎて我慢してしまう)恐れがあるという指摘は印象的だった。

興味深かったのは、コロナ禍で生まれた連帯や、災害時のユートピア的な庶民の結束、サッチャー(シンパシーはあったがエンパシーはなかった)やトランプ(自分にエンパシーはないがエンパシーを上手く利用してのし上がった)についての分析など。保育士としての経験から語る教育論は特に読みやすかった。

アナキズムのイメージも覆された感がある。無軌道なイメージのアナキストだが、実は相互扶助を行うし、自分が自分であることを重視する概念だという。

アナーキック・エンパシーとはつまり、自分がどんな靴を履いているか分かった上で、自分を保ったまま他者の靴を履いてみる事。単なるエンパシーよりもそこが重要だと分かった。


●『非色』を読んでいて思い出したこと

これを読んでいる途中で並行して「非色」も読んでいたわけだが、黒人を差別するための理屈や証拠をひねり出そうとする差別側の主張があって、『他者の靴を履く』にも似たような記述があったことを思い出した。

女性にケア労働を押しつけるための“エビデンス”が流布されてきた事を指摘していた点だ。更に『アンクル・トムの小屋』も思い出し、宗教が黒人差別をするためにやっていた事と共通しているなと。それは差別の構造なのだろう。

こうして自分の経験や読んだ本とリンクすることは誰にでもありそうな本だった。

「おばさん」という言葉の考察からイギリスのフリー・スクール、アナキズムな教育方法など論旨が多岐に渡っていて、面白いと同時に全体像をまとめて考えるのが難しいけれど、こういう事を知って考え続けることそれ自体が大事なのだと思う。





  
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