令和6年10月27日(日)
JR東海主催 さわやかウォーキング
「❹木曽川を眺めながら歩き、歴史と文化を楽しもう」の続きです。
木曽川堤防道へ戻りました。
またまた続きを歩いていきます。
木曽川
また橋が見えてきましたね。
中州に架かる橋です。
クリン
橋を潜って行きます。
この橋は中濃大橋です。
ここの道も旧中山道になります。
橋の間から見えている川岸を見ると、岩ですねw
橋が迫っていますw
橋を潜ると、川の中に岩が見えてきました。
野鳥の休憩場所ですね。
川の反対側に掲示板がありました。
坪内 逍遥(つぼうち しょうよう)ゆかりのムクノキ
太田宿出身の小説家だそうです。
生まれ故郷の、このムクノキの下での記念写真(真ん中)
奥さん若いですねw
大正八年、逍遥61歳でした。
今のムクノキ。
鳩の住処になっていましたw
咲いている花が少なくなってきましたw
カタバミ
めげずに歩いていきますw
ヤドリギ
先程の川の中の岩です。
サギさんの休憩場所。
木曽川
この辺りからコースは川から少し離れていきます。
だいぶ山並みが近付いて来ました。
大きな山が並んでいます。
句碑がありました。
山間乃 雪の中ゆく 筏か那
寒い時期に木曽川を筏で渡る光景が浮かびますね。
兼松嘯風(かねまつしょうふう)
1654(承応3)年、加茂郡深田村(現在の美濃加茂市深田町)の農家の子として生まれる。
蕉門の俳人。
松尾芭蕉の高弟である蕉門十哲の内藤丈草と各務支考と交流があった。
1704(宝永元)年、美濃派俳諧の集大成として編んだ美濃派俳人の句集
『国の華』(全12巻)の第4巻『藪の花』の選を担当し、可児・加茂地区の部分を担当した。
蜂屋の俳人・堀部魯九は嘯風に俳諧の手ほどきを受けている。
交流のあった俳人たちと共に1705(宝永2)年の秋、句集「ふくろ角」を選集するも刊行前の
1706(宝永3)年5月に病没。嘯風の子で俳人の水尺が嘯風追悼の句を加えて刊行した。
(美濃加茂ミュージアム、美濃加茂辞典より)
チガヤの穂
何かの施設がありました。
川が流れてきている。
加茂川です。
木曽川へ注がれていました。
だいぶ山が迫ってきました。
遠くで見ている時はそんなに大きく感じませんでしたが、迫ってくるとかなり大きな山ですw
昔の人はこの景色を見ながら歩いたのでしょうね。
コースはいよいよ終盤。。
長くなりましたので、続きはまたにします。