here and now

ゆっくりわかればよい。

いま、わからなくとも

ゆっくりわかればよいでしょう。

いま、わからないことが

私にとって必要なことなのでしょう。

 

父が、今日、退院して施設へもどることになりました。

病院の先生が、施設の方に、父の体の状態を伝えてくださいました。

 

今日は、ちょうど週1くらいしかない仕事が入っていて

夫が、退院の手続きから、父を施設へ送ること

すべてをしてくれることになりました。

 

子ども時代、困った時は

すべて自分の中で処理してきて

誰かの力を借りるという経験が少なかったせいか

困ったことが起きると、自分ひとりでなんとかせねばと

そちらの方向へ考えをめぐらす癖があって。

 

私には、人を信じたり

感謝したりすることが足りないように思います。

 

 

父は、一人娘をかわいがる愛情が強すぎて

私が、けがをすること、病気になる状態を受け入れ

それに耐えることができませんでした。

その時の父の苦しい表情を

私は、「嫌われている」と受け取ったのかもしれません。

 

いつも危ない危ないと言われ

何をするにも気をつけるよう言われていたものですから

運動もできない、冒険もできないままに、30歳になってしまった時

遅まきながらの親離れの行動をして、スキー場の雪の上で、足を骨折。

私は、はじめて

「まな板の上の鯉」の状態になることができました。

 

私は、こころの隅のどこかでいつも

けがをすることは恥ずかしいこと

みんなからばかにされることと思っていたのです。

 

だからその時いっしょだった仲間、スキー場の方

病院の先生、看護師さん

3か月の入院生活で出会った方々のやさしさは

相手の方にとっては、当たり前のやさしさであっても

私にとっては、はじめてあじわった

こころにしみるやさしさだったのです。

 

 

 


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「こころ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事